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2016-02-26T23:07:17+09:00
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フォルメア史年表(~1000年・アテューカンの雷鳴)
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<h1>フォルメア史年表(~1000年・アテューカンの雷鳴)</h1>
<p><span style="color:#FF0000;">このページはまだ未完です。ゆくゆくは、以下で出る歴史用語すべてにそのページへのリンクを作る気でいます。明日(2016/2/26)ラジオフォルメアが放送されることを記念して、勢いで掲載しておきます。舟鷹</span></p>
<p> </p>
<p>紀元前80000年:フォルメア大陸へフォルメノイドが到来。<br />
紀元前6000年: 海へ流れ出すプレーゼ川とフェルシア湖へ流れ出すハウガン川の間のヘトン地方において移動式農業”タナフォン”の痕跡が見られる。<br />
紀元前3000年:ヘトンで肥料技術、灌漑技術が確立。ヘトン地方、ルナル地方等で都市国家”サーマ”の分立が始まる。<br />
紀元前2500年:ヘトンで”八つのサーマの時代”始まる。<br />
紀元前2300年:ヤハレ王がハウガン河畔の五サーマを従え、カンティルヴィリ朝ハウガンを勃興。フォルメア初の”サマロゲーア”。<br />
紀元前2000年:ボゼア、エナロ等の複数のサマロゲーアが、カンティルヴィリ神権を禅譲されハウガンを支配したとされる。<br />
紀元前1900年:ボゼア、エナロ等の強権体制からスガントル、イェホートル、ベズナテトル、ターセンガートルら四サーマが離反。<br />
紀元前1800年:現在のマテュッセイヤー地方全域を支配していた都市国家フォルトトルの王カンメングリアにより歴史書「ブラメン」が残される。<br />
紀元前1800年:オノエムシエ朝がイェホートル以外の全サーマおよびサマロゲーアを支配下に置く。<br />
紀元前1700年:オノエムシエ朝がブリメルトルにより滅ぼされる。ブリメルトルはイェホートルにより滅ぼされ、イェホーはサマロゲーアとしてカンティルヴィリ朝以来のハウガン統一を達成。<br />
紀元前1700年:フォルトトル王ハンベルトンの横暴に対しマテュッセイヤーの諸都市国家の反乱。フォルトトル消滅。<br />
紀元前1600年:オノエムシエ朝で世継内乱が発生するが、神官リエスが「天命が下った」としてオノエムシエ朝自体を打倒。リエス王によるハイフェンメール朝ハウガンが勃興。<br />
紀元前1502年:タラマト=ヴォーフェレーフの戦い。ポタイ朝、テオル朝に勝利。<br />
紀元前1500年:ポタイ朝がテオル朝を滅ぼす。<br />
紀元前1494年:ハウガン朝の将軍フラジール、ロマン地方にスルヴァイ朝を勃興。ハウガン朝とともにポタイ朝に対し対抗。<br />
紀元前1493年:ポタイ朝がモージュ朝を滅ぼす。<br />
紀元前1490年:ポタイ朝軍がマテュッセイヤーへ侵攻。マテュッセイヤー諸都市国家は連合軍を組織し対抗。マテュッセイヤー戦争。<br />
紀元前1484年:ポタイ朝とマテュッセイヤ連盟の間で白紙講和が確定。マテュッセイヤー戦争終結。<br />
紀元前1482年:ポタイ朝がトーナ朝を滅ぼす。<br />
紀元前1480年:ペシアからナヴァフリアにかけてフェクトル人の大移動が始まる。ポタイ朝滅亡。<br />
紀元前800年:スヴィール人がフェルシア経由で農耕文化を獲得。<br />
紀元前500年:ロマン湿原にてワガン人の侵攻。サール人は大移動の結果、スヴィーリレーンに移住。<br />
紀元前500年:この頃に多神教「トレーフ」が現在とほぼ同じ形式となり、マテュッセイヤー地方から大陸各国へ伝播。<br />
紀元前300年:スヴィール人の南下。サール人と度々衝突が起こる。<br />
紀元前100年:スヴィール人がサール人との戦いに勝利。サール人を奴隷として服従させる。<br />
紀元元年1月10日:スヴィーラ第一王国独立。<br />
西暦80年4月:バルドド王ガンペロがスヴィーラ王国に侵攻。<br />
217年2月6日: レヌム王マクタリウヴァン、コズミア・ペシア・ズンマを平定。「新時代の法」を制定。<br />
220年6月3日:ガイアン公ヴァヴィルス、レヌム王マクタリウヴァンへ「四箇条質問状」を発信。<br />
220年8日23日:ガイアン軍、レヌム王国討伐のため征西開始。ティエンナヴォロン戦役勃発。<br />
224年10月10日:ガイアン公ヴァヴィルス、フォルメア帝国の建国を宣言。都はティエンナヴォロン(旧ハウガン王都ホノロルク)。<br />
225年6月28日:マクタリウヴァガス砦陥落。レヌム王国滅亡。ティエンナヴォロン戦役終結。<br />
225年:この頃より、フォルメア大陸各々の民族文化が一点に混合する”トゥーガ文化”が栄える。<br />
228年3月1月:フォルメア帝国軍によるズンマ征伐終結。<br />
232年4月20日:バラトン王国、フォルメア帝国に朝貢を開始。<br />
244年9月20日:ヴラウ王国、フォルメア帝国に朝貢を開始。<br />
320年2月3月:バラトン王国の侵攻によってスヴィーラ第一王国が滅亡。<br />
348年11月24日:ナヴァフリア大地震。M8,8。<br />
356年5月20日:フォルメア領ヴォスヴォラでテルヴィール・パイツェフィルの乱。第一次天下大乱時代始まる。<br />
358年2月10日:フォルメア領アルガンでザルジェマール・ルフシャスティルの乱。<br />
363年5月6日:フォルメア領シパフェスでダラナン・ガヴァローンの乱。<br />
371年1月3日:フォルメア領トンペラモでツェフラトン・シヴェルイェーニェクの乱。<br />
379年11月19日:セヌル王カフカサス、軍を率い、反乱軍の鎮圧に当たる。<br />
383年1月8日:セヌル王カフカサス、旧コズミア平定完了。ティエンナヴォロンに入城。<br />
384年12月3日:ティエンナヴォロンの雷鳴。セヌル王カフカサス、トレーフダラード一族を殺害。しかしダナエリーヴ皇子のみ取り逃がす<br />
385年3月20日:ダナリーヴ皇子、トレーフダラードに即位。紂叡帝<br />
385年3月24日:第一次トレストカトル公会議開催。テュー・ショー、紂叡帝より代天聖徳師を拝命。ヴィヤウェズナス勃発<br />
385年4月19日:バラトン王国、ヴィヤウェズナスに参戦。<br />
385年5月28日:サステンファヤ王国、ヴィヤウェウズナスに参戦。<br />
385年6月24日:ティエンマーンの戦い。ヴィヤウェズナス、セヌル王国軍に対し勝利。<br />
386年8月10日:ヴォスヴォラ王国独立。首都ヴォスヴォラ。ヴィヤウェズナスに参戦。<br />
386年9月21日:スルヴァイ王国独立。首都エロン。ヴィヤウェズナスに参戦。<br />
386年10月22日:ナフォラ王国独立。首都マナドヤ。ヴィヤウェズナスに参戦。<br />
387年3月10日:ヨナクールの戦い。ヴィヤウェズナス、セヌル王国軍に対し勝利。<br />
387年9月22日:ニュガデュリンスンの戦い。ヴィヤウェズナス勝利。セヌル王国、フォルメア帝国と和睦。第一次天下大乱時代終結。ヴィヤウェズナス終結。<br />
389年4月20日:紂叡帝、シューニー(仁法)を公布。<br />
391年5月20日:スィエーモンヴィアン事件。ワガン族、バラトン王国に侵攻。<br />
391年6月11日:ビエナヒの雷鳴。ワガン族、ナヴァフリア及びクールマルトへ侵入。紂叡帝(ダナエリーヴ)戦死。アスマルアヴァート戦争始まる<br />
391年9月14日:ビエナヒ=ナヴァロン間の戦い。ワガン族、フォルメア帝国軍に勝利。フォルメア帝国軍、ナヴァロンから撤退。<br />
391年9月1日:第二次トレストカトル公会議開催。ヒューイ・フィン、永康帝(アキアン)により代天聖徳師を拝命。第二次ヴィヤウェズナス勃発<br />
391年10月20日:ティエンナヴォロンの戦い始まる。フォルメア帝国、トレストカトルへ遷都。<br />
391年11月4日:ワガン族の侵攻により、スルヴァイ王都エロン陥落。ワガン族、スルヴァイ王国軍に勝利。スルヴァイ王コニャー・ウジェパスタル戦死。<br />
392年4月29日:ティエンナヴォロン陥落。ワガン族、フォルメア帝国軍に勝利。<br />
392年7月11日:トレストカトルの戦い始まる。<br />
392年10月2日:エヴァレーンの戦い。バラトン王国、ワガン族の攻撃により滅亡。<br />
392年11月23日:トレストカトル陥落。ナフォラ王テュー・シェンマッケー及び天聖徳師ヒューイ・フィン戦死。<br />
392年12月1日:第二次トレストカトルの戦い。フォルメア帝国軍、ワガン族に勝利。帝国軍、トレストカトル奪還。アルガン王テュー・シピョクフィル戦死。<br />
398年10月20日:第三次トレストカトル公会議開催。オタロー・フィン、永康帝(アキアン)により代天聖徳師を拝命。第三次ヴィヤウェズナス勃発<br />
399年1月24日:ハイフェンメールの戦い。ワガン族、帝国軍ともに撤退。決着つかず<br />
399年4月10日:ヴラウ王カノク・ペトゥマシア、シェンマウダー城を築城。<br />
399年8月10日:代天聖徳師オタロー・フィン、ヴィーゼルヴォーグ(前衛軍団)を創設。<br />
400年3月30日:第二次ハイフェンメールの戦い。ワガン族、帝国軍ともに撤退。決着つかず<br />
401年11月3日:ナフォラ王デュルファー・シェンマッケー、コリホクシエ城を築城。<br />
403年3月1日:第三次ハイフェンメールの戦い。ヴォスヴォラ王ジェクパフュー・ポルサディン戦死。代天聖徳師オタロー・フィン戦死。フォルメア帝国軍敗退。戦争停滞。<br />
413年11月11日:第二次ティエンナヴォロンの戦い。帝国軍、トレストカトル奪還。<br />
418年2月10日:フォルメア帝国軍、ハニョーロルク・トイラミェーン城を築城。<br />
421年10月2日:ハニョーロルク・トイラミェーン城の戦い。フォルメア帝国軍防衛成功、ワガン族撤退。<br />
425年11月31日:アヴリカルトーフの戦い。プレサカイル候ウルガント・ハイデヴァー、ワガン族に勝利。サハドを統一。<br />
429年3月11日:ウルガント・ハイデヴァー、セヴァスカヴナー王国を建国。首都エジェンレーン。ヴィヤウェズナスに参戦。<br />
430年年9月1日:第三次トレストカトル公会議開催。ウルガント・ハイデヴァー、天招帝(ヘイミェルティー)により代天聖徳師を拝命。第三次ヴィヤウェズナス勃発<br />
430年11月20日:バラトンの戦い。ヴォスヴォラ王センファイアン・ポルサディン戦死。フォルメア帝国軍の決定的勝利。ワガン族、リエスへ撤退。<br />
430年12月3日:リエスの慈睦。ワガン族、フォルメア帝国と和睦。ワガン王国独立。第三次ヴィヤウェズナス終結。アスマルアヴァート戦役終結。<br />
431年2月3日:ロマン王国独立。首都マシェンナキエ。初代国王ミー・ダオラ<br />
431年6月2日:シパフェス王国独立。首都ガヴァローン。初代国王ガリバリ・アシューシク<br />
431年9月11日:スヴィーラ第二王国独立。首都スヴィーリレーン。初代国王カフガーシャ・サヴィル<br />
434年2月13日:フォルメア帝国以下冊封権で、天招帝による改革”フォーテューン”。<br />
439年10月12日:サステンファヤ王国、経済破綻につきドレーフダラードに援助を懇願。北央貿易始まる。<br />
442年12月13日:第四次トレストカトル公会議開催。セヴァスカヴナ王ハイデヴァー、南招(ナフナーシュ)帝により終身代天聖徳師を拝命。第四次ヴィヤウェズナス(ナフナーシュ戦役)勃発。<br />
448年3月12日:ヴィヤウェズナスによるグラナテ平定終結。同地はフォルメア帝国が併合セヴァスカヴナ王ハイデヴァー、都市ナフナーシュを建設。<br />
449年9月20日:サステンファヤにて”愛と血の廟”建立。<br />
452年6月12日:ヴィヤウェズナスによるメオ平定終結。同地はヴォスヴォラ王国が併合。フォルメア帝国軍、都市ナフカーンを建設。<br />
454年4月11日:ヴィヤウェズナスによるペロミッシャ平定終結。同地はヴォスヴォラ王国が併合。<br />
457年9月20日:ヴィヤウェズナスによるパプテガヤ平定終結。同地はフォルメア帝国が併合。<br />
458年7月1日:南顕帝(ナフカーン)、イムセオーン制を公布。トレーフ圏は各地に交易都市の設置を開始。<br />
459年5月19日:セヴァスカヴナ王ハイデヴァー病死。終身代天聖徳師後任にデュルファー・フィン。<br />
464年1月5日:ヴィヤウェズナスによる東ヴラウ平定終結。同地はヴラウ王国が併合。<br />
468年2月12日:セヴァスカヴナ王国崩壊。21カ公国に分裂。<br />
515年3月4日:碧叡帝(エイナマイナー)、タレーファ・アコン令。トレストカトル、ティエンナヴォロン、ヴォスヴォラ、サヴァナトルにアコン=フォーラを設置。<br />
525年6月1日:碧叡帝(エイナマイナー)、トレーフ圏諸王国に命じてトレストカトル東部海岸にトレーフタレータ宮殿を建設開始。<br />
561年12月1日:トレーフタレータ宮殿完成。このごろより、貴族的かつトレーフ的な”トレストカトル文化”が栄える。<br />
589年4月2日:寛豊帝(ヘイファルモヤ)、エンテファロー制を公布。都市に更なる経済的緩和政策。<br />
589年ティエンナヴォロン、トレストカトル、サヴァナトル、ヴォスヴォラ等の人口が50万人を突破。<br />
600年頃:スヴィール第二王国でサール人領民が相次ぎ逃亡、南下。スヴィール南方に無法地帯が発生。<br />
691年3月14日:大叡帝(デューファイナン)、ファーメ制を公布。トレーフ圏に共通通貨”ファーメ(交)”が流通。<br />
698年11月6日:ヴラウ王国にてタルア・オロモケアの乱。ヴラウ王国鎮圧不可能。前衛軍団出動。<br />
699年6月24日:バリカダの戦いにおいて前衛軍団、タルア・オロモケア反乱軍に勝利。タルア・オロモケアの乱終結。<br />
711年:この年より717年まで続く疫病の感染爆発が発生<br />
721年2月22日:テシエヴェール、フォルメア帝国の公認医学に。<br />
769年:この年より784年まで続く大凶作が発生。<br />
773年1月22日:顕昌帝(ジュラヴロ)、ルナリア・ズンマ諸王国に命じナヴァフリアへの穀物安売りを命令。<br />
776年2月:西からの穀物をフォルメア帝国が独占したことで、ヴァリューシャにおいて大飢饉発生。この年、ヴァリューシャにおける餓死者2万名以上。<br />
783年11月15日:スヴィーラ第二王国でフェナディン・ヴォイの乱発生。<br />
783年12月2日:フォルメア帝国、前衛軍団のスヴィーラ第二王国への出動命令。<br />
783年12月28日:ハーイェヴラナの戦い。前衛軍団、フェナディン・ヴォイの率いる反乱軍に勝利。反乱軍撤退。<br />
784年1月14日:フェナディン・ヴォイの乱の鎮圧完了。<br />
784年1月22日:フェナディン・ヴォイ逮捕。<br />
784年2月21日:フェナディン・ヴォイ、トレストカトルで極刑(ジャキラ)。<br />
788年12月1日:スヴィーラ第二王国でフィダール・マウルの乱発生。<br />
789年2月23日:スヴィールナーヴの檄。多数の農民がスヴィーラ第二王国を離反し、フィダール・マウルの乱に参加。<br />
789年2月20日:ポルゼナ候ナム・ダオラが帝国に無断で第二王国討伐に出動。<br />
789年4月5日:フィダール・マウルやポルゼナ軍等の侵攻によりスヴィーラ第二王国滅亡。<br />
789年5月11日:スヴィーラ第三王国独立。首都スヴィーリレーン。初代国王フィダール・マウル<br />
790年3月1日:ジレーナ村事件。<br />
800年4月8日:フォルメア帝国がジレンジア公国に対して所領における残虐行為の有無の尋問を開始。<br />
800年4月21日:フォルメア帝国によりトレストカトルのズターナフ・ターコン・フォーラで調査団が組織され、ジレンジアへ派遣される<br />
800年5月27日:調査団がフォルメア帝国へジレーナ村報告書を提出。康卦帝(トゥアヴァイミェン)激怒。<br />
800年5月28日:フォルメア帝国、前衛軍団にジレンジア公国への出動命令。<br />
800年6月3日:フォルメア帝国からジレンジア王国へ悪行の停止と謝罪を求める旨の勅令が到着。ジレンジア王国は即日追従し、謝罪と諸行の停止を行った。<br />
801年7月2日:前衛軍団長ファマガート・フィン将軍病没。後任にセンファイヤン・フィン将軍。<br />
811年4月20日:アテューカン候テュー・ヴァンスコー、フォルメア帝国へ申請し自由都市制を認可される。<br />
832年9月4日:ハーセンディーグ制度(為替制度)、フォルメア帝国全土に伝播<br />
879年4月2日:ウルート・ヴァニモロの乱(アテューカン大一揆)始まる。前衛軍団、反乱軍を鎮圧。<br />
881年11月13日:三十六人衆事件。亡君騎士36名がアテューカンの役人を殺害。36名は事件後自決。<br />
881年12月26日:安平帝(ハイミェナート)、アテューカンの混乱に”恩赦と譲歩”の政策を決定。<br />
886年6月2日:安平帝(ハイミェナート)、王公独立における臨時納税基準の大幅な値下げを公布。各諸侯の独立は容易化。<br />
899年1月12日:自由都市アテューカン、安平帝の提案を承諾し、アテューカン王国として独立。<br />
899年8月12日:安平帝(ハイミェナート)、フィー・カウラー制を布告しタレーファ・アコン制を改正。アテューカンでディント・アコン・フォーラの着工。<br />
903年3月9日:ヴェツィカ王国独立。首都ヴェツィクヴァイト。初代国王ファフェーク・ヴェツィカ<br />
905年4月10日:アテューカン候ヒューイ・ヴァンスコーが勤法(フアーニー)を制定<br />
918年9月20日:アテューカンでマウナ・オイヴが長編準口語小説”エロンの踊り子”を発表。フォルメア初の女流作家。文学ブーム到来<br />
921年10月2日:アテューカンで表音字”フェスティーアヴィアム”が発表される<br />
921年12月21日:ディント・アコン・フォーラ建立。この頃より自由・合理・実学を基調とする”アテューカン文化”が栄える<br />
923年4月1日:アテューカンのヒェムラファイリェー・アコン・フォーラでトレーフ評議会開催。霊道論争始まる<br />
926年8月11日:アテューカンにて霊道論争終結。<br />
927年1月10日:トレーフダラードがフェスティーアヴィアムを平民教養として公式採用。フォルメア帝国およびその影響圏でフェスティーアヴィアムの教育始まる<br />
927年2月24日:ドブロイ王国独立。首都プレサカイラフロー。初代国王シュテューク・ドブロイ<br />
928年6月11日:アテューカンのディント・アコン・フォーラでトレーフ評議会開催。祈祷論争始まる<br />
928年8月20日:祈祷論争終了<br />
928年8月21日:ミューロン事件。<br />
929年7月15日:テュマー王国独立。首都ヴァーシャム。初代国王ヴィラーフ・ファッサ<br />
933年4月9日:アテューカンで平民出身の官吏採用試験制度”スレヴェーン”を導入<br />
933年11月2日:クースファン・アンティヴィン、サウガー/ノウガー・ユーディーン兄弟の醸造した桃酒をアテューカンで販売。大好況。後の大手酒造アンティフナイヤ。<br />
938年3月11日:フコイ・アンデセレヴィヤーフィンらの労により街灯として菜種油がアテューカンを筆頭に帝国全土へ流通開始<br />
950年8月1日:ジレンジア王国独立。首都サーリンゼン。初代国王シュヴァン・マスカビスワー<br />
961年4月1日:ヴァラハン・ヴァンスカウが王国立アテューカン博物学校の開設を許可。<br />
965年:アテューカンの人口が200万人を突破。<br />
968年8月16日:モロトア事件。<br />
981年10月10日:アテューカンのディント・アコン・フォーラでトレーフ評議会開催。高級神官の汚職問題について<br />
981年10月12日:トレーフ評議会決裂。ズターナフ・ターコン・フォーラ・サウランのシズラーン・メルナセイエー、サウラン職を辞す。次期サウランにイフォイ・スヴァル<br />
982年12月3日:ヤフラ・ヤーフアルがアテューカンでコークス製鉄を発明。<br />
989年:石炭の燃焼を料理に転用する技術が確立。世界に先駆け、アテューカンで”炒める料理”が発明される<br />
990年:アテューカンの人口が250万人を突破。<br />
996年6月13日:ミー・フーカが蒸気圧を応用し、扉を開閉する技術を発明。<br />
996年8月10日:トレストカトルおよびアテューカンなどで、イフォイ・スヴァルを中心とするトレーフ教権の改革運動”フェルティーナ”が勢いを増す<br />
994年:トレストカトルのズターナフ・ターコン・フォーラでトレーフ評議会開催。論理主義とトレーフ原理主義の和睦について</p>
<p><span style="line-height:1.6em;">1000年2月21日:アテューカンの雷鳴。賢者スヴァイエン・アリョームがアテューカンのディント・アコン・フォーラから飛行に成功。トレーフ圏に大いなる衝撃。</span></p>
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フォルメア史の時代区分
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<p><span style="font-size:24px;"><strong>時代区分、区切りの年、時代ごとの雑把な出来事</strong></span></p>
<p><span style="font-size:20px;">スンホアー時代</span><br />
????~????</p>
<p><span style="line-height:1.6em;">・嗚咽の日</span></p>
<p><span style="font-size:20px;">スヴィーリエ時代</span><br />
前10000~4000</p>
<p>・タンファの塔<br />
・ヘトン文明</p>
<p><span style="font-size:20px;">シャーン時代</span><br />
前4000~1400</p>
<p>・史書「ブラミェーン」<br />
・旧トレーフの形成<br />
・ポタイ朝のコズミア侵入<br />
・サマロゲーア(王朝)の割拠<br />
・フェクトル人のナヴァフリア侵入</p>
<p><span style="font-size:20px;">トゥームアン時代</span><br />
前1400~西暦224</p>
<p>・トレーフ聖典「トーレ」<br />
・レヌム人のナヴァフリア・コズミア侵入<br />
・フォルメア帝国の勃興<br />
・トゥーガ</p>
<p><span style="font-size:20px;">トレーフタレーター時代(~第一次天下大乱時代終結)</span><br />
224~581</p>
<p>・第一次天下大乱時代<br />
・アスマルアヴァート戦争<br />
・ナフナーシュ戦役<br />
・貨幣経済の到来</p>
<p><span style="font-size:20px;">アテューカン時代(~宗教戦争終結)</span><br />
581~1042</p>
<p>・フェナディン・ヴォイの乱<br />
・アテューカンの大繁栄(フォルメアの黄金期)<br />
・宗教戦争<br />
・フォルメア帝国解体</p>
<p><span style="font-size:20px;">シムスヴェオラー時代(~大航海時代)</span><br />
1042~1321</p>
<p>・セルメン戦役<br />
・アフアンパイロスの大繁栄<br />
・ヴロフレンヴァラート王国独立戦争<br />
・アウテアロア征伐</p>
<p><span style="font-size:20px;">ショイラー時代(~偽証戦役)</span><br />
1321~1550</p>
<p>・ヴォスヴォラ王国の大繁栄<br />
・フィン家の大繁栄<br />
・マフランシュの偽証<br />
・偽証戦役</p>
<p><span style="font-size:20px;">ドーシャンエルジュ時代(ハイエーン拝命)</span><br />
1550~1702</p>
<p>・第二次天下大乱時代<br />
・シャテンヘーヴェ<br />
・テヴェスパル<br />
・セヌル王国の小笠原侵攻<br />
・ハイエーン政権の成立</p>
<p><span style="font-size:20px;">ハイエーン時代(~正当戦役終結) </span><br />
1702~1824</p>
<p>・ボロヴェク・サリヤーの乱<br />
・ニュガデュリンスン大一揆<br />
・スマトラ戦争<br />
・第三次天下大乱時代<br />
・正当戦役</p>
<p><span style="font-size:20px;">スタラッスィーナー時代(~フォルメア革命)</span><br />
1824~1924</p>
<p>・ノーナヤーザー<br />
・スティーヌィクヌイヤ戦争<br />
・木綿戦争<br />
・トゥアソフィーカウラン経済<br />
・フエテイムフェーテイムヤーザー<br />
・第一次世界大戦<br />
・フォルメア革命</p>
<p><span style="font-size:20px;">イェーテル時代(~現在)<br />
1924~現在</span></p>
<p>・マウントゥーガ<br />
・理財運動<br />
・第二次世界大戦<br />
・天恵運動<br />
・ティーナ計画<br />
・マウンザール</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
2016-02-26T22:51:28+09:00
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トップページ
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**フォルメアwikiへようこそ
まだまだ工事中ですので部屋も閑散としていますが、これからどんどんやっていきます。ご容赦ください…
**フォルメアを知らない方々のために
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2015-11-23T17:41:39+09:00
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マウン・トゥーガ
https://w.atwiki.jp/formey/pages/15.html
<p>白衛党時代――マウントゥーガ体制(1930~1994) </p>
<p><img alt="" src="http://www.fastpic.jp/images.php?file=5929814312.jpg" /></p>
<p><span style="color:rgb(51,51,51);font-family:sans-serif, Arial, Verdana, 'Trebuchet MS';font-size:13px;line-height:20.8px;background-color:rgb(255,255,255);">
◎国家機関</span></p>
<p>・天帝――歴史的に見て天帝はフォルメアにおいて長らく世俗・宗教上の頂点にあり、マウントゥーガ体制下<br />
においては主権者として、形式上は国家の全権限をもつものとされる。もっとも、そのうち大権(国務・統帥・<br />
祭祀)を残して他は人民にこれを委譲された。 <br />
・首相――最高評議会の議長として、立法府(代表機関)の代表、行政府(執行機関)の首長を兼任する。天帝<br />
により任命されるが、白衛党総裁の就任することが通例化している。国務院下各省庁の長官を任命する。 <br />
・最高評議会――最高意思決定機関。最高評議会議員は天帝により任命されるが、白衛党中央委員(?) の<br />
就任することが通例化している。関牧官評議会と民族代表会議による法案審議について、両者の結論が一致し<br />
た場合はその通りに法律の公布を天帝に上奏するが、食い違った場合は①最高評議会自ら法案の採否を決定す<br />
る(非常時など一定の要件が必要)か、②最高評議会の主催によって関民協議会を開催し法案の採否を決定する。<br />
以上の手続きによって採否の決した場合は、改めてその旨天帝に上奏する。 <br />
・関牧官評議会――関(日本の県に相当)の代表者である関牧官からなる立法機関。 <br />
・民族代表会議――各民族の共同体から選出された代表者よりなる立法機関。 <br />
・国務院――最高評議会の指導の下に行政権を行使する、いわゆる官僚機関。 <br />
・最高法院――司法の最高機関。</p>
<p><img alt="" src="http://www.fastpic.jp/images.php?file=2538813039.jpg" /></p>
<p>(左から、テュー・リュヴォルニュアフ、フィー・マッフェウレーン, 1929年 作画:舟鷹)</p>
<p><img alt="" src="http://www.fastpic.jp/images.php?file=8593845733.jpg" /></p>
<p>(左から、ブリメーロ・さサイゲライフィン、チェ・ロ,1929年 作画:舟鷹)</p>
<p>
マウン・トゥーガ期の政治機構はフォルメア大陸内を文化的・経済的にあらゆる面からトゥーガ(統一化)することに重点が置かれていた。トゥーガ期の特色である民族代表会議は、トゥーガのための前段階的処置とされ、また来るべき全トレーフ圏奪還(南溟奪還計画)のための補助機関であるとされていた。民族代表会議は党内における民族問題の専門家である幹部チェ・ロやフィー・マッフェウレーンによって提案され、フェナシュテュール・ヴエーヴロら最高幹部の賛同によって実現した。しかし、<span style="line-height:1.6em;">フェナシュテュール・ヴエーヴロはトゥーガに賛成はするも、決して急進的な民族同化政策(マウン・トゥーガ)への賛意は表明しておらず、内戦期~40年代までに引き続いた民族主義者弾圧等の指令は彼の手によって下されたものではない。官僚制国家としての性格が強い全体的なトゥーガの特徴はブリメーロ・サイゲライフィンとフェナシュテュール・ヴエーヴロらによって提案された。</span></p>
<p><span style="line-height:1.6em;">また、マウン・トゥーガ最初期である内戦期や30年代初頭においてはトゥーガ達成の邪魔となる民族主義者などの暗殺を手がける”MAUT”が組織されており、その隊長のフエ・バギアーは最高幹部セシェル・ナヴァトの追認と示唆に基づき50万人以上を民族主義者と断定し、殺害している。</span></p>
<p>
1920年代初頭から白衛党内部では白衛党による国家改革における政治機関の構造論においては活発に議論が交わされており、中でもロやマッフェウレーンの提唱する民族代表会議に関しては議論が白熱していた。これらの談義の際、急進派であるセシェル・ナヴァトはフェナシュテュール・ヴエーヴロの姿勢にあわせており、ヴエーヴロの死後に民族代表会議を事実上の翼賛組織に転化させていった。</p>
<p>
トゥーガ期の政治機関はおおよそ巨大な官僚制機構を民族代表会議・関牧官評議会・最高会議らが統監・指摘する形状になっており、半独裁とも半民主制とも取れる位置にある。</p>
<p>
1994年、このような強固な国家体制はトゥーガの目的を十分達成したとしてフェノガン・クノーセフィン首相によって廃止され、この年以降はマウン・ザール(白衛党による放任化)へ国家構造を改めるにいたった。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
2015-11-23T17:37:01+09:00
1448267821
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フォルメノイド
https://w.atwiki.jp/formey/pages/14.html
<p><img alt="" src="http://www.fastpic.jp/images.php?file=6181664796.jpg" /></p>
<p>(フィー・マッフェウレーン,1933年 作画:舟鷹)</p>
<p><img alt="" src="http://www.fastpic.jp/images.php?file=8459587309.jpg" /></p>
<p>(フエ・バギアー,1931年 作画:舟鷹)</p>
<p><img alt="" src="http://www.fastpic.jp/images.php?file=9037508852.jpg" /></p>
<p>
(フォルメア人になんとなく似てる気がする女性。 出典: http://gigazine.net/news/20140630-before-and-after/ )</p>
<p><img alt="" src="http://www.fastpic.jp/images.php?file=8064473095.jpg" /></p>
<p>(フォルメア兵士,1946年 作画:S-bahn https://twitter.com/Volks_Bahn )</p>
<p>
おおよそフォルメノイドとは人類ともっともかけ離れた人類である。フォルメノイドは研究上8万年前にフォルメア大陸に到着し、そこで生活を始めたとされる。そのほか、スンダランドおよびインド亜大陸やヨーロッパに定住した部族も少数存在する。<br />
大陸の中央(ナヴァフリア平原)に到着したフォルメノイドはその後氷河期の直撃を受けることとなった。ナヴァフリア平原の気候上森林や洞窟にとぼしかったフォルメノイドは、凍えるような突風の吹く平原で暮らすこととなった。氷河がナヴァフリアを取り囲んだためナヴァフリアからの移動は事実上不可能であり、厳しい寒さのために体は限界まで大きくなった。一方で巨大化に必要とされる栄養源は不足していたため、痩せ型で背が大きい現代のフォルメア人の体格が形成された。この時代のフォルメノイドをナヴァフリア原人と呼称する。一方時代が進むにつれて、ナヴァフリア原人は地面を掘って小さな家を作る習慣を大成していった。(五万年前)さらに時代が進むと、スクエア状に浅く掘った土地に、横に倒した三角柱のような家(かやぶき)を作るようになった。その結果、死ぬほどの寒さはしのげるようになっていた。また、この家の中でナヴァフリア原人は猫を飼っていたことが遺跡から明らかになっている。地面と茅葺が接していると部屋内部の温度につられて鼠を筆頭とした小動物が家にやってくる。この小動物を猫が食す。そしてその猫を原人が食していた。(タンファ遺跡)その結果、肉を食すために丈夫なあごは必要とされずに小さくシャープな顎に変化していった。平原の遠くを見渡してそれ以上の獲物を探すためには、高標高とは言え赤道に近いナヴァフリア平原は、高原の高気圧も災いし日差しが非常に強かったため、もともと深かった原人たちの彫りは極限まで深まり、眉間のくぼみも排除されていった。また、二重瞼に長い睫毛が要求された。</p>
<p>そのような理由をもって、フォルメア人は現在に見られるような特異な風貌となった。</p>
2015-11-23T13:52:25+09:00
1448254345
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フォルメアって何? 概説第一編
https://w.atwiki.jp/formey/pages/12.html
<p>フォルメアをまだ知らない方は多くいらっしゃいますので、ほかのページで仔細な情報を提供するまえに、こちらに簡単な概略を更新しておきます。</p>
<p>フォルメアとは2008年ごろから構想がスタートした<a href="http://twitter.com/yotan_kiku">舟鷹氏</a>による架空国家である。現実世界の地球に投入される形式を採っており、フォルメアと世界の関係や、フォルメアと世界が相互に受けあう影響、またフォルメア自身の国としての歩みなどが創作の主課題になっている。</p>
<div> </div>
<div>
<hr /><p style="color:rgb(51,51,51);font-family:sans-serif, Arial, Verdana, 'Trebuchet MS';font-size:13px;line-height:20.7999992370605px;">
<img alt="" src="http://www.fastpic.jp/images.php?file=8770909716.png" style="float:right;" /></p>
<p style="color:rgb(51,51,51);font-family:sans-serif, Arial, Verdana, 'Trebuchet MS';font-size:13px;line-height:20.7999992370605px;">
<span style="color:rgb(51,51,51);font-family:sans-serif, Arial, Verdana, 'Trebuchet MS';font-size:13px;line-height:20.7999992370605px;background-color:rgb(255,255,255);">
フォルメアは地理的に、フィリピンの東・日本の南~南西、パプアニューギニア~ソロモン諸島の北方に位置する「フォルメア大陸」を領土とする独立国家で、その文化や人種はどの既存国家とも異なるものである。国土は中国とほぼ同等で、人口は現在約4億6000万人である。</span></p>
<p style="color:rgb(51,51,51);font-family:sans-serif, Arial, Verdana, 'Trebuchet MS';font-size:13px;line-height:20.7999992370605px;">
</p>
<p style="color:rgb(51,51,51);font-family:sans-serif, Arial, Verdana, 'Trebuchet MS';font-size:13px;line-height:20.7999992370605px;">
</p>
<p style="color:rgb(51,51,51);font-family:sans-serif, Arial, Verdana, 'Trebuchet MS';font-size:13px;line-height:20.7999992370605px;">
</p>
<p style="color:rgb(51,51,51);font-family:sans-serif, Arial, Verdana, 'Trebuchet MS';font-size:13px;line-height:20.7999992370605px;">
</p>
<p style="color:rgb(51,51,51);font-family:sans-serif, Arial, Verdana, 'Trebuchet MS';font-size:13px;line-height:20.7999992370605px;">
</p>
<p style="color:rgb(51,51,51);font-family:sans-serif, Arial, Verdana, 'Trebuchet MS';font-size:13px;line-height:20.7999992370605px;">
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<p style="color:rgb(51,51,51);font-family:sans-serif, Arial, Verdana, 'Trebuchet MS';font-size:13px;line-height:20.7999992370605px;">
<img alt="" src="http://www.fastpic.jp/images.php?file=2738573562.jpg" style="line-height:20.7999992370605px;float:right;width:720px;height:400px;" /></p>
<p style="color:rgb(51,51,51);font-family:sans-serif, Arial, Verdana, 'Trebuchet MS';line-height:20.7999992370605px;">
<span style="font-size:18px;"><span style="color:#FF0000;"><strong>「フォルメアの大まかな標高図」</strong></span></span></p>
<p style="color:rgb(51,51,51);font-family:sans-serif, Arial, Verdana, 'Trebuchet MS';line-height:20.7999992370605px;">
<span style="line-height:20.7999992370605px;">色は緑から順に赤へ1000m分の</span><span style="line-height:20.7999992370605px;">標高の隆起</span><span style="line-height:20.7999992370605px;">を表す。</span><span style="line-height:20.7999992370605px;">フォルメア大陸は大まかに丸型の大陸であり、この外縁を包囲する</span><span style="line-height:20.7999992370605px;">環のように山脈が包囲している。中央の標高2000m台で均一となっている高原は「</span><a href="http://www9.atwiki.jp/formey/pages/13.html" style="line-height:20.7999992370605px;">ナヴァフリア</a><span style="line-height:20.7999992370605px;">」と呼ばれ、平均標高2400mながらほとんど起伏のない高原である。南方の緩やかな傾斜をする部分から赤道の湿気を含んだ低気圧がナヴァフリアへ舞い込み、雨などの大地の恵みを多くもたらす。</span></p>
<p style="color:rgb(51,51,51);font-family:sans-serif, Arial, Verdana, 'Trebuchet MS';line-height:20.7999992370605px;">
</p>
<p style="color:rgb(51,51,51);font-family:sans-serif, Arial, Verdana, 'Trebuchet MS';line-height:20.7999992370605px;">
</p>
<p style="color:rgb(51,51,51);font-family:sans-serif, Arial, Verdana, 'Trebuchet MS';line-height:20.7999992370605px;">
</p>
<p style="color:rgb(51,51,51);font-family:sans-serif, Arial, Verdana, 'Trebuchet MS';line-height:20.7999992370605px;">
</p>
<p style="color:rgb(51,51,51);font-family:sans-serif, Arial, Verdana, 'Trebuchet MS';line-height:20.7999992370605px;">
</p>
<p style="color:rgb(51,51,51);font-family:sans-serif, Arial, Verdana, 'Trebuchet MS';line-height:20.7999992370605px;">
</p>
<p style="color:rgb(51,51,51);font-family:sans-serif, Arial, Verdana, 'Trebuchet MS';line-height:20.7999992370605px;">
</p>
<p style="color:rgb(51,51,51);font-family:sans-serif, Arial, Verdana, 'Trebuchet MS';line-height:20.7999992370605px;">
</p>
<p style="color:rgb(51,51,51);font-family:sans-serif, Arial, Verdana, 'Trebuchet MS';line-height:20.7999992370605px;">
</p>
<p style="color:rgb(51,51,51);font-family:sans-serif, Arial, Verdana, 'Trebuchet MS';line-height:20.7999992370605px;">
</p>
<p style="color:rgb(51,51,51);font-family:sans-serif, Arial, Verdana, 'Trebuchet MS';line-height:20.7999992370605px;">
</p>
<p style="color:rgb(51,51,51);font-family:sans-serif, Arial, Verdana, 'Trebuchet MS';line-height:20.7999992370605px;">
</p>
<p style="color:rgb(51,51,51);font-family:sans-serif, Arial, Verdana, 'Trebuchet MS';line-height:20.7999992370605px;">
</p>
<p style="color:rgb(51,51,51);font-family:sans-serif, Arial, Verdana, 'Trebuchet MS';line-height:20.7999992370605px;">
</p>
</div>
<p><img alt="" src="http://www.fastpic.jp/images.php?file=5774153982.jpg" style="line-height:20.7999992370605px;float:right;" /></p>
<div><span style="font-size:18px;"><span style="color:#FF0000;"><strong>「フォルメアの大まかな気候区分」</strong></span></span></div>
<p><a href="https://twitter.com/tatenosettan">立雪譚氏</a>製作。前の図に示したようにフォルメアは高い標高の平原や5000m級の山地を大量に領有している。大陸は起伏に富み、生態系は多彩である。生態系が多彩であることは、気候区分図を見ると一目瞭然である。赤道に近いため、高標高の大地以外は一年を通して蒸し暑く、山脈が大きく大陸を取り囲んでいるため、構造的に、気候的に十分な湿気が通過できず、草も生えない荒地も存在する。夏季には赤道の積乱雲が<a href="http://www9.atwiki.jp/formey/pages/13.html">ナヴァフリア</a>へ突入してくることが多く、ナヴァフリアの夏はやさしい通り雨が多い。ほか、図の内の温帯湿潤気候に属するセヌル州は気候的に沖縄に類似する。</p>
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<p><img alt="" src="http://www.fastpic.jp/images.php?file=3209358417.jpg" style="line-height:20.7999992370605px;float:right;" /></p>
<p><span style="color:#FF0000;"><span style="font-size:18px;"><strong>フォルメア国旗</strong></span></span><strong style="font-size:18px;color:rgb(255,0,0);line-height:1.6em;">「カラヴィエンダー」</strong></p>
<p><span style="line-height:1.6em;">フォルメア国旗であるところのカラヴィエンダーは、黒地に赤い三角形という、少々怖い旗をしている。</span><span style="line-height:1.6em;">黒旗というのは、間近に見ると案外威圧感があるもので、この旗が原因で</span><span style="line-height:1.6em;">世界中の漠然とフォルメアを認識する人々からは</span><span style="line-height:1.6em;">「不可思議な国」あるいは「謎</span><span style="line-height:1.6em;">に包まれた国」として認知されることが多い。</span></p>
<p>
フォルメアは147の諸民族と101の言語が残る他民族国家で、このような多彩な概念がひとつの国家に交わることが「黒地」に込められている。フォルメアは過去に多くの侵略を受けた経緯もあり、「147民族のもう何物にも染まることはない」という意味も込められている。<span style="line-height:1.6em;">三角形は、フォルメアの王様であるところの「トレーフダラード」の一族の紋章である。また、フォルメアに端を発し、世界的にも有名な宗教になった「トレーフ」という多神教の紋章でもある。フォルメアでは1924年に革命が起こったが、トレーフラダードと革命派の仲は良好で、今でもトレーフダラードはフォルメアの国家元首である。同じように、革命後もトレーフが国教といての立ち位置を干渉されることはなく、革命後に始まる近代化や法整備などでも、トレーフの教理は重要視された。</span><span style="line-height:1.6em;">赤は革命によって流された血への敬意と、炎のように燃えるフォルメア国民の団結心と愛郷心を表すとされる。本国旗は1930年から白衛党によって初めてフォルメア大陸が統一され、独裁体制が敷かれた際に、フォルメア大陸初の統一国家としての新しい国旗を作るというプロジェクトに即してデザインされたものである。1994年に白衛党が独裁体制を解除し自由資本主義を認可したことでフォルメアはマウンザール体制へ突入したが、その後も国民の支持によって国旗の変更は成されていない。</span></p>
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2015-08-10T17:03:30+09:00
1439193810
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ナヴァフリア
https://w.atwiki.jp/formey/pages/13.html
*ナヴァフリア
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ナヴァフリア(navaflia)は、フォルメアの中心部に存在する広大な高地。ハウガン川、ヴォスヴォラ川、ロマン川、エーメルト川、など四方からの河川がナヴァフリアの端から中央に向かって流れ、ナヴァフリアの中心にフェルシア湖を形成している。面積は日本の国土の約二倍にあたる700,000km²に匹敵する広大な平原でもある。
#image(http://www.fastpic.jp/images.php?file=5309683072.png)
(緑…通俗的な区分としてのナヴァフリア)
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*地形
ナヴァフリア平原は北にファトリオニン山脈、ヴェルドーザー山脈、東にアフアンパイト山脈、西にタラマト山脈、ラッテュンバン山脈、パヒェルシュカ山脈、アルガン連峰を持ち、これら山脈から豊富な水資源が常にナヴァフリアへ流れ込んでいる。これらの水資源はいくつもの大河を形成し、その大河はほぼすべてがフェルシア湖へ流れ込む。また、フェルシア湖畔はほぼ標高が均一な平原が広がっており、湖畔では水運が容易である。標高は南の2300m代に始まり、最北で2400mまで上昇する。
#image(http://www.fastpic.jp/images.php?file=9216540151.png)
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*気候
ナヴァフリアは赤道に近いが、標高が高いために同緯度の地域と比べてはるかに冷涼である。温帯夏雨気候に属し、冬は氷点下を少しばかり下回る程度の寒さであり、夏は強い日差しであるが湿気は少ない。雨は夏季に集中するが、これらの雨は赤道付近からナヴァフリアへ移動してくるもので、日本のような雨とは異なり、スコールを弱めたような通り雨が多い。こうした気候がナヴァフリアを穀倉地帯足らしめる大きな理由となった。
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*文化
ナヴァフリアはフォルメア屈指の森林地帯であり、フェルシア湖畔などは一面が森と湖となっている。また同時にフォルメア屈指の穀倉地帯でもあり、フォルメア人口4億6000万人(現在)のうち、1億1000万人がここに居住し、1億6000万人分の穀物を収穫する。ナヴァフリア一帯の黒土地帯は土壌としては非常に肥沃であり、麦等の栽培だけでなく、稲作にも適する。
平原内にはトレストカトル、ティエンナヴォロン、アテューカン、サヴァナトルなどの大都市が集中し、フォルメアでもっとも人口の稠密な地域のひとつである。
ナヴァフリアはこのような開かれた地形の中で、西のルナリアやヴォスヴォラ、東のサール、北のスルヴァイやサハドなどの地域との係わり合いを保ちながら、古くからフォルメアの中心部としてトレーフ文化の発信源として、トレーフ圏の中心部として、文化圏を構成してきた。古代、フェルシア湖の塩害(古代、フェルシア湖は塩分を含んでいた)によって湖畔の農耕は発展が遅れていたが、塩害がなくなる紀元前1500年代から農耕が定着し、順調に居住諸民族の人口が増加し始めた。紀元前1500年代、ナヴァフリア北方にハウガン朝の属国であるスルヴァイ朝が勃興し、ナヴァフリアの文明化が急速に進んだ。西暦224年、フォルメア帝国が勃興し、ナヴァフリアはフォルメア帝国の本土とも言える立場にまで上り詰めた。当時はナヴァフリアがフォルメア大陸最大の穀倉地帯であり、人口増加も急速に進んだ。
このような背景もあり、現在に至るまでに独自の生活習慣や食文化が形成され、それがそのままトレーフ圏のスタンダードとなっている。紀元前1500年代、人口150万人ほどだったナヴァフリアは、今現在前述のとおり1億人以上の人口を抱え込んでいる。ナヴァフリアに居住する民族はほぼすべてがフォルメア最大のマジョリティ民族であるところのフェルシア人である。
2015-08-10T17:02:22+09:00
1439193742
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プラグイン/インスタグラム
https://w.atwiki.jp/formey/pages/11.html
*インスタグラムプラグイン
人気の画像共有サービス、Instagram(インスタグラム)の画像をアットウィキに貼れるプラグインです。
#ig_user(ユーザー名)
と記載することで、特定ユーザーのInstagramのフィードを表示することができます。
例)@dogoftheday
#ig_user(dogoftheday)
----
#ig_tags(タグ名)
と記載することで、特定タグのInstagramのフィードを表示することができます。
#dogofthedayjp タグ
#ig_tag(dogofthedayjp)
----
#ig_popular
と記載することで、Instagramのpopularフィードを表示することができます。
詳しい使い方は以下のページを参考にしてください!
=>http://www1.atwiki.jp/guide/pages/935.html
--------
2015-07-30T16:56:29+09:00
1438242989
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プラグイン/コメント
https://w.atwiki.jp/formey/pages/10.html
* コメントプラグイン
@wikiのwikiモードでは
#comment()
と入力することでコメントフォームを簡単に作成することができます。
詳しくはこちらをご覧ください。
=>http://www1.atwiki.jp/guide/pages/921.html#id_476878da
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たとえば、#comment() と入力すると以下のように表示されます。
#comment
2015-07-30T16:56:29+09:00
1438242989
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プラグイン
https://w.atwiki.jp/formey/pages/9.html
@wikiにはいくつかの便利なプラグインがあります。
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#ls
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これ以外のプラグインについては@wikiガイドをご覧ください
=>http://atwiki.jp/guide/
2015-07-30T16:56:29+09:00
1438242989