牧野修×田中啓文講演会
牧野修 とりあえずですね、なにかしゃべらなければならないと思いますので、ええと、牧野修と申します。小説を書いていたりするわけなんですけれども。(隣を見て)きみは?
田中啓文 どんどんしゃべってくださいよ。
牧野 いや、そういう態度やめようよ。協力してやっていこうよ、できればね。
田中 (長い沈黙)どーもー。(ふたたび長い沈黙)
牧野 ・・・・・・その間(ま)はなんか意味あるの?
田中 いや・・・・・・あのね・・・・・・うん・・・・・・あるんです。
牧野 (しばしの沈黙)なにをいうたらええんですかね。これといってしゃべることもないんですけど。皆さんがなにを聞きたくて来られてるのか、よくわからないんです。ぼくはミステリというようなものはほとんど書いてませんので。
田中 ほとんどということは、ちょっとは書いてるわけですか。
牧野 うんとね、今ね、ちょっと、あのー・・・・・・うそつきました。書いてない。ひとつも書いてないです。
田中 まったく書いてない?
牧野 うん、全然ですね。
田中 うーん・・・・・・。じゃあ、なんで、きょうここに来たん?
牧野 すんごいふしぎでしょ? さいしょ電話があったときにも、ほかのだれかとまちがえてないかと一応訊いたんですけど、まちがえてはいないということで。
田中 まちがえてたんとちゃう?
牧野 いまもまちがえてるんかもしれん。
田中 電話した時点でまちがえやてわかってたけど、そこで「まちがえてました」とはいわれへんから。
牧野 うん、気の弱い人かもしれんしね。「すみません、まちがえてました」っていわれへんで。えー、この田中啓文さんはデビューが・・・・・・新本格のほうやん、ね? 鮎川哲也の『本格推理』。ミステリもけっこう書かれてるんですよね?
田中 いいえ。
牧野 e—NOVELSに載ってますやんか。
田中 それがそうや。
牧野 あー、あれ、ひとつだけか。
田中 というわけでですね、ミステリの話をしましょうか。
牧野 墓穴掘るようなことになるやん、そういうことすると。
田中 ミステリを知らんからね、アタマっから、なにひとつ。
牧野 問題は、それならなにを知っているかということですね。
田中 牧野さん、忌まわしいことは知ってますよね。
牧野 そうですね。いやぁなこと、しゃべられたらいややなー、みたいなこととかね。
田中 聞きたいね、どういうことですか。
牧野 いや、あえていわない、こういう場所ではね。まあ、そういうようなことしか知りませんから。
田中 じゃあ、ミステリは置いといて。
牧野 ミステリ研の講演会で、いきなり「置いといて」。
田中 なにを持ってきたらいいんですか。
牧野 なにを持ってきたらいいか、わからないんですけれども。じゃあ、デビューの話なんかどうですかね?
田中 牧野先生のことを、わたくし知りたいな、なんて。
牧野 そんなんいわれても、全然うれしない。どちらかというといやーな感じ。
田中 じゃあ、知らんとこ。
牧野 知らんといてくれ。・・・・・・小説を書きたいかたとか作家になりたいかたとか、この場におられるでしょうか。(見わたして)では、深くうなずいておられるあなただけを見てしゃべりましょう。はじめて小説が商業誌に載ったのは高校生の頃なんですけれども——。
田中 ぼく、小学校五年生のときに、四コマ漫画が『小学五年生』に載ったんですよ。
牧野 なんでそこで意地はるかな? なんで、そういうことで人に対抗しようと思うわけ?
田中 いや、いうとかなあかんかなと。話の腰を折りまして申しわけありません。
牧野 思いっきり折ったわ。
田中 また折るから。
牧野 うーん、まあ適当にね。・・・・・・高校生のころも小説を書いてたんです。で、書いたやつを、筒井康隆先生がやっておられた『ネオ・ヌル』という同人誌に送った。そこは創作同人で、作品を送ればすべて筒井康隆さんが評してくれるという、非常にありがたい同人だったんです。それが『’74年日本SFベスト集成』という、徳間から出た筒井康隆編のアンソロジーに載りました。載ったんですけど——。
田中 「なんとかちゃん」とかいうやつ。
牧野 そうそう、それ。それで——。
田中 「なにちゃん」やった、あれ?(註1)
牧野 いいやん、そんなん。
田中 あれが、「その年のSFでもっともすぐれた作品」と呼ばれたわけですね。
牧野 いわれてへんやん。
田中 でも、『日本SFベスト集成』でしょ、あの、べちゃってつぶす——。
牧野 ——ばかばかしいのがね。・・・・・・でも、当時のわたしは、そんなことで作家になろうとは志すような人間ではなかった。ていうか、そんなことで作家になれるとは思っておりませんでした。その後もいろんなところに投稿してたんですが、それは「商業誌に載ったり本になったりするのが楽しい。いろんな人に読んでもらえたら嬉しい」という思いでやっていました。高校生のときのをデビューとすると、ぼくは二十五年くらい作家やってることになって、菊地秀行さんより作家歴が長いことになってしまって・・・・・・。
田中 菊地さん、えらい怒ってましたよね。
牧野 おこってましたね、ものすごい不評を買ってしまいました。「あれはなんなんだよー」とか。そういうことなんですけど、当時は作家になろうという意志があってのことではなかったんです。まあ、そうでしょ、ふつうは。
田中 いや、そんなことはないでしょう。
牧野 いや、普通は小説書きたくて書いて、「送るとこあるやん」で送って、みたいなことでやってるんやないですか。
田中 牧野さんは『奇想天外』の新人賞とって、『幻想文学』の新人賞もとって —— あとなにとってたっけ、『ビックリハウス』?—— そんだけとってる。そのあと『奇想天外』にも『幻想文学』にも作品が続けて載っとるわけだ。さらに『’74年日本SFベスト集成』にも載った。それでも作家になろうと思わなかったんですか。
牧野 思わなかったですね。
田中 欲がない、ということですか。
牧野 いや、作家でおわらすのは惜しいな思いまして、というやつかな。
田中 ああ。
牧野 あれは載るのがたのしくてやってたわけで・・・・・・。そういうもんでしょ。
田中 載ってないもん。小学校五年生のときに四コマ漫画載った以外、載ってませんもん。
牧野 でも、そんとき漫画家になろうと思った?
田中 思えへんかった。
牧野 思えへんやろ。それといっしょや、たぶん。
田中 ぼくもいっぱい出したよ。いちばん出したのは中学高校のときですな。それこそ、山口百恵・三浦友和主演映画のストーリー募集から、『宇宙からのメッセージ』タイトル募集(註2)から ——。
牧野 それは小説とは違うやろ。「おーい、お茶」の句の募集なんかと、同じレベルとちがうの?
田中 —— NHK落語なんとかコンクールから、『奇想天外』にも出しましたよ。なんでもええから載してほしかったんやけど、なんにも載りませんでしたね。
牧野 「今後小説を書いて食べていきたいな」という意志を持って出したわけやないんでしょ。
田中 いや、『奇天』には小説家というか —— 小説を載せてほしいと思って出してましたよ。
牧野 基本的には「小説載ったらええな」いうくらいのレベルでしょ。
田中 まあ、当時は小説家になれるなんて思ってませんでしたからね。ひと握りの、ほんとに恵まれた才能を持っていて、しかもラッキーな人だけがなるものであって —— わたしのような不運な人間にそのような僥倖がめぐってくるとは、思ってませんでしたから。
牧野 いや、作家になれる率ってのは高いですよ。そこまでは高い。作家になることはそれほどむつかしくない、と思うんですよ。
田中 まあ、賞とってしもたら、そう思いますな。
牧野 どっかの賞に —— ぼくなんかがそうですけども —— 佳作で残ってしまえば、まあ作家と称しても、怒られはせんやろ、と。
田中 いや、怒られるかも。
牧野 怒られるか、その程度では。でも、とりあえずとば口はひらけるわけで、そっから「作家やります」っていったら、やれんこともない。
田中 鮎川哲也の『本格推理』ではだめです。あれはね、載っても意味がない。
牧野 うん、なかったみたいやな。話もどして、それ以降に作家としての自分を維持するのがいちばんむつかしい。
田中 そうですね。これはたいへんですわ。いま、へぇへぇいうてやってますからね。
牧野 いま維持できてないもんね。問題は賞とったあと。作家としてずっとやっていけるかということが、一番重大ではないかと思いますけれども。
田中 苦労した時代があったとお聞きしております。デビュー後に、苦闘の時代が。いまも苦闘してるかも知れんけど。
牧野 デビューしたのをどこらへんにするかなんですけど・・・・・・。『ハヤカワ Hi!』という雑誌があったんです、たぶん誰も知らないと思うんですが。ヤングアダルト系の雑誌やったんですよね。
田中 『SFマガジン』増刊号。『メフィスト』のようなもんですわ、『小説現代』増刊号とかいって出してる。
牧野 そこで「Hi! ファンタジーノベル大賞」というのをやっていて、応募した。それが、小説家として食えるようになりたくて原稿を送った、はじめてのことなんですよ。なんでそんなことをしたかというと、それ以外のことでは生きていけそうにないな、と。
田中 いくつのときですか?
牧野 結構歳だったので・・・・・・三十四、五。
田中 三十五で、ほかのことではあかんと気づくのは、遅いですな。もうちょっとはよ気づかな。
牧野 いや、それより十年くらいまえには気づいてたんですよ。
田中 気づいたけど、わすれた。
牧野 いや、気づいてたんですけど、ここでまともな社会生活から逃れるようなことをすると、人としてだめなのではないか——ほんとに思ったんですよ——落ちるとこまで落ちるのではないかと、そういうふうに危惧しまして、額に汗して働く日々を十年あまり続けたわけですよ。で、十年つづけて、やっぱり無理だと気づいたんです。
田中 気づくわね。
牧野 気づくわね。ものすごいいやになるわ。田中さんもそうでしょ?
田中 ぼくも気づいたんですね。サラリーマンは十一年やってましたけど、さいごの五年くらいは二足のわらじやったんです。ぼくがデビューしたいと思ったのは、会社入ってからですね。それまでは趣味の投稿だったんですけども、会社入ったとたんに、こらあかんと思ったんですね。四月一日から会社に入るわけやけど、三月の三十日くらいから合宿研修みたいなのが事前にあったんですよ。それの一日目のね、はじまって十分くらいしたときに、「しもたわぁ、えらいことになったな、これでずっと行かなあかんのか」と思って。こら、ただちになにか策をねらなくては。でも、なにもできませんから、小説家になるしかないと。そこ辞めてよその会社に行っても、結局おんなじでしょ。そうなると自由業しかないと思って、そっからめちゃめちゃ真剣になりまして。
牧野 人間、追いつめられないと無理ですよね。
田中 会社に入るまえに作家になる人もいて、綾辻さんとか我孫子さんとか、学生のうちにデビューされてる。それもよしなんですけど・・・・・・。いっぺん就職したらどれだけいやか、そのことがすごい励みになりましたね。
牧野 それにね、小説家になりたいなと思ってても、会社づとめしてみたら「こっちの方がええやん」みたいなこともないともいえんからね。
田中 じつは天職かも知れんし。
牧野 その可能性もあるんで、とりあえず就職して十年間は働きましょう。で、追いつめられて、「へたしたら死ぬし」みたいになった。それで、ほかの道にすすむとしたら、作家しか思いつかなかった。そうこうして賞とれたんで、一応デビューできたんですけども、それと同時にですね、地盤となる雑誌『ハヤカワ Hi!』がつぶれてしまいました。
田中 デビューまえでしょ。雑誌がなかったからデビュー作が載らなかったんですよね。むちゃくちゃや。
牧野 うん、むちゃくちゃ。
田中 その賞の二回目に応募しようとして雑誌探したけど、最近見かけんな思てたら。
牧野 そやから、受賞の発表は『SFマガジン』やったんですよ。当時、早川に「Hi! ブックス」というヤングアダルト系の文庫があって、『Hi!』で出してるやつを文庫化してたんですけど、それもいっしょになくなっちゃった。だから発行の場が全然なくなっちゃったんで、ハードカバーで受賞作が出て、それで終わり。仕方なくてですね——。
田中 しかも、そのときはもう、会社やめてたんでしょ。
牧野 受賞したら、よし、というので、いきなり仕事やめてました。
田中 会社はやめたわ、雑誌はないわ、文庫はないわ。
牧野 もう行くとこまで行ったな、と。
田中 デビューして、いきなり流浪の民のようになってしまった。
牧野 まあ、早川書房の担当の人が、いろんな出版社につれて行ってくれて、ありがたかったんですけども。
田中 それは、やっぱり、こう・・・・・・。
牧野 「自分とこで出されへんから」ってのも、あったと思うんやけども。
田中 しかも、賞とっただけで会社やめるとはね。「え、やめたん?」みたいな。
牧野 やめるいうたら、ものすごいとめられたもん。「たのむから」て。
田中 でも、やめたんやったら紹介せざるを得んな。
牧野 そういうことですね。いろんな出版社を紹介していただいて、そんなかから『プリンセス奪還』という——。
田中 ああ、ソノラマ文庫ですか。
牧野 そうそう、ソノラマ。
田中 だれが知ってる、その小説。
牧野 よう知ってるやん。秘書みたいやね。
田中 全然売れなかったんですか。
牧野 売れないっていう問題じゃなかったみたいやね。
田中 はあはあ。
牧野 問題外って。
田中 はあはあ。
牧野 それから、『SFマガジン』で連作短篇やらしてもらって、それをまとめたのが『MOUSE』。これは、一部でですね、限られた一部ではかなり評判になったんですが、やはり初版でおわってしまいまして。
田中 あちこち持ちこみしたけども、あんまり評価はされなかった。
牧野 うん、そう。持ちこみも、デビューがヤングアダルトのところだったんで、ヤングアダルト系の持ちこみをしたんです。ところが、ヤングアダルト系のところに持ちこんでも、やっぱりもともと資質がちがうのですかね、受け入れてもらえないんです。だからそういうことで、本も出ないし仕事もないし。
田中 会社やめてるし、三十五にはなってるし。
牧野 歳くってるしね。
田中 嫁はんはおるし、子供もおるし、どないすんねんな。
牧野 子供おらへんかったからね。
田中 ああ、おらへんかったんか。で、持ちこんでも没になるし。
牧野 でも、追いつめられた状況っていう気が、本人になかったんですけども。本人はね、会社やめたっていうことだけで、もう、気持がらくらく。朝起きても、「あ、会社行かんでええんや」とか思うと、それだけで気持がよかったね。
田中 嫁はん、こまったやろね。毎朝仕事ないのににこにこしてる。
牧野 そうそう、妙ににこやかでね、笑ってるしね。
田中 「あんた、どないすんねんな」
牧野 「もう、会社ないねん。けらけらけらー」みたいな調子やったからね。食うにはこまっていたんですけど、精神的には異常なほどらくだったんですよ。そうこうしているうちに、アスペクトという出版社があって、そこの編集者のかたがわたしのこと気に入っていてくださって、「ノベライズの仕事をする?」って訊かれた。アスペクトはもともとアスキーというゲーム会社の出版部門で、ゲームのノベライズをすることになりました。第一作目が『ビヨンド・ザ・ビヨンド』、ログアウト文庫から出た。まずゲームをわたされて、「これをさいごまでやってから小説にかかりましょうね」といわれて、ひと月のあいだにゲームをやって小説を書いた。ログアウト文庫って、すごく薄っぺらいんですよ。でもそれはRPGで長大な物語なんですよ。到底全部は小説にできないので、「じゃあ、こっからここまでっていうことにしましょう」ってやったんですけども、それですら、ふつうのノベライズの文庫版よりかなり分厚いものになったうえ、字が小さい。ほんとに要領がわからなかった。それで、ゲームのノベライズのくわしいことをいうと、印税の三パーセントがゲームの製作会社に行くんですよ。僕が七パーセント。普通、定価の一割くらいは来るのに、そのうちの三パーセントをゲーム会社にとられる。だから、そこそこの冊数を出しても、ふつうの小説を書くよりは儲からない。でも、たくさん仕事をいただいてそれで食いつないでいるうちに、なんか知らないんですけども、長篇の仕事がぽつぽつと入ってくるようになってきました。で、長篇の仕事が入ってきたときには、いくつか小説を書きためておりましたので。
田中 それがいっぺんにどーっと。
牧野 うん、結果的にはそうなんですけども。いろんな出版社にこれとこれとこれってべつべつのときに渡してて、それが去年いっぺんに本になっちゃって。
田中 すごい書くのがはやいなあ、ってみんな思ってるかもしれないけど、とんでもない。まえから書いてたやつが本になっただけなんや。でも今年は一冊しか出てへん。
牧野 そうそう、今年は一冊しか本が出てないんですよ。だから、前から書きためておくのって大事やねと思ったりしたんですが。まあ、小説で苦労したっていう記憶が全然ないんですよ。苦労したっていうと十年間働いたほうが苦労してて、人間やりたいことやってたら大丈夫かなって気がするんですけども。
田中 「作家にしかなれん」っていう人は、勝手に作家になるでしょうね、きっと。
牧野 いやでもね。
田中 おしえられるようにね。
牧野 とりあえず、作家ってそんなに儲かりませんから、けっしていい職業ではないのです。そりゃ、地道に働くほうがずっと儲かる。
田中 それはいえますね。一部の人だけですよ、儲かってんのは。
牧野 もちろん、非常に儲かる作家がいるのは事実ですけども、ほんとに一部、ほんとにひと握りですから。作家になったから裕福な暮しが出来るというのは、大まちがいですよね。
田中 大まちがい。
牧野 だれかさん、きょう、財布に二千円しか入ってないもんね。
田中 そうそう、二千円しかない。
牧野 帰りどうしよういうてたもんね、さっき。
田中 いや、銀行で金おろそうと思たら、残高が一万くらいしかなかったんで、これはおろさんとおいといたほうがええかなと思って。
牧野 なんかで引き落とされるかもしれへんし? ものすごいかなしい話なんですよ、作家になるということは。そんなもんですかね。
田中 あんまりええことはないね。
牧野 「ええというよりもしかたなしに」みたいなところが、作家になるいうことにはあるのではないかと思います。そうじゃない作家もいるんですけどね。ほかの職業やりながら、ときどき小説書いて、という作家もいて。
田中 瀬名秀明さんのことをいってるんですか。
牧野 瀬名さん、大学やめはったよ。
田中 講師をやってるらしいですよ。
牧野 それとちょっとちがう。なにか正業を持ってはって、っていうタイプの作家は、ミステリにもいるでしょう。名前ようあげんけど。
田中 知らんからね。
牧野 いるでしょう。
田中 森奈津子は?
牧野 ちがうちがうちがう。まあ、正業を持っていて小説も書くいうかたもおられますけど、やっぱりそれは特殊かなあという気がしますね。どちらかというと、ほかにつかい道のない人間が、うしろから火をつけられたように——。
田中 かちかち山ですか。
牧野 ——逃げ場をもとめて作家になった、みたいなところはありますね。
田中 ぼくのまわりを見まわしても、社会人としてはどうやってもあかんやろいう人ばっかりやね。倉阪鬼一郎とか飯野文彦とか北野勇作とか、どないして働いとったんやろうな。我孫子武丸という人がおるんですけどね、この人は、なんか知らんのですけど、「おれは社会人として立派に通用する」って、なんの根拠もないのによういうてる。
牧野 「あすからサラリーマンもできる。ぼくはねえ、働くときはまじめにやるんですよ」
田中 どう考えても、あんなんにサラリーマンやれるわけがない。
牧野 全然サラリーマンにむいてないんやもんね。
田中 作家というのは、そういう人が多い。
牧野 ほとんどそうですね。だから、新人賞に応募する人で「小説しかない」というタイプは、だいたい一次選考は通ると思えへん?
田中 思えへん。
牧野 通ると思うけどな。
田中 通らへん。
牧野 通らへんて、なんで?
田中 おれ、通れへんかったもん。
牧野 それは出すとこまちがえてるでしょ。どこに出したんやったっけ?
田中 軒並出してますよ。もうとにかく山口百恵・三浦友和・・・・・・。
牧野 まちごうてる。そんなん通るわけないやないですか。
田中 なんで?
牧野 田中さんは『異形家の食卓』っていう短篇集をこないだ出されたんですが、書いてあることが、「なにこれ?」。「こんなん書いたらあかんやん、人としてどうや」っていうようなことしか書いてないやないですか、ね?
田中 そうですか。癒し系やないですか。
牧野 ちがうちがうちがう。おれ、よう読まんかったもん。途中で閉じたね。
田中 ぼくも『忌まわしい匣』は途中で閉じたね。
牧野 ほっとけ。
田中 さわったら黴菌がつくような。
牧野 うるさいわ。山口百恵・三浦友和なんとかみたいなとこに、そういう人が通るわけないじゃないですか。
田中 そういう人が?
牧野 ぼくが思うのには・・・・・・。
田中 ぼくね、山口百恵・三浦友和ストーリーのときに、怪獣もん出したんですよ。
牧野 そんなん、はなからあかんて、わかってたやん。
田中 いや、どんなジャンルでもええて書いてあったんですよ。
牧野 それ鵜呑みにするやつ、おかしいやん。わざと鵜呑みにしたんちゃうの?
田中 いや、怪獣もんが書きたかった。
牧野 書きたかった、結局そんなんね。わたしは思うんですけども、よっぽどまちがった選択さえしなければ、作家になる資質をお持ちのかたは、一次選考は通るでしょう。
田中 では、わたしはよっぽどまちがった選択をしたと。
牧野 したよ。怪獣もの送れへんもん、ふつう。
田中 二十何作も送りましたけど、ほとんど落ちましたからね、一次も通らずに。
牧野 それはへんなとこにばっかり送ってたからでしょ。
田中 いや、そんなことないですよ。『オール讀物』推理小説新人賞、『小説推理』新人賞、『小説新潮』新人賞・・・・・・。
牧野 それ全部に怪獣もん送ったとか、そんなことはないの?
田中 いまはSF大賞、新人賞があるけど当時はなかったから、ほとんどミステリか中間小説の賞で、全部ホラー書いて送った。みんな「広義のミステリで」とか書いてるからいけるやん、って。
牧野 むこうの雑誌のカラーとかもとめてるものとか、そういうのがわかって出した場合はですね、一次は通ると。いいね?
田中 「広義の推理小説」を長いこと信じつづけとって、なんで一次も通れへんのかなと思って、いっぺん推理小説の賞に推理小説を出してみよ思てやってみたら、ばーんと通ったんですよ。ふしぎなものですね。
牧野 ふしぎなことないって。ふつう気づくよ。
田中 いや、「広義の」って書いてあるからね。
牧野 そんなん、だれも信じてへんと思うよ。「広義の」って書かれてても。
田中 ミステリの賞に、「日本の終戦のときに神風を吹かす装置を発明した人がいて、それが神風を吹かして敵艦をやっつける話」とか書いて、なんで通れへんかなって。
牧野 そら通らへんわな。だから、おそらくですね、出すさきさえまちがえなければ、ある程度小説を書く力がおありなら、一次は通るもん。逆にいえば、一次選考に通らなかったら、非常に合わないものを書いているか、あるいは小説を書くのにふさわしくない人か、どちらかでしょう——この意見はどう思う?
田中 まあ、むつかしいことですけど。牧野さんは高校生のときにぱっと出てるからね。けど、ぼくは長いことですね・・・・・・。
牧野 それは、だれが考えてもまちがった出しかたしてたからやんか。
田中 いや、ぼくはそんなこと、考えても気ィつけへんかったから。
牧野 わかれよ、それくらい。
田中 推理小説の新人賞に恋愛小説を出しても、こらあかんと思うねんけど、ホラーやったらええやんと思たわけですよ。そういう確信があったもんやから。
牧野 さいしょ確信あっても、二回失敗したらわかってええんちゃう。
田中 ミステリの場合、引く手あまたで賞は山のようにあるから、こんでデビューできんわけがないんですよね。SFなんか、いまは徳間のSF新人賞に出すしか手はない、そのまえはなんもなかったわけですよ。だから、ミステリ書きたい人は、「この就職難の時代にも大企業が門戸を開けて待っている」という、ウハウハ状態。しかも賞金一千万とかでしょ。うらやましい。でも、『本格推理』はなにくれたかっていうと、印税頭割りだけ。そのあと光文社からは一回も連絡ないですね。
牧野 ほったらかし。
田中 ほったらかし。あんなん、なんの役にも立たんかったね。
牧野 最終的には、デビューなさったのは集英社のファンタジーロマン大賞。
田中 当時はそういう名前やったけど、すぐに名前かわったんですよ。佳作で三十万、賞金はどうちゅうことなかったんですけど、本が定期的に出る状態になった。でも、それもジュニア小説でしょ。作家志望の人にいいたいんですが、「どこからデビューしてもええわ、いっしょやわ」っていうのはまちがい。「デビューしたらこっちのもんや」ということはありません。ジュニア小説からデビューしたら、大人もの書きたいと思ってても、書きにくいですよ。
牧野 でも、すっと『水霊 ミズチ』を出されたじゃありませんか。
田中 いや、とんでもございません。あれはヤングアダルトでデビューしてから四年くらい経ってからです。その間、ぼくはあらゆるとこに、「ふつうのやつ書かせてください」といいつづけて。
牧野 持ちこんだりしたんですか。
田中 持ちこんではいなかったけど。ヤングアダルトもの書いてると、「スニーカー文庫じゃない、ふつうの書かせてください」っていっても、「ふつうの?」っていう感じで、そういうもの書くって全然見られないんですよ。「会社やめな、このままやと死ぬわ」って状態でずっとおったでしょ。そやけど仕事が全然ないんですよ。ファンタジーなんとか文庫ってのがあって、そっから仕事くれるんですけど、「できたら見せてね」っていう感じので、これは「仕事をくれている」というよりも「愛想やな」という感じなんですよ。
牧野 社交辞令みたいなね。とりあえず「いい天気ですね」みたいな。
田中 そんな状態で会社やめるわけにはいかないじゃないですか。
牧野 やめな、そこで。
田中 やめた。
牧野 やめたんか、結局は。
田中 ぼくも会社づとめがいやでいやで、毎日胃が痛くなって、このままでは死ぬと思ったんです。それで担当編集者に相談したら、「絶対やめるな、あんたは小説一本ではやって行かれへん、絶対無理、もうちょっと考えなさい」ってさんざんいわれて。でも、もうこれ以上会社にはおれへんと思ってやめた。やめて初仕事が、『緊縛のメシア』っていうシリーズの二冊目やったんですよ。これ一生懸命書いてわたしたら、出せませんっていわれて、さき行きまっくら。どないしたらええんやろなて。会社やめて、初仕事が一銭にもならなくって、何ヶ月かただ働きでしょ。どないしよかな思って、まあ、『水霊 ミズチ』書こかな——そんな感じですかね。それまでは、ずーっとジュニアものばっかり書いてました。
牧野 それは苦労した・・・・・・っていう話?
田中 苦労したわけではないけど、仕事はなかったって話。
牧野 それまでの仕事やめて、たしかに食うに困るんですけど・・・・・・異様に楽しいね。たのしなかった?
田中 いまもたのしい。
牧野 いまもたのしいでしょ。とにかくですね、会社行ってですね——。
田中 なんかこう、総会屋がどうの、とか。
牧野 田中さん、会社で総務やってたからね。
田中 トイレに蜂が入ってきたから追い出してくれとかですね、悪いけどトイレで床に吐いてもうたから掃除しておいてくれとかですね、全社のファイリングを見なおせとかですね、そういうことせんでええわけですから。とにかく朝起きて考えることといったら、ああもう愉快だな、って。たのしい。
牧野 それなりに締切はあって追いつめられはするんですけど、追いつめられようが、会社員のときとは大幅にちがいますよね。
田中 自分のなかからなにかが出てこなくなったら、あきらめなしゃあないいうところがありますからね。
牧野 まあね、いつどうなるかわからない。
田中 ああ、もう全然わかりません。
最終更新:2010年08月02日 12:38