地下牢の私室に朝日は届きにくい。
いや届かない。
『おはようございます』
(まだ眠いなぁ)と、心中と表情で言っている禪はセブルスの自室をノックした。
なんとか起きれたのは、彼女の睡眠時間の体内時計が六時間でセットされているからである。
それ以下(三時間とか四時間だけの睡眠時間)で眠ることは難しい。
それ以上ならば、お酒や薬を飲んでいれば行けるはずだが、彼女はあいにく、今の身体ではお酒を飲めない。
中身は三十路直前だというのに……。
昨日も同じことをしたが、今日はまた別である。
「……Ms.蔡塔か。入りたまえ」
いぶかしげな声を上げながらも、彼は入室を許可した。
扉が開き、ロシアンブルーを引き連れた禪が入ってくる。
「今日はどうしたのかね?」
「買い物は付きやってやったろう?」と不機嫌な声で彼は聞いてきた。
『そうなんですけど、今日は教授に頼みごとがありまして……』
「大方の見当はついておる。だが、猫の名前も決まらずにか?」
付き従っているロシアンブルーを見て、彼はため息をつく。
その灰色の猫は、昨日先に名前が付けられた杖に嫉妬するほどそれを付けてもらいたがっていた。
(猫の恨みなど知れているが、それでも決めておいた方がいいはずではないか?)とセブルス・スネイプは、少しだけ心配していた。
『ああ、この子の名前でしたら決まりましたよ』
彼の予想外の答えが返ってくる。
「なに?」
『庸(よう)と名付けました』
(また、単純な響きだな)と思いながらも、彼は猫に恨まれずに済んだと思った。
「……よかろう。では用件を聞こうか」
彼はまたため息をつき、聞く。
幸せがよく逃げていきそうだ。
まぁ、彼は本当に幸せが逃げて行ってしまっているのだが。
『図書館の利用許可ください!』
禪は思いっきり笑顔で言った。
「?我輩はてっきり呪文の練習をするものだと思っていたのだがね?」
『ええ、それもしたいですよ。でも、それを一日中するつもりはないんです。教授も準備やらなんやらで忙しいでしょう?午後の二時間分だけでも教授に頼みますよ。他の時間は、此処の世界の知識を付けようと思いまして』
『知識もないのに、実践しても失敗するのが落ちでしょう?』と彼女は言う。
「……」
確か彼女は、“知っている”はずだ。
としても本当かどうかわからない知識で魔法を使おうとは思わないのであろうか。
しかし……
「……貴様は、馬鹿なのかね?昨日買った教科書はどうした?」
そう、昨日は彼が教科書を買ってきたはずだ。
それでも足りないと言うのであろうか。
『それなんですけど、確かに一年生の内容ですので分かりやすいんは分かりやすいんですけど……』
苦笑しながら彼女は言う。
『知らない用語が多くて、困ってるんですよ。ですので、辞典でもないかなぁと図書館の利用許可を取りに来たんです』
(なるほど、そういうことか)とセブルス・スネイプは納得した。
確かに“知っている”事を前提にしても、単語が意味するところを理解せねば、それは学んだといっても意味がない。
詰まるところ、その行為は“知ったかぶり”になってしまうのだ。
「よかろう、許可は出す」
(我輩の気に喰わぬ奴らの二の舞にならないというのならば、出してやろうではないか)
彼は、喜々としてペンを走らせた。
「司書のマダム・ピンスは今いるかわからぬ。が、校長かマクゴナガルはおるだろう」
一筆走らせたメモを、禪に渡す。
彼女は目を輝かせて、嬉しそうにそれを受け取った。
『ありがとうございます!』
(これでちゃんと意味が分かる!)
彼女はそれを受け取るとクルリと背を向けて部屋を出ていこうとする。
そこで、セブルス・スネイプはハッとした。
「ところで、Ms.蔡塔」
『はい?』
「図書館の場所は分かっておるのかね?」
『すみません。まだどこにあるのか、分かっていませんでした。大変申し訳ないのですが、案内をお願いできますでしょうか?』
(すみません教授!)
難しい顔をする彼に、禪は現実と心中の両方で平謝りした。
物語には“図書館がある”ことは書いてあっても、その位置は全くと言っていいほど校内の配置図が存在してなかったのを、この時ほど彼女は悔しがったのに違いない。
(禪視点)
これは、ハーマイオニーの気持ちがわかるかも
それが教科書を読んだ時の感想だった。
前の世界では、道端の草や小さな虫、ありとあらゆる草花が好きでよく遊んだり、その知識を学んでいた。
高校ですら、“それ”の為だけに普通ではない高校を選び、普通教科など、そっちのけにしたほどである。
まぁ、そのおかげで就職もままならなかった原因の一部でもあるのだが……
しかし、その知識も此方の世界――ハリポタ世界では役に立つ。
主に、薬草学と魔法薬学でではあるが……
世界が違うだけで役に立つとは、これは苦笑するしかない。
ということは、もし、セブルス・スネイプがあちらの世界にいたのならば、植物博士にでもなっていたのかもしれないなぁ。
一人静かな図書室の窓辺で、辞書とにらめっこしながら、教科書をめくる。
その教科書の横には、セブルス・スネイプの図書館利用を許可するメモが置いてある。
私はそれを見て、また苦笑した。
新学期前でも、本を愛するマダム・ピンスはカウンターに居り、何か書類を作っていた。
この図書館に連れてきてくれたのも、マダムの機嫌を取ったのもセブルス・スネイプだ。
まぁ、正確には、自ら書いたメモと私がダンブルドアの孫になった人物だと説明しただけだが。
それでも、マダム・ピンスには快く許可をくださったので、今こうして辞書と教科書をめくっては書き写す作業に没頭する事が出来る。
私自身、ここの森番のように蜘蛛が可愛いと言えるくらい動物は好きだ。
しかし、このメモを書いた彼にすら似ているところがある。
まぁ、植物の知識が多くて、学生時代一人でいることが多くて、いじめられる対象だったというところだけですけど。
変な風に似ている。
それは、わかっていたことだ。
この世界にきて三日目だが、まだアルバスじいちゃんとセブルス・スネイプは私の存在に警戒しているように思える。
初日など、縛られたままだった。
その後の二日間は、セブルス・スネイプと一緒だったが、時折、彼から不審な目を向けられている。
昨日の杖選びの時などあからさまだった。
二匹もペットを購入したせいであるかもしれないが……
たぶん、ヴォル様に似ちゃってんだろうなぁ、何処か。
私自身、それは気づいている事であった。
だが、たとえ狂気を孕んでいたとしても、それを爆発させ、底に堕ちなければいいだけのこと。
要は実行しなければよい。
堕ちる気など更々ありゃしない。
この世界ではどうだか知らないが、前の世界の故国である日本には大量殺戮兵器が第二次世界大戦の折、使用されている。
それも本土内で二度、海上で一度。
地震も多く、津波などの自然災害も頻繁に引き起こされるから、テレビ越しではあるがたくさんの死を見てきた。
学校生活の仕方失敗して、死をたくさん見て、就職に失敗して、両親には落ちこぼれと何度も言われた。
石潰しとも言われた。
就職を二度も断られただけで、呪いをかけた彼に嘲りの表情が浮かぶ。
やりたい職業を二回断られただけだ。
その為だけに授業に呪いなんぞかけんなよな。
私は、やりたい職業が多すぎた。
それとコミュニケーションが上手くないこともあり、どの職業も就職活動し、ゆうに各十五回は断られている。
もう、一度は挫折しまくってんだ。
あのもと世界じゃ、それを享受し、地味に生きることを選んだ私だぞ?
だーれがあのテロリストに頭(こうべ)を下げるかってんだ。
今度こそ学生生活で失敗はしたくない。
できれば、文武両道で、友達もたくさんほしい。
これはその為の予習でもあった。
まぁ、ハリーもハーマイオニーも無知からの出発だけど……
死も回避しなければならない。
いや、改心させるしかないのか?彼は。
無意識とはいえ、ハリーを人殺しにさせるのいただけないしね。
ただでさえ、やること満載なのだ。
自分の人生の生き直し。
元マグル学の先生の死の回避。
だから、これくらいの余裕は欲しい。
ってとこまで勉強進めないとな……
カリカリとノートにペンを走らせていく。
意味は、何度も書いて頭に叩きこむタイプなのだ。
もう少しでいい。
カリカリ……
そうしたら、私は教授やアルバスじいちゃんに話してもいいと思ってる。
カリカリカリ……
けど、今はみんな忙しいだろうから。
カリカリカリカリ……
学校内に精神だけのヴォル様もいることですし。
カリカリカリカリカリ……
だから、もう少しだけ待ってて。
カリカリカリカリカリカリ……
慣れない書体を、慣れないペンで書き綴りながら、トリップ特典とやらで理解しうる英語で理解するため、私はひたすらわからない用語を調べては意味を書いていった。
まだ、夏は終わらない。
(禪side end)
正午を過ぎたところで、禪は迫りくる足音にペンを滑らせるのをやめた。
「Ms.蔡塔!こんな所に居たのですか!」
マクゴナガル教授が本棚の合間から顔を出した。
『はへ?どうしたのですか?』
「“どうしたのですか?”じゃありません!昨日もその前も食事に顔を出さず、今朝も、朝食に来なかったでしょう!」
すごい剣幕で、マクゴナガル教授は言った。
(はい、確かに忘れてました。というより、初日は食欲なくて食べておらず、昨日はスネイプ教授に一日二食、食べさせてもらってました)
『すみません、今朝は食べることより知識欲の方が優先してしまいまして。あ、でも昨日はスネイプ教授に色々と貰ってたんでお腹すいていなかったんですよ』
「まったく、セブルスがついているというのに……」
何やらブツブツ言いだすマクゴナガル教授。
(うん、この人敵に回したくない)
言葉では勝ち目がないと禪は踏んで、そう決意する。
『あ、あの……』
「Ms.蔡塔。とにかく立ちなさい」
『はい!』
がたた……
「勉強していたのでしょうが、それらはそこに置いたままでよろしいです。とにかく昼食に行きますよ。ついてきなさい」
『は、はい!』
ここはハキハキ動かなくてはと、禪は『はい』しか言えなくなった。
勉強道具をそのままに、図書館を出る。
階段を降り、長い渡り廊下を進んでいく。
「さて、Ms.蔡塔」
『はい!』
おそらく大広間に着くであろうことを予想しながら、禪はいきなり喋り出したマクゴナガル教授にびっくりした。
彼女は歩きながらではあるが、杖を一振りする。
「今、防音魔法を私達にかけました。校長からは貴方の事は聞いています。異世界から来たという事も、“知っている”ということもです。ですが、その事を知っているのは私と校長、そしてセブルス・スネイプ教授の三人のみです」
『そうですか』
(下手にクィレルに何ぞバラされなくてよかったぁ。そしたら行き成り死亡フラグじゃんか)
「私は貴方が害がある人物だとは思っていません。むしろ、私には不憫に思えてならないのです」
『マクゴナガル教授?』
長い渡り廊下の真ん中に来た時、マクゴナガル教授は不意に足を止めた。
不思議そうに禪はそれを見る。
「Ms.蔡塔。貴方は、この世界では親族がいないという事でしたね」
『ええ、そうなります』
「校長が、祖父になったそうですが、私からも一つよろしいでしょうか?」
マクゴナガル教授がそう言って振り向いた後、視界がタータンチェックの柄に染まった。
『へ?』
どうやら、マクゴナガル教授に抱き着かれているようだ。
(ほへええええ!)
「Ms.蔡塔、いえ禪。決して一人ではないですよ。私が母親代わりになります。いいですか、絶対に一人で抱え込んではいけませんよ。何かあったら私に頼りなさい」
彼女の声はとても、真摯でそれでいて安心するかのような音だった。
禪は、心のどこかで何かが溶け出すような気がした。
『ありがとうございます、マクゴナガル教授』
いつの間にか少し泣いているようだ。
少し涙声で、そう言えばマクゴナガル教授は抱く力を少し強める。
「ミネルバでいいですよ」
『ありがとう、ミネルバ』
(いつの間に、無理してたんだっけ……前の世界からかもしれない。こうしてもらうの、久しぶりすぎる)
泣きたいけれど、泣くに泣けないと禪は暖かな体温にしばし目を閉じる。
五分ほど、そうして抱え込むようにして抱かれていた。
(静かに泣いていたとはいえ、涙を止めるのに少し時間がかかったな)と禪はぼんやり考えながら、ミネルバに手を繋いでもらいまた歩き始める。
「さて、そろそろ行きましょう、禪。そういえば、今日の朝食の時に、貴女を校長の孫として紹介するつもりでした。しかし、貴女は来なく、校長も顔をしかめておられましてねぇ」
(あー、うん、やっぱり一同が会する時は食事の時だったんですね……)
いつ言うのかと思っていたが、食事の時に「ワシの孫じゃ」とダンブルドアは言うつもだったようだ。
(……うん、某神隠し映画の蜘蛛じいとかぶってる気がする……)
「ということで、急ぎます。あ、防音魔法はもう解けましたからね!」
ミネルバがそう言うと同時に、大広間に着いた。
(うぁお、映画で見たのそのまんま。あ、クィレルへの対応どうしよ……とりあえず、他の人と同じようにしよ。“知ってますよ”なんて一言も顔に出してやんないぞ)
「おお、来たの。ミネルバに禪。ささ、こちらへおいで」
さすがに夏休みだからと、今日は壇上の教職員用のテーブルには座っていなかったらしい。
原作通りで言えば、本来グリフィンドールが座っていた長机に、職員たちは座っていた。
(アルバスおじいちゃん、なんか子供みたい……その言動というか行動が?)
「さて、紹介が遅れたのう。こちらは、禪・蔡塔。少し不憫な生い立ちでのう、ついこの前ワシが孫として引き取った子じゃ」
「よろしく頼むぞ」とダンブルドアが食事を始めていた皆に言う。
職員は、原作通りの人物たちで口々に挨拶と抱擁を求めてきた。
もちろん、セブルス・スネイプ以外。
そして、今年の最も警戒したい先生堂々一位のクィリナス・クィレルは抱擁ではなく握手であった。
(あう、文化の違いがあって恥ずかし……)
日本には抱擁を交わす挨拶はないので、禪は戸惑っていた。
しかし、それとは反対に少し嬉しさも存在していた。
(でも、人を半信半疑するまでに陥った私にはいいリハビリかも?)
望まれて答えて、辛くても耐えて達成して、切り捨てて答えて、それでも何かが足りなくて失望されて。
(クィレルの気持ちすら分かっちまうのが、怖いくらいだな。まぁ、やり直すんだから、マジで彼の様に闇に身を委ねないが……)
それでも何かに手を伸ばす。
今度こそ認められる為に。
明日に立っている為に。
(それを踏まえてこその“第二の人生”だ。こんどこそ、皆に認められるまでに頑張ってみよう)
前の世界は、親不孝までしてしまった禪。
(誰も死なせねぇし、死なないさ)
笑顔の裏で、そう決意を固めながら、テーブルに着いた。
隣には不機嫌そうなのか、土気色のセブルス・スネイプがいる。
反対側に座ったのは、クィリナス・クィレル。
(え、いきなりですか……演技できっかなぁ?)
(クィリナス・クィレル視点)
俺は今、さるお方を隠しホグワーツの潜り込んでいる。
いつものようにオドオドした態度で、新学期の準備をしていた。
さるお方は、とある石をお求めになった。
しかし、いまいましいダンブルドア校長がどこかに隠したらしい。
ちっ、グリンゴッツにでも隠したか!
あそこは入って戻るのに骨が折れるというのに!
俺も、ホグワーツの戻るとダンブルドアに転任させられた。
あのまま、自分の得意分野で教えたかったというのに。
一矢報いる。
その決意が、俺を奮い立たせてている。
始業式一週間前。
その決意が少し揺らいだ。
ダンブルドア校長が孫を迎えたのだ。
養子らしい。
これは警戒しなくては。
昼食の席で、その孫が紹介された。
東洋人で、綺麗な女の子だった。
長髪の黒髪で、派手でも地味でもない服を着ている。
見た目から察するに、今年入学だろう。
背は俺の方より低かった。
マクゴナガルに連れられて、その孫が笑顔であいさつする。
皆挨拶をしたが、俺は握手程度にとどめた。
見て分かったが、魔力が高かったのだ。
ダンブルドア校長は、その魔力を求めたのだろう。
自ら、兵力とする気か……
だが、それはこちらのさるお方もお考えであろう。
今弱っておられるのならば、なおさら。
俺如きでも配下に入れるのだ。
こちら側に取り込んでしまえばよいのだ。
あちら側の戦力になる前に。
そう考えて俺は、彼女の横の席に座った。
ちっ、反対の横にセブルス・スネイプが居やがった。
これでは今日の今日取り込むの難しそうだな。
いたしかたない、明日にでも彼女に接触してみるか。
(クィリナス・クィレルside end)
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