石上乙麻呂、土佐へ流される 739年(O0739a)

石上乙麻呂(いそのかみのおとまろ)、久米連若売(くめのむらじわかめ)という女性との恋愛事件をおこし、天平11(739)年3月、土佐へ流される。若売も下総に流される。乙麻呂は土佐配流中に漢詩集「銜悲藻(かんぴそう)」2巻をあらわしたというが、現在伝わらず、「懐風藻」によってその名を知ることができるだけである。のちゆるされて京に戻り、遣唐使となったが、渡唐は実現しながった。さらに従三位中納言兼中務卿(なかつかさのかみ)になる。天平勝宝2(750)年、没。

参考文献

最終更新:2008年04月01日 20:46