お言葉

  • マルチン・ニーメラー の有名な言葉。
    (ドイツのルター派神学者。ドイツ福音主義教会評議員,同外務局長。)

    (原文ドイツ語)
     Als die Nazis die Kommunisten holten, habe ich geschwiegen;ich war ja kein Kommunist.
     Als sie die Sozialdemokraten einsperrten, habe ich geschwiegen;ich war ja kein Sozialdemokrat.
     Als sie die Gewerkschafter holten, habe ich geschwiegen,ich war ja kein Gewerkschafter.
     Als sie die Juden holten, habe ich geschwiegen; ich war ja kein Jude.
     Als sie mich holten, gab es keinen mehr, der protestieren konnte.

     (Bebson Y. HOCHFELD氏による元の独逸語に近い著作権フリーの日本語訳)
     ナチの連中が共産主義者達を連れて行った時、私は黙っていた、私は共産主義者ではなかったから。
     彼らが社会民主主義者達を拘留した時、私は黙っていた、私は社会民主主義ではなかったから。
     彼らが労働組合員達を連れて行った時、私は黙っていた、私は労働組合員ではなかったから。
     彼らがユダヤ人達を連れて行った時、私は黙っていた、私はユダヤ人などではなかったから。
     そして、彼らが私を連れ去った時、私のために抗議してくれる者は、誰一人残っていなかった。

  • 日本の仏教界がチベット弾圧に反対するきっかけとなった、天台宗書寫山圓教寺さんの声明です。

「いま私たち日本の仏教者の真価が問われています。チベットでの中国の武力行動によって、
宗教の自由が失われる事に、心から悲しみと止むに止まれぬ抗議を表明せずにはいられません。
私たちはあくまでも宗教者、仏教者として僧侶をはじめとするチベット人の苦しみをもはや黙って見過ごす事ができません。
チベット仏教の宗教的伝統をチベット人の自由な意思で守ると言う事が大切な基本です。
皆さんは日本の全国のお坊さんがどうしているのかとお思いでしょう。
日本の各宗派、教団は日中国交回復の後、中国各地でご縁のある寺院の復興に力を注いできました。
私も中国の寺院の復興に携わりました。
しかし、中国の寺院との交流は全て北京(政府)を通さずにはできません。ほとんど自由が無かった。
これからもそうだと全国のほとんどの僧侶は知っています。
そして日本の仏教教団がダライ・ラマ法皇と交流する事を北京(政府)は不快に思う事も知られています。
あくまでも、宗教の自由の問題こそ重大であると私は考えています。
しかし、チベットの事件以来、3週間以上が過ぎてなお、日本の仏教会に目立った動きは見られません。
中国仏教会が大切な友人であるなら、どうして何も言わない。しないで良いのでしょうか?
ダライ・ラマ法皇を中心に仏教国としての歴史を重ねてきたチベットが今、亡くなろうとしています。
私たちは宗教者、仏教者として草の根から声をあげていかなければなりません。
しかし、私の所属する宗派が中国の仏教会関係者から抗議を受けて、私はお叱りを受ける可能性が高いし、
このように申し上げるのは私たちと行動を共にしましょうという事ではないのです。
それぞれのご住職、壇信徒の皆さんがこれをきっかけに自ら考えていただきたいのです。

オリンピックに合わせて中国の交流のある寺院に参拝予定の僧侶もいらっしゃるでしょう。
この情勢の中、中国でどんなお話をされるのでしょう。
もしも宗教者として毅然とした態度で臨めないのならば私たちはこれから、
信者さん檀家さんにどのような事を説いて行けるのでしょう。
私たちにとってこれが宗教者、仏教者であるための最後の機会かも知れません。

書寫山圓教寺執事長大樹玄承 平成20年4月5日」


最終更新:2008年06月04日 03:59
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。