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天竺人が三河に漂着 799年(H0799a)

延暦18(799)年7月、1人の漂流者が、三河に漂着した。布を上に覆い左肩に紺布を着く形は、袈裟に似ていた。言葉は通じなかった。在日の唐人はこれを見て崑崙国人であると言った。漂流者は、後、中国語(ナカツクニノコトバ=日本語)を習得し、自から自分は天竺人であると言った。男は綿種を持っており、紀井・淡路・阿波・讃岐・伊予・土佐・大宰府などに分配し栽培法を示して植えさせるが根付かなかった。(類聚国史 第四 巻第百九十九 特殊部 「崑崙」)

是月(7月)。有一人乘小船。漂着參河国。以布覆背。有犢鼻。不着袴。左肩著紺布。形似袈裟。年可廿。身長五尺五分。耳長三寸餘。言語不通。不知何国人。大唐人等見之。僉曰。崑崙人。後頗習中国語。自謂天竺人。常彈一弦琴。歌聲哀楚。閲其資物。有如草實者。謂之綿種。依其願令住川原寺。即賣隨身物。立屋西郭外路邊。令窮人休息焉。後遷住近江国国分寺。(日本後紀)

崑崙はチャンパ王国(Kingdom of Champa)=南ベトナム、天竺はインドのこと。

漂着者が、自らを天竺人と称したその確実性については、疑問の生じるところである。ただ、この記事は(3~8世紀の)他の漂流記事の中で、唯一言語のことに触れている記事である(保坂秀子, 2000)。

中国語=ナカツクニノコトバ=日本語については、保坂秀子さんの教示による。

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参考文献

  • 網野善彦ほか(編集), 1993. 海と列島文化別冊 漂着と漂流. 小学館.
  • 外務省記録局編, 1884. 外交志稿. 外務省.
  • 保坂秀子, 2000. 古代日本における言語接触, 社会言語科学, 3 (1): 43-50.:この文献については、著者の保坂さんから抜刷をいただきました。ありがとうございました
  • 星野聰, 水野柳太郎, 2005. 六国史. WEB.