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777年 遣渤海使08, 渤海使10

宝亀8年5月23日(777/07/02)、渤海使09(H0776a)の史都蒙らが帰国した。大学少允(しょうじょう)・正6位上の高麗(こま)朝臣殿継(とのつぐ)を送使に任じた(遣渤海使08)。渤海国王に書を賜った。(続日本紀)

高麗殿継、遣渤海使08として出発(出港地不明)。渤海に漂着破船

宝亀9年9月21日(778/10/15)、渤海使10、三国に来着。前に送渤海使として渤海に使せる大学少允高麗殿嗣(「継」とも)(遣渤海使08)が、船路を失い渤海遠夷の境に漂着破船し困窮せるに対し、渤海国王は船2艘を造らしめ、献可大夫司賓少令張仙寿を送使として殿嗣等を送還せしめた。その乗船がこの日、三国湊に来着。
天皇は越前国に次のように勅した。遣高麗使と高麗国の送使は都合のよい所に落ち着かせ、先例にしたがって彼らに衣食を供給せよ。ただし、殿継1人は早く入京させよ。

宝亀9年10月6日(778/10/30)、正6位上の高麗朝臣殿継に従5位下を授けた。
宝亀9年12月17日(779/01/09)、正6位上の大網(おおよさみ)公広道を高麗の客を送る使者に任じた。

宝亀10年1月1日(779/01/22)、天皇は大極殿に出御して、朝賀を受けられた。 渤海国は献可大夫(こんかだいぶ)・司賓少令(しひんしょうれい)の張仙寿(ちょうせんじゅ)らを遣わして、朝賀させた。その儀式は通常の通りであった。
宝亀10年1月5日(779/01/26)、渤海使の張仙寿らが土地の産物を献上して次のように奏上した。 「渤海国王が申し上げます。聖朝(日本の朝廷)の使者、高麗(こま)朝臣殿継(とのつぐ)らは航路を見失って遠い境域に漂着し、乗っていた船は破損し、帰る手段がありませんでした。そこで、船2艘を造って、張仙寿らを遣わし、殿継に随行して入朝させます。併せて献上物を積載して天朝(朝廷)を拝し奉らせます」と。
宝亀10年1月7日(779/01/28)、5位以上の官人及び渤海使の張仙寿らと朝堂で宴を催され、地位に応じて禄を賜った。 天皇は渤海国の使者に次のように詔された。 渤海王の使者の仙寿らが来朝して朕を拝しまみえた。朕はこれを喜びとする。ゆえに位階を加え授け、あわせて禄物を与える。
宝亀10年1月16日(779/02/06)、5位以上の官人及び渤海使と朝堂で宴を催され、禄を賜った。
宝亀10年1月18日(779/02/08)、内射(ないじゃ)(大射に同じ)を行った。渤海使も射手の列に加わった。
宝亀10年2月2日(779/02/22)、渤海使が国に帰るので、渤海国王に璽書(じしょ)(天皇の印を捺した詔書)を賜い、併せてみやげを附けた。

参考文献