新科学論議第1日後半

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  • コメント入力欄を作ってみました。書き込み情報,感想などどうぞ。 -- yokkun (2008-04-28 01:23:49)
  • 図や式を使わないコメントがつらくなってきました。書き込む方法はありますか? -- Leon (2008-05-16 17:07:37)
  • 図を書いて考えているうち浮力と抵抗力を混同していないのでは、と思えてきましたが、よくわかりません。コメントをすこし修正します。 -- Leon (2008-05-16 19:17:30)
  • 数式は,TeX書式を$$...$$でくくれば表示可能ですが,パソコン通信時代からの書式ではどうでしょうか?コーヒーブレイク上の実験を参照ください。 -- yokkun (2008-05-16 20:38:58)
  • 「簡単なTeX書式講座」を開いてみました。 -- yokkun (2008-05-16 22:31:17)
  • 参考資料「粘性抵抗と慣性抵抗」へのリンクを修正しました。 -- yokkun (2008-05-17 09:15:09)
  • jpeg画像を貼り付けるにはどうしたらいいんでしょう。 -- Leon (2008-05-18 09:23:26)
  • 編集画面のマニュアルをごらんください。アップロードしてファイル名指定するか,URLでリンクを貼ります。コーヒーブレイクの写真がどう貼られているか見ていただくと参考になるかと思います。 -- yokkun (2008-05-18 10:08:57)
  • きのうの落下実験の写真をアップしました(メニュー下)。ページに貼り付けていいですか? -- yokkun (2008-05-18 11:24:09)
  • ゴルフボールとピンポン玉の落下のシミュレーションをやってみました。ちなみに浮力と粘性抵抗を考慮しても違いはわずかでした。http://homepage2.nifty.com/ysc/ -- yokkun (2008-05-18 15:11:27)
  • 第1回読書会のページを開きました。写真はそちらに貼りました。 -- yokkun (2008-05-19 13:53:02)
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約7ページの省略部分の要約


  • アリストテレスの「速さ(同時刻の落下距離)∝重さ」説への批判
  • 物体の形態による媒体の影響(抵抗)について
  • アリストテレスの「速さ∝1/媒体の密度」説への批判,水中を浮上する物体について
  • 「速さ無限大となる媒体=真空」の否定に対して根拠がなくなったこと
  • 比重を等しく調節して水中に物体を静止させることの難しさ
  • キャベツの上の水滴…水粒子間の粘性・凝集力による形の保持について
  • 空気と水との間の反発性について,昇る酒と降りる水の興味深い実験

  • 以下を読むと唐突に液体中の落下運動が出てくるのですが、やはり省略された部分を読みたくなりますね。要約ありがとうございました。(Leon4/22)

*
以下 p.219 文庫p.109 原書p.72下より

サルヴィアーティ[17]

・・・・・・抵抗の大きな媒質においては、重さの異なる可動体の持つ速さの差が非常に大きくなることが明らかになりましたが、他にどのようなことがあるでしょう。水銀中では金は鉛より速く底に到達するだけでなく、金だけが水銀中で沈むのであり、他の金属や石はすべて上へ向かって運動し、水銀面上に浮かぶのです。他方空気中では、金、鉛、銅、斑岩や他の重い物質でできた球の間での運動の違いはほとんど全く感じられません。というのは、金の球は、100ブラッチョ(約60m)落下し終わったときに、銅の球を4ディート(約0.24m)も引き離していないことは確かですから。このことを知って、私は、媒質の抵抗が完全になくなれば、すべての物質は等しい速さで落下するという見解に到達したと申し上げましょう。[17]
  • ここの数値もあやしい感じがします。抵抗なしで試算してみると,60mの落下では1/100秒の差だけで0.3mも差が出ます。1/100秒未満の精度で同時に落とすことが可能であったかどうか…。斜面の実験結果を誤って「外挿」していないか心配です。(yokkun 4/20)
  • 鉄が水銀に浮くのは浮力のためですよね。(Leon5/16)
  • 田中一郎著「ガリレオ」(中公新書)p36には、ここに省略されたなかでサルヴィアチが「100ブラッチョ(60m)の高さから落下した100リブラ(34kg)の鉄球は、1リブラ(340g)のより2ディート(12cm)だけ先行する」と発言した部分を挙げて、「今日の空気抵抗についての知識を使って計算すると、それらの差は、サルヴィアチの述べている数センチメートルではなく、1メートルほどになたはずである。このことから、ガリレオは高さ56メートルのピサの斜塔からはもちろんのこと、50ブラッチョの高さからの実験すらしなかったと結論してよいのである。」と指摘しています。さらに続けて、「もちろん実験データをでっち上げたと非難するよりは、この1630年代に正しい落体の法則を得ていたガリレオが、一般読者に理解されやすい例として100ブラチョの高さからの落下実験を提案したと考えるべきである。彼が発見していた理論によると、あらゆる物体は真空中では重さに関係なく同時に落下するのだから、空気中ではアルキメデスの浮力の法則を考慮に入れても、その差はわずか数センチメートルほどであろう。ガリレオは決して実験を軽視したわけではないが、新科学論議の中に出てくる実験は実際に行われた実験について述べたものではなく、このような考察から生み出されたと考えてよい。」とあります。(Leon6/5)
  • なるほど。寛容な見方で,理解できます。それにしても「100ブラッチョ」は意味深で,ピサの斜塔の高さ(55m)にほぼ等しいんですよね。(yokkun 6/5)

シンプリーチョ[18]

大変なことをおっしゃいますね、サルヴィアーティさん。たとえ真空中で運動が起こるとしても、一房の羊毛が一片の鉛と同じように速く運動するとはとても信じられません。[18]

サルヴィアーティ[19]

まあまあ落ち着いて、シンプリーチョさん。あなたの挙げた間題はそれほど難解なものではありませんし、私もそんなに不用意なわけではないのですから、同じ問題を感じたこともなく、したがってまたそれに対する方策も見つけていないと考えられては困ります。そこで私の考えをはっきりさせて、あなた方に理解してもらうために私の説明を聞いていただきましょう。媒質に全く抵抗がなく、そのために可動体の速さの違いをすべて重さの違いに帰さねばならない場合に、その媒質中で重さの大きく異なる可動体に起こることを考察しましょう。空気だけでなく、どんなに希薄で抵抗の少ない物質も全く存在しない空間があれば、我々の探究していることが感覚によってわかるのですが、そのような空間が存在しないので、より希薄で抵抗の小さな媒質中で起こることを、それほど希薄でも抵抗が小さいわけでもない他の媒質中で起こることと比較して観察していくことにしましょう。もし実際に重さの異なる可動体の速さの違いが、媒質の抵抗が小さくなるにつれて小さくなり、そして結局、たとえ真空ではないにせよ他のいかなる媒質よりも希薄な媒質中では、極端に重さの異なる場合でも可動体の速さの違いはごくわずかでほとんど観察できないほどしか認められないということがわかるならば、真空中ではそれらの〔重さの異なる可動体の〕速さは全く等しいという推測も大いに確からしいものと信じてよいように思います。ここでは、表面の境界がはっきりしていて極めて軽い物質でできたものとして、〔空気で〕ふくらませた膀胱を考えたいと思います。空気はあまり圧縮して袋の中に詰めることができないでしょうから、その重さは薄膜自体のわずかな重さだけであり、ふくらませた膀胱と同じ大きさの鉛の重さの1000分の1ほどもないでしょう。シンプリーチョさん、あなたは、両者を4ないし6ブラッチョ(約2.4ないし3.6m)の高さから放すと、鉛は落下の際にどれほどの距離だけ膀胱を引き離すとお考えですか。あなたは以前に鉛の方が1000倍も速いとしましたが、3倍、いや2倍も引き離さないということが確かだとは思いませんか。[19]
  • ここには実験結果の解析手法として,「外挿」の考えがはっきり述べられていますね。媒質がより希薄になるほど,異なる物体による速さの違いがわずかになっていく。したがって,真空中ではその差はなくなるだろうと結論しています。実験科学におけるひとつの重要な手法を教えていることは注目に値します。(yokkun 4/20)
  • 同感です。初めて[10]を読んだとき以上に感動的な展開です。確か「プロジェクト物理」には、重力加速度を斜面の実験の外挿で求めた、とあったと思います。でもガリレオのgは、半分くらいだったとか。(Leon4/22)
  • これを読んで、早速今年は落下運動にはいる前に液体中の落下運動の観察を取り上げています。硬貨・金属球の落下を空気中と水中でおこない、媒質によって抵抗力に違いがあることに気づかせています。(Leon4/22)

シンプリーチョ[20]

運動の初めすなわち最初の4ないし6ブラッチョ(約2.4ないし3.6m)では、あなたの言うことも起こり得るでしょう。しかしさらに進んで長い時間のうちには、鉛は、〔全体の〕距離を12の部分に分けると、その6だけでなく8も10も膀胱を引き離すと思いますが。[20]

サルヴィアーティ[21]

私もまた同じ考えですし、非常に大きな距離の場合には、膀胱が1ミーリオ(約1.654m)の距離も通過しないうちに鉛が100ミーリオ(約165.4m)を通過しうるということを疑いません。しかしシンプリーチョさん、あなたはこのことを私の命題に反する現象として証明されましたが、これは私の命題を大いに確かなものにするものなのです。(繰り返しますが)私の意図は次のことを明らかにすることにあります。それは、重さの異なる可動体の速さの違いの原因は異なる重さにあるのでは全くなく、外的で付帯的なこと、特に媒質の抵抗によるのですから、抵抗がなければすべての可動体は同じ速さの度合で運動するだろうということです。そしてこのことを私は主に、たった今あなたが認めた全く正しいことから、すなわち重さの大きく異なる可動体の速さの差は、それらが通過する距離が大きくなるにつれて大きくなるということから導き出します。このような現象は、速さの違いが重さの違いによる場合には起こり得ないのです。実際に重さの違いは常に一定ですから通過距離相互の比は一定でなければならないはずなのに、その比は運動の続く間、常に増加していくことを我々は見ているのです。極めて重い可動体は、1ブラッチョ(約0.60m)落下する際には極めて軽い可動体を落下距離の10分の1も引き離しませんが、12ブラッチョ(約7.20m)落下する際には3分の1は引き離すでしょうし、100ブラッチョなら100分の90も引き離すでしょう。[21]

シンプリーチョ[22]

全く結構です。しかしあなたの議論に従って、それぞれの重さが変化しない以上、重さの異なる可動体におけるその重さの違いは〔一定のままであって〕それらの速さの比の変化を引き起こし得ないとするならば、媒質もまた常に同一であると仮定されていますから、速さの比にいかなる変化も引き起こし得ないことになるでしょう。[22]
  • このシンプリーチョの発言が今ひとつピンときません。矛盾を指摘しているのですが、噛み砕いてもらえませんか。(Leon5/14)
  • 落下距離の増加とともに,2つの落体の落下距離の比が増大する事実は,落下する速さの比を重さの比に等しいとするアリストテレスの理論では説明できず,したがってその理由を落体以外のものすなわち媒質の抵抗に求めるべきとするサルヴィアーティに対して,媒質も2つの落体にとってその落下の間変わらないのだから,変わらない重さの比で説明できないことをどうして変わらない媒質からの影響によって説明できるのかというシンプリーチョなりの論理展開を試みたという設定だと思います。(yokkun 5/15)
  • なるほどわかりました。(Leon5/16)

サルヴィアーティ[23]

私の述べたことに対してあなたがなされた反論は鋭いものであり、このことは解決しておく必要が大いにあります。そこで私は次のように説明しましょう。
重い物体は本性上、それらの共通の中心すなわち地球の中心へ向かう運動をするような内在的な原理を持っています。その運動は常に加速され、その加速は常に均等です。すなわち等しい時間のうちに、等しいモメントゥムと速さの度合が、新たに付け加わります。そしてこのことは、すべての付帯的で外的な妨げが取り除かれたときには、いつでも実現するものと理解されねばなりません。
しかしこれらの妨げの中には取り除くことのできないものがあります。それは〔物質で〕充満した媒質の妨げであり、可動体は落下する際にそれを切り開き、脇へ押しのけねばなりません。媒質は確かに従順で穏やかな流動体ではありますが、その中を通っていく運動に対してはやはり抵抗するのです。そしてこの抵抗は、可動体を通すために媒質が道を開けるのが遅くてもよいかそれとも速くなければならないかによって、小さくなったり大きくなったりします。すでに述べたように、可動体はその本性上絶えず加速されていますから、その結果絶えず以前よりも大きな抵抗を媒質中で受けることになります。そしてそのために新たに速さの度合を獲得するのが遅くなり、少なくなります。その結果ついに速さがある値に到達し、媒質の抵抗もその速さと釣り合うような大きさになります。したがって可動体はそれ以上加速されず、均等で一様な運動をするようになり、この状態がその後もずっと保たれるのです。それ故、媒質における抵抗の増大は、媒質の本質が変わるためではなく、落下物体が次々に加速されていくので、それを通過させるために媒質が道を開き、脇にのかねばならないその速さが変わることによって起こるのです。

  • 媒質の抵抗が物体の速さとともに増大し,そのために加速度が小さくなっていき,落体はやがて終端速度に達するであろうということを概ね正確に論じていると思います。(yokkun 4/24)
  • 抵抗を受ける物体の運動の様子を正確に捉えているのは驚きです。しかも、内在的な原理による加速と媒質の抵抗を対比させ、物体が速くなると媒質の抵抗も大きくなること、それによって地球の中心へ向かう加速が少なくなり終端速度に至る、ととらえています。すごいの一言ですが、どのようにしてこのような見方を獲得できたのか知りたいところです。(Leon5/14)
  • 推測の域を出ませんが,ガリレオは軍事用コンパスの製作・改良を手がけていますね。このコンパスは一種の計算尺で,大砲の火薬量と角度から弾道を計算することなどの機能ももっていたらしいのです。すると,投射体に対する空気抵抗の影響についても経験的にはある程度知っていたのではないかと思われます。(yokkun 5/15)
  • 「可動体は絶えず加速されていますからその結果絶えず以前よりも大きな抵抗を媒質中で受けることになります」は、粘性抵抗の性質をかなり的確にとらえていますね。(Leon5/16)

さて空気の抵抗は、膀胱のわずかなモメントゥムに対しては非常に大きく、極めて重い鉛に対しては非常に小さいことがわかっていますから、この抵抗を完全に取り除くと膀胱が動くのは極めて容易になりますが、鉛の方はほとんど変わらないでしょう。ですから、両方の速さが等しくなるのは確かだと私は思います。真空であるために、あるいは他の理由によって運動の速さに対するいかなる抵抗も存在しない媒質中では、全ての可動体の速さが等しいということを原理として仮定すれば、〔物質で〕充満した同一の媒質あるいは〔物質で〕充満した異なる媒質、したがって抵抗のある媒質中での同じ種類または異なる種類の可動体の速さの比を矛盾なく決めることができるでしょう。そしてこのことを達成するためには、媒質の重さがどれだけ可動体の重さを減らすかに注意しさえすればよいのです。それ自身の重さを手段として可動体は媒質の一部を脇に押しのけて進むのです。このような働きは真空中では起こらず、そのために重さの差からはいかなる〔速さの〕差が生じることも期待できないのです。そして媒質がその中にある物体の重さを、それと同じ分量の媒質の重さ分だけ減らし、その比に従って、(仮定されているように)抵抗のない媒質中では等しいはずの可動体の速さを減らすことは明らかなので、そのことから求めていたことを得るでしょう。

  • ここでガリレオ(サルヴィアーティ)は誤って浮力を抵抗とすりかえてしまったように思われますが,どうでしょうか? もしそうだとすれば,せっかく「省略部分」で流体の粘性や凝集力というものに一度は迫り,なおかつすぐ上で媒質に与えるべき運動量の大小という核心に肉薄したのに,実に惜しいことです。(yokkun 4/24)
  • ちなみに,粘性・凝集力はいわゆる「粘性抵抗」の原因,媒質に運動量を与えることに対する反作用はいわゆる「慣性抵抗」の原因ですね。ガリレオは媒質による抵抗の2つの原因にせまりながら,その定量化の困難さを前に回避してしまったのではないでしょうか?無理もないことですが,いきなり浮力へと脱線したのはちょっとまずい展開だった気がします。(yokkun 4/25) (参考:http://spinman.phys.metro-u.ac.jp/Lecture/Mech/Viscosity/Viscosity.html
  • 「ぼくらはガリレオ」には、ガリレオがアルキメデスの王冠の実験を追試したことが詳細に述べられていますね。浮力については定量的によく知っていたわけです。(Leon5/15)

例を挙げると次のようになります。鉛は空気より10000倍重く、黒檀は1000倍だけ重いと仮定しましょう。これら二つの物質の速さは、絶対的なものとして考えれば、すなわちあらゆる抵抗を取り除くとすれば等しいはずですが、空気は、鉛からは10000の度合のうちの1を差し引き、黒檀からは1000の度合のうちの1を、言い換えれば10000のうちの10を取り去ります。ですから、鉛と黒檀を空気中で任意の高さから落下させると、空気による抵抗がなければその高さを同じ時間で通過するはずですが、空気が、鉛からは10000の度合のうちの1を差し引き、黒檀からは10000の度合のうちの10を差し引くのです。
  • この部分、明らかに抵抗を浮力としてとらえています。(Leon5/15)
  • 密度によって決まる抵抗と,先に述べている速さによって変わる抵抗との間の整合がついていないように思います。それとも,ガリレオのこの部分の仮説はいわゆる終端速度に関するものなのでしょうか?(yokkun 5/15)
  • どうやら混同ではなさそうだという気もするのですが、すっきりしません。浮力が重さを弱める分だけ、これらの合力と釣り合う抵抗力も小さくなるとも読めるのですが。もちろんその結果として、終端速度も遅くなるのでしょう。混同しているのかしていないのか、わからなくなってきました。(Leon5/16)
  • なるほど。浮力は重さを弱め,それとつりあうべき抵抗を減らす。するとより小さい速さで終端速度に達するということですね。落下のほとんどが終端速度によるものであれば,落下距離は結果的に終端速度に比例する。するとガリレオの理論は,抵抗力が速さに比例するとしているものと読めますね。もしこの読み方がガリレオの意図するものに一致するのならば,理論上は間違ってはいるものの,その論理展開は筋が通っているように思えてきます。(yokkun 5/16)
  • 今日Leonさんがちょっと触れたように,ガリレオは終端速度だけでなく同時刻の速さが落体と媒質の密度の差に比例すると考えたかもしれませんね。いまふうの表現を試みると,落体の密度をρ,体積をV,媒質の密度をρ_0としたとき,同時刻において媒質中の速さvと真空中の速さv_vに対して
\qquad \qquad \frac{v}{v_v} \propto \frac{\rho V g - \rho_0 V g}{\rho V g} \\ \qquad \qquad i.e. \qquad v \propto \frac{\rho - \rho_0}{\rho}
また,これは粘性抵抗中の終端速度v_tに関する現代的な解釈
\qquad \qquad kv_t = \rho V g - \rho_0 V g \\ \qquad \qquad i.e. \qquad v_t = \frac{V g}{k}(\rho - \rho_0) = \frac{mg}{k}\cdot\frac{\rho-\rho_0}{\rho}
に通じる部分があるようにも思えます。決定的な相違は係数m/k=ρV/kが密度ρが同じであっても同一にはならないということですね。V/kの中にガリレオが見落とした抵抗の形や大きさへの依存関係が含まれています。(yokkun 5/17)

ということは、これらの可動体が出発した高さ〔からの落下距離〕を10000の部分に分けたとすれば、鉛は地面に着いたときに黒檀を10000の部分のうちの10だけいや9だけ引き離しているということになります。そしてこのことは、鉛球を200ブラッチョ(約120m)の高さの塔から落下させると、それは黒檀の球を4ディート(約24cm)も引き離さないということに他ならないのではありませんか。黒檀は空気よりも1000倍重いのですが、ふくらんだ膀胱は空気よりも四倍重いだけです。そこで空気は、黒檀の内在的な本来の速さからその1000の度合のうちの1を差し引きます。しかし絶対的なものとしては同一である膀胱の速さからはその4分の1差し引いてしまうのです。その結果、黒檀が塔から落下して地面に着いたときに膀胱は4分の3しか通過していないでしょう。鉛は水よりも12倍重いのですが、象牙は2倍重いだけです。両方とも絶対的な速さは等しいのですが、水は鉛からはその速さの12分の1を、象牙からはその半分を取り去ります。そこで水中では、鉛が11ブラッチョ(約6.6m)沈んだときに象牙は6ブラッチョ(約3.6m)沈むことになるでしょう。さらにこの規則を用いて論じていけば、この計算の方がアリストテレスのものよりもはるかによく実験に対応することがわかると思います。
  • 一つ上の段落で力の関係を述べ、そこからいきなり落下距離の関係を述べています。抵抗力を受けた落下運動で、落下距離の比が力の比になるでしょうか?(Leon5/16)

同様にして、異なる流動的な媒質中での同一の可動体の速さの比は、媒質の異なる抵抗を比較することによってではなく、可動体の重さの媒質の重さに対する超過分を考察することによって見出せるでしょう。たとえば錫は空気よりも1000倍重く、水よりも10倍重いのですから、錫の絶対的な〔落下の〕速さを1000の度合に分けるとすると、空気はその速さの1000分の1の部分を取り去ります。したがって空気中では錫は999の度合〔の速さ〕で運動するでしょう。しかし水中では900の度合だけになるはずです。というのは、水は錫の速さの10分の1の部分を、空気は1000分の1の部分を取り去るからです。
  • 今度は力の比から速さ(終端速度?)の比がわかる、という説明になっています。(Leon5/16)

水よりわずかに重い固体を考えましょう。たとえばそれが樫材であるとして、その球の重さが1000ドランマ(約2000g)で、同じ分量の水が950ドランマ(約1900g)、空気が2ドランマ(約4g)としましょう。樫の絶対的な〔落下の〕速さが10000の度合であると仮定すると、空気中では998の度合が残りますが、水中では50しか残らないことは明らかです。というのは、水が1000の重さの度合のうちの950gを取り去り、50しか残さないのですから。それ故このような固体は、その重さの水の重さに対する超過分がその固有の重さの20分の1ですので、空気中では水中よりもほば20倍速く運動するでしょう。物体は、その種に固有の重さ〔比重〕が水よりも大きく、したがって空気より何百倍も重くなければ、水中で下方へ運動し得ないのですから、これらの〔水に沈む〕物体の空気中および水中における速さの比がどれだけであるかを求めるにあたって、空気はそのような物体の絶対的な重さから、したがってその絶対的な速さから、間題になるほどのものを取り去りはしないと認めたところでさほどの誤差はないでしょう。ですから、それらの物体の重さの水の重さに対する超過分がわかればすぐに、それらの空気中での速さが水中での速さに対して持つ比は、その全体の重さが水の重さに対する超過分に対して持つ比と同一であると言えるでしょう。たとえばある象牙の重さが20オンチャ(約600g)で、同じ分量の水の重さが17オンチャ(約510g)だとします。すると象牙の空気中での速さ対水中での速さはほぼ20対3になります。[23]

サグレード[24]

それ自体とても興味深く、また私が幾度も頭を悩ませたにもかかわらず徒労に終わった問題について、非常に大きな収穫を得ることができました。またこの考察を現実に用いるにあたっては、空気と水の重さの比がどれほどであり、したがって空気と他の重い物質との重さの比がどれほどであるかを知る方法を見出すことの他にはもはや何も問題はないでしょう。[24]〔Ⅷ,pp116-121〕(伊藤和行訳)

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最終更新:2008年06月13日 19:37