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795年 久米舎人望足、讃岐国へ配流

先に信濃国介(しなのくにのすけ)正6位上石川朝臣清主(きよぬし)が、当たらなかったとはいえ矢を射掛けられる事件が起きたので、従5位下藤原朝臣都麻呂(みやこまろ)らを遣わして犯人を捜索したが、捕えることができなかった。そこで、衛門佐(えもんのすけ)大伴宿禰是成(すくねこれなり)を遣わして、小県(ちいさがた)郡の人久米舎人望足(くめのとねりもちたり)を尋問したところ、罪を認めたので、延暦14年4月1日(795/04/24)、讃岐国へ配流した。

参考文献