渤海使13、出羽に漂着 795年(H0792a)
延暦14年11月3日(丙申)(795/12/18)、出羽国が渤海国使呂定淋ら68人が夷地志理波村(秋田県能代市のあたりか)に漂着して襲撃を受け、人・物ともに失われたと言上してきた。そこで、生存している人たちを越後国へ遷し、規定に従い給養せよとの勅を下した。(日本後紀)
(延暦11(792)年11月、渤海国使(次数不明)呂定林ら68人、出羽の夷地志理羽(しりは)村に漂着し刧畧に逢う。勅して越後に遷し供給す。)(外交志稿)
参考文献
- 外務省記録局編, 1884. 外交志稿. 外務省.
- 星野聰, 水野柳太郎, 2005. 六国史. WEB.
- 森田悌, 2006. 日本後紀 上. 講談社.
最終更新:2008年05月28日 22:04