再会

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見えるのは海の青と太陽に焼かれた砂の赤だけ。 水平に広がる砂の海はそのまま水の海へと繋がり、水の海は天を青に染める。 遥かに続く水平線はまるでポストカードの写真のようだ。 息を呑む美しい景色。 しかしそれを見ている人間は居ない、僕とTを除いては。 ここは西サハラのポリサリオ解放区。 故郷を奪われようとする民達の最後の領地、そして民を閉じ込める檻ーー 世界唯一の空白地西サハラ、所有者は今なお決まらぬ状況下であるが土地の3分の2をモロッコが実質支配をしている。 私の見る景色はモロッコの支配しない3分の1、国連の認めぬ西サハラ人による国家サハラ・アラブ民主共和国の政治組織ポリサリオ戦線の解放区に存在する。 西サハラの民達が抗い勝ち取った土地と言えば聞こえは良いが、実際は邪魔者を封じ込める檻である。 解放区とモロッコ支配区域の境界線は砂の壁により分断されている。 壁の周辺は地雷原と鉄条網で防護され、奪還者達が壁を越えるのを阻んでいる。 赤い地平の先に広がる青が虚しく見えるのは、その青もまた民を阻む壁であるからだろう。 私はTと共に潮風を身に浴びて、寄せては引く空虚の海を眺めていた。 こんな辺境にきた理由、それは私と共にいるその男が寄越した手紙がきっかけだった。 小さな封筒に入った一枚の写真、私の見るこの場所の風景写真と裏に書かれた一行の文字。 “君と話がしたい、世界の空白で待つ。T” なぜそれを見て、私は彼に会おうと思ったのだろう。 とっくの昔に見切りを付けた筈だ。 彼に多少の情はあっても、もう私と彼の道は違う。 二度と会うことは無い、私はそう思って生きてきた。 しかし、私は今彼と居る。 Tは私と会ってから、いや会った時も声を発していなかった。 ただ海を眺め続けている。 手紙を寄越したのだから、用があるはずだ。 なのにもかかわらず…… 私はあらゆる疑念を感じながらも、Tに声を掛ける。 「久しぶりだね、T。随分容姿も変わってびっくりしたよ」 Tの容姿は以前と別人になっていた。 年は幼く、肌の色も異なっている。 地中海人種によくある長頭で彫りの深い顔、しかし全く他人の顔では無くどことなくTの面影が残っている。 熱射に肌を焼かぬよう長袖になったジェラパの隙間から健康的な黄金色が見え隠れする。 「遠くまでご足労頂き感謝する。M、君は何もも変わらず元気そうだ」 彼は歯を見せながら、広角を上げて笑う。 日に焼けた肌に白い歯が映える。 以前では考えられない、健やかな笑顔だ。 「君は変わった。何をしたんだい?」 「新しく自分を作ったんだ。現地の女性に卵子を貰い子供を作った。子供に私の記憶の内臓されたシリコンチップを埋め込んで、私の趣向を再現出来るよう脳に餌付けで学習させた。」 「では君はTでは無いのか」 「正確には。しかし私はTと同じ記憶を持ち、Tと同じ思考回路で判断を下す。外格が違えど内部の構造が同一であるなら私はTで違いあるまい」 「なるほど、君らしい。自身の子供を自身に仕立て上げるとは、倫理観がまるで存在しない」 「私は倫理に反しているつもりはない。個が個として成立するのはある一定のデータの蓄積とデータに基づく行動出力があるからだ。蓄積するデータの斑を個性と呼んでいるに過ぎん。普通の子供は教育と経験による長期的な学習によってデータを獲得するが、Tの作り出した子供は脳にTのデータを植え付けることによって獲得した。方法論の違いではないか。否定される理由がわからん」 Tが澄んだ瞳で僕を見る。 彼の瞳は何時だって清らかだった。 己の信念に疑問を抱かない、子供のような目。 永遠に汚れないからこそ、道理に叶わぬ劣情を知らぬからこそ彼は僕の……そしてKの心は分からない。 「君は純粋だね。だからこそKの行動を理解出来なかった」 「私はKの行動を理解出来ない。彼女は賢明な女性だった。理性的で母性があった。私は彼女を尊敬していた、だからこそ事故で取り乱した彼女の代わりに先導に立ちMKTを守ってきた。彼女が回復するその時、戻る場所を残すために。なのに、彼女は裏切った」 「どんな人間にも理性の及ばぬ範囲がある。例え彼女であっても」 「彼女はそんな女性じゃない!彼女は志を忘れず、論理で情を律する人間だ。己の欲に志を捨てる人じゃない!……無かった筈だ」 Tは目を伏せうなだれる。 君はわからないだろう。 彼は彼女を知らない。 いや、理解できない。 人間の性を理解できない年老いた幼子はKに理想を抱いていた。 それはあまりに身勝手な投影だ。 Kは女神じゃない、人だ。 人は老いに苦しみ、死に苦しむ。 人は苦しみに弱く、だからこそ時に理性を捨て己の欲に溺れる。 彼女もそうだ。 Kも弱い人間だった。 だからこそ だからこそ私は彼女を、彼女達を守ろうと決めたのだ。 「君は賢い人間だ、そして穢れを知らない。君の言うことも正しい。ただ、君は感情によって揺らぎ過ちを犯す人の弱さを知らない」 「弱さは理解している。愚者の心情だ」 「違う、弱さとは愛だ。己の弱さによって人は人の弱さを知る。弱さを知るからこそ、人は人を慈しむ。彼女も弱い人間だからこそ守護者として世界を守ろうとした。T、分かるかい?」 私の質問にTは首を激しく横に振る。 「M、君こそ分かっていない!感情は大脳皮質が行う取捨選択の理由付けだ。君は感情を科学の及ばぬ神聖な領域だと思っているらしいが、その感情こそが人間の神聖性を否定する証拠だ。人間に愛など存在しない。慈しむ心も、愛する心も結局は生存率を上げる脳の無意識的行動の理由付けだ。……元軍人の君は分からんんだろうが、彼女なら知っている筈だ!……彼女なら人間の本質を理解している。だからこそ……だから、彼女が感情に飲まれるなど有り得ない‼」 捲し立てて訴える彼の目尻に涙があふれる。 ……君は気付かないのだろうか。 彼女に抱く感情が、僕に訴えるその思いが、弱さだと。 溢れる涙こそが愛だと。 僕は僕に縋り付き、泣き崩れる彼の背中を撫でる。 「……私は分からない。彼女も自分自身も……時折、解っているのに自身を律することが出来なくなる。」 「それが弱さだよ、彼女も同じだったんだ。」 「……これが弱さ……」 彼の嗚咽はさざ波に掻き消える程弱く、彼の体は砂の海に埋れそうなほど小さかった。 空虚の海は僕の側で縮こまる矮小な彼を嘲笑うでもなく、ただそこで見つめている。 潮風に吹かれ、少し落ち着いた様子のTに僕はふとあのことを尋ねることにした。 何故彼女に銃を向けたのか。 尊敬していた彼女を何故殺そうとしたのか、知りたくなった。 「なあ、T。君はこんなにも彼女を思っていたのに、何故殺そうとしたんだい?」 「私は彼女に戻って欲しかった、かつての賢明な彼女に。彼女は外郭に囚われていた。容姿が戻った後も彼女は恐怖に囚われ、苦しみ続けていた。私は開放したかったんだ、外郭に縛られる彼女を。外郭の死など私の技術でどうにでもなる。脳が無事なら新しい肉体を作ってやれば生き返る。私は……彼女を救いたかった」 「……ようやく分かった、君の心情が。」 Tは己の信条の為に、素直に感情を吐露出来なかった。 不器用な彼の、彼なりの愛。 科学と感情の狭間でもがき苦しんで居ながら、私は彼に愛を与えなかった。 彼は一人で耐えていたのか。 私は愚かだ。 「私は君を誤解していた、彼女を恨んでいると思っていた。君も彼女を愛していたんだね」 「私は一度もKを恨んだことはない。今でも彼女が愛おしい」 私の頬にも水滴が伝う。 忘れていた、こんな感情は。 「M」 Tが私の名を呼ぶ。 「君をここに呼んだ理由、私も何故君を呼んだのか分からなかった。今分かったよ、私は伝えたかったんだ。彼女への思いを。今でも彼女を慕っていると。 Mよ伝えてくれ、私の思いを」 「私も悟ったよ、彼女に君の思いを伝えよう。それが私の此処に居る理由だ」 苦しみは海に流れ、稀釈されてゆく。 薄らいでゆくその思いは直ぐに海と同化する。 虚空の海でもう二度と苦しみは見つからないだろう。 潮風が吹き荒んでいる。 砂の大地は我々など居ないかの如く、ただ有るだけ。 いつか彼女が君を受け入れられたなら、ここで一緒に酒を飲もう。 彼女の好きなシェリー酒を一緒に。

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