1765年 トルストゥイフ、カムチャツカで暴風に遭い死亡

1746年、アンドレヤン・トルストゥイフ、カムチャツカに出現。船員としても毛皮採集の組織者としてもすでに経験を積み、数人と共同で会社を作っていた。
1747年、トルストゥイフ、彼の会社は聖イオアン号をカムチャツカ川で進水させ、アレウト列島西端のコマンドルスキー諸島で越冬した。

1749年、トルストゥイフ、出帆。

1752年、トルストゥイフ、ラッコ1700頭、キツネ7000頭を捕獲。

1757年7月(ユリウス暦)、トルストゥイフ、新船を建造してアッツ島に上陸。

1759年、トルストゥイフ。カムチャツカに帰る。

1760/10/08、トルストゥイフ、アンドレヤン・ナタリヤ号の船主となり、この日ニジネ・カムチャツクを出帆、北東に向かう。
1761年、トルストゥイフ、アンドレヤノフスキエ諸島を発見、これに上陸、島民に毛皮税を課す。

1764年、トルストゥイフ、アンドレヤノフスキエ諸島アツカ島を発見。発見当時人口60人。
1764年夏、トルストゥイフ、アンドレヤノフスキエ諸島からの帰途、嵐のため大破したが、助かる。
1765/09/12、トルストゥイフ、オホーツクの商人アファナシー・オレホフらの持船聖ピョートル号と聖パヴェル号の船団に船員として加わり、オホーツクを出帆した。
1765/10/13、聖ピョートル号、カムチャツカのペトロパウロフスク港に向けて帰還し始めたところ、この日暴風にあい、錨綱が切れ、63人中生存者3人で、トルストゥイフも死亡。

参考文献

最終更新:2008年04月12日 18:59