源希義、土佐へ流される(O1160a)

1160年、義朝の弟源希義(みなもとまれよし)、平家のために駿河国(静岡県)でとらえられ土佐へ流される。希義は土佐の長岡郡介良荘(介良村)に住んだので介良冠者(けらのかんじゃ、または土佐冠者)といわれた。

治承4(1180)年、源頼朝は東国に兵をあげたが、平家は希義が頼朝に呼応することに不安をいだき、蓮池家綱(はすいけいえつな)、平田俊遠(ひらたとしお)に命じて希義を討たせた。

参考文献

最終更新:2008年04月06日 16:33