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百済の僧ら、肥後葦北に漂着 609年(H0609a)

推古17年4月4日(609/05/12)、筑紫大宰府の長官が奏上して、「百済僧道欣(どうこん)・恵弥(えみ)を頭として僧10人、俗人75人が、肥後国の葦北の港に停泊しています」といった。このとき難波吉士徳摩呂(なにわのきしとこまろ)・船史竜(ふねのふびとたつ)を遣わして、何のために来たのかと尋ねさせた。答えていうのに、「百済王の命で、呉国に遣わされましたが、その国に争乱があって入国できません。本国に帰るところですが、暴風に遇って海中に漂流しました。しかし幸いにも聖帝(きみ)の国の辺境に辿りつけて、喜んでおります」といった。

推古17年5月16日(609/06/23)、徳摩呂らが報告にきた。そこで徳摩呂・竜(たつ)の2人を百済人らにつけ、本国に送りつけた。対馬に着いて、修道者11人が皆残留したいと願った。それで上表(もうしふみ)をして滞留を許され飛鳥寺に住まわせられた。

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参考文献