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*鑑真 743-753年(H0743a) 668年、揚子江陽県に生まれる 701年、鑑真14歳。出家し、揚州大雲寺、智満に師事す 705年、鑑真18歳。道岸より菩薩戒を受く 707年、鑑真20歳。洛陽長安に旅に上る 708年、鑑真、長安の実際寺にて登壇する 713年、鑑真26歳。初めて講座に上り、律疏を講ず 718年、鑑真31歳。「行事鈔」などを講ず 727年、鑑真40歳。「羯磨疏」を講ず 天宝元(742)年10月、鑑真、55歳。栄叡と普照が揚州の大明寺に鑑真を訪れ伝律受戒のため日本に渡航を求める。鑑真、受諾。 743年、東河にて船を造り、出航の準備を整えるが、4月、如海の密訴にあい栄叡普照ら官憲に捕らえられる。第1次渡航計画が失敗する 天宝2(743) 8月、栄叡ら放免される。 天宝2(743)年12月2回目の渡日挑戦。揚子江をくだり狼溝浦で強い北西季節風を受けて難船し修理して大板山を目指す。 桑石山で難破し、明州の阿育王寺に収容される(744年) 天宝3(744)年、鑑真、57歳。越州、杭州、湖州、宣州を巡錫して阿育王寺に還る 栄叡、越州の僧たちの密告にあい、山陰県にて突如捕縛される。第3次渡日計画が着手しないうちに挫折。 天宝3(744)年冬、鑑真一行30余名天台山国清寺へ巡礼する 黄巌県禅林寺にて、出発寸前のところを一同捕縛される。第4次渡航計画が挫折する。 天宝4(745)年、栄叡、普照、同安郡にあり。 天宝7(747)年春、鑑真61歳。栄叡、普照が揚州の崇福寺に至り五たび和上の渡日を懇請する 天平20年6月(748/7月)、第5回目の渡海を試みる。揚州から出帆。乗船したのは、鑑真と栄叡(遣唐使10([[H0733a]]))、普照(遣唐使10)以下道俗14人、水主18人計32名。 天宝7年6月27日(748/07/30)、崇福寺をたって揚州新河に至る。新河を出航して狼山を経て三塔山に到着 9月、署風山に至り、1ヶ月停泊する。 天宝7年10月16日(748/11/15)、越州暑風山(舟山群島付近か)から須岸山を指して出帆したが、暴風に遭う。 14日間漂流して、天宝7年11月はじめ(748/12月はじめ)、はるか南方、海南島南端の振州(広東省九所)にようやく着岸。 振州を揚州めざし出発。 万安州から崖州(広東省瓊山)に至り、三日三晩を費やして瓊州海峡を越えて対岸の雷州(広東省海康)に渡り、羅州・弁州・象州・白州・繍州・藤州・梧州をへて桂州(広西壮族自治区桂林)に入り、そこで約1年間滞在。つぎに桂江を下って、梧州・端州(広東省肇慶)をへ、広州(広東省広州)へ至ったが、途中端州で栄叡は病死する。 一行は、広州で一春を過ごした後、韶州(広東省韶関)に着いたが、ここで普照は鑑真とわかれ、ひとり大庾嶺(だいゆれい)をこえて、明州の阿育王寺へと向かう。鑑真はこの直後胡人の治療の甲斐もなく失明。 鑑真も普照のあとを追って大庾嶺を越え、虔州・吉州・盧山をへて、江州(江西省九江)に至り、そこから乗船して揚子江を下り揚州に至った(751年)。 天宝11(752)年、普照、明州にて藤原清河ら(遣唐使12)に会う。 天宝12(753)、遣唐使12([[H0752a]])が、鑑真に渡日を懇請する。 天平勝宝5(753)、[[遣唐使12>H0752a]](第2船)に便乗し蘇州から船出し、東シナ海を渡って沖縄を経て、薩摩国阿多郡秋妻屋浦(あきめやのうら)に着く。 普照も[[遣唐使12>H0752a]](第3船)に便乗し帰国。 天平勝宝8年5月24日(756/06/30)、鑑真、大僧都に任ぜられる。この年69歳 天平宝宇元(757)年11月、鑑真、備前の国の墾田100町歩を東大寺唐禅院に施す 天平宝宇2年8月1日(758/09/11)、鑑真、僧綱を辞し大和上の尊号を賜う 天平宝字3年8月1日(759/08/31)、鑑真、唐律招提(唐招提寺)を創む 天平宝字7(763)年春、鑑真、この年76歳。春より健康大いに衰え、忍基、肖像を作る。 天平宝字7年5月6日(763/06/25)、鑑真、招提寺にて示寂す。 **参考文献 -荒川秀俊, 1995. [[異国漂流物語>http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/redirect?link_code=ur2&camp=247&tag=evergreenf07a-22&creative=1211&path=ASIN/4390106775/qid=1117849789/sr=1-2/ref=sr_1_10_2]]. 社会思想社. -大林太良編, 1995. [[日本の古代3 海をこえての交流>http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/redirect?link_code=ur2&camp=247&tag=evergreenf07a-22&creative=1211&path=ASIN/4122025001/qid%3D1120375461]]. 中央公論社.
*鑑真 743-753年(H0743a) 668年、揚子江陽県に生まれる 701年、鑑真14歳。出家し、揚州大雲寺、智満に師事す 705年、鑑真18歳。道岸より菩薩戒を受く 707年、鑑真20歳。洛陽長安に旅に上る 708年、鑑真、長安の実際寺にて登壇する 713年、鑑真26歳。初めて講座に上り、律疏を講ず 718年、鑑真31歳。「行事鈔」などを講ず 727年、鑑真40歳。「羯磨疏」を講ず 天宝元(742)年10月、鑑真、55歳。栄叡と普照が揚州の大明寺に鑑真を訪れ伝律受戒のため日本に渡航を求める。鑑真、受諾。 743年、東河にて船を造り、出航の準備を整えるが、4月、如海の密訴にあい栄叡普照ら官憲に捕らえられる。第1次渡航計画が失敗する 天宝2(743) 8月、栄叡ら放免される。 天宝2(743)年12月2回目の渡日挑戦。揚子江をくだり狼溝浦で強い北西季節風を受けて難船し修理して大板山を目指す。 桑石山で難破し、明州の阿育王寺に収容される(744年) 天宝3(744)年、鑑真、57歳。越州、杭州、湖州、宣州を巡錫して阿育王寺に還る 栄叡、越州の僧たちの密告にあい、山陰県にて突如捕縛される。第3次渡日計画が着手しないうちに挫折。 天宝3(744)年冬、鑑真一行30余名天台山国清寺へ巡礼する 黄巌県禅林寺にて、出発寸前のところを一同捕縛される。第4次渡航計画が挫折する。 天宝4(745)年、栄叡、普照、同安郡にあり。 天宝7(747)年春、鑑真61歳。栄叡、普照が揚州の崇福寺に至り五たび和上の渡日を懇請する 天平20年6月(748/7月)、第5回目の渡海を試みる。揚州から出帆。乗船したのは、鑑真と栄叡(遣唐使10([[H0733a]]))、普照(遣唐使10)以下道俗14人、水主18人計32名。 天宝7年6月27日(748/07/30)、崇福寺をたって揚州新河に至る。新河を出航して狼山を経て三塔山に到着 9月、署風山に至り、1ヶ月停泊する。 天宝7年10月16日(748/11/15)、越州暑風山(舟山群島付近か)から須岸山を指して出帆したが、暴風に遭う。 14日間漂流して、天宝7年11月はじめ(748/12月はじめ)、はるか南方、海南島南端の振州(広東省九所)にようやく着岸。 振州を揚州めざし出発。 万安州から崖州(広東省瓊山)に至り、三日三晩を費やして瓊州海峡を越えて対岸の雷州(広東省海康)に渡り、羅州・弁州・象州・白州・繍州・藤州・梧州をへて桂州(広西壮族自治区桂林)に入り、そこで約1年間滞在。つぎに桂江を下って、梧州・端州(広東省肇慶)をへ、広州(広東省広州)へ至ったが、途中端州で栄叡は病死する。 一行は、広州で一春を過ごした後、韶州(広東省韶関)に着いたが、ここで普照は鑑真とわかれ、ひとり大庾嶺(だいゆれい)をこえて、明州の阿育王寺へと向かう。鑑真はこの直後胡人の治療の甲斐もなく失明。 鑑真も普照のあとを追って大庾嶺を越え、虔州・吉州・盧山をへて、江州(江西省九江)に至り、そこから乗船して揚子江を下り揚州に至った(751年)。 天宝11(752)年、普照、明州にて藤原清河ら(遣唐使12)に会う。 天宝12(753)、遣唐使12([[H0752a]])が、鑑真に渡日を懇請する。 天平勝宝5(753)、[[遣唐使12>H0752a]](第2船)に便乗し蘇州から船出し、東シナ海を渡って沖縄を経て、薩摩国阿多郡秋妻屋浦(あきめやのうら)に着く。 普照も[[遣唐使12>H0752a]](第3船)に便乗し帰国。 天平勝宝8年5月24日(756/06/30)、鑑真、大僧都に任ぜられる。この年69歳 天平宝宇元(757)年11月、鑑真、備前の国の墾田100町歩を東大寺唐禅院に施す 天平宝宇2年8月1日(758/09/11)、鑑真、僧綱を辞し大和上の尊号を賜う 天平宝字3年8月1日(759/08/31)、鑑真、唐律招提(唐招提寺)を創む 天平宝字7(763)年春、鑑真、この年76歳。春より健康大いに衰え、忍基、肖像を作る。 天平宝字7年5月6日(763/06/25)、鑑真、招提寺にて示寂す。 **参考文献 -荒川秀俊, 1995. [[異国漂流物語>http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/redirect?link_code=ur2&camp=247&tag=evergreenf07a-22&creative=1211&path=ASIN/4390106775/qid=1117849789/sr=1-2/ref=sr_1_10_2]]. 社会思想社. -井上靖, 1957. [[天平の甍 >http://www.amazon.co.jp/gp/product/4101063117?ie=UTF8&tag=evergreenf07a-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4101063117]]. 中央公論社. -大林太良編, 1995. [[日本の古代3 海をこえての交流>http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/redirect?link_code=ur2&camp=247&tag=evergreenf07a-22&creative=1211&path=ASIN/4122025001/qid%3D1120375461]]. 中央公論社.

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