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対馬

応永25(1419)年5月、倭船50余隻が朝鮮庇仁県都豆音串(ととおんかん)に突入し、兵船を焼くという事件がおこる。ついで倭船38隻は霧暗に乗じて海州の延平串(えんぺいかん)を襲った。
応永25(1419)年5月、朝鮮太宗は都体察使李従茂(りじゅうも)より人を対馬につかわして征伐の理由を通達させる。(対馬藩と朝鮮の通交のはじまり)
応永25(1419)年6月、朝鮮太宗は出兵にさきだってその意向を内外に声明した。その文は、対馬が倭寇の根拠地であることを述べているほかに「対馬ノ島タル、モトコレ我国ノ地」という文がある。

参考文献