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呉越の人100人、肥前松浦郡柏島に漂着 935年(H0935a)

承平5(935)年7月、呉越の人100人、肥前松浦郡柏島に漂着する(外交志稿)。
同年9月、呉越国人蒋承勲(しょうしょうくん)が来航し、わが政府に羊数頭を献上する(対外関係史)。
同年12月、呉越国人に対し、交易唐物使(こうえきとうもつし)(唐物使(からものつかい))蔵人藤原親盛を大宰府に派遣する(呉越国人は民間商人扱い)(対外関係史)。

承平6(936)年7月、蒋承勲は、呉越国王銭鏐の使いとして再び来朝(国王の使い)(対外関係史)。
同年8月、左大臣藤原忠平は蒋承勲に托して呉越国王に書状を送る(対外関係史)。

天暦元(947)年、呉越国王から左大臣藤原実頼のもとに、呉越商人蒋袞(しょうこん)を使いとして、書簡と贈物をおくってきた。これに対し、実頼は返書を送り、その返書の前半では、延喜の厳しい対外基本方針を唱えながらも、後半では、遠志拒みがたいので、基本方針には反するが、これをしのんで拝受すると称し、結局は呉越国王の贈物をうけとり、そのうえ国信物に対する返礼として砂金200両及び返書を送る(対外関係史)。

外交志稿の漂着と対外関係史の来航は同一事件の確証はない。仮に同一とすると、天暦の蒋袞来訪の経緯から考えると漂着を装った来航と見るべきか。

参考文献