渤海使02 739年(H0739a)

天平11年5月(739/6月)、遣唐使10(H0733a)平郡広成と出帆。渤海船は1隻が波にのまれて転覆し、大使・胥要徳(しょようとく)ら40人が死亡した。広成らは残りの衆を率いて出羽に到着した。
天平11年7月13日(739/08/25)、渤海使の副使・雲麾(うんき)将軍の己珍蒙らが出羽に来朝した。
天平11年10月27日(739/12/06)、遣唐使10(H0733a)の判官・平群広成と渤海からの使節たちが入京した。
天平11年12月10日(740/01/17)、渤海使の己珍蒙らが朝廷を拝し、その王の手紙と国の産物を献上した。
天平12年2月2日(740/03/08)、本国に帰る。
天平12(740)年5月頃、遣渤海使2大伴犬養(おおとものいぬかい)とともに渤海に向けて出発
天平12年10月5日(740/10/29)、遣渤海使2、帰国

参考文献

最終更新:2008年04月02日 05:23