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1720年 遠州鹿丸、鳥島に漂着

享保3年(1718)11月、鹿丸(大鹿丸とも)、遠江国敷知郡新居湊(静岡県浜名郡新居町)を出帆。船頭左太夫をはじめ9人が乗船。

乗船者

  • 左太夫 鹿丸船頭 新居町出身
  • 甚八 楫取 新居町出身 46歳
  • 仁三郎 水主 新居町出身 40歳
  • 平三郎 水主 新居町出身 21歳
  • 善三郎 水主 新居町出身
  • 八太夫 水主 新居町出身
  • 権五郎 水主 新居町出身
  • 善右衛門 炊 新居町出身

享保3年(1718)12月、鹿丸、江戸に到着。ここで増水主2名を得る(都合11名)。まもなく江戸を出帆。岩地の湊(静岡県賀茂郡松崎町岩地)に入り新年を迎える。
享保41月か2月、鹿丸、岩地出帆。三河国鷲塚湊(愛知県碧南市鷲塚)に投錨。14~15日逗留。
享保4年(1719)秋、鹿丸、遠江国新居の船。このころ仙台荒浜で御城米を積み込んで、上乗り1人を交え、12人乗りこみで出帆。銚子で役人の指図に従い、上乗りと米をおろす。空舟で南部領閉伊の宮まで行って、そこで材木を積みうけ、権四郎というものを便乗させ、12人で出帆。仙台小竹浦へ寄港。
享保4年11月26日(1720/01/05)、鹿丸、仙台小竹浦を出船。
享保4年11月30日(1720/01/09)、鹿丸、房州九十九里浜沖で遭難。
享保5年1月26日(1720/03/04)ごろ、鹿丸、鳥島へ漂着。
享保6年(1721)秋、空船が鳥島に漂着し、30俵ほどの米を拾い上げる。後に、一部の籾が発芽し、稲作を行う。
元文4年3月29日(1739/05/06)、鳥島に江戸宮本善八船(H1739a、17名乗組み)、漂着。このころの鹿丸の生存者は3名(甚八、仁三郎、平三郎)。
元文4年4月27日(1739/06/03)、20人ではしけに乗り、鳥島を出帆。
元文4年5月1日(1739/06/06)、八丈島にたどりつく。
元文4年6月24日(1739/07/29)、鹿丸乗組員3名、遠州新居町宿に帰還。

参考文献