法然上人、土佐に流される 1207年(O1207a)

浄土宗を開立し、南無阿弥陀仏をとなえて、すべてをささげて阿弥陀仏にすがれば、極楽に往生できると説いた法然上人も、旧仏教側の圧迫で、承元元(1207)年、土佐に流されることになった。このとき法然は75歳の高齢であったが、少しも屈せず、かえって辺地で教えをひろめることができるのは朝廷のご恩であるといったという。そして、讃岐から海路で阿波沖をとおり、土佐の神浦(甲浦、安芸郡東洋町)に着いたと伝えられる。 このとき、法然の信仰者であった九条兼実は、法然の身を心配して、自分の荘園がある讃岐にうつるように遺言して死去したといわれ、そのため法然は土佐の国内にははいらすに讃岐へうつることになったという。

参考文献

最終更新:2008年04月08日 16:24