長篇のレビュー(クロスレビュー)のサンプル


推理、推理、また推理

 クリスチアナ・ブランドの得意技には色々ある。
 卓越したプロット構成力に物を言わせたミスディレクション。
 大から小まで、種々のトリックの効力を最大限に引き出す演出。
 深く掘り下げられた人物造形。
 挙げ出したら際限がなさそうだ。さて、本書『自宅にて急逝』は数あるブランドの特技の一つ、「推理の乱舞」とでも言うべきものが如何なく発揮された長編なのである。推理が提出され、また別の推理が……。言うまでもなく推理小説の古典中の古典、アントニイ・バークリー『毒入りチョコレート事件』(創元推理文庫)に代表される趣向「推理合戦」のことだ。ただ、ここで単純に「推理合戦」と書くと本書の場合、誤解を招く危険がある。「推理合戦」という語が持っているイメージからすると、複数の登場人物が一箇所に集まって、収集した証拠を突き合せてああだ、こうだと激論を飛ばす、と思われる人も多いのではないだろうか? ところが、『自宅にて急逝』には明確にそういったシーンが登場することはない。「推理合戦」と言うには「合戦」の部分の意味が希薄で、「推理合戦」という言葉が実は完全に当て嵌まらない小説なのだ。だから便宜上、「推理の乱舞」とでも言わせてもらうことにしたい。
「推理合戦」という推理小説の演出方法は、比較的ゲーム性の強い演出である。事件のデータを論理的に解析し、手掛かりを組み立てる過程を登場人物と一緒に読者も愉しむことに魅力があると言える。逆に言うと、そのゲーム性ゆえに物語としての魅力に欠ける小説になり勝ちなのも事実だろう。『自宅にて急逝』はそうした「推理合戦」の欠点とも言うべき物語性の剥落を回避することに成功した作品と評価できると考えられる。
 それにはまず、私が言うところの「推理の乱舞」とは一体何か説明しなければなるまい。それには具体的に本書を実例にしてしまうのが手っ取り早く、一石二鳥である。物語の舞台は英国の田舎、田園風景も眩しい「白鳥の湖邸」という屋敷なのだが、一癖も二癖もある人々がうじゃうじゃ住んでいる。そこの当主が死んで遺産を巡る確執が、と来れば一筋縄には行かない話になるのは当然。殺人事件の発生とあいなる訳だ。本書の見どころはここから。何と、登場人物たちが各自推理を組み立て、お互いにお互いを犯人と指摘し合うという構図が出来てしまうのである。面と向かって推理をぶつけ合う「合戦」の形式こそ取らないものの、最終的には全員が全員、各人の推理によって犯人であると推理される結果になる。これこそ私が言う「推理の乱舞」なのだ。考え付くありとあらゆる推理が入り乱れる。傑作『ジェゼベルの死』でクリスチアナ・ブランドは登場人物全員に○○させるという超絶技巧をやってのけたが、本書も凄い。登場人物全員が推理を構築し、登場人物全員が「あいつが犯人だ!」とお互いに言う。こんなことができるのかと唖然とするばかりだ。
 最後はもちろん、推理小説の定石通り、名探偵の役を担うコックリル警部によって新たな推理が提出されて事件は解決するけれど、こうも推理だらけの物語になると名探偵の推理すら色褪せて見える。と言うより、名探偵の推理もまた乱舞する推理の中の一つに埋没してしまうのである。これを、意外性がないとか、インパクトがない、と誹る人もいるかもしれない。しかし、私は敢えて断言するが、作者の狙った効果はサプライズ・エンディングにはなかったに違いない。推理が乱れ飛ぶ推理だらけの推理小説、なのに「推理合戦」のような即物性がなく、おかしな人物たちの泥臭い騒動という物語が生き生きと描かれた推理小説を書くことにこそ、作者の狙いがあったのだろう。コックリルがラストに見せる冷酷と皮肉を引き立てる意味でも、物語は「推理の乱舞」という形を必要としていたと思えるのである。
 ポケミス50周年記念復刊フェア、復刊希望アンケート第五位の実力は伊達ではない。クリスチアナ・ブランドの実力と技巧を知るのに本書は最良の一冊と言って良いのだ。
                                                                            (東坂 博)
1