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大伴古慈悲、池田親王 、土佐に流される 756年(O0756a)

大伴古慈悲(おおとものこじひ)、性質剛健で学才があり、藤原不比等の女を妻とし、考謙天皇につかえ、一時権力をのばしたが、藤原仲麻呂(恵美押勝(えみのおしかつ))の怒りにふれ、朝廷をそしった罪で淡海三船(おうみのみふね)とともにとらえられ、土佐守に左遷された。ところが同族の古麻呂の廃立の陰謀に連座して、天平勝宝8(756)年、任国の土佐に流された。

池田親王(淳仁天皇の弟)、皇太弟となっていたが、天平勝宝8(756)年、天皇が孝謙天皇のために退位させられて淡路にうつり、いわゆる淡路廃帝となったとき、多くの馬を集めて謀反を企てたとの理由で土佐に流された。親王は土佐へ下向してから、香美郡皇子(香我美町徳王寺)に仮寓されたと伝えられ、現在同地にある若一王子宮は相殿に親王をまつっている。

宝亀元(770)年、大伴古慈悲、光仁天皇の即位にさいし、ゆるされて土佐から帰京し、大和守に任官する

参考文献