ローゼンメイデンが教師だったら@Wiki 化け物退治

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  にわかには信じ難いことだが、金糸雀は、化学の授業を受け持っている。
  当然ながら、毒物劇物取り扱い責任者の資格を有していた。
  一体、どこの誰が、彼女にそんな資格を許したのか。法の良識を疑わざるを得なかった。
  ほら、今日も実験室から緊張感の欠けらもない鼻歌が聞こえてきた。
「ふふふーのふーん、エストロゲーンにプロゲステロン、イソフラボーンにカルシウム、ヤクルトヤクルト、ちょっと加え……」
  白衣をまとった金糸雀が、手に取った試験管の中身を、極めてアバウトに、ビーカーの液体に投入する。
  ぽん、と小さな破裂音を響かせて、白い煙が立ち昇った。
「あっという間に完成よーーっ!!」
  金糸雀は、緑色の液体が入ったビーカーを、得意そうに掲げてみせた。
「ふっふっふー、苦節三か月……遂に、遂に完成なのかしら。この薬さえ、この薬さえ飲めば!! ほんの数か月後には、このカナも、背ぇすらーり、おっぱいぼいーんのナイスバディに大変身なのかしらーーっ!! 楽してズルして、この学園のナンバーワンの座はカナのものになるのよーーっ。もう誰にも、ちんちくりんだなんて莫迦にさせないんだからーーっ!!」
  早速、できたばかりの液体を服用しようとするが。
「…………何だか、とっても苦そうね……」
  さすがに、見るからにグロテスクな液体を前に、逡巡してしまう。金糸雀は一計を案じた。
「そうだわっ。自分で飲めないなら、まず誰かで試してみればいいのよ。そうと決まれば、善は急げなのかしらーーっ!!」
  嬉々として、実験室を飛び出していく金糸雀。薬のビーカーを、テーブルの上に置きっ放しにして。
  一匹のトラ猫が、実験室に入ってきた。雛苺と金糸雀が、餌を与えているデブ猫だ。小腹を空かせて、金糸雀を頼ってきたのだろう。
  テーブルの上に飛び乗った。見慣れないビーカーに気づく。猫の習性として、くんくんと臭いをかいでみる。うっと顔を背け、踵を返した。後ろ足が、ビーカーを倒した。
  どろりとした液体が、テーブルの横に備えつけられた流しに注ぎ込まれた。
  金糸雀は不在のようだ。猫は、何事もなかったかのように、立ち去った。


「一体、何なのだわ、金糸雀?」
「いーから、いーから、付いてきて、真紅」
  ふっふっふっ、まずは誰よりも胸の小さな真紅で、薬の効き目をばっちりチェックするのかしらーーっ。
  しかし、その目論見は、脆くも崩れ去る。
  空になったビーカーを前にして、あんぐりと口を開け放つ金糸雀。
  真紅が、不審そうな目を向ける。
「金糸雀。あなた、まさか……また妙なことを企てていた訳じゃないでしょうね?」
「えっ……ななな何のことかしら、真紅? 無闇に人を疑うのは、良くないことなのかしら……」
  真紅は得心が行かなかったが、その時は実害もなかったこともあり、結局は引き下がった。
  後にまさかそんな事態になろうとは、誰が予測できただろうか。

  翌日の四時間目の授業中。
  翠星石と雛苺の二人が教鞭を振るう、調理実習室。
  がさがさがさがさっ。
  廊下から耳障りな音が響いてきて、生徒たちがざわめく。
  熱弁を妨げられたことが、癇に障った。翠星石は、勢い良く扉を開け放って、怒鳴り散らした。
「一体どこのたわけです? この翠星石の授業を妨害する不届き者は……」
  翠星石は、言葉を失った。廊下にひと気はなかった。が、その違和感にはすぐに気づいた。
  天井にべったりと、黒く平べったいものがへばりついている。てかてかと脂ぎった、その手前のほうの先端からは、長さ2メートルの黒い髭がだらりとぶら下がっていて、びくんびくんとしなっていた。
  翠星石の全身に、かつてない怖気が駆け巡った。
「ひぃいいいいいいいいッ!!!!」
  声にならない悲鳴が上がると、それはどさりと床に落ちた。六本の足を駆使して体勢を立て直し、一直線に彼女に向かって突進してくる。
  翠星石は慌てて扉を閉めるが、一歩及ばず。扉のすき間に、頭部を挿し込まれてしまう。
  調理実習室は、騒然となった。


「そっそっそっ、それは一体何なのーーっ、翠星石ーーっ!?」
「ばばば莫迦苺っ、何、呑気なことを抜かしてやがるですかっ、さっさと扉を押さえるのを手伝うですっ!!」
「あっあっあっ、あいなのーーっ!!」
  しかし、生徒達も一致団結しての奮戦も虚しく、とうとう扉をこじ開けられてしまう。
  突き飛ばされ、尻餅をつく、先生と生徒達。彼女らに覆いかぶさらんと、黒い流線形は、後ろの四本の足で立ち上がった。
  天井に届きそうな勢いだった。異形の化け物に追いつめられ、翠星石と雛苺に、もうなす術はなかった。すっかりすくみ上がってしまい、立ち上がることすらままならなかった。二人は、お互いの体に、ひしとしがみついた。
  と、その時だ。化け物の背後から一本の腕が突き出され、ポリマーフレームの小型拳銃の銃口が、触角の生えた頭部に押し当てられる。
  グロック26のトリガーを二度絞った。
  耳をつんざくような乾いた破裂音と共に、外骨格の破片が、体液が、翠星石と雛苺の全身に降りかかった。
「きゅ~~ん……」
  翠星石は、目をむいて昏倒した。
  崩れ落ちた化け物の背後から現れたのは、当然ながら雪華綺晶だった。
「……大丈夫?」
「うううっ、酷い目に遭ったの……ああっ、翠星石……翠星石っ!? 大丈夫なのっ!? しっかりするのーーっ!!」
  気絶した翠星石の体をかっくんかっくんと揺さ振る。雪華綺晶は、慌てる雛苺を制し、翠星石の脈を探った。
「……大丈夫。気絶しただけ……」
「ほっ……良かったなのーーっ」
  ぱっと笑顔を輝かせた雛苺は、直前までの恐怖などどこ吹く風に見えた。顔をしかめて、全身に浴びた化け物の体液を拭い取る。
  背後の生徒達は、未だに青ざめた表情のまま、ぶるぶると小刻みに震えているというのに。
  歴戦の勇者も、これには内心舌を巻いた。


「むむっ、これは……どっからどう見ても、クロゴキブリなのーーっ。羽化していないから、まだ幼虫なのーーっ」
  実は生物の授業も受け持っている雛苺が、きっぱりと断言した。
「……でも……どうして、こんなに大きく……」
  雪華綺晶が、至極当たり前の疑問を口にする。しかし、今は、そんな悠長に論じている場合ではなかった。
  校舎のそこかしこから、絹を裂くような悲鳴が、助けを求める叫び声が、聞こえてきたからだ。
  雪華綺晶は、ポケットから彼女のロッカーのキーを取り出すと、雛苺の前に差し出す。
「……雛苺……お願いがあります。私のロッカーの一番下……アルミ製のアタッシュケースが納められています……それを、取ってきてください……」
「あいなのっ、分かったなのっ」
  雛苺は、きっと信頼に応えてくれる。雪華綺晶は、小さく、しかし力強くうなずくと、調理実習室を飛び出していった。
  残った雛苺は、まだ教室の隅で縮こまっている生徒達に、檄を飛ばす。
「A班とB班は、気絶した翠星石先生を保健室まで運ぶのーーっ。残りの班は、食材を、ゴキブリに見つからない場所に隠すのーーっ」

  逃げ惑う生徒達、先生達。学園は、すっかりパニックに陥っていた。
  雪華綺晶は、コンシールドキャリーの小型拳銃――彼女は、実銃を帯びたまま、授業を執り行っていたのだろうか?――を身構えたまま、慎重に先へと進んでいく。
  と、廊下のど真ん中で、呆然と立ち尽くす薔薇水晶を見つけた。慌てて駆け寄った。
「ばらしー、ばらしー……?」
  肩を揺すって、意識を回復させる。これが薔薇水晶以外の誰かだったら、何のためらいもなく平手打ちするところだが、雪華綺晶は、たった一人の肉親である彼女にだけは、手を上げられなかった。
「……き、きらきー……一体、何が起こっているの……?」
「……分からない。でも、安心して……有栖学園は、この私が護るから……必ず……」


「こここ……腰が抜けたのだわ……」
「ふええええええええ~~~~んっ、お母様ぁ~~~~っ!!」
  さすがに相手が悪すぎたのか。真紅と水銀燈の二人は、もう頼みにできそうになかった。

「くっ、来るなっ!! 生徒達は、生徒達は……この僕が護るんだっ!!」
  蒼星石は、逃げ遅れた彼女の教え子数人と共に、教室の隅へと追いつめられていた。
  両膝をがくがく震わせながらも、手に取ったモップで懸命に防戦する。が、どれだけ文武両道に優れた蒼星石だろうと、常軌を逸した生理的嫌悪感に打ち勝つのは、容易ではなかった。
  醜悪な化け物が、後ろの四本の足で立ち上がり、残る二本の足を振り回すと、モップは簡単に弾き飛ばされてしまった。
  悲鳴が上がった。蒼星石は、糸の切れた操り人形のようにへなへなと崩れ落ちると、それでも教え子達をかばうように両腕を広げた。
  黒い影が、圧しかかってきた。
  乾いた破裂音が、教室の窓ガラスをびりびりと振動させた。

  雪華綺晶は、小さく舌打ちをした。
  二発撃った。しかし、ゴキブリの頭部のぬめった曲面に弾かれてしまった。
  グロック26に装填されているのは、9ミリ弾。しかも隠し持つことを念頭に設計されているこの銃は、銃身が短く、弾の威力を充分に引き出せなかった。
  雪華綺晶は、素早く間合いをつめると、至近距離からもう一発。今度は、頭部を貫通した。濁った体液が、蒼星石たちの頭上に撒き散らされる。
  薬室も含め、弾倉が空になった。撃った弾数はちゃんと数えていたし、重さでもそれが確認できた。雪華綺晶は、反射的にマガジンを交換しようと、懐に手を入れた。
「雪華綺晶っ、後ろっ!!」
  蒼星石が叫ぶ。はっとして後ろを振り返ったときには、もう遅かった。頭上から落ちてきた黒い巨体が、雪華綺晶をなぎ倒した。
  教室には、もう一体潜んでいたのだ。


  錆びた鉄の味が、口一杯に広がった。胃液が喉に逆流してきて、ごぼごぼと咳き込んだ。
  雪華綺晶は、どうにか意識をつなぎ止めた。
  体長二メートルはある巨体が、倒れた彼女の上に圧しかかってきた。
  グロック26は、どこかに弾き飛ばされてしまったようだ。彼女は、右わき腹のナイフシースからサバイバルナイフを引き抜くと、刃渡り13センチのブレードを、外骨格のすき間に突き立てた。
  きんっ。と甲高い金属音を響かせて、それは呆気なく根元から折れた。普段から携行しているのは、あくまで非常用の物に過ぎない。こんな化け物を相手にすることなど、誰が想定できただろう。
  ゴキブリの大顎がかちかちと打ち鳴らされ、雪華綺晶の喉元に迫った。
「雪華綺晶っ!!」
  蒼星石が、床を滑らせてモップを寄越した。雪華綺晶は、素早くそれを引き込むと、その柄をゴキブリの喉元にあてがった。
  力くらべになった。モップの柄が、それを支える両腕の骨が、ぎしぎしと軋んだ。体の薄い節足動物の重量は見た目ほどではなかったが、それでも大の男を上回った。
「きらきーっ、大丈夫なのーーっ!!??」
  雪華綺晶は、横目で声の主を探した。おろおろと狼狽する雛苺の足元には、銀色のアタッシュケースが見えた。彼女は、ちゃんと約束を果たしたのだ。
「……ひないっ……ちご……ろく、さんっ……はち……」
  雛苺は、わずかに戸惑ったが、すぐにそれがアタッシュケースの開錠の数字だと気づいた。
  大急ぎでダイヤルを回す。ケースを開け放った。
「ええっとぉ……」
  一番大きな金属の塊をウレタンの緩衝材から引き抜いて、床を滑らせて雪華綺晶に渡した。
  ヘッケラー&コック社製のサブマシンガンが火を噴いて、辺り一面に汚物をぶちまけた。


  掃討戦が始まった。
  完全武装した雪華綺晶に、予備の弾薬を抱えた雛苺が付き従った。
  手首を負傷した蒼星石は、生徒達の避難誘導に当たった。
  しかし、そんな彼女らの東奔西走など露ほども知らず、実験室にこもって何やら怪しげな企てに意気込む乙女が一人。
  そう、我らが金糸雀だった。
「ふっふっふー、これで準備は万端、整ったのかしら……」
  白衣を身にまとい、ほくそ笑む彼女。テーブルの上には、昨日の緑色の液体と、苺大福の山が積み上げられていた。液体は、新たに作り直したものだ。
「ふっふっふー、真紅では失敗したけれど、まだ雛苺がいるわ……この薬を注入した苺大福をちらつかせれば、ヒナを欺くなんて簡単っ!! カナってば、何て頭がいいのかしらーーっ。我ながら恐ろしく感じることがあるわ……ふっふっふー、天才はいつの世も苦悩するものなのねーーっ」
  がさがさがさがさっ。
「さーっきから、何をごそごそ騒々しいのかしら? 今は、まだ四時間目の授業中のはずよ……?」
  金糸雀は、勢い良く廊下への扉を開け放った。
  ゴキブリと目が合った。
「……………………へっ?」
  目をぱちぱちと瞬かせる。お互いの顔は、20センチと離れていなかった。ふと、ゴキブリがにんまりと笑みを浮かべたように感じた。
「きゅ~~……」
  金糸雀は、へなへなと崩れ落ち、そのまま意識を失った。
  ゴキブリは、金糸雀を踏んづけて、のしのしと実験室へ侵入した。
  テーブルの上に載せられた、液体と苺大福の存在に気づいた。


  窓の外から、甲高い悲鳴が聞こえてきた。
  即座に窓を開け放ち、外の様子を確認する雪華綺晶。しかし、目に見える範囲に人影はなかった。
  校舎のそちら側は、生徒達が避難しているグラウンドとは反対だ。何かの聞き間違いだろうか。
  再び悲鳴。今度ははっきりと確信した。視界の外のどこかで、誰かが危機に瀕している。
  二人が今いるのは、校舎の三階だ。回り道している余裕はない。雪華綺晶は、フックつきロープを取り出すと、窓の桟に引っかけ、するすると降りていった。
  さすがに雛苺に同じ真似はできない。
「きらきしょーーっ、頑張るなのーーっ!!」
  背中に精一杯の声をかけた。

  雪華綺晶は、我が目を疑った。
  数々の戦場を渡り歩き、幾多の死線を潜り抜けてきた。
  胆力には自信があったはずだ。その自信が今、揺らぎつつあった。
  校舎の陰で、一人の女生徒が追いつめられていた。
  三階建ての校舎が、やけに小さく思えた。
  それは、まるで戦車のような威容を放っていた。戦車そのもの、いや、それ以上と言っても過言ではなかった。
  体長8メートルはあった。
  校舎の一角――実験室のあった辺りが大きく崩れ、壁に抜け殻の断片が引っかかっていた。抜け殻の大半は食べてしまったようだった。
  巨大な成虫は、折りたたんだ背中の羽を、ぶるぶると震動させた。


  雪華綺晶は、突進した。
  腰だめに構えているサブマシンガンは、ヘッケラー&コック社製のMP7A1。ドイツ連邦軍に正式採用されて間もない、最新鋭の歩兵用小火器だ。
  しかし、いくら高性能とは言っても、基本的に対人用の武器だ。未知の敵を相手に、一体どれだけの効き目を発揮できるのか、実践してみなければ判らない。
  雛苺は、こう疑問を呈していた。
『ゴキブリはお日様の光が苦手なはずなのに、何で平気なの?』
『内骨格のない節足動物なのに、あんなに大きくなって、何で自重で潰れないの?』
  それは、今までの常識が通用しない、未知の生き物だからだ。
  雪華綺晶は、ぎりぎりまで肉薄して、全弾を頭部に叩き込むつもりだった。
「……ここは、私が引きつけます。あなたは、早く逃げて……」
  腰を抜かした女生徒にそう告げるが、彼女は、雪華綺晶が動揺を見せるほどの化け物と相対していたのだ。おいそれとは立ち上がれなかった。
  雪華綺晶は、右手で銃を構えたまま、左手を大きく振ると、巨大な化け物の注意を自らのほうに招き寄せた。そのままじりじりと後退し、化け物を女生徒から引き離す。
  充分な距離を確保できたときには、雪華綺晶は、すっかり袋のネズミになっていた。
  三方を建物に囲まれ、残る一方もモンスターの巨体に封じ込まれている。
  ゴキブリは、大顎をがちがちと打ち鳴らした。あの大きさの顎なら、雪華綺晶の首など一噛みで食い千切られてしまうだろう。
  ゴキブリは、後ろの四本足で立ち上がると、頭部を雪華綺晶に寄せてきた。
  雪華綺晶は、MP7A1の狙いを定め、トリガーを引き絞った。


  マガジンが空になるまで撃ち尽くした。
  しかし、脂ぎった頭部に損傷を受けた様子はなかった。
  雪華綺晶は、目を見張った。3メートルと距離を置かず、一点集中で全弾叩き込んだはずだった。
  4.6ミリの弾では駄目。サブマシンガンを投げ捨てると、腰のホルスターから大口径のハンドガンを引き抜いた。
  両手でしっかりとホールドし、狙いを定め、連続してトリガーを絞った。
  デザートイーグル.50AE。実用的な自動拳銃としては、最強の座をほしいままにしている。そのはずだった。
  跳弾が、雪華綺晶の肩をかすめた。ジャケットが切り裂かれ、血がにじみ出した。
  口径0.5インチ――12.7ミリのマグナム弾を食らっても、ゴキブリは平然としていた。傷一つ負わせられなかった。
  対戦車装備でもなければ、歯が立たない。しかし、今以上の装備は、手元に置いてなかった。元より、背水の陣から抜け出す手段がない。
  かつてない絶望感が、どっと押し寄せてきた。全身から血の気が失せ、感覚が薄れ、まるで宙に浮いているような気分になった。
  最愛の妹の微笑みが、脳裏をよぎった。
  死ぬのは怖くなかった。ただ、彼女に二度と会えなくなるのが、無性に哀しかった。
  雪華綺晶は、妹と交わした最後の約束を思い出す。
『……安心して……有栖学園は、この私が護るから……必ず……』
  これだけの化け物を野放しにしたら、今度こそ死傷者が出るのは避けられないだろう。
  雪華綺晶は、腰のベルトに釣り下げた手榴弾を二つ、両手に取ると、それぞれのピンを口でくわえて抜いた。
  ゴキブリが、彼女の頭を食い千切ろうと、ゆっくりと頭部を近づけてくる。
  雪華綺晶は、最凶の敵を道連れに、自爆するつもりだった。


  間一髪だった。
「きらきしょーーっ、上を見るのーーっ!!」
  血塗られた戦場に、もしも天使が舞い降りるなら、それは雛苺の姿をしているに違いない。雪華綺晶は、そう思った。
  今の彼女は、孤独な戦いを強いられている訳ではない。かけがえのない仲間が一緒だった。
  三階の窓から、フックつきロープがぶら下げられる。
  雪華綺晶の脳裏に、天啓のように一つのアイディアが形を成した。
  両手の手榴弾のレバーを外すと、ゴキブリの足元をすり抜けるように、勢い良く転がす。
  素早くロープをよじ登った。
  二つの手榴弾は、ゴキブリのすぐ後ろで爆風を放った。
  度肝を抜かれたゴキブリは、何を考えたか、全力で校舎に突っ込んだ。いや、それが奴らの習性だった。奴らは、前にしか遁走できないのだ。雪華綺晶の賭けが、見事に的中した。
  建物全体が、どうと大きく震えた。ロープにしがみつく雪華綺晶のすぐ足元の壁が粉砕され、がらがらと崩れ落ちた。
  コンクリートの中からむき出しになった鉄骨が、ぐにゃりと折れ曲がっていた。
  ゴキブリは、しばらくの間、六本の足をぴくぴくと痙攣させていたが、やがて沈黙した。
  こうして、死闘は幕を下ろしたのだ。

「ぐずっ……ぐずっ……どうしてカナがこんな目に遭わなきゃならないの……カナ、何も悪いことはしていないのに……」
  今回の事件の張本人であることが露見し、金糸雀は、学園中に散らばった汚物の処分を命じられた。
  幸いにして、被害が彼女に請求されることはなかった。校舎は、それはもう酷い有り様だった。巨大ゴキブリに崩された壁も凄かったが、雪華綺晶が開けた銃痕の数も半端ではなかった。
  しかし、校長が何を仕出かすか分からない有栖学園では、校舎にも多額の保険がかけられていた。
  金糸雀は、一生を棒に振らずに済んだ。
  涙を呑んで、火バサミで、四散した肉片を拾う。
「ぐずっ……ぐずっ……みんな、憶えてなさぁい……有栖学園一の頭脳派である、この金糸雀が……いつかきっと見返してやるのかしらーーっ!!」
  まだまだ騒動のタネは尽きそうになかった。