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772年 遣渤海使07+渤海使07、能登に漂着

宝亀2年6月27日(771/08/12)、渤海使07、壱万福(いちまんふく)を大使とする325人の渤海使が出羽国野代に来着。常陸国に安置
宝亀2年12月21日(772/01/30)、渤海使07、入京
宝亀3(772)年、渤海使07、出京
宝亀3年、武生島守に命じて渤海使07を送らしむ(遣渤海使07)。宝亀3年9月21日(772/10/21)暴風に逢うて能登に漂着す。勅して福良の津に置く。
宝亀4(773)年2月、渤海副使慕昌禄(ぼしょうろく)が死亡
宝亀4春?、遣渤海使07+渤海使07、出国
宝亀4(773)年8月、遣渤海使07、帰国(大林, 1995)
宝亀4年10月13日(773/11/02)、渤海国使壱万福の送使であった正6位上の武生連鳥守(たけふのむらじとりもり)が、高麗(渤海)より帰国した。(続日本紀)

参考文献