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*1701年 ダンピア、アスンシオン島付近で難破 1652年、ウィリアム・ダンピア William Dampier、イギリス南部の農民の子として生まれる。少年時代に父母を失い、貿易船に乗って働き、東インド会社の社員となるがイギリスとオランダが戦争を始めていたので海軍に入り戦うが負傷。のちメキシコ湾で浅瀬を測量する仕事に従事。帰国し結婚するがすぐに離婚。カリブ海で海賊の一味となる。 1680年、パナマ地峡でチャグレ川(位置不明)を太平洋を目指しさかのぼる。海賊の副長としてパナマ地峡一帯をあらしまわり、チリのアリカの町をおそうが守備隊に撃退される 1685年、海賊スワン船長の部下として太平洋を横断することとなる 1688年、大西洋でスペイン船の攻撃に失敗し、東インドに向う。この年、ジャバ(位置不明)に到着しスマトラ島の北にあるクリスマス島に上陸。 1691年12年ぶりに祖国に戻る。数年後、「新しい世界一周旅行(最新世界周航記)」を出版 1699/01/14、ローバック号でイギリス出港。ブラジルのバイア(サルバドル)で同乗の王室海軍士官フィッシャーを追放する。 1699/12/03、ニュー・ホランド(オーストラリア)を出帆し、ニューギニアに向う 1699/12月、ニューギニア北部を探検し、ワイゲウ島との間に水路を見つける(ダンピア海峡)。セント・マサイアス島、ニューアイルランド島、ニューブリテン島を発見。 1700/07/04、バタビア(ジャカルタ)寄港。 1701/2月、アスンシオン島付近で難破 1701/5月、2年4ヶ月ぶりにイギリスに帰る。フィッシャーの訴えにより軍法会議にかけられ、いっさいの栄光と身分を剥ぎ取られる 1704年、セント・ジョージ号で海賊を始める 1707年末、イギリスに帰るが誰も相手にしなかった 1708年、水先案内人として海賊船デューク号に乗り込む 1711/10月、デューク号、フィリピンからやってきたスペイン船をつかまえ莫大な戦利品を獲る 1715年、ロンドンで没 **参考文献 -榊原晃三, 1984. [[南海の冒険者たち>http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000J73KDS?ie=UTF8&tag=evergreenf07a-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B000J73KDS]]. ぎょうせい.

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