池上燐介7

7.敵意



ネオンサインや街灯が光を照らす夜の街──。
繁華街が人の賑わいを見せるこの時間帯に、俺は薬局を探して街を歩いていた。
何か情報を掴んでいる異能者を探す──当初の目的はそれであったが、
背中に負った傷の痛みがその目的を変えさせたのだ。
軽い冷却で出血を止めることはできるが、痛みまで止めることはできない。
できることなら病院に行き、そこで適切な治療を受けた方がいいのであろうが、
時間的に既に外来の受付は終わっている頃と思ったので、
こうして薬を売る商店を探すことに決めたのだ。

しかし、歩き回っても、目に付くのは飲食店ばかりで
一向に薬局の看板は見えてこない。
こうして似たような景色を見ながら二十分ほど歩いた頃だったろうか……
(──ズキン!)

俺の右手が急に警告を発したのだ。
──辺りを見回しても誰もいない。しかし気のせいではないのは確かだ。
俺は辺りに気を配りながら、平静を装いながら前を歩き続ける。

その時、前方の曲がり角から、ひょいと現れた男の後姿が目に飛び込んできた。
(──ズキン!)

俺の右手の警告が一層強さを増す。
俺は一瞬身構えたが、目の前の男は俺の事など気付きもしない様子で
ただ前を歩いていくだけだった。
……右手の反応からして目の前の男が異能者であるという事は間違いない。
俺を狙う刺客か、それとも先程の『剣使い』同様、偶然に出くわしただけか……
……いずれにしろ、『何か』を知っている可能性はある。

俺はその場で立ち止まり、右手に力を込めた。
そして能力を発動────
──……しようとして止め、代わって男に対し声をかけるのだった。

「あの、すいません」

男はゆっくりとこちらを振り返る。
顔からして三十代程度の年齢だということが分かる。
割と人の良さそうな顔をしていて、特に『悪い人間』といった印象は受けない。
心の中でそう分析しながら、俺は言葉を続けた。

「この近くで『薬局屋』はありませんか?
先程から探しているんですが、どうにも見つからなくて」

さて、相手はどう出るか。
この男が刺客で、俺を殺そうとしてくるなら即返り討ちにするまでのこと。
偶然に出くわしただけの異能者であれば、ここでの戦闘は極力避けておきたい。
――今は自分の体の傷を治すことが先決だ。話を聞くのは後でもできるのだから……。
男は、手を右ポケットに突っ込んだまま、困った様な表情で返事をする。

「こんな時間に薬局ねぇ……まあ、案内してやりたいのは山々なんだが
 生憎、俺の知ってる街一番の薬局は、今、客が一人いるんだよ」

そう言うと、懐から取り出したライターを俺に向かって放り投げた。
恐らく咥えたタバコに点火しようとしたライターがガス欠だったのだろう。
俺は瞬時にそう直感しつつ、男の言葉に耳を傾けながら、
特に理由も無く空中に舞ったライターを目で追い続けた。

「だから、麻酔しかくれてやれねぇってよ。悪いな」

つまり……その店には既に『怪我人』という先客が来ており、
その先客の手当てに大半の薬を使い込んでしまった、ということか……。

男の言葉の意味を、心の中でそう解釈した瞬間だった。
急に目の前が眩いばかりの光で覆われた。
──ライターに目くらましが!?
俺がすぐに発光したのがあのライターだと分かったのは、
先程からあのライターを目で追い、発光した瞬間を確認していたからだ。

咄嗟に瞼を閉じるも、既に俺の目は凶悪な光の餌食にされていた。
どうやら十数秒程は目が使えないことを覚悟せねばならないようだ。
だが、そんな事態に直面しても、俺の頭の中は混乱する事無く冷静を保っていた。

──何故、目くらましを?
逃げるためか、この隙に乗じて俺を攻撃するためのどちらかだ。
こちらに向かってくる気配を感じることからして、恐らくは後者……。

──男が俺を狙う『刺客』であるのか、そうでないのかはまだ不明だが……
いずれにせよこの瞬間、俺に『敵意』を持つ『異能者』であるに違いはない。
仕方あるまい……この場で情報を聞き出すことにするか。

そう心の中で決めた時だった。

「おいおい、『後ろ』ががら空きだぞ?」

不意に聞こえる男の声。
──速い。いつの間にかこちらの至近距離にまで迫っていたのか。
男の声と気配に反応したかのように、俺は咄嗟に能力を発動させていた。
フリーフリーズ
『自在氷』──。

能力の発動から一秒と待たずして俺の体全体に薄い氷がまとわり付く。
『後ろ』だけを防御しなかったのは、生まれついての慎重な性格故か。
まとわり付いた氷は身を護る氷の鎧と化したが、瞬間的に作ったものでは
その防御能力にあまり期待はできないことは明白だった。

(ゴキッ!)

──瞬間、俺は右肩に走る衝撃を感じ取っていた。
俺の右頬に冷たい氷の欠片が当たることから、
右肩の部分を防御していた氷が攻撃の衝撃で砕かれたのだろう。
右肩も多少なりともダメージを負ったことだろうが……
……これで目が使えぬ俺にも敵の位置を正確に掴めるというものだ。

左手で俺の右肩に接触している敵の一部を文字通り掴むと、
『能力』を解放していく──。

掴んだのは恐らく敵の手首か……当初は人肌ほどの温かさを持ったものが、
俺の左手が纏う凍気によって急速に体温を奪われているのが分かる。
俺は更に左手に纏う凍気を強めていきながら、右腕を動かして右肩の状態を確認する。

……痛みはあるが、関節が外れたり、骨が折れたりはしていないようだ。
状態からして、精々、打撲程度のダメージと言ったところか。
俺は右肩が健在であることを確認すると、敵に向かって言った。

「そうか、その薬局には麻酔だけしか残っていないのか……。
ならば、他の店に案内にしてもらわなければな……」

「そいつは残念だ。お前らみたいにデカイ組織なら、全員の
 延髄に一発入れる天然麻酔で、その薬局もガッポガッポ儲かると思ったんだがな」

男は飄々としたにやけ面を崩さず、皮肉じみた言葉を返してきた。
──『組織』?
それは、俺にとって興味深いキーワードだった。

『デカイ組織』……それが指すものは……
異能者達を闘わせるよう仕向けた『首謀者』のこと……?
とするならば、この男は……。

「───ッ!」

──左手の甲に感じる鋭い痛み。
俺は、思わず掴んでいた手を放してしまう。
すると男は後方に跳び、再び先程までの間合いを取るのだった。
……どうやらこちらが考え込んでいる間に、隙を突かれたらしい。
俺は凍結させた男の右手首を確認する。

奴の右手首はもはや使えまい……では、俺の左手は……どうかな。
俺は自分の左手を、力を込めて何度か握ってみせる。

……動かすたびに甲の部分に走る痛みがある。
骨が痛んでいるのかもしれん。この戦闘では左手は極力使わない方がいいだろう。
どうせ能力を行使するメインの腕は右なのだから、左手に無理をさせる必要はない。

それより……どうやらこの男、俺を狙う『刺客』ではなかったようだ。
恐らくこいつもこの『ゲーム』に巻き込まれた被害者の一人。
俺を見て『首謀者』側の人間と間違えた点からして、
俺と同じく、過去に『首謀者』から『刺客』を送り込まれたことがあったのだろう。

……『デカイ組織』か。
なるほど、どうやらこの一件には、大規模な陰謀が隠されているようだ。
ふん……人をその陰謀の道具にしてくれるとはな……舐めてくれる。
何としてでも奴らの尻尾を掴んでみせる……。

そんな事を考えていると、男はいつの間にか球状の物体を手に取っていた。
そしてそれを……口に入れたのだ。
異様な光景を前にして、俺は次なる闘いを予感して右手の手袋を外すのだった。

一連の戦闘であの男が何かしらの能力を行使したかと言えば、そうではない。
少なくとも表面上に表れた結果から考えればな。
仮にこの行動が能力発動時に行う儀式のようなものだとすれば……
どんな能力かは知らんが、次からが奴の本領ということになるだろう。

──真に『解放』された能力が、右手から凍気となって溢れ出る。
それらが周囲の大気に混ざり合い、緩やかに広がっていく。
──頃合を見計らって指を鳴らす。すると、俺の周囲に小さな氷の群が現れた。

攻撃の準備は完了させたが、その前に『組織』について、聞いておこうか……。
……いや、今は聞いても無駄だろうな。
異能者相手では、一度実力で負かさぬ限り、話す気にはなるまい。
もっとも負かしたところで、そう易々と口を割るようなタイプの人間とも思えんが……。

まぁ、ひとまずは虫の息状態となってもらおう。
それでも話す気が起きないなら、他を当たるだけのことだ。

「先程はお前が先手だったな。では、次は俺から仕掛けさせてもらおうか」

──受けてみろ。
    マシンガンアイス
「──『機関氷弾』!」

無数の氷の弾丸が高速で放たれた。


次々と高速で発射された氷弾が男の体を貫いていく──。
男は全身を穴だらけにしながら、力なくドサリとその場に倒れこんだ。
倒れた男の体からジワリと血が流れ出し、辺りを赤く染めていく。

……動かないな。死んだ……のか?
……いや、生きている。俺の右手は警告を止めていない。

俺はその場で立ち尽くしながら、奴の動きに神経を集中させ、警戒する。
奴が倒れてから何秒経った時のことだろうか。
先程、奴が球状の物体を口に含んだ光景を目にした時などより、
比べ物にならない程の異様な光景を俺は目にするのだった。

血だ。確かに奴の体から流れ出ていた血が、奴の傷口に吸い取られる
かのように次々と体の中に戻っていく。
そして流された血を全て吸い取ると、その傷口は役目を終えたかのように
消えていったのだ。

消えた……? いや、違うな。皮膚として『再生』したのか……。

俺は立ち上がった男を見た。
その瞬間を待っていたかのように男はゆっくりと顔をあげると、俺と目を合わせた。
その目を見て流石に一瞬、体が強張る。

……『狼男』という空想上の化物がいたが、どうやらこいつはその類の生物らしい。
先程まで男から感じられた雰囲気とは全く異質。
獲物を狙うかのような眼光は、いつかテレビで見た肉食獣に近い気がする……。
人間から化物へか……正に変身だな。

それより、先程俺が見た現象……あれは確かに破壊された組織の再生だった。
自然界には、ヒトデやミミズのように、体の一部分を切断されてもまた元に
再生させる能力を持つ動物がいる。
奴も獣に変身することで、人間にはない文字通りの『異能力』を発揮することが
できるとすれば……奴の『自己再生能力』などその一端に過ぎない可能性が高い。
やれやれ……こちらも腕の一本や二本は覚悟しなければならないかもな。

俺があれやこれやと考えをめぐらしていた時だった──。

「さて、アンタに一つ頼みがあるんだが」
不意に聞こえる男の声──。

「……まあ、なんだ。なるべく死ぬなよ?」
声は俺の目の前でする。
改めて視認するまでもなく、俺の目には男の姿が飛び込んできていた。

──速い。いや……速すぎる。
こちらも油断していたとはいえ、刹那的な間に俺との距離をなくすとは。
いや、あれこれ考えている暇はない。氷よ、俺を護れ──。

俺に向けて無数に手刀が放たれるが、それより早く再び俺の体は薄い氷の鎧に
よって覆われる。──しかし。
敵の手刀が俺に直撃する瞬間、俺は自分の体に直接突き刺さる痛みを感じた。

──これは、敵の手刀が楽々と、まるで素手で薄い紙を切り裂くように
俺の氷を破壊し、生身の体にまで大きなダメージを与えている!
大腿部、右脇腹、左腹筋、右上腕、左前腕──それから先は覚えていない。
とにかく俺は敵の猛攻によって、肉をえぐられ、血を噴き出し、
本能的に頭部を護るよう、ボクシングのガードのように腕を壁にして
防戦一方の構えを余儀なくされていた。

だが、そんな敵の猛攻を受ける中で、あろうことか俺はこれまで護っていた
唯一無傷の頭部に隙を作ってしまったのだ。
ここに敵の攻撃を受ければ間違いなく俺は大ダメージを受けるだろう。
それを見逃さないかのように、敵は俺の頭部目掛けて拳を放った──。

──敵の拳が、ピタリと動きを止める。
俺を狙って拳を繰り出したにも関わらずだ。それは敵の気が変わったからか?
否。俺が敵の拳を止めたのだ。

動きを止めたのは、放たれた左拳を手首から掴んでいる俺の右手。
今まで防戦一方だった俺の思わぬ行動に、敵の動きが一瞬だが止まる。
次に隙を見逃さなかったのは俺の方だった。
俺は左手で一瞬だけ停止した敵の右手首を掴む。

左手は使わないつもりだったんだがな……背に腹は変えられないか。

などと思いつつ、俺は掴んでいる両手から、能力を発動させる。
俺の凍気は敵の体温を奪い、血色の良かった手首は血の通わない白色と化した。
更に俺の凍気は地面にまで伝わり、付着した氷と共にその地面を伝って、
敵の足の自由を奪っていく。

奴の圧倒的ともいえる攻撃速度には付いていけなかった俺だが、
奴がどこに向けて攻撃をするかが分かれば反撃も容易い……。
隙を見せればそこを狙うのが心理というもの。
ましてや戦闘に慣れている異能者であれば尚更だろう。
そう、危険を冒してまで隙を作ったのは、奴を確実に捉えるためだ。

「俺がここまで傷を付けられたのは久しぶりだな……。
いつから『能力』に目覚めたのかは知らないが、一応、褒めておくよ……」

そう言いつつ、視線を自分の体に向けて被害状況を確認する。
裂傷箇所多数、打撲箇所多数、先程から胸部が悲鳴をあげていることからして、
肋骨の方も何本かやられているかもしれんな……。

既に俺の血は凍気によって止まっていたが、
猛攻を受けた時に噴き出された血でシャツは所々真っ赤に染まっていた。

俺は再び敵に視線を向け、そして右手に力を込める。
──瞬間、俺と敵との僅かな空間の間に、再び無数の小さな氷の群が出現する。

「お前には聞きたいことがあるんでな……まあ、なんだ。なるべく死ぬなよ?」

先程の男の台詞をそのまま返すと、
再び男に向かって『機関氷弾』が放たれるのだった。

―――…。

『機関氷弾』は放たれた。そう、確かに放たれたのだ。
これをくらった者は、体中に穴を開けて吹き飛ばされる。
それはこれまでの経験から、俺の中で決定事項となっていたはずだった。
しかし今、俺の目の前にいる『獣人』は、
体に『機関氷弾』を受けながらも、その場に立っている。

『餓鬼。お前さんは強いが、プロに同じ手を使うのは論外だ』
……放つ瞬間、奴の言った台詞を思い返す。

あの時奴はそう言った後、避けるどころか俺に向かって足を踏み出した。
『再生』能力があるからと、安心してそんな事をしたのだろうか?
……いや、違うな。『機関氷弾』から受けるダメージを、
最小限に留めようと判断しての行動だったのだろう。
そして、結果としてそれが報われた。
至近距離から放ち、皮膚組織を完全に裂開させれば『再生』能力を有する奴とて
しばらくは足腰が立たぬ状態に陥ると考えていたが、それが裏目に出るとはな。
とはいえ……。

俺は自分の右手が握っている千切れた敵の手首を見つながら、思った。

やはり敵も只では済まなかったようだ……。

「ゴホッ! っ、たく。 世の中、怪我して疲れた状態で勝てる雑魚ばかりなんて思ってやがるから、ここで、死ぬんだぞ?
 ……はは。まあ、片手だし……お前さん位強いなら、即死はないだろ。……だから、苦しんで死ね」

吐血しながら奴はそう吐き捨てると、辺りに白い煙が現れた。
俺はすぐに分かったが、蒸気が立ち込めてきたのだ。
見ると、それは男の左腕から発生しているということが分かる。
……どうやら、奴の『必殺技』が来るらしい。
俺は奴が力を集中させていく姿を見ながら、先程の自分自身を振り返っていた。

──何故、俺が『機関氷弾』を敢えて二度続けて使ったのか。
それは俺が先程考えたような結果になると考えたからと、もう一つの理由があった。
実はやろうと思えば、あの至近距離で『氷雪波』を放つこともできたのだ。
実際それを放っていれば、確実に俺に勝利が舞い込んでいたことだろう。
しかし……異能者との二連戦で体に蓄積された疲労とダメージを考えれば、
例え『氷雪波』で確実に相手を打ち負かせることができたとしても、
その直後に訪れる肉体への強い『反動』の恐れが、俺に『機関氷弾』を使わせた。

強力な技というものは、危険を孕んだ諸刃の剣であるということを、
俺は異能者としてのこれまでの自分自身の経験から知っていた。
それ故に、俺は次のことを確信していた──。

──奴の攻撃は避ける必要はないと。

「 喰らっとけ――――『  バ シ リ ス ク  』」

奴の殺意が込められた声が、低く響く。
それと同時に、敵の左腕が俺の視界から消えたかと思えば、その矛先は今、まさに毒蛇のごとく俺の右目を食らわんとしていた。
しかしその手は止まっていた。

「……馬鹿か俺は。二度と殺さないって言ったじゃねぇか」

男はぼそりとひとりごちると、その左手を俺の右眼球からおろした。
「……悪かったな」
奴は俺にそれだけ言うと、その場に倒れこんだ。
それがこの戦闘の終わりを意味するものであることは、考えるまでもなかった。

「怪我をして疲れた限界の状態で……強力な技を放とうとするからそうなる」

俺は独り、もはや意識が無いと分かっている男に向かって呟いた。
そして俺は倒れた男の体を見ながら、男が最後に呟いた台詞と、
その時俺に向けた男の表情を思い返しながら、続けてこう呟くのだった。

「もっとも……お前の場合はわざと……攻撃を止めたのかもしれんがな……」


────。

『獣人』との闘いを終えてから十数分くらい経っただろうか。
俺は、再び薬局を探していた。いや、正確には向かっていたのだ。
肩にはあの『獣人』……いや、『国崎シロウ』という名の男を抱え、
別の肩には男が持っていたやたら重いビニール袋を下げて。

あの後俺は、倒れた男の服の中から身分証明書を見つけ出した。
そこで俺はこの男が薬局屋を経営していること、
そしてその店の住所、男の名前を知ったのだ。

俺は一瞬、男が気絶している内に止めを刺そうかと思った。
俺の能力を見た者、それを容易く始末できる絶好の機会だったからだ。
が、俺はこうして男を担いで歩いている。何故だか自分でも分からない。
ただ、確かなことは、男が最後に俺に言った言葉……
それが妙に俺の心に響いているような、そんな感じがしていたことだ。
結果としてそれが俺に思わぬ行動を取らせたのかもしれないが……
いずれにせよ今の俺には正確な答えを導き出せそうになかった。

考えをめぐらしていると、俺は身分証明書に書かれていた住所の近辺にまで来ていた。

「住所によると……ここら辺のはずだが……」

独り言をいいながら、辺りを見回す。
すると、『国崎』という文字の書かれた看板が目に飛び込んできた。
視線をずらして看板を見ていくと、『国崎薬局』と書いてあるのが分かる。
俺の肩にもたれかかって眠っている男を起こして確かめさせるまでもなく、
ここがこの男の経営する薬局だと言う事は、
住所と苗字を照らし合わせるだけで確信に至るには十分だった。

俺は一人も客のいない店内に入ると、レジが置かれているテーブルの所まで
歩いていき、抱えた男とビニール袋をその場で降ろした。

降ろした後、俺は店内を物色し始める。
男が「麻酔しかない」と言っていたように俺の傷を治しそうな薬は見当たらなかったが、
ふと目に留まったの物があった。それは包帯だった。
俺は束になって置かれている包帯をいくつか掴むと、再びレジの場所まで戻り、
自分の財布から取り出した一枚の一万円札に文を書くと、
倒れている男の体に向けて札を放り投げた。

俺はヒラヒラと舞い降りる札を見ながら、
その札に書いた文を読み上げるかのように、男に向かって言った。

「今回は見逃しておくが、いずれお前を殺しに行く。俺の名は、池上 燐介。
……覚えておいてもらおう」

俺は包帯を掴んだまま、店内を出る。
男との戦闘で左手首に巻いていた腕時計が壊れていて、正確な時間は把握
できなかったが、道行く人達の数を見て、まだ真夜中には達していないのだろう
ということだけは予想できていた。

「さて……どうする?」

そう口に出して改めて問うてみても、実は既に俺の心は決まっていた。

男との戦闘で予想以上に体力を消耗しているな。
とりあえず自宅に戻り、傷口に包帯を巻いて休むか……。

俺は心の中で今夜の行動を決め、くたびれた体を引き摺るように
ゆっくりと歩いて帰路に着いた。
が、俺はすぐに歩くのをやめ、自宅に向けてまっしぐらに駆け出すのだった。

「忘れていた……俺の服が血まみれだってことにな」

道行く人達の視線が、あの男の手刀より強く、俺の体に突き刺さっていた──。


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2009年01月24日 14:07