高麗の使人B、越に漂着 573年(H0573a)

敏達2(573)年5月3日、高麗の使人Bが越に漂着。朝廷は使人を越にとどめたまま本国に送還することとした。吉備海部直難波(きびのあまべのあたいなんば)に送還を命じる。

敏達2(573)年7月1日、高麗の使人Bと吉備海部直難波は相談して、高麗の船と日本の船の乗員2名を交換して乗せることとし、日本側からは、大島首磐日(おおしまのおびといわひ)と狭丘首間狭(さおかのおびとませ)を高麗の船に乗せた。 難波は、同乗の高麗の使人2名を海に投げ入れ、帰ってきてしまう。磐日らは、高麗の使人を送り届ける。

敏達3(574)年5月5日、高麗の使人Cが磐日を送って越の海岸に停泊 。

敏達3(574)7月20日、高麗の使人Cが入京し、殺害について抗議する 。

日本書紀に見られる漂流の記録その2。前回の漂流記録から続け様である。漂着場所もほぼ同じ。これもまた、話としては出来すぎか。

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漂流
最終更新:2008年04月18日 07:05