満天星国

鋸星耀平(PC)

最終更新:

doudan

- view
だれでも歓迎! 編集

大部品流用について



部品構造


  • 大部品: 鋸星耀平 RD:33 評価値:8
    • 大部品: 満天星の民 RD:13 評価値:6
      • 部品: 概要
      • 大部品: 構成人種 RD:3 評価値:2
        • 部品: 北国人
        • 部品: 初心の民
        • 部品: 東国人
      • 大部品: 歴史 RD:3 評価値:2
        • 部品: 建国・合併
        • 部品: 不和と悲劇
        • 部品: 再生と団結
      • 大部品: 過去への贖罪 RD:3 評価値:2
        • 部品: 慰霊
        • 部品: 訓示
        • 部品: 融和への努力
      • 大部品: 代表的な政策 RD:2 評価値:1
        • 部品: 人種による雇用差別の撤廃
        • 部品: 人種によらない教育
      • 部品: 未来への展望
    • 大部品: 日常生活 RD:2 評価値:1
      • 部品: 習慣
      • 部品: コミュニケーション
    • 大部品: 護衛騎士(鋸星版) RD:8 評価値:5
      • 部品: 10年間の修行
      • 部品: 護衛騎士を目指す
      • 部品: 基礎体力作り
      • 部品: 剣の形
      • 部品: 鎧を着て動く訓練
      • 部品: 体術の訓練
      • 部品: 防御の訓練
      • 部品: 護衛の心得
    • 大部品: 護衛能力 RD:4 評価値:3
      • 部品: 危機管理
      • 部品: 危険察知
      • 部品: 状況把握
      • 部品: かばう
    • 大部品: 装備 RD:3 評価値:2
      • 部品: 剣
      • 部品: 盾
      • 部品: 鎧
    • 大部品: 戦闘能力 RD:3 評価値:2
      • 部品: 剣術
      • 部品: 格闘術
      • 部品: 制圧術



部品定義


部品: 概要

満天星の民とは文字通り満天星国に住む民のことである。過去を忘れるのではなくそれを乗り越えて団結することを選んだ民のことである。

部品: 北国人

美しい銀髪と透き通るような白い肌が特徴とされる北方の大地を祖とする民族。初心系とも呼ばれる元ビギナーズ王国国民の多くが属する。

部品: 初心の民

何事にも初心はあり、何者であっても初心を持つ者として支える。ビギナーズ王国の北国人の中でも、その国是を自らの生きる主目的とした者達。

部品: 東国人

黒い髪を持ち四季を愛でる、東の大地を祖とする者達。都築藩国の都築系と呼ばれる者はほとんどがこの民族である。

部品: 建国・合併

エアバイクの国であるビギナーズ王国とWDの国である都築藩国、お互いの主力産業の組み合わせは元から高い評価を得ていた。更なる高みを目指すため、合併し一つの国となった。

部品: 不和と悲劇

始まりは些細なものだったと記録されているが、その実情を知る物は今やほとんどいない。ただ、何かのタイミングが悪かっただけなのかもしれない。都築系による虐殺と民族浄化が行われたことだけが事実として残っている。

部品: 再生と団結

人口比率が大きく偏っている、と統計では出ているが、そんなものも関係なくなるほどに国の環境は荒れ果てた。お互いに数を減らした国民たちがその先を目指して生きていくためには、過去を乗り越えて互いを認めあうことが必要であった。

部品: 慰霊

起こってしまったこと、いなくなってしまった人間、それらは永遠に戻る物ではない。それを忘れてはならない、忘れないために藩王・執政・摂政の連名で慰霊碑の建立、定期的な慰霊祭の開催が決定された。

部品: 訓示

歴史を学び、顧みて、未来に活かすことが犠牲になった者達への手向けとなる。同じ過ちを犯さないために、皆が同じ国に住む生きている人間であることを忘れないよう、慰霊碑にはこのような文言が刻まれている。「せめて新しく生まれてくる子らに平和な国を、その心に憎しみでは無く他者への慈悲を」


部品: 融和への努力

お互いに、というよりも、虐殺を行いその後もその立場を改めなかったものとその被害者という両者である。いきなり一緒に手を取り合えことは出来なくて当然である。だが、まずはお互いがただの人間であると、同じ国に生きる人間であると意識する。そこからすべては始まる。


部品: 人種による雇用差別の撤廃

雇用機会の不均等を無くすことを目的として、人種を不採用の理由とすることは条例で禁止とされた。また、人種によって採用試験や条件に差を付けることもまた禁止とされた。

部品: 人種によらない教育

将来の職業を選ぶためにはまずは教育が必要である。差別によってその機会が奪われれば職すらも奪われるという事である。そのため、全国民に対して同じ質の教育を行うことを目的としたカリキュラムが作成されている。


部品: 未来への展望

まだまだ満天星の民はその歩みを始めたばかりである。それが止まることもあるだろう。だが一人で歩くのではなく、支え合って歩いていればまた歩き出せる。


部品: 習慣

習慣には二種類ある。必要だから義務的に行うものと、自発的なものだ。
前者は「家事」「仕事」「ルールを守る」といった、生存するため、社会生活を送るために必要な習慣である。
後者は「趣味」「休暇」で、中間で揺れ動いているのが「社交」だ。
/*/
まず家事の説明から行こう。これは「家計」「料理」「ハウスキーピング」によって構成されている。
/*/
「家計」は、「普段のやりくり」が主となる。
誰しもが、税の支払いや食料品、雑貨といった消耗品の購入、およびそれをするための金銭と時間を支払って、普段の生活を送っているからである。
自給自足で賄ったり、物々交換する文化の場合は、目的のものを手に入れるまでの時間的コストを支払っているものとみなす。
どういった形にせよ、収入相応の日常的支出は起こる。
収入が少なければ優先度の低い出費を諦めるか、または切り詰めるために安いものを探すし、多ければ経済を回し、豊かな生活を送るために、金の使いみちを工夫する。
一時的に足りなければ借り受けるし、その返済も行わなければならない。そうならないよう、普段から無理のない範囲で貯金したり、投資で増やしておくこともできる。
緊急で必要とされるだろう分、あるいは特定のタイミングで必要になってくるだろう分の積み立てや、そのための仕組みを利用するのだ。
/*/
「料理」とは、自分、または家族の好みと、自分の知る限りでの栄養バランスに配慮し、コストパフォーマンスと安全の双方から見て買い集めた素材を用いて、時間を掛けすぎずに作れる、いつもの味の料理のことだ。
たまには失敗するし、手に入る素材も常に一定ではなく、料理自体、腕前によって出来不出来は出て来るものだ。
どのような形でも、生きている以上、何かを食べなければ生きられないし、どうせならおいしいものを食べたい。
出来合いのものを買って済ませることもあるし、プロの作ったものを食べて帰ったり、あるいはプロを雇うこともある。
/*/
「ハウスキーピング」は、「ゴミ捨て」「清掃」「整理整頓」「補充」で出来ている。
/*/
「ゴミ捨て」は、溜まったゴミを廃棄するか、公共の処理施設に回収してもらうため、所定の位置に出すことだ。
場所によっては捨てるゴミの種類に応じてコストが掛かる。また、捨てる際の作法にも夜間ゴミ出し禁止であったりネットをかけるといったローカルルールが存在する。
分別には気をつけて行おう。

「清掃」は、生活の中でついた汚れを払ったり拭ったり、溜まった埃を掃きまとめて捨てたり、曇っている箇所を磨いたりして、美観を整えることである。

「整理整頓」は、所定の場所に物を戻す、あるいは置き場所が定まっていないものに対して置き場を用意してやり、不要になった物は廃棄、売却、または譲渡して家の中から追い出すこと。

「補充」は、物品の消耗や破損、故障に対して、代替品を入手してくることである。

これらを始めとした、「住居の快適性」を維持するための要素の組み合わせて「ハウスキーピング」は成立している。
/*/
「仕事」は、「業務」および、それを支える「労働と報酬」の原理によって回っている。
/*/
「業務」は、就いている職業または身分に相応しい行動を送ることだ。
時間帯および行動の内容はそれぞれの状況に応じて異なる。

「労働と報酬」とは、契約に応じた報酬を、所定の労働と引き換えに得ることである。
支払いの形態、たとえば何を支給の対象とするか、どういった計算で支払いを計上するかは、それぞれが所属する藩国および組織の法と規則に従った上で、双方の合意を結んで定める。
判断能力を持たないものに関しては、利害関係のない第三者を立て、不当な搾取の起こらないよう、責任を持って公的機関がこれを監視する。
/*/
「ルールを守る」とは、「法」と「ローカルルール」の把握、および遵守によって行われる。
/*/
「法」とは、「所属陣営」「藩国」「自治体」という階層構造で発布・施行されている、強制力を伴った規則である。

「所属陣営の法律」は、藩国を超えて所属陣営全体に広がっている。
一国が敷くよりも守るべき必然性が非常に強いため、破った際の処罰が重く、強制力も高いことを普通は知っているため、これをよく注意して守ることになる。

「藩国の法律」とは、所属している藩国の法律のことだ。
ここの国民で居続けるためには守って欲しいルールですよという内容であり、国民全員に共有されていることが前提となる。
多くの民にとり、もっとも身近な法であり、藩国の強制力と順法意識とのバランス次第で程度の差は出るが、注意して守る。

「自治体の条例」は、上記2点の法よりも優先度は低いかもしれない。
判断が分かれるような細かい個別の事例に対して制定しているためで、危険だったり困る行為は、そもそも条例以前の段階で網羅されているからだ。
自治体が引っ越してきた際に周知することが義務付けられている。
独自の罰則が設けられているため、順法意識によって程度の差はあるがそれなりに守ろうとするだろう。

これらを守ろうとする中で、必然的に様々な手続きが発生し、日々の生活の中で細々とこなしていくことになる。
/*/
「ローカルルール」とは、集団内の「しきたり」や「家庭内ルール」のことである。
/*/
「しきたり」は、法的な根拠はないが、その集団に所属するためには守るべきであると所属者の大半が考えているルールだ。
不合理であり、守る必要はないと感じる場合もあるが、発端となった経緯を聞くことで分かる事情もある。
人によっては守らないし、それですぐさま大きな問題にはならなくとも、不和のもとになりうることは理解している。

「家庭内ルール」には関係に応じた種類があり、ここでは代表的なものを例として取り上げる。

まず、「親子の約束」だ。
社会的なルールを守らせるための約束であり、同じ生活空間で暮らして血の繋がりもあるが、別々の個人として互いを尊重しあうための約束でもある。
明文化されることは珍しく、しばしば口頭で結ばれるし、誤っている、非合理であるとの互いの主張によって見直しも入る。
破った際に罰則を設けるかどうかは家庭次第だろう。

次に、「夫婦の約束」である。
他人同士が一つの家族を作り上げるにあたって結んだ約束だ。
明文化されることは少なく、また、生活しているうちに暗黙の了解となって築き上げられる条項もある。
互いに確認しあい、守るためにはどのように工夫したらよいかを話し合うことで維持される。
/*/
自発的な習慣の説明に移る。「趣味」と「休暇」だ。
/*/
「趣味」は、要するに「やる必要はないがやりたい行動」だ。

「一人の時間」の中では、趣味に没頭し、自分の時間を持つことになるだろう。
集中を邪魔されると気分を害するので、家族は配慮することが求められるが、家族内のルールに従っていない場合は問題としてよい。

趣味を過ごすためには、「趣味の予算」も必要である。
コツコツと積み立てた時間的・金銭的・資材的な予算を用いて、思うがままに趣味を満喫するためのものである。
または、思うままに趣味が満喫出来ない不自由さまでを含めて、趣味の時間を満喫するためのものでもある。

中には「秘め事」だってあるだろう。
これは専用の空間で内緒のことをしている。何をするかって? それはここには書けないな。何故なら、人に教えられない事をするのが内緒のことだからだ。
誰にだって秘密にしておきたいことの一つや二つ、あるものだ。
隠すのは、反社会的な行いだからではなく、マニアックだったり恥ずかしかったりするので、人に知られるのが怖いからだとだけ書いておこう。
案外くだらなかったりする。

「空想」などは典型的な趣味の一つ。
そのものずばり、あれやこれやを空想する。現実的な事柄、現実には起こり得ない事柄を問わない。
現実的なものも、現実には社会的制約があって取っちゃいけない行動、現実的に取れるんだけれども勇気が無くて出来ない行動まで、実に様々。
空想は場所も時間も問わない。
/*/
「休暇」は、つまり「何もしていない時間」で、「自由な時間」のことだ。
/*/
「何もしていない時間」にも色々ある。
自分にとって意味があると思えない行動を取っている時、人の心は頭の中や感情を整理しているからである。
ただ寝転がっているだけであれ、ぷちぷちを延々と潰しているのであれ、何も考えず空を眺めているのであれ、目的がなければ、それは本人にとって何もしていない時間なのだ。

逆に「自由な時間」の条件はシンプルだ。
何をしなければいけない、何をやればいいだろう、そういった義務感や焦燥感から解き放たれた、自由な時間である。
それまで与えられていた方向性から解き放たれ、他人からも自分からも自由だということだ。
改めて同じことをやるのもいいし、何もやらないのもいいし、突拍子のない新しさに踏み出してもいい。
そんな素敵でポジティブな時間である。
/*/
「社交」は、やりたいからやる場合と、やらざるを得ないからやる場合の間で大きく揺れ動いている。
/*/
「一緒に遊ぼう」、「食事しよう」といった、何らかの行動を共有する事が、社交の主な要素となってくる。
関係性を深めるため、あるいは深めたという手続きが済んだとみなすために行うと、義務感が強くなる。
相手や自分を元気づけるため、何らかの区切りをつけるために行う場合は、自発性が強い。
/*/
ここでは「元気づけるため」「区切りをつけるため」にする社交の一例を挙げていく。
「そうではない感」があったら、相手に対し、義務的に行っているということである。

まず、一緒に何か遊ぼうと誘う。
これは普段からやっている場所や内容でもいいし、それらにこれまでにない新鮮さを求めてもよい。
気晴らしになる。

また、元気がない時は大体ご飯も美味しく食べられていない。
一人で食べさせるより、一緒にご飯を食べれば気分もまた変わってくる。
外で飲んだり美味いものを食べてもいいし、誰かの家でそうしてもいい。

元気づける時に限らず、区切りにはプレゼントやお小遣いを贈るのも良いだろう。
誰かの記念日であったり、贈りたい気持ちになった時、あるいは贈答品の習慣のある文化に組み込まれている場合、相手や関係に応じて見繕って、作ったり、買ってくるのだ。
お小遣いの場合は、理由をつけて奢るのでもいいし、自由になるお小遣いを、名目を見繕って渡し、使うための余暇まで新たに割り与えることが大事だ。

ご馳走もいい。
これは、家計と普段の手間暇から見て、大きくコストを割り増している食事のことだ。
いい素材を買い集め、普段食べないものを食べるだけでなく、見栄えや器、盛り方を工夫すれば普段の料理でもそれなりのご馳走になるし、手の込んだ料理をするだけでもよい。
外に赴く場合、雰囲気と味はより重要になってくる。

また、ご馳走まではいかずとも、普段は用意しないもう一品があると、特別感は与えられるだろう。

物だけでなく、言葉や行動によるねぎらいも大事だ。
お疲れ様、ありがとうから始まって、普段どこを頑張ってくれているかを具体的に挙げ、その働きを褒めることで、自己肯定感を与えられるだろう。
これは普段からやってもいい。

行動のねぎらいとは、つまり手伝いである。
本来その人が分担しているはずの仕事や役割を、その時だけは、手伝うか、または代行して全部やってしまうのも関係を深めるのによい。
社会の大半は分業によって成り立つ。しかし、同じ行動を、しかも自分がやり続けなければいけないという状況は、ひどく疲れてしまう。

念入りな掃除によって、普段の生活空間をピカピカに綺麗にして、装いも新たにしてあげると、相手の気分も変わるだろう。
これにより、今日は普段とはちょっと違う雰囲気だなと思わせることが出来る。
/*/
これらの他に、移動といった基本的な日常行動や、睡眠や排泄といった機構的必然のある行動もまた、広く習慣として含めることだろう。

たとえば移動には、まず、目的地が必要だ。
どこへ行くにしても、目的地を定めている場合はルートを決める必要がある。ゴールが決まっている以上、通らなければならないポイントが出てくるのである。

次に移動手段。
徒歩、公共交通機関、または私用・公用の乗り物、騎乗用動物など、それぞれの文化の日常で用いるに相応しい移動手段を使って行う。

寄り道もあるだろう。
これは、本来の目的から外れ、普段とは異なるルートを辿ること。または、そのルートそのものである。
気分転換になるし、新しい発見にもつながる。

そして定住者なら最終的には行って帰る。
生活の拠点である家から出発して、目的地に辿りつき、また家まで戻ってくる。中間地点を複数経るとしても、帰る場所が決まっている以上は、行って帰る。

放浪者であれば、 新たな地に辿りつくだろう。
定まった住居を持たない場合、移動したまま戻らず、別の地に行くことがある。
それがかつて居たことのある場所か、それとも全くの新天地かは問わない。
/*/
知性体として内観を働かせることも、習慣と言える。

精神の内面においては、感情と思考の把握。
自分が何を感じているのか、感じたものの性質は何かを、衝動や言動、行いといった内外に現れている要素を観察して把握すること。
また、頭の中で考えていることを、具体的な文字やイメージに落とし込み、掘り下げる中で、より明らかな形にしていくことである。

外部との接点においては、身体と環境の把握。
体の各部位に感じている痛みや快調さから、それぞれの状態がどのようになっているのか、見た目以外からも判断し、これを理解すること。
自分が今何処にいて、それはどのような環境であり、どう対応するべきなのかを、都度感じ分け、また対処する中で理解を深めていくこと。

こうした内観の働きなくして、知性は知性たりえないのだから。
/*/
他にも様々な習慣は存在する。それらはすべて、生きるために必要な行為なのである。
世界に存在する習慣の多様さはつまり、それだけ多様な生き方が存在しているという証左であるだろう。

部品: コミュニケーション

基本は、「話を聞く」「意見を述べる」の二つで出来ている。
前者は、相手が話したがっていると様子を察した時、または相手が話しかけて来た時、相槌や反応を挟みつつ、自分の中で理解を進めながら、相手の話を受け止めること。
後者は、相手と現在共通のものとして扱っている話題に関して、適宜タイミングを見て自分の考えや感情を表現すること。
/*/
次は、そこにどのような「感情表現」が含まれるかを説明しよう。
ポジティブなものなら「喜ぶ」「愛しい」、ネガティブなものなら「悲しい」「怒り」などがある。これらを一つずつ紹介する。
/*/
喜びは、主に「嬉しい」と「めでたい」で出来ている。
「嬉しい」とは、自分や、我がことのように感じられる誰かにとって喜ばしい出来事があった際、その喜びを感情表現することだ。
そして「めでたい」とは、自分や誰かにいいことがあった時、何らかの行動に出て、積極的に祝おうとすることで、喜びの感情に具体的な形を付けてあげる行為である。

愛しさに至っては様々な表現方法がある。
そのうちの一つ、「甘える」は、「わがまま」や「おねだり」で出来ている。

「わがまま」とは、相手との親密度に応じて、自分に許される範囲だと思っているわがままを言ってみたり、わがままな態度を取ってみたりすることだ。
「おねだり」とは、何らかの物品や行動を代償なく要求すること。それ自体が欲しいのではなく、普通は受け容れられないような無理を、自分のためだけに聞いてくれるのが嬉しくてやっている。

また、すべての感情がそうであるように、愛しさにも段階が多く存在し、それらは「スキンシップ」によって進めたり、推し量る事が出来る。

たとえば「握手」だ。これは、手と手を握り交わす挨拶習慣である。
もっとも外界に触れる部位である掌を通じてお互いの肌を許し合うことで、互いに交渉の余地ありと認め合うか、または、そのことを再確認している。
種族によってはもっとも外界に触れる部位が掌ではない場合もあり、その際には適切な部位を用いて行うだろう。

次に、「ハグ」。
立った状態、または座った状態で、相手と向き合って抱きしめあうこと。相手の体温と触感を感じて落ち着ける。
相手との関係性や、相手の状態によっては拒絶される。

「キス」だと段階を推し量るのが文化や関係によって大分異なるので、難しくなってくる。
これは口を相手の体のどこかに触れさせる行為だが、触れさせることを許す場所や、その多さによって親密度が異なってくるからだ。

「撫でる」ことは、同じ種族間だけでなく、たとえば人と動物のような関係でもよく見られる行動だ。
相手の頭や髪、毛、肌などを撫でて行う。
痛みを取り払うためにする撫でさすりとは、部位の時点で明確に違い、愛情表現のために用いられているのである。

「セックス」、つまり性交渉は、多くの場合、性愛に基づいて行われる、深いスキンシップとなるだろう。
他の多くのスキンシップを内包して行うが、その要諦は性的な快感を高めること、または性的な感覚の充足を得ることである。

その次にやってくる段階としては、「繁殖」だろう。
性的なコミュニケーションの結果、子孫を作る行いだ。相手との関係性次第では生物学的な不可能が存在して行えなかったりもする。

これらの他に、頬ずりであったり、体を擦り付けたり、膝の上に載せる、ただ手を握るなど、単純に段階で分けられなかったりするのがスキンシップの奥深さである。
相手をどれだけ深いプライベートな感覚で長く感じたいかで、親密度を測るというのが、一つの物差しになる。
/*/
生きる以上、ネガティブな感情表現も避けられない。
代表的なものが「悲しみ」や「怒り」だ。

生きていて、悲しければ泣いたり苦しんだりする。
泣くとは涙を流すことである。
涙を流さず、表情は別の感情の形を取っていても、悲しみの表現として強く感情表現をしている場合、心は泣いているのである。
そして、苦しむ。
これは、自分ではどうにも出来ない、あるいはどうにも出来ないと感じてしまったことに対して、それでもどうにかしたい、どうにかできないかと、感情が納得しない状態のまま、もがくことだろう。

また、怒れば「八つ当たり」をしたり、「いつもより過度な態度」になったりもするだろう。
八つ当たりとは、物や人に対して、それらが悪いわけでもないのに、攻撃的な態度や行動を取ってしまうことである。
そうすることで、行き場のない感情に無理やり矛先を作って発散しているのだ。
いつもより過度な態度とは、荒々しくなったり、冷淡になったり、丁寧になったり、人によって表現する方向は違うが、いずれも普段より過度な態度に傾くことで、怒りを心の内側から行動や態度へと溢れさせている。
/*/
さて、コミュニケーションには基本があり、そこに感情表現が含まれるところまでを説明してきた。
では、具体的にどのような方法でコミュニケーションを取るかを、次に取り上げていく。
/*/
コミュニケーションには「双方向的なもの」と「一方向的なもの」の二種類がある。

双方向的なら、関係性を築くため、または関係性に相応しい態度を取るために、様々な方法が存在する。
「手探り」「砕けた感じで」「理性的に」「衝突」といった具合だ。

一方向的なら、「情報の単純処理」「要求の発信」、そして「受け身」である。
/*/
双方向的なコミュニケーション方法から説明していこう。

「手探り」というのは、大体が共通の話題探しの意味である。
初対面、またはそれに等しい関係から段階を経て行うものだ。
お互いに今共有している出来事、たとえば天気に関する意見だったり、今置かれている状況への意見だったりから入る。
そこで意見の一致を見出しつつ、その感じ方や話題のつながりによって、どのような志向を持つ人物かをお互いに探り合いつつ、次第に会話の範囲を狭め、親密度を増していく。

そこである程度の関係性が築ければ、「砕けた感じで」態度が変わっていく。

手探りを経た後、関係性は「雑談」に移る。
相手が関心を示した事柄に水を向けてみたり、自分の関心がどこに向いているかを口にしてみるところから始まる。
特に結論を求めている訳ではなく、互いに対する関心と理解が深まればそれでいい。

また、「ジョーク」は、会話の中で雰囲気を和ませるために行う話術の一つである。
タブーを踏み越えると笑えないので、相手によってタブーを見分ける。
身内ネタほど身内の受けは取りやすいため、共通の話題を見出して、そこからネタを見つけて距離感を詰める。

これらを経てたどり着くのが「身内トーク」である。
おはようから始まってお休みやさよならで終わる、挨拶を含む普段のコミュニケーションだ。
どういった関係性の身内と認定されたかによって内容は異なるが、今日はどんなことをしたという報告や、くだらない話、何気ない話もすることで、時間と感情を共有する。
共有の積み重ねによる関係性の強化が目的である。

逆に、関係性の度合いとは関係なしに行われるのが、「理性的な」コミュニケーションとなる。

「会議」は、共通の議題を持ったグループの間で、共有するべき話題について、集まって相談することである。
たとえば家族の会議だと、普段の夕食なら適当でよくても、記念日なら意見を募らなければならなかったり、普段の土日なら思いつきで行動してもいいが、長い旅行先はみんなで行き先を決めると言った次第で、必要になってくる。
また、ポジティブな話題だけではなく、家庭の経済状況といった深刻な問題や、子供の性教育といった真剣な問題についても相談する。
どういったグループであれ、感情を踏まえた上で、理性的に結論を求めていくのが会議という方法だ。

「議論」は、会議の中でも用いられる、議題を設定し、意見を交わしあう行為である。
どういう論理に従っているかを、いかに明瞭に相手に伝えるかが大事である。
自分の理解と相手の理解を確認しつつ進めていき、互いに結論を持つところで終える。
終わる際、必ずしも同じ意見に落ち着かなくともよい。

理性的に話をすすめるには、「整理」も必要になってくるだろう。
自分や相手の話した内容や行動を客観的に整理することだ。
言葉や文字、図表など、アウトプットした形で行う。
その方法としては、時系列順に並べたり、準拠している論理に従って並びを入れ替えたり、不要な情報を省いたりする。

ここまでは最初から主体的に参加している場合がほとんどだろうが、途中から参加する場合もある。

「仲裁」が、その最たるものとなるだろう。
口論や喧嘩の仲裁を行うのである。
口論であれば話を聞いて整理する。喧嘩であれば、まずは割って入って冷静にさせる。
和解できれば最上だが、行きずりで再現性がなさそうだと判断したら、再発を避けるために引き離すだけでもよい。
ことのきっかけやいさかいの途中で犯罪ないしは規則違反が発生していたら、タイミングを見てしかるべきところに報告する必要も出てくるだろう。

仲裁が必要なように、コミュニケーションの中には、「口喧嘩」や「文句を言う」といった、「衝突」を引き起こすものもある。

「口喧嘩」であれば、自分の意見を通すため、あるいは害された自分の気分を表現するために、相手との衝突を避けず、口にすることだ。
無闇に我を通せばいいという訳ではなく、関係に応じた引き際というものがある。
喧嘩をするのが目的ではなく、意見に折り合いがついたり、相手が自分の気持ちを理解してくれたらよい。

「文句を言う」のは、相手に対して感じた、または以前に感じていた、相手が悪いと思った箇所、直すべきだと思った箇所、自分や他人を害したと感じた箇所を、理屈や感情を交えながら表現することだ。

口頭だけに収まらず、物理的な衝突にまで発展しなければ解消しない場合もある。
そこまでやっても、物別れに終わる、関係が破綻することもあるのだから、コミュニケーションはまったく難しい。
/*/
次に「一方向的」なコミュニケーションの説明に移る。
これは、「洞察」や「受容」「我慢」「愛される」といった一方的な受信と、「事務的伝達」や「頼る」「可愛がる」といった一方的な発信とに分かれる。
例外が、コミュニケーション自体を拒否するサインの発信である「関係の断絶」だろう。
/*/
「洞察」は、「相手の状態」と「コミュニケーションの流れ」を察することで行われる。
相手の感情や思考が今どのような状態であるかを、これまでに得た経験と知識に照らし合わせる形で、その態度や表情、発言内容から推察したり、相手の表現がまとまっていなくとも、何を伝えようとしているか、その素振りやこれまでに出てきた言葉の方向性から当たりを付けて、これを成立させる。

「受容」は、「受諾」と「容認」の二つで成り立っているだろう。
「受諾」とは頼まれごとを引き受けること。また、その際に示す明確なシグナルや言葉、文面での了承だ。
受諾自体には感情的な要素は挟まれない。
「容認」は、相手のありようや提案、お願いといった、自分に向けてくる感情や物事の流れを、それでよいとして認め、受け止めてやることである。

需要に対して「我慢」は感情的な要素が大きい。
「やむを得ない我慢」は、誰に非があるわけでもなく、ただ自分の運が悪かったり、平等にみんなの状況が悪いと納得して、感情の矛先がなく、受け止めざるを得ないものとして飲み込む。
「無理やりする我慢」は、誰かには何らかの非があって、少なくとも自分にとってそれが誰かは明確なのだが、立場や状況がその追求を許さないため、一時的に飲み込む。
いずれも感情を自分の中に留める行為である。

「愛される」は、ネガティブな一方的受信の代表例となった我慢に対して、ポジティブな代表例だ。
「満足げにする」ことで、周りや相手が捧げてくる愛情や、それを示す愛情表現に対して、当然であるかのように受け取り、深くその全てを受け止めてやる。
「幸せに浸る」ことで、自分が愛されていることを噛み締め、満たされた気持ちになる。また、愛されている理由に納得し、これまでの自分の行いに対して正しさを感じる。
いずれも自己肯定感そのものに直結しており、自我の構成には不可欠である。
/*/
ここまでが一方的受信の例で、ここからが一方的発信の話になってくる。

「事務的伝達」とは、つまり「報告」と「連絡」だ。
「報告」は、定められた情報をしかるべき宛先に伝えること。その方法や手順、タイミングは、報告の内容と、宛先が定める規則に従う。
「連絡」は、自分の思うところや、伝えるべきと思った情報を、それにふさわしいと思った相手に対して送ること。また、その相手と応答を続けること。
相手のリアクションまでは含まない。

事務的伝達の後によく来るのは、「頼る」という方法である。
「相談」は、こんなことで悩んでいる、どうすればいいか判断に迷うといった、具体性のあるものから、そもそも悩みを具体性あるところまで持っていくためにはどうしたらよいかと、助言を求めて行うこと。または、話しながら自分の中で成立をつけたり、背中を押してもらいたかったり、ただ悩んでいること自体を聞いて欲しかったりして行う。
相談ではなく、もう「お願い」になることもある。
それは、話を聞いてくれ、またはこんなことをしてくれと、相手にお願いする行為である。
しばしば、お願いそのものと話題が同時進行で話しかけて進められる。

要求を出す発信が頼るという方法なら、「可愛がる」とは、その真逆で、相手のリアクションを求めない。
「愛でる」場合、これはいいなあ、いいものだなあと、ひたすらに自分の感情に埋没しながら、対象に相応しいと思った態度で、抱いた感情を表現する。
「夢中になる」と、他のことが気にならなくなるほど対象に集中してしまい、それまで考えていたことや、やろうとしていたことを全て投げ出してしまう。
いずれも、ひとしきり終わった後に相手の反応を改めて受け止め、次の行動に移るものである。可愛がるとは、相手に対する純粋な存在肯定なのだ。

この、可愛がるという相手への存在肯定と真逆に位置する態度が、「断絶」である。
「会話の打ち切り」は、その始まりだ。
話を切り上げ、それ以上続けさせないような態度を取ることである。離席、言葉を遮る、次の話題に無理やり移るといった手段がある。
これが進むと、「無視」、つまり相手の話を聞かず、また、その存在があたかもないかのように振る舞う行動になる。
相手を傷つけるか、相手に非を認めさせようとする行為であり、相手が自分を認めない限り、自分も相手を認めないという態度のことなのだ。
/*/
ここまで挙げた以外にもコミュニケーションは様々に存在する。
関係性の数だけ、個人の数だけコミュニケーションは細かく表現の内容が分かれていく。
コミュニケーションとはつまり、そのすべてが誰かと共に生きるための手段なのだ。

部品: 10年間の修行

剣術を身につけるため、書を読み、剣を振り、時には師を求めて遠方まで訪ね、10年の歳月を掛けて護衛騎士としての腕を磨いた。

部品: 護衛騎士を目指す

迷宮を抜けて新しい世界にたどり着いた鋸星耀平は、今度こそ誰よりも護りたい人を護るため、護衛騎士としての修行を開始した。

部品: 基礎体力作り

騎士としての修行の第一歩、それは体力をつけることである。日々、野を駆け、山を駆け、岩を上り、海を泳いだ。まずあらゆる訓練のベースとなる基礎体力を養った。

部品: 剣の形

剣の形(かた)とは、過去の何世代にもわたる剣士達が作り上げた剣の基本的な動作である。これを身につけることによってとっさの事態に対して、頭では無く体が反応して行動することが出来るようになる。通常の稽古と並行して形の訓練も行った。

部品: 鎧を着て動く訓練

鎧を着て動くのは慣れないうちは難しい。護衛の対象を護るためには、鎧を着ていても俊敏に動けなくてはならい。鎧を着たまま、走る、泳ぐ、崖を登る、馬に乗るなど様々な動きを経験し、最も素早い動きを追求し続ける。

部品: 体術の訓練

武器を持っていない、あるいは使えない状況であっても護衛対象を護るため、徒手空拳の体術の訓練は一般の騎士よりも力を入れて行った。また様々な武術を研究し、時には教えを請いに格闘家たちの元を訪ねた。

部品: 防御の訓練

護衛騎士は時には我が身をていしてでも護衛対象を護らなければならない。襲撃をただ防ぐだけでなく、護衛対象に危害の加わらない受け方、捌き方を研究・訓練した。

部品: 護衛の心得

護衛騎士とは、護るべき人を護るための騎士である。そのためにはただ強ければ良いわけではない、危険を予測・察知し、それを護衛対象から遠ざける術を学び、護る相手の事を常に考える心構えを学んだ。

部品: 危機管理

護衛とは、ただ対象の側に付き従うことではない。対象の行動を事前に把握し、そのルート上における危険を事前に予測対処する能力を備えている。必要によってはルート変更や、対象の行動の制限なども行わなければならない。従って、対象にそれらを受け入れて貰える様に普段から信頼関係を気付く努力をしている。

部品: 危険察知

どんなに事前に準備をしていたとしても、危険をあらかじめ全て排除しておくことは不可能である。攻撃はもちろん、事故や災害などの兆候を敏感に察知する繊細な観察眼を会得している。

部品: 状況把握

対象を守るためには、その場その場で正しい判断を下す必要がある。そして正しい判断のためには状況を正確に把握する、情報収集能力が必要である。護衛騎士は常に情報を収集し、周囲で何が起こっているかを把握する。

部品: かばう

護衛騎士は緊急時には護衛対象と攻撃の間に割り込み、自らの身体を盾とする覚悟を持っている。また危険地帯で、常に攻撃が予想される方向と対象との間に入る。

部品: 剣

剣は護衛騎士の最も重要な武器である。剣は携行性に優れ、斧や槍を携行することはできない街中でも充分な戦闘力を発揮する。

部品: 盾

盾は防御の道具であると同時に武器にもなる。相手を殴りつけたり、勢いをつけて突進するなど様々な使い方ができる。


部品: 鎧

鎧は状況によって使い分ける。戦場など最初から危険が予測される場合は重装甲の鎧を、街中のお忍びなど目立ってはいけない場合は服の下に着ても目立たないチェインメイルなどを装備する。


部品: 剣術

護衛騎士の剣術は、剣と盾のコンビネーションを用い、護衛対象に襲撃者の攻撃を近づけず、必要とあれば叩き切る攻防一体の剣術である。

部品: 格闘術

護衛騎士の格闘術は、相手を無力化することを目的として組み立てられている。目つぶしや踵を砕くなど、急所への攻撃など、短時間で相手を行動不能し護衛対象の側に戻れる攻撃を積極的に取り入れている。

部品: 制圧術

襲撃者から護衛対象を守るため必要な場合には、相手を拘束し戦闘意思を奪う制圧・逮捕に特化した格闘術も習得している。




提出書式


 大部品: 鋸星耀平 RD:33 評価値:8
 -大部品: 満天星の民 RD:13 評価値:6
 --部品: 概要
 --大部品: 構成人種 RD:3 評価値:2
 ---部品: 北国人
 ---部品: 初心の民
 ---部品: 東国人
 --大部品: 歴史 RD:3 評価値:2
 ---部品: 建国・合併
 ---部品: 不和と悲劇
 ---部品: 再生と団結
 --大部品: 過去への贖罪 RD:3 評価値:2
 ---部品: 慰霊
 ---部品: 訓示
 ---部品: 融和への努力
 --大部品: 代表的な政策 RD:2 評価値:1
 ---部品: 人種による雇用差別の撤廃
 ---部品: 人種によらない教育
 --部品: 未来への展望
 -大部品: 日常生活 RD:2 評価値:1
 --部品: 習慣
 --部品: コミュニケーション
 -大部品: 護衛騎士(鋸星版) RD:8 評価値:5
 --部品: 10年間の修行
 --部品: 護衛騎士を目指す
 --部品: 基礎体力作り
 --部品: 剣の形
 --部品: 鎧を着て動く訓練
 --部品: 体術の訓練
 --部品: 防御の訓練
 --部品: 護衛の心得
 -大部品: 護衛能力 RD:4 評価値:3
 --部品: 危機管理
 --部品: 危険察知
 --部品: 状況把握
 --部品: かばう
 -大部品: 装備 RD:3 評価値:2
 --部品: 剣
 --部品: 盾
 --部品: 鎧
 -大部品: 戦闘能力 RD:3 評価値:2
 --部品: 剣術
 --部品: 格闘術
 --部品: 制圧術
 
 
 部品: 概要
 満天星の民とは文字通り満天星国に住む民のことである。過去を忘れるのではなくそれを乗り越えて団結することを選んだ民のことである。
 
 部品: 北国人
 美しい銀髪と透き通るような白い肌が特徴とされる北方の大地を祖とする民族。初心系とも呼ばれる元ビギナーズ王国国民の多くが属する。
 
 部品: 初心の民
 何事にも初心はあり、何者であっても初心を持つ者として支える。ビギナーズ王国の北国人の中でも、その国是を自らの生きる主目的とした者達。
 
 部品: 東国人
 黒い髪を持ち四季を愛でる、東の大地を祖とする者達。都築藩国の都築系と呼ばれる者はほとんどがこの民族である。
 
 部品: 建国・合併
 エアバイクの国であるビギナーズ王国とWDの国である都築藩国、お互いの主力産業の組み合わせは元から高い評価を得ていた。更なる高みを目指すため、合併し一つの国となった。
 
 部品: 不和と悲劇
 始まりは些細なものだったと記録されているが、その実情を知る物は今やほとんどいない。ただ、何かのタイミングが悪かっただけなのかもしれない。都築系による虐殺と民族浄化が行われたことだけが事実として残っている。
 
 部品: 再生と団結
 人口比率が大きく偏っている、と統計では出ているが、そんなものも関係なくなるほどに国の環境は荒れ果てた。お互いに数を減らした国民たちがその先を目指して生きていくためには、過去を乗り越えて互いを認めあうことが必要であった。
 
 部品: 慰霊
 起こってしまったこと、いなくなってしまった人間、それらは永遠に戻る物ではない。それを忘れてはならない、忘れないために藩王・執政・摂政の連名で慰霊碑の建立、定期的な慰霊祭の開催が決定された。
 
 部品: 訓示
 歴史を学び、顧みて、未来に活かすことが犠牲になった者達への手向けとなる。同じ過ちを犯さないために、皆が同じ国に住む生きている人間であることを忘れないよう、慰霊碑にはこのような文言が刻まれている。「せめて新しく生まれてくる子らに平和な国を、その心に憎しみでは無く他者への慈悲を」
 
 
 部品: 融和への努力
 お互いに、というよりも、虐殺を行いその後もその立場を改めなかったものとその被害者という両者である。いきなり一緒に手を取り合えことは出来なくて当然である。だが、まずはお互いがただの人間であると、同じ国に生きる人間であると意識する。そこからすべては始まる。
 
 
 部品: 人種による雇用差別の撤廃
 雇用機会の不均等を無くすことを目的として、人種を不採用の理由とすることは条例で禁止とされた。また、人種によって採用試験や条件に差を付けることもまた禁止とされた。
 
 部品: 人種によらない教育
 将来の職業を選ぶためにはまずは教育が必要である。差別によってその機会が奪われれば職すらも奪われるという事である。そのため、全国民に対して同じ質の教育を行うことを目的としたカリキュラムが作成されている。
 
 
 部品: 未来への展望
 まだまだ満天星の民はその歩みを始めたばかりである。それが止まることもあるだろう。だが一人で歩くのではなく、支え合って歩いていればまた歩き出せる。
 
 
 部品: 習慣
 習慣には二種類ある。必要だから義務的に行うものと、自発的なものだ。
 前者は「家事」「仕事」「ルールを守る」といった、生存するため、社会生活を送るために必要な習慣である。
 後者は「趣味」「休暇」で、中間で揺れ動いているのが「社交」だ。
 /*/
 まず家事の説明から行こう。これは「家計」「料理」「ハウスキーピング」によって構成されている。
 /*/
 「家計」は、「普段のやりくり」が主となる。
 誰しもが、税の支払いや食料品、雑貨といった消耗品の購入、およびそれをするための金銭と時間を支払って、普段の生活を送っているからである。
 自給自足で賄ったり、物々交換する文化の場合は、目的のものを手に入れるまでの時間的コストを支払っているものとみなす。
 どういった形にせよ、収入相応の日常的支出は起こる。
 収入が少なければ優先度の低い出費を諦めるか、または切り詰めるために安いものを探すし、多ければ経済を回し、豊かな生活を送るために、金の使いみちを工夫する。
 一時的に足りなければ借り受けるし、その返済も行わなければならない。そうならないよう、普段から無理のない範囲で貯金したり、投資で増やしておくこともできる。
 緊急で必要とされるだろう分、あるいは特定のタイミングで必要になってくるだろう分の積み立てや、そのための仕組みを利用するのだ。
 /*/
 「料理」とは、自分、または家族の好みと、自分の知る限りでの栄養バランスに配慮し、コストパフォーマンスと安全の双方から見て買い集めた素材を用いて、時間を掛けすぎずに作れる、いつもの味の料理のことだ。
 たまには失敗するし、手に入る素材も常に一定ではなく、料理自体、腕前によって出来不出来は出て来るものだ。
 どのような形でも、生きている以上、何かを食べなければ生きられないし、どうせならおいしいものを食べたい。
 出来合いのものを買って済ませることもあるし、プロの作ったものを食べて帰ったり、あるいはプロを雇うこともある。
 /*/
 「ハウスキーピング」は、「ゴミ捨て」「清掃」「整理整頓」「補充」で出来ている。
 /*/
 「ゴミ捨て」は、溜まったゴミを廃棄するか、公共の処理施設に回収してもらうため、所定の位置に出すことだ。
 場所によっては捨てるゴミの種類に応じてコストが掛かる。また、捨てる際の作法にも夜間ゴミ出し禁止であったりネットをかけるといったローカルルールが存在する。
 分別には気をつけて行おう。
 
 「清掃」は、生活の中でついた汚れを払ったり拭ったり、溜まった埃を掃きまとめて捨てたり、曇っている箇所を磨いたりして、美観を整えることである。
 
 「整理整頓」は、所定の場所に物を戻す、あるいは置き場所が定まっていないものに対して置き場を用意してやり、不要になった物は廃棄、売却、または譲渡して家の中から追い出すこと。
 
 「補充」は、物品の消耗や破損、故障に対して、代替品を入手してくることである。
 
 これらを始めとした、「住居の快適性」を維持するための要素の組み合わせて「ハウスキーピング」は成立している。
 /*/
 「仕事」は、「業務」および、それを支える「労働と報酬」の原理によって回っている。
 /*/
 「業務」は、就いている職業または身分に相応しい行動を送ることだ。
 時間帯および行動の内容はそれぞれの状況に応じて異なる。
 
 「労働と報酬」とは、契約に応じた報酬を、所定の労働と引き換えに得ることである。
 支払いの形態、たとえば何を支給の対象とするか、どういった計算で支払いを計上するかは、それぞれが所属する藩国および組織の法と規則に従った上で、双方の合意を結んで定める。
 判断能力を持たないものに関しては、利害関係のない第三者を立て、不当な搾取の起こらないよう、責任を持って公的機関がこれを監視する。
 /*/
 「ルールを守る」とは、「法」と「ローカルルール」の把握、および遵守によって行われる。
 /*/
 「法」とは、「所属陣営」「藩国」「自治体」という階層構造で発布・施行されている、強制力を伴った規則である。
 
 「所属陣営の法律」は、藩国を超えて所属陣営全体に広がっている。
 一国が敷くよりも守るべき必然性が非常に強いため、破った際の処罰が重く、強制力も高いことを普通は知っているため、これをよく注意して守ることになる。
 
 「藩国の法律」とは、所属している藩国の法律のことだ。
 ここの国民で居続けるためには守って欲しいルールですよという内容であり、国民全員に共有されていることが前提となる。
 多くの民にとり、もっとも身近な法であり、藩国の強制力と順法意識とのバランス次第で程度の差は出るが、注意して守る。
 
 「自治体の条例」は、上記2点の法よりも優先度は低いかもしれない。
 判断が分かれるような細かい個別の事例に対して制定しているためで、危険だったり困る行為は、そもそも条例以前の段階で網羅されているからだ。
 自治体が引っ越してきた際に周知することが義務付けられている。
 独自の罰則が設けられているため、順法意識によって程度の差はあるがそれなりに守ろうとするだろう。
 
 これらを守ろうとする中で、必然的に様々な手続きが発生し、日々の生活の中で細々とこなしていくことになる。
 /*/
 「ローカルルール」とは、集団内の「しきたり」や「家庭内ルール」のことである。
 /*/
 「しきたり」は、法的な根拠はないが、その集団に所属するためには守るべきであると所属者の大半が考えているルールだ。
 不合理であり、守る必要はないと感じる場合もあるが、発端となった経緯を聞くことで分かる事情もある。
 人によっては守らないし、それですぐさま大きな問題にはならなくとも、不和のもとになりうることは理解している。
 
 「家庭内ルール」には関係に応じた種類があり、ここでは代表的なものを例として取り上げる。
 
 まず、「親子の約束」だ。
 社会的なルールを守らせるための約束であり、同じ生活空間で暮らして血の繋がりもあるが、別々の個人として互いを尊重しあうための約束でもある。
 明文化されることは珍しく、しばしば口頭で結ばれるし、誤っている、非合理であるとの互いの主張によって見直しも入る。
 破った際に罰則を設けるかどうかは家庭次第だろう。
 
 次に、「夫婦の約束」である。
 他人同士が一つの家族を作り上げるにあたって結んだ約束だ。
 明文化されることは少なく、また、生活しているうちに暗黙の了解となって築き上げられる条項もある。
 互いに確認しあい、守るためにはどのように工夫したらよいかを話し合うことで維持される。
 /*/
 自発的な習慣の説明に移る。「趣味」と「休暇」だ。
 /*/
 「趣味」は、要するに「やる必要はないがやりたい行動」だ。
 
 「一人の時間」の中では、趣味に没頭し、自分の時間を持つことになるだろう。
 集中を邪魔されると気分を害するので、家族は配慮することが求められるが、家族内のルールに従っていない場合は問題としてよい。
 
 趣味を過ごすためには、「趣味の予算」も必要である。
 コツコツと積み立てた時間的・金銭的・資材的な予算を用いて、思うがままに趣味を満喫するためのものである。
 または、思うままに趣味が満喫出来ない不自由さまでを含めて、趣味の時間を満喫するためのものでもある。
 
 中には「秘め事」だってあるだろう。
 これは専用の空間で内緒のことをしている。何をするかって? それはここには書けないな。何故なら、人に教えられない事をするのが内緒のことだからだ。
 誰にだって秘密にしておきたいことの一つや二つ、あるものだ。
 隠すのは、反社会的な行いだからではなく、マニアックだったり恥ずかしかったりするので、人に知られるのが怖いからだとだけ書いておこう。
 案外くだらなかったりする。
 
 「空想」などは典型的な趣味の一つ。
 そのものずばり、あれやこれやを空想する。現実的な事柄、現実には起こり得ない事柄を問わない。
 現実的なものも、現実には社会的制約があって取っちゃいけない行動、現実的に取れるんだけれども勇気が無くて出来ない行動まで、実に様々。
 空想は場所も時間も問わない。
 /*/
 「休暇」は、つまり「何もしていない時間」で、「自由な時間」のことだ。
 /*/
 「何もしていない時間」にも色々ある。
 自分にとって意味があると思えない行動を取っている時、人の心は頭の中や感情を整理しているからである。
 ただ寝転がっているだけであれ、ぷちぷちを延々と潰しているのであれ、何も考えず空を眺めているのであれ、目的がなければ、それは本人にとって何もしていない時間なのだ。
 
 逆に「自由な時間」の条件はシンプルだ。
 何をしなければいけない、何をやればいいだろう、そういった義務感や焦燥感から解き放たれた、自由な時間である。
 それまで与えられていた方向性から解き放たれ、他人からも自分からも自由だということだ。
 改めて同じことをやるのもいいし、何もやらないのもいいし、突拍子のない新しさに踏み出してもいい。
 そんな素敵でポジティブな時間である。
 /*/
 「社交」は、やりたいからやる場合と、やらざるを得ないからやる場合の間で大きく揺れ動いている。
 /*/
 「一緒に遊ぼう」、「食事しよう」といった、何らかの行動を共有する事が、社交の主な要素となってくる。
 関係性を深めるため、あるいは深めたという手続きが済んだとみなすために行うと、義務感が強くなる。
 相手や自分を元気づけるため、何らかの区切りをつけるために行う場合は、自発性が強い。
 /*/
 ここでは「元気づけるため」「区切りをつけるため」にする社交の一例を挙げていく。
 「そうではない感」があったら、相手に対し、義務的に行っているということである。
 
 まず、一緒に何か遊ぼうと誘う。
 これは普段からやっている場所や内容でもいいし、それらにこれまでにない新鮮さを求めてもよい。
 気晴らしになる。
 
 また、元気がない時は大体ご飯も美味しく食べられていない。
 一人で食べさせるより、一緒にご飯を食べれば気分もまた変わってくる。
 外で飲んだり美味いものを食べてもいいし、誰かの家でそうしてもいい。
 
 元気づける時に限らず、区切りにはプレゼントやお小遣いを贈るのも良いだろう。
 誰かの記念日であったり、贈りたい気持ちになった時、あるいは贈答品の習慣のある文化に組み込まれている場合、相手や関係に応じて見繕って、作ったり、買ってくるのだ。
 お小遣いの場合は、理由をつけて奢るのでもいいし、自由になるお小遣いを、名目を見繕って渡し、使うための余暇まで新たに割り与えることが大事だ。
 
 ご馳走もいい。
 これは、家計と普段の手間暇から見て、大きくコストを割り増している食事のことだ。
 いい素材を買い集め、普段食べないものを食べるだけでなく、見栄えや器、盛り方を工夫すれば普段の料理でもそれなりのご馳走になるし、手の込んだ料理をするだけでもよい。
 外に赴く場合、雰囲気と味はより重要になってくる。
 
 また、ご馳走まではいかずとも、普段は用意しないもう一品があると、特別感は与えられるだろう。
 
 物だけでなく、言葉や行動によるねぎらいも大事だ。
 お疲れ様、ありがとうから始まって、普段どこを頑張ってくれているかを具体的に挙げ、その働きを褒めることで、自己肯定感を与えられるだろう。
 これは普段からやってもいい。
 
 行動のねぎらいとは、つまり手伝いである。
 本来その人が分担しているはずの仕事や役割を、その時だけは、手伝うか、または代行して全部やってしまうのも関係を深めるのによい。
 社会の大半は分業によって成り立つ。しかし、同じ行動を、しかも自分がやり続けなければいけないという状況は、ひどく疲れてしまう。
 
 念入りな掃除によって、普段の生活空間をピカピカに綺麗にして、装いも新たにしてあげると、相手の気分も変わるだろう。
 これにより、今日は普段とはちょっと違う雰囲気だなと思わせることが出来る。
 /*/
 これらの他に、移動といった基本的な日常行動や、睡眠や排泄といった機構的必然のある行動もまた、広く習慣として含めることだろう。
 
 たとえば移動には、まず、目的地が必要だ。
 どこへ行くにしても、目的地を定めている場合はルートを決める必要がある。ゴールが決まっている以上、通らなければならないポイントが出てくるのである。
 
 次に移動手段。
 徒歩、公共交通機関、または私用・公用の乗り物、騎乗用動物など、それぞれの文化の日常で用いるに相応しい移動手段を使って行う。
 
 寄り道もあるだろう。
 これは、本来の目的から外れ、普段とは異なるルートを辿ること。または、そのルートそのものである。
 気分転換になるし、新しい発見にもつながる。
 
 そして定住者なら最終的には行って帰る。
 生活の拠点である家から出発して、目的地に辿りつき、また家まで戻ってくる。中間地点を複数経るとしても、帰る場所が決まっている以上は、行って帰る。
 
 放浪者であれば、 新たな地に辿りつくだろう。
 定まった住居を持たない場合、移動したまま戻らず、別の地に行くことがある。
 それがかつて居たことのある場所か、それとも全くの新天地かは問わない。
 /*/
 知性体として内観を働かせることも、習慣と言える。
 
 精神の内面においては、感情と思考の把握。
 自分が何を感じているのか、感じたものの性質は何かを、衝動や言動、行いといった内外に現れている要素を観察して把握すること。
 また、頭の中で考えていることを、具体的な文字やイメージに落とし込み、掘り下げる中で、より明らかな形にしていくことである。
 
 外部との接点においては、身体と環境の把握。
 体の各部位に感じている痛みや快調さから、それぞれの状態がどのようになっているのか、見た目以外からも判断し、これを理解すること。
 自分が今何処にいて、それはどのような環境であり、どう対応するべきなのかを、都度感じ分け、また対処する中で理解を深めていくこと。
 
 こうした内観の働きなくして、知性は知性たりえないのだから。
 /*/
 他にも様々な習慣は存在する。それらはすべて、生きるために必要な行為なのである。
 世界に存在する習慣の多様さはつまり、それだけ多様な生き方が存在しているという証左であるだろう。
 
 部品: コミュニケーション
 基本は、「話を聞く」「意見を述べる」の二つで出来ている。
 前者は、相手が話したがっていると様子を察した時、または相手が話しかけて来た時、相槌や反応を挟みつつ、自分の中で理解を進めながら、相手の話を受け止めること。
 後者は、相手と現在共通のものとして扱っている話題に関して、適宜タイミングを見て自分の考えや感情を表現すること。
 /*/
 次は、そこにどのような「感情表現」が含まれるかを説明しよう。
 ポジティブなものなら「喜ぶ」「愛しい」、ネガティブなものなら「悲しい」「怒り」などがある。これらを一つずつ紹介する。
 /*/
 喜びは、主に「嬉しい」と「めでたい」で出来ている。
 「嬉しい」とは、自分や、我がことのように感じられる誰かにとって喜ばしい出来事があった際、その喜びを感情表現することだ。
 そして「めでたい」とは、自分や誰かにいいことがあった時、何らかの行動に出て、積極的に祝おうとすることで、喜びの感情に具体的な形を付けてあげる行為である。
 
 愛しさに至っては様々な表現方法がある。
 そのうちの一つ、「甘える」は、「わがまま」や「おねだり」で出来ている。
 
 「わがまま」とは、相手との親密度に応じて、自分に許される範囲だと思っているわがままを言ってみたり、わがままな態度を取ってみたりすることだ。
 「おねだり」とは、何らかの物品や行動を代償なく要求すること。それ自体が欲しいのではなく、普通は受け容れられないような無理を、自分のためだけに聞いてくれるのが嬉しくてやっている。
 
 また、すべての感情がそうであるように、愛しさにも段階が多く存在し、それらは「スキンシップ」によって進めたり、推し量る事が出来る。
 
 たとえば「握手」だ。これは、手と手を握り交わす挨拶習慣である。
 もっとも外界に触れる部位である掌を通じてお互いの肌を許し合うことで、互いに交渉の余地ありと認め合うか、または、そのことを再確認している。
 種族によってはもっとも外界に触れる部位が掌ではない場合もあり、その際には適切な部位を用いて行うだろう。
 
 次に、「ハグ」。
 立った状態、または座った状態で、相手と向き合って抱きしめあうこと。相手の体温と触感を感じて落ち着ける。
 相手との関係性や、相手の状態によっては拒絶される。
 
 「キス」だと段階を推し量るのが文化や関係によって大分異なるので、難しくなってくる。
 これは口を相手の体のどこかに触れさせる行為だが、触れさせることを許す場所や、その多さによって親密度が異なってくるからだ。
 
 「撫でる」ことは、同じ種族間だけでなく、たとえば人と動物のような関係でもよく見られる行動だ。
 相手の頭や髪、毛、肌などを撫でて行う。
 痛みを取り払うためにする撫でさすりとは、部位の時点で明確に違い、愛情表現のために用いられているのである。
 
 「セックス」、つまり性交渉は、多くの場合、性愛に基づいて行われる、深いスキンシップとなるだろう。
 他の多くのスキンシップを内包して行うが、その要諦は性的な快感を高めること、または性的な感覚の充足を得ることである。
 
 その次にやってくる段階としては、「繁殖」だろう。
 性的なコミュニケーションの結果、子孫を作る行いだ。相手との関係性次第では生物学的な不可能が存在して行えなかったりもする。
 
 これらの他に、頬ずりであったり、体を擦り付けたり、膝の上に載せる、ただ手を握るなど、単純に段階で分けられなかったりするのがスキンシップの奥深さである。
 相手をどれだけ深いプライベートな感覚で長く感じたいかで、親密度を測るというのが、一つの物差しになる。
 /*/
 生きる以上、ネガティブな感情表現も避けられない。
 代表的なものが「悲しみ」や「怒り」だ。
 
 生きていて、悲しければ泣いたり苦しんだりする。
 泣くとは涙を流すことである。
 涙を流さず、表情は別の感情の形を取っていても、悲しみの表現として強く感情表現をしている場合、心は泣いているのである。
 そして、苦しむ。
 これは、自分ではどうにも出来ない、あるいはどうにも出来ないと感じてしまったことに対して、それでもどうにかしたい、どうにかできないかと、感情が納得しない状態のまま、もがくことだろう。
 
 また、怒れば「八つ当たり」をしたり、「いつもより過度な態度」になったりもするだろう。
 八つ当たりとは、物や人に対して、それらが悪いわけでもないのに、攻撃的な態度や行動を取ってしまうことである。
 そうすることで、行き場のない感情に無理やり矛先を作って発散しているのだ。
 いつもより過度な態度とは、荒々しくなったり、冷淡になったり、丁寧になったり、人によって表現する方向は違うが、いずれも普段より過度な態度に傾くことで、怒りを心の内側から行動や態度へと溢れさせている。
 /*/
 さて、コミュニケーションには基本があり、そこに感情表現が含まれるところまでを説明してきた。
 では、具体的にどのような方法でコミュニケーションを取るかを、次に取り上げていく。
 /*/
 コミュニケーションには「双方向的なもの」と「一方向的なもの」の二種類がある。
 
 双方向的なら、関係性を築くため、または関係性に相応しい態度を取るために、様々な方法が存在する。
 「手探り」「砕けた感じで」「理性的に」「衝突」といった具合だ。
 
 一方向的なら、「情報の単純処理」「要求の発信」、そして「受け身」である。
 /*/
 双方向的なコミュニケーション方法から説明していこう。
 
 「手探り」というのは、大体が共通の話題探しの意味である。
 初対面、またはそれに等しい関係から段階を経て行うものだ。
 お互いに今共有している出来事、たとえば天気に関する意見だったり、今置かれている状況への意見だったりから入る。
 そこで意見の一致を見出しつつ、その感じ方や話題のつながりによって、どのような志向を持つ人物かをお互いに探り合いつつ、次第に会話の範囲を狭め、親密度を増していく。
 
 そこである程度の関係性が築ければ、「砕けた感じで」態度が変わっていく。
 
 手探りを経た後、関係性は「雑談」に移る。
 相手が関心を示した事柄に水を向けてみたり、自分の関心がどこに向いているかを口にしてみるところから始まる。
 特に結論を求めている訳ではなく、互いに対する関心と理解が深まればそれでいい。
 
 また、「ジョーク」は、会話の中で雰囲気を和ませるために行う話術の一つである。
 タブーを踏み越えると笑えないので、相手によってタブーを見分ける。
 身内ネタほど身内の受けは取りやすいため、共通の話題を見出して、そこからネタを見つけて距離感を詰める。
 
 これらを経てたどり着くのが「身内トーク」である。
 おはようから始まってお休みやさよならで終わる、挨拶を含む普段のコミュニケーションだ。
 どういった関係性の身内と認定されたかによって内容は異なるが、今日はどんなことをしたという報告や、くだらない話、何気ない話もすることで、時間と感情を共有する。
 共有の積み重ねによる関係性の強化が目的である。
 
 逆に、関係性の度合いとは関係なしに行われるのが、「理性的な」コミュニケーションとなる。
 
 「会議」は、共通の議題を持ったグループの間で、共有するべき話題について、集まって相談することである。
 たとえば家族の会議だと、普段の夕食なら適当でよくても、記念日なら意見を募らなければならなかったり、普段の土日なら思いつきで行動してもいいが、長い旅行先はみんなで行き先を決めると言った次第で、必要になってくる。
 また、ポジティブな話題だけではなく、家庭の経済状況といった深刻な問題や、子供の性教育といった真剣な問題についても相談する。
 どういったグループであれ、感情を踏まえた上で、理性的に結論を求めていくのが会議という方法だ。
 
 「議論」は、会議の中でも用いられる、議題を設定し、意見を交わしあう行為である。
 どういう論理に従っているかを、いかに明瞭に相手に伝えるかが大事である。
 自分の理解と相手の理解を確認しつつ進めていき、互いに結論を持つところで終える。
 終わる際、必ずしも同じ意見に落ち着かなくともよい。
 
 理性的に話をすすめるには、「整理」も必要になってくるだろう。
 自分や相手の話した内容や行動を客観的に整理することだ。
 言葉や文字、図表など、アウトプットした形で行う。
 その方法としては、時系列順に並べたり、準拠している論理に従って並びを入れ替えたり、不要な情報を省いたりする。
 
 ここまでは最初から主体的に参加している場合がほとんどだろうが、途中から参加する場合もある。
 
 「仲裁」が、その最たるものとなるだろう。
 口論や喧嘩の仲裁を行うのである。
 口論であれば話を聞いて整理する。喧嘩であれば、まずは割って入って冷静にさせる。
 和解できれば最上だが、行きずりで再現性がなさそうだと判断したら、再発を避けるために引き離すだけでもよい。
 ことのきっかけやいさかいの途中で犯罪ないしは規則違反が発生していたら、タイミングを見てしかるべきところに報告する必要も出てくるだろう。
 
 仲裁が必要なように、コミュニケーションの中には、「口喧嘩」や「文句を言う」といった、「衝突」を引き起こすものもある。
 
 「口喧嘩」であれば、自分の意見を通すため、あるいは害された自分の気分を表現するために、相手との衝突を避けず、口にすることだ。
 無闇に我を通せばいいという訳ではなく、関係に応じた引き際というものがある。
 喧嘩をするのが目的ではなく、意見に折り合いがついたり、相手が自分の気持ちを理解してくれたらよい。
 
 「文句を言う」のは、相手に対して感じた、または以前に感じていた、相手が悪いと思った箇所、直すべきだと思った箇所、自分や他人を害したと感じた箇所を、理屈や感情を交えながら表現することだ。
 
 口頭だけに収まらず、物理的な衝突にまで発展しなければ解消しない場合もある。
 そこまでやっても、物別れに終わる、関係が破綻することもあるのだから、コミュニケーションはまったく難しい。
 /*/
 次に「一方向的」なコミュニケーションの説明に移る。
 これは、「洞察」や「受容」「我慢」「愛される」といった一方的な受信と、「事務的伝達」や「頼る」「可愛がる」といった一方的な発信とに分かれる。
 例外が、コミュニケーション自体を拒否するサインの発信である「関係の断絶」だろう。
 /*/
 「洞察」は、「相手の状態」と「コミュニケーションの流れ」を察することで行われる。
 相手の感情や思考が今どのような状態であるかを、これまでに得た経験と知識に照らし合わせる形で、その態度や表情、発言内容から推察したり、相手の表現がまとまっていなくとも、何を伝えようとしているか、その素振りやこれまでに出てきた言葉の方向性から当たりを付けて、これを成立させる。
 
 「受容」は、「受諾」と「容認」の二つで成り立っているだろう。
 「受諾」とは頼まれごとを引き受けること。また、その際に示す明確なシグナルや言葉、文面での了承だ。
 受諾自体には感情的な要素は挟まれない。
 「容認」は、相手のありようや提案、お願いといった、自分に向けてくる感情や物事の流れを、それでよいとして認め、受け止めてやることである。
 
 需要に対して「我慢」は感情的な要素が大きい。
 「やむを得ない我慢」は、誰に非があるわけでもなく、ただ自分の運が悪かったり、平等にみんなの状況が悪いと納得して、感情の矛先がなく、受け止めざるを得ないものとして飲み込む。
 「無理やりする我慢」は、誰かには何らかの非があって、少なくとも自分にとってそれが誰かは明確なのだが、立場や状況がその追求を許さないため、一時的に飲み込む。
 いずれも感情を自分の中に留める行為である。
 
 「愛される」は、ネガティブな一方的受信の代表例となった我慢に対して、ポジティブな代表例だ。
 「満足げにする」ことで、周りや相手が捧げてくる愛情や、それを示す愛情表現に対して、当然であるかのように受け取り、深くその全てを受け止めてやる。
 「幸せに浸る」ことで、自分が愛されていることを噛み締め、満たされた気持ちになる。また、愛されている理由に納得し、これまでの自分の行いに対して正しさを感じる。
 いずれも自己肯定感そのものに直結しており、自我の構成には不可欠である。
 /*/
 ここまでが一方的受信の例で、ここからが一方的発信の話になってくる。
 
 「事務的伝達」とは、つまり「報告」と「連絡」だ。
 「報告」は、定められた情報をしかるべき宛先に伝えること。その方法や手順、タイミングは、報告の内容と、宛先が定める規則に従う。
 「連絡」は、自分の思うところや、伝えるべきと思った情報を、それにふさわしいと思った相手に対して送ること。また、その相手と応答を続けること。
 相手のリアクションまでは含まない。
 
 事務的伝達の後によく来るのは、「頼る」という方法である。
 「相談」は、こんなことで悩んでいる、どうすればいいか判断に迷うといった、具体性のあるものから、そもそも悩みを具体性あるところまで持っていくためにはどうしたらよいかと、助言を求めて行うこと。または、話しながら自分の中で成立をつけたり、背中を押してもらいたかったり、ただ悩んでいること自体を聞いて欲しかったりして行う。
 相談ではなく、もう「お願い」になることもある。
 それは、話を聞いてくれ、またはこんなことをしてくれと、相手にお願いする行為である。
 しばしば、お願いそのものと話題が同時進行で話しかけて進められる。
 
 要求を出す発信が頼るという方法なら、「可愛がる」とは、その真逆で、相手のリアクションを求めない。
 「愛でる」場合、これはいいなあ、いいものだなあと、ひたすらに自分の感情に埋没しながら、対象に相応しいと思った態度で、抱いた感情を表現する。
 「夢中になる」と、他のことが気にならなくなるほど対象に集中してしまい、それまで考えていたことや、やろうとしていたことを全て投げ出してしまう。
 いずれも、ひとしきり終わった後に相手の反応を改めて受け止め、次の行動に移るものである。可愛がるとは、相手に対する純粋な存在肯定なのだ。
 
 この、可愛がるという相手への存在肯定と真逆に位置する態度が、「断絶」である。
 「会話の打ち切り」は、その始まりだ。
 話を切り上げ、それ以上続けさせないような態度を取ることである。離席、言葉を遮る、次の話題に無理やり移るといった手段がある。
 これが進むと、「無視」、つまり相手の話を聞かず、また、その存在があたかもないかのように振る舞う行動になる。
 相手を傷つけるか、相手に非を認めさせようとする行為であり、相手が自分を認めない限り、自分も相手を認めないという態度のことなのだ。
 /*/
 ここまで挙げた以外にもコミュニケーションは様々に存在する。
 関係性の数だけ、個人の数だけコミュニケーションは細かく表現の内容が分かれていく。
 コミュニケーションとはつまり、そのすべてが誰かと共に生きるための手段なのだ。
 
 部品: 10年間の修行
 剣術を身につけるため、書を読み、剣を振り、時には師を求めて遠方まで訪ね、10年の歳月を掛けて護衛騎士としての腕を磨いた。
 
 部品: 護衛騎士を目指す
 迷宮を抜けて新しい世界にたどり着いた鋸星耀平は、今度こそ誰よりも護りたい人を護るため、護衛騎士としての修行を開始した。
 
 部品: 基礎体力作り
 騎士としての修行の第一歩、それは体力をつけることである。日々、野を駆け、山を駆け、岩を上り、海を泳いだ。まずあらゆる訓練のベースとなる基礎体力を養った。
 
 部品: 剣の形
 剣の形(かた)とは、過去の何世代にもわたる剣士達が作り上げた剣の基本的な動作である。これを身につけることによってとっさの事態に対して、頭では無く体が反応して行動することが出来るようになる。通常の稽古と並行して形の訓練も行った。
 
 部品: 鎧を着て動く訓練
 鎧を着て動くのは慣れないうちは難しい。護衛の対象を護るためには、鎧を着ていても俊敏に動けなくてはならい。鎧を着たまま、走る、泳ぐ、崖を登る、馬に乗るなど様々な動きを経験し、最も素早い動きを追求し続ける。
 
 部品: 体術の訓練
 武器を持っていない、あるいは使えない状況であっても護衛対象を護るため、徒手空拳の体術の訓練は一般の騎士よりも力を入れて行った。また様々な武術を研究し、時には教えを請いに格闘家たちの元を訪ねた。
 
 部品: 防御の訓練
 護衛騎士は時には我が身をていしてでも護衛対象を護らなければならない。襲撃をただ防ぐだけでなく、護衛対象に危害の加わらない受け方、捌き方を研究・訓練した。
 
 部品: 護衛の心得
 護衛騎士とは、護るべき人を護るための騎士である。そのためにはただ強ければ良いわけではない、危険を予測・察知し、それを護衛対象から遠ざける術を学び、護る相手の事を常に考える心構えを学んだ。
 
 部品: 危機管理
 護衛とは、ただ対象の側に付き従うことではない。対象の行動を事前に把握し、そのルート上における危険を事前に予測対処する能力を備えている。必要によってはルート変更や、対象の行動の制限なども行わなければならない。従って、対象にそれらを受け入れて貰える様に普段から信頼関係を気付く努力をしている。
 
 部品: 危険察知
 どんなに事前に準備をしていたとしても、危険をあらかじめ全て排除しておくことは不可能である。攻撃はもちろん、事故や災害などの兆候を敏感に察知する繊細な観察眼を会得している。
 
 部品: 状況把握
 対象を守るためには、その場その場で正しい判断を下す必要がある。そして正しい判断のためには状況を正確に把握する、情報収集能力が必要である。護衛騎士は常に情報を収集し、周囲で何が起こっているかを把握する。
 
 部品: かばう
 護衛騎士は緊急時には護衛対象と攻撃の間に割り込み、自らの身体を盾とする覚悟を持っている。また危険地帯で、常に攻撃が予想される方向と対象との間に入る。
 
 部品: 剣
 剣は護衛騎士の最も重要な武器である。剣は携行性に優れ、斧や槍を携行することはできない街中でも充分な戦闘力を発揮する。
 
 部品: 盾
 盾は防御の道具であると同時に武器にもなる。相手を殴りつけたり、勢いをつけて突進するなど様々な使い方ができる。
 
 
 部品: 鎧
 鎧は状況によって使い分ける。戦場など最初から危険が予測される場合は重装甲の鎧を、街中のお忍びなど目立ってはいけない場合は服の下に着ても目立たないチェインメイルなどを装備する。
 
 
 部品: 剣術
 護衛騎士の剣術は、剣と盾のコンビネーションを用い、護衛対象に襲撃者の攻撃を近づけず、必要とあれば叩き切る攻防一体の剣術である。
 
 部品: 格闘術
 護衛騎士の格闘術は、相手を無力化することを目的として組み立てられている。目つぶしや踵を砕くなど、急所への攻撃など、短時間で相手を行動不能し護衛対象の側に戻れる攻撃を積極的に取り入れている。
 
 部品: 制圧術
 襲撃者から護衛対象を守るため必要な場合には、相手を拘束し戦闘意思を奪う制圧・逮捕に特化した格闘術も習得している。
 
 
 


インポート用定義データ


 [
   {
     "title": "鋸星耀平",
     "part_type": "group",
     "children": [
       {
         "title": "満天星の民",
         "part_type": "group",
         "children": [
           {
             "title": "概要",
             "description": "満天星の民とは文字通り満天星国に住む民のことである。過去を忘れるのではなくそれを乗り越えて団結することを選んだ民のことである。",
             "part_type": "part"
           },
           {
             "title": "構成人種",
             "part_type": "group",
             "children": [
               {
                 "title": "北国人",
                 "description": "美しい銀髪と透き通るような白い肌が特徴とされる北方の大地を祖とする民族。初心系とも呼ばれる元ビギナーズ王国国民の多くが属する。",
                 "part_type": "part"
               },
               {
                 "title": "初心の民",
                 "description": "何事にも初心はあり、何者であっても初心を持つ者として支える。ビギナーズ王国の北国人の中でも、その国是を自らの生きる主目的とした者達。",
                 "part_type": "part"
               },
               {
                 "title": "東国人",
                 "description": "黒い髪を持ち四季を愛でる、東の大地を祖とする者達。都築藩国の都築系と呼ばれる者はほとんどがこの民族である。",
                 "part_type": "part"
               }
             ],
             "expanded": false
           },
           {
             "title": "歴史",
             "part_type": "group",
             "children": [
               {
                 "title": "建国・合併",
                 "description": "エアバイクの国であるビギナーズ王国とWDの国である都築藩国、お互いの主力産業の組み合わせは元から高い評価を得ていた。更なる高みを目指すため、合併し一つの国となった。",
                 "part_type": "part"
               },
               {
                 "title": "不和と悲劇",
                 "description": "始まりは些細なものだったと記録されているが、その実情を知る物は今やほとんどいない。ただ、何かのタイミングが悪かっただけなのかもしれない。都築系による虐殺と民族浄化が行われたことだけが事実として残っている。",
                 "part_type": "part"
               },
               {
                 "title": "再生と団結",
                 "description": "人口比率が大きく偏っている、と統計では出ているが、そんなものも関係なくなるほどに国の環境は荒れ果てた。お互いに数を減らした国民たちがその先を目指して生きていくためには、過去を乗り越えて互いを認めあうことが必要であった。",
                 "part_type": "part"
               }
             ],
             "expanded": false
           },
           {
             "title": "過去への贖罪",
             "part_type": "group",
             "children": [
               {
                 "title": "慰霊",
                 "description": "起こってしまったこと、いなくなってしまった人間、それらは永遠に戻る物ではない。それを忘れてはならない、忘れないために藩王・執政・摂政の連名で慰霊碑の建立、定期的な慰霊祭の開催が決定された。",
                 "part_type": "part"
               },
               {
                 "title": "訓示",
                 "description": "歴史を学び、顧みて、未来に活かすことが犠牲になった者達への手向けとなる。同じ過ちを犯さないために、皆が同じ国に住む生きている人間であることを忘れないよう、慰霊碑にはこのような文言が刻まれている。「せめて新しく生まれてくる子らに平和な国を、その心に憎しみでは無く他者への慈悲を」\n",
                 "part_type": "part"
               },
               {
                 "title": "融和への努力",
                 "description": "お互いに、というよりも、虐殺を行いその後もその立場を改めなかったものとその被害者という両者である。いきなり一緒に手を取り合えことは出来なくて当然である。だが、まずはお互いがただの人間であると、同じ国に生きる人間であると意識する。そこからすべては始まる。\n",
                 "part_type": "part"
               }
             ],
             "expanded": false
           },
           {
             "title": "代表的な政策",
             "part_type": "group",
             "children": [
               {
                 "title": "人種による雇用差別の撤廃",
                 "description": "雇用機会の不均等を無くすことを目的として、人種を不採用の理由とすることは条例で禁止とされた。また、人種によって採用試験や条件に差を付けることもまた禁止とされた。",
                 "part_type": "part"
               },
               {
                 "title": "人種によらない教育",
                 "description": "将来の職業を選ぶためにはまずは教育が必要である。差別によってその機会が奪われれば職すらも奪われるという事である。そのため、全国民に対して同じ質の教育を行うことを目的としたカリキュラムが作成されている。\n",
                 "part_type": "part"
               }
             ],
             "expanded": false
           },
           {
             "title": "未来への展望",
             "description": "まだまだ満天星の民はその歩みを始めたばかりである。それが止まることもあるだろう。だが一人で歩くのではなく、支え合って歩いていればまた歩き出せる。\n",
             "part_type": "part"
           }
         ],
         "expanded": false
       },
       {
         "title": "日常生活",
         "part_type": "group",
         "children": [
           {
             "title": "習慣",
             "description": "習慣には二種類ある。必要だから義務的に行うものと、自発的なものだ。\n前者は「家事」「仕事」「ルールを守る」といった、生存するため、社会生活を送るために必要な習慣である。\n後者は「趣味」「休暇」で、中間で揺れ動いているのが「社交」だ。\n/*/\nまず家事の説明から行こう。これは「家計」「料理」「ハウスキーピング」によって構成されている。\n/*/\n「家計」は、「普段のやりくり」が主となる。\n誰しもが、税の支払いや食料品、雑貨といった消耗品の購入、およびそれをするための金銭と時間を支払って、普段の生活を送っているからである。\n自給自足で賄ったり、物々交換する文化の場合は、目的のものを手に入れるまでの時間的コストを支払っているものとみなす。\nどういった形にせよ、収入相応の日常的支出は起こる。\n収入が少なければ優先度の低い出費を諦めるか、または切り詰めるために安いものを探すし、多ければ経済を回し、豊かな生活を送るために、金の使いみちを工夫する。\n一時的に足りなければ借り受けるし、その返済も行わなければならない。そうならないよう、普段から無理のない範囲で貯金したり、投資で増やしておくこともできる。\n緊急で必要とされるだろう分、あるいは特定のタイミングで必要になってくるだろう分の積み立てや、そのための仕組みを利用するのだ。\n/*/\n「料理」とは、自分、または家族の好みと、自分の知る限りでの栄養バランスに配慮し、コストパフォーマンスと安全の双方から見て買い集めた素材を用いて、時間を掛けすぎずに作れる、いつもの味の料理のことだ。\nたまには失敗するし、手に入る素材も常に一定ではなく、料理自体、腕前によって出来不出来は出て来るものだ。\nどのような形でも、生きている以上、何かを食べなければ生きられないし、どうせならおいしいものを食べたい。\n出来合いのものを買って済ませることもあるし、プロの作ったものを食べて帰ったり、あるいはプロを雇うこともある。\n/*/\n「ハウスキーピング」は、「ゴミ捨て」「清掃」「整理整頓」「補充」で出来ている。\n/*/\n「ゴミ捨て」は、溜まったゴミを廃棄するか、公共の処理施設に回収してもらうため、所定の位置に出すことだ。\n場所によっては捨てるゴミの種類に応じてコストが掛かる。また、捨てる際の作法にも夜間ゴミ出し禁止であったりネットをかけるといったローカルルールが存在する。\n分別には気をつけて行おう。\n\n「清掃」は、生活の中でついた汚れを払ったり拭ったり、溜まった埃を掃きまとめて捨てたり、曇っている箇所を磨いたりして、美観を整えることである。\n\n「整理整頓」は、所定の場所に物を戻す、あるいは置き場所が定まっていないものに対して置き場を用意してやり、不要になった物は廃棄、売却、または譲渡して家の中から追い出すこと。\n\n「補充」は、物品の消耗や破損、故障に対して、代替品を入手してくることである。\n\nこれらを始めとした、「住居の快適性」を維持するための要素の組み合わせて「ハウスキーピング」は成立している。\n/*/\n「仕事」は、「業務」および、それを支える「労働と報酬」の原理によって回っている。\n/*/\n「業務」は、就いている職業または身分に相応しい行動を送ることだ。\n時間帯および行動の内容はそれぞれの状況に応じて異なる。\n\n「労働と報酬」とは、契約に応じた報酬を、所定の労働と引き換えに得ることである。\n支払いの形態、たとえば何を支給の対象とするか、どういった計算で支払いを計上するかは、それぞれが所属する藩国および組織の法と規則に従った上で、双方の合意を結んで定める。\n判断能力を持たないものに関しては、利害関係のない第三者を立て、不当な搾取の起こらないよう、責任を持って公的機関がこれを監視する。\n/*/\n「ルールを守る」とは、「法」と「ローカルルール」の把握、および遵守によって行われる。\n/*/\n「法」とは、「所属陣営」「藩国」「自治体」という階層構造で発布・施行されている、強制力を伴った規則である。\n\n「所属陣営の法律」は、藩国を超えて所属陣営全体に広がっている。\n一国が敷くよりも守るべき必然性が非常に強いため、破った際の処罰が重く、強制力も高いことを普通は知っているため、これをよく注意して守ることになる。\n\n「藩国の法律」とは、所属している藩国の法律のことだ。\nここの国民で居続けるためには守って欲しいルールですよという内容であり、国民全員に共有されていることが前提となる。\n多くの民にとり、もっとも身近な法であり、藩国の強制力と順法意識とのバランス次第で程度の差は出るが、注意して守る。\n\n「自治体の条例」は、上記2点の法よりも優先度は低いかもしれない。\n判断が分かれるような細かい個別の事例に対して制定しているためで、危険だったり困る行為は、そもそも条例以前の段階で網羅されているからだ。\n自治体が引っ越してきた際に周知することが義務付けられている。\n独自の罰則が設けられているため、順法意識によって程度の差はあるがそれなりに守ろうとするだろう。\n\nこれらを守ろうとする中で、必然的に様々な手続きが発生し、日々の生活の中で細々とこなしていくことになる。\n/*/\n「ローカルルール」とは、集団内の「しきたり」や「家庭内ルール」のことである。\n/*/\n「しきたり」は、法的な根拠はないが、その集団に所属するためには守るべきであると所属者の大半が考えているルールだ。\n不合理であり、守る必要はないと感じる場合もあるが、発端となった経緯を聞くことで分かる事情もある。\n人によっては守らないし、それですぐさま大きな問題にはならなくとも、不和のもとになりうることは理解している。\n\n「家庭内ルール」には関係に応じた種類があり、ここでは代表的なものを例として取り上げる。\n\nまず、「親子の約束」だ。\n社会的なルールを守らせるための約束であり、同じ生活空間で暮らして血の繋がりもあるが、別々の個人として互いを尊重しあうための約束でもある。\n明文化されることは珍しく、しばしば口頭で結ばれるし、誤っている、非合理であるとの互いの主張によって見直しも入る。\n破った際に罰則を設けるかどうかは家庭次第だろう。\n\n次に、「夫婦の約束」である。\n他人同士が一つの家族を作り上げるにあたって結んだ約束だ。\n明文化されることは少なく、また、生活しているうちに暗黙の了解となって築き上げられる条項もある。\n互いに確認しあい、守るためにはどのように工夫したらよいかを話し合うことで維持される。\n/*/\n自発的な習慣の説明に移る。「趣味」と「休暇」だ。\n/*/\n「趣味」は、要するに「やる必要はないがやりたい行動」だ。\n\n「一人の時間」の中では、趣味に没頭し、自分の時間を持つことになるだろう。\n集中を邪魔されると気分を害するので、家族は配慮することが求められるが、家族内のルールに従っていない場合は問題としてよい。\n\n趣味を過ごすためには、「趣味の予算」も必要である。\nコツコツと積み立てた時間的・金銭的・資材的な予算を用いて、思うがままに趣味を満喫するためのものである。\nまたは、思うままに趣味が満喫出来ない不自由さまでを含めて、趣味の時間を満喫するためのものでもある。\n\n中には「秘め事」だってあるだろう。\nこれは専用の空間で内緒のことをしている。何をするかって? それはここには書けないな。何故なら、人に教えられない事をするのが内緒のことだからだ。\n誰にだって秘密にしておきたいことの一つや二つ、あるものだ。\n隠すのは、反社会的な行いだからではなく、マニアックだったり恥ずかしかったりするので、人に知られるのが怖いからだとだけ書いておこう。\n案外くだらなかったりする。\n\n「空想」などは典型的な趣味の一つ。\nそのものずばり、あれやこれやを空想する。現実的な事柄、現実には起こり得ない事柄を問わない。\n現実的なものも、現実には社会的制約があって取っちゃいけない行動、現実的に取れるんだけれども勇気が無くて出来ない行動まで、実に様々。\n空想は場所も時間も問わない。\n/*/\n「休暇」は、つまり「何もしていない時間」で、「自由な時間」のことだ。\n/*/\n「何もしていない時間」にも色々ある。\n自分にとって意味があると思えない行動を取っている時、人の心は頭の中や感情を整理しているからである。\nただ寝転がっているだけであれ、ぷちぷちを延々と潰しているのであれ、何も考えず空を眺めているのであれ、目的がなければ、それは本人にとって何もしていない時間なのだ。\n\n逆に「自由な時間」の条件はシンプルだ。\n何をしなければいけない、何をやればいいだろう、そういった義務感や焦燥感から解き放たれた、自由な時間である。\nそれまで与えられていた方向性から解き放たれ、他人からも自分からも自由だということだ。\n改めて同じことをやるのもいいし、何もやらないのもいいし、突拍子のない新しさに踏み出してもいい。\nそんな素敵でポジティブな時間である。\n/*/\n「社交」は、やりたいからやる場合と、やらざるを得ないからやる場合の間で大きく揺れ動いている。\n/*/\n「一緒に遊ぼう」、「食事しよう」といった、何らかの行動を共有する事が、社交の主な要素となってくる。\n関係性を深めるため、あるいは深めたという手続きが済んだとみなすために行うと、義務感が強くなる。\n相手や自分を元気づけるため、何らかの区切りをつけるために行う場合は、自発性が強い。\n/*/\nここでは「元気づけるため」「区切りをつけるため」にする社交の一例を挙げていく。\n「そうではない感」があったら、相手に対し、義務的に行っているということである。\n\nまず、一緒に何か遊ぼうと誘う。\nこれは普段からやっている場所や内容でもいいし、それらにこれまでにない新鮮さを求めてもよい。\n気晴らしになる。\n\nまた、元気がない時は大体ご飯も美味しく食べられていない。\n一人で食べさせるより、一緒にご飯を食べれば気分もまた変わってくる。\n外で飲んだり美味いものを食べてもいいし、誰かの家でそうしてもいい。\n\n元気づける時に限らず、区切りにはプレゼントやお小遣いを贈るのも良いだろう。\n誰かの記念日であったり、贈りたい気持ちになった時、あるいは贈答品の習慣のある文化に組み込まれている場合、相手や関係に応じて見繕って、作ったり、買ってくるのだ。\nお小遣いの場合は、理由をつけて奢るのでもいいし、自由になるお小遣いを、名目を見繕って渡し、使うための余暇まで新たに割り与えることが大事だ。\n\nご馳走もいい。\nこれは、家計と普段の手間暇から見て、大きくコストを割り増している食事のことだ。\nいい素材を買い集め、普段食べないものを食べるだけでなく、見栄えや器、盛り方を工夫すれば普段の料理でもそれなりのご馳走になるし、手の込んだ料理をするだけでもよい。\n外に赴く場合、雰囲気と味はより重要になってくる。\n\nまた、ご馳走まではいかずとも、普段は用意しないもう一品があると、特別感は与えられるだろう。\n\n物だけでなく、言葉や行動によるねぎらいも大事だ。\nお疲れ様、ありがとうから始まって、普段どこを頑張ってくれているかを具体的に挙げ、その働きを褒めることで、自己肯定感を与えられるだろう。\nこれは普段からやってもいい。\n\n行動のねぎらいとは、つまり手伝いである。\n本来その人が分担しているはずの仕事や役割を、その時だけは、手伝うか、または代行して全部やってしまうのも関係を深めるのによい。\n社会の大半は分業によって成り立つ。しかし、同じ行動を、しかも自分がやり続けなければいけないという状況は、ひどく疲れてしまう。\n\n念入りな掃除によって、普段の生活空間をピカピカに綺麗にして、装いも新たにしてあげると、相手の気分も変わるだろう。\nこれにより、今日は普段とはちょっと違う雰囲気だなと思わせることが出来る。\n/*/\nこれらの他に、移動といった基本的な日常行動や、睡眠や排泄といった機構的必然のある行動もまた、広く習慣として含めることだろう。\n\nたとえば移動には、まず、目的地が必要だ。\nどこへ行くにしても、目的地を定めている場合はルートを決める必要がある。ゴールが決まっている以上、通らなければならないポイントが出てくるのである。\n\n次に移動手段。\n徒歩、公共交通機関、または私用・公用の乗り物、騎乗用動物など、それぞれの文化の日常で用いるに相応しい移動手段を使って行う。\n\n寄り道もあるだろう。\nこれは、本来の目的から外れ、普段とは異なるルートを辿ること。または、そのルートそのものである。\n気分転換になるし、新しい発見にもつながる。\n\nそして定住者なら最終的には行って帰る。\n生活の拠点である家から出発して、目的地に辿りつき、また家まで戻ってくる。中間地点を複数経るとしても、帰る場所が決まっている以上は、行って帰る。\n\n放浪者であれば、 新たな地に辿りつくだろう。\n定まった住居を持たない場合、移動したまま戻らず、別の地に行くことがある。\nそれがかつて居たことのある場所か、それとも全くの新天地かは問わない。\n/*/\n知性体として内観を働かせることも、習慣と言える。\n\n精神の内面においては、感情と思考の把握。\n自分が何を感じているのか、感じたものの性質は何かを、衝動や言動、行いといった内外に現れている要素を観察して把握すること。\nまた、頭の中で考えていることを、具体的な文字やイメージに落とし込み、掘り下げる中で、より明らかな形にしていくことである。\n\n外部との接点においては、身体と環境の把握。\n体の各部位に感じている痛みや快調さから、それぞれの状態がどのようになっているのか、見た目以外からも判断し、これを理解すること。\n自分が今何処にいて、それはどのような環境であり、どう対応するべきなのかを、都度感じ分け、また対処する中で理解を深めていくこと。\n\nこうした内観の働きなくして、知性は知性たりえないのだから。\n/*/\n他にも様々な習慣は存在する。それらはすべて、生きるために必要な行為なのである。\n世界に存在する習慣の多様さはつまり、それだけ多様な生き方が存在しているという証左であるだろう。",
             "part_type": "part",
             "expanded": true
           },
           {
             "title": "コミュニケーション",
             "description": "基本は、「話を聞く」「意見を述べる」の二つで出来ている。\n前者は、相手が話したがっていると様子を察した時、または相手が話しかけて来た時、相槌や反応を挟みつつ、自分の中で理解を進めながら、相手の話を受け止めること。\n後者は、相手と現在共通のものとして扱っている話題に関して、適宜タイミングを見て自分の考えや感情を表現すること。\n/*/\n次は、そこにどのような「感情表現」が含まれるかを説明しよう。\nポジティブなものなら「喜ぶ」「愛しい」、ネガティブなものなら「悲しい」「怒り」などがある。これらを一つずつ紹介する。\n/*/\n喜びは、主に「嬉しい」と「めでたい」で出来ている。\n「嬉しい」とは、自分や、我がことのように感じられる誰かにとって喜ばしい出来事があった際、その喜びを感情表現することだ。\nそして「めでたい」とは、自分や誰かにいいことがあった時、何らかの行動に出て、積極的に祝おうとすることで、喜びの感情に具体的な形を付けてあげる行為である。\n\n愛しさに至っては様々な表現方法がある。\nそのうちの一つ、「甘える」は、「わがまま」や「おねだり」で出来ている。\n\n「わがまま」とは、相手との親密度に応じて、自分に許される範囲だと思っているわがままを言ってみたり、わがままな態度を取ってみたりすることだ。\n「おねだり」とは、何らかの物品や行動を代償なく要求すること。それ自体が欲しいのではなく、普通は受け容れられないような無理を、自分のためだけに聞いてくれるのが嬉しくてやっている。\n\nまた、すべての感情がそうであるように、愛しさにも段階が多く存在し、それらは「スキンシップ」によって進めたり、推し量る事が出来る。\n\nたとえば「握手」だ。これは、手と手を握り交わす挨拶習慣である。\nもっとも外界に触れる部位である掌を通じてお互いの肌を許し合うことで、互いに交渉の余地ありと認め合うか、または、そのことを再確認している。\n種族によってはもっとも外界に触れる部位が掌ではない場合もあり、その際には適切な部位を用いて行うだろう。\n\n次に、「ハグ」。\n立った状態、または座った状態で、相手と向き合って抱きしめあうこと。相手の体温と触感を感じて落ち着ける。\n相手との関係性や、相手の状態によっては拒絶される。\n\n「キス」だと段階を推し量るのが文化や関係によって大分異なるので、難しくなってくる。\nこれは口を相手の体のどこかに触れさせる行為だが、触れさせることを許す場所や、その多さによって親密度が異なってくるからだ。\n\n「撫でる」ことは、同じ種族間だけでなく、たとえば人と動物のような関係でもよく見られる行動だ。\n相手の頭や髪、毛、肌などを撫でて行う。\n痛みを取り払うためにする撫でさすりとは、部位の時点で明確に違い、愛情表現のために用いられているのである。\n\n「セックス」、つまり性交渉は、多くの場合、性愛に基づいて行われる、深いスキンシップとなるだろう。\n他の多くのスキンシップを内包して行うが、その要諦は性的な快感を高めること、または性的な感覚の充足を得ることである。\n\nその次にやってくる段階としては、「繁殖」だろう。\n性的なコミュニケーションの結果、子孫を作る行いだ。相手との関係性次第では生物学的な不可能が存在して行えなかったりもする。\n\nこれらの他に、頬ずりであったり、体を擦り付けたり、膝の上に載せる、ただ手を握るなど、単純に段階で分けられなかったりするのがスキンシップの奥深さである。\n相手をどれだけ深いプライベートな感覚で長く感じたいかで、親密度を測るというのが、一つの物差しになる。\n/*/\n生きる以上、ネガティブな感情表現も避けられない。\n代表的なものが「悲しみ」や「怒り」だ。\n\n生きていて、悲しければ泣いたり苦しんだりする。\n泣くとは涙を流すことである。\n涙を流さず、表情は別の感情の形を取っていても、悲しみの表現として強く感情表現をしている場合、心は泣いているのである。\nそして、苦しむ。\nこれは、自分ではどうにも出来ない、あるいはどうにも出来ないと感じてしまったことに対して、それでもどうにかしたい、どうにかできないかと、感情が納得しない状態のまま、もがくことだろう。\n\nまた、怒れば「八つ当たり」をしたり、「いつもより過度な態度」になったりもするだろう。\n八つ当たりとは、物や人に対して、それらが悪いわけでもないのに、攻撃的な態度や行動を取ってしまうことである。\nそうすることで、行き場のない感情に無理やり矛先を作って発散しているのだ。\nいつもより過度な態度とは、荒々しくなったり、冷淡になったり、丁寧になったり、人によって表現する方向は違うが、いずれも普段より過度な態度に傾くことで、怒りを心の内側から行動や態度へと溢れさせている。\n/*/\nさて、コミュニケーションには基本があり、そこに感情表現が含まれるところまでを説明してきた。\nでは、具体的にどのような方法でコミュニケーションを取るかを、次に取り上げていく。\n/*/\nコミュニケーションには「双方向的なもの」と「一方向的なもの」の二種類がある。\n\n双方向的なら、関係性を築くため、または関係性に相応しい態度を取るために、様々な方法が存在する。\n「手探り」「砕けた感じで」「理性的に」「衝突」といった具合だ。\n\n一方向的なら、「情報の単純処理」「要求の発信」、そして「受け身」である。\n/*/\n双方向的なコミュニケーション方法から説明していこう。\n\n「手探り」というのは、大体が共通の話題探しの意味である。\n初対面、またはそれに等しい関係から段階を経て行うものだ。\nお互いに今共有している出来事、たとえば天気に関する意見だったり、今置かれている状況への意見だったりから入る。\nそこで意見の一致を見出しつつ、その感じ方や話題のつながりによって、どのような志向を持つ人物かをお互いに探り合いつつ、次第に会話の範囲を狭め、親密度を増していく。\n\nそこである程度の関係性が築ければ、「砕けた感じで」態度が変わっていく。\n\n手探りを経た後、関係性は「雑談」に移る。\n相手が関心を示した事柄に水を向けてみたり、自分の関心がどこに向いているかを口にしてみるところから始まる。\n特に結論を求めている訳ではなく、互いに対する関心と理解が深まればそれでいい。\n\nまた、「ジョーク」は、会話の中で雰囲気を和ませるために行う話術の一つである。\nタブーを踏み越えると笑えないので、相手によってタブーを見分ける。\n身内ネタほど身内の受けは取りやすいため、共通の話題を見出して、そこからネタを見つけて距離感を詰める。\n\nこれらを経てたどり着くのが「身内トーク」である。\nおはようから始まってお休みやさよならで終わる、挨拶を含む普段のコミュニケーションだ。\nどういった関係性の身内と認定されたかによって内容は異なるが、今日はどんなことをしたという報告や、くだらない話、何気ない話もすることで、時間と感情を共有する。\n共有の積み重ねによる関係性の強化が目的である。\n\n逆に、関係性の度合いとは関係なしに行われるのが、「理性的な」コミュニケーションとなる。\n\n「会議」は、共通の議題を持ったグループの間で、共有するべき話題について、集まって相談することである。\nたとえば家族の会議だと、普段の夕食なら適当でよくても、記念日なら意見を募らなければならなかったり、普段の土日なら思いつきで行動してもいいが、長い旅行先はみんなで行き先を決めると言った次第で、必要になってくる。\nまた、ポジティブな話題だけではなく、家庭の経済状況といった深刻な問題や、子供の性教育といった真剣な問題についても相談する。\nどういったグループであれ、感情を踏まえた上で、理性的に結論を求めていくのが会議という方法だ。\n\n「議論」は、会議の中でも用いられる、議題を設定し、意見を交わしあう行為である。\nどういう論理に従っているかを、いかに明瞭に相手に伝えるかが大事である。\n自分の理解と相手の理解を確認しつつ進めていき、互いに結論を持つところで終える。\n終わる際、必ずしも同じ意見に落ち着かなくともよい。\n\n理性的に話をすすめるには、「整理」も必要になってくるだろう。\n自分や相手の話した内容や行動を客観的に整理することだ。\n言葉や文字、図表など、アウトプットした形で行う。\nその方法としては、時系列順に並べたり、準拠している論理に従って並びを入れ替えたり、不要な情報を省いたりする。\n\nここまでは最初から主体的に参加している場合がほとんどだろうが、途中から参加する場合もある。\n\n「仲裁」が、その最たるものとなるだろう。\n口論や喧嘩の仲裁を行うのである。\n口論であれば話を聞いて整理する。喧嘩であれば、まずは割って入って冷静にさせる。\n和解できれば最上だが、行きずりで再現性がなさそうだと判断したら、再発を避けるために引き離すだけでもよい。\nことのきっかけやいさかいの途中で犯罪ないしは規則違反が発生していたら、タイミングを見てしかるべきところに報告する必要も出てくるだろう。\n\n仲裁が必要なように、コミュニケーションの中には、「口喧嘩」や「文句を言う」といった、「衝突」を引き起こすものもある。\n\n「口喧嘩」であれば、自分の意見を通すため、あるいは害された自分の気分を表現するために、相手との衝突を避けず、口にすることだ。\n無闇に我を通せばいいという訳ではなく、関係に応じた引き際というものがある。\n喧嘩をするのが目的ではなく、意見に折り合いがついたり、相手が自分の気持ちを理解してくれたらよい。\n\n「文句を言う」のは、相手に対して感じた、または以前に感じていた、相手が悪いと思った箇所、直すべきだと思った箇所、自分や他人を害したと感じた箇所を、理屈や感情を交えながら表現することだ。\n\n口頭だけに収まらず、物理的な衝突にまで発展しなければ解消しない場合もある。\nそこまでやっても、物別れに終わる、関係が破綻することもあるのだから、コミュニケーションはまったく難しい。\n/*/\n次に「一方向的」なコミュニケーションの説明に移る。\nこれは、「洞察」や「受容」「我慢」「愛される」といった一方的な受信と、「事務的伝達」や「頼る」「可愛がる」といった一方的な発信とに分かれる。\n例外が、コミュニケーション自体を拒否するサインの発信である「関係の断絶」だろう。\n/*/\n「洞察」は、「相手の状態」と「コミュニケーションの流れ」を察することで行われる。\n相手の感情や思考が今どのような状態であるかを、これまでに得た経験と知識に照らし合わせる形で、その態度や表情、発言内容から推察したり、相手の表現がまとまっていなくとも、何を伝えようとしているか、その素振りやこれまでに出てきた言葉の方向性から当たりを付けて、これを成立させる。\n\n「受容」は、「受諾」と「容認」の二つで成り立っているだろう。\n「受諾」とは頼まれごとを引き受けること。また、その際に示す明確なシグナルや言葉、文面での了承だ。\n受諾自体には感情的な要素は挟まれない。\n「容認」は、相手のありようや提案、お願いといった、自分に向けてくる感情や物事の流れを、それでよいとして認め、受け止めてやることである。\n\n需要に対して「我慢」は感情的な要素が大きい。\n「やむを得ない我慢」は、誰に非があるわけでもなく、ただ自分の運が悪かったり、平等にみんなの状況が悪いと納得して、感情の矛先がなく、受け止めざるを得ないものとして飲み込む。\n「無理やりする我慢」は、誰かには何らかの非があって、少なくとも自分にとってそれが誰かは明確なのだが、立場や状況がその追求を許さないため、一時的に飲み込む。\nいずれも感情を自分の中に留める行為である。\n\n「愛される」は、ネガティブな一方的受信の代表例となった我慢に対して、ポジティブな代表例だ。\n「満足げにする」ことで、周りや相手が捧げてくる愛情や、それを示す愛情表現に対して、当然であるかのように受け取り、深くその全てを受け止めてやる。\n「幸せに浸る」ことで、自分が愛されていることを噛み締め、満たされた気持ちになる。また、愛されている理由に納得し、これまでの自分の行いに対して正しさを感じる。\nいずれも自己肯定感そのものに直結しており、自我の構成には不可欠である。\n/*/\nここまでが一方的受信の例で、ここからが一方的発信の話になってくる。\n\n「事務的伝達」とは、つまり「報告」と「連絡」だ。\n「報告」は、定められた情報をしかるべき宛先に伝えること。その方法や手順、タイミングは、報告の内容と、宛先が定める規則に従う。\n「連絡」は、自分の思うところや、伝えるべきと思った情報を、それにふさわしいと思った相手に対して送ること。また、その相手と応答を続けること。\n相手のリアクションまでは含まない。\n\n事務的伝達の後によく来るのは、「頼る」という方法である。\n「相談」は、こんなことで悩んでいる、どうすればいいか判断に迷うといった、具体性のあるものから、そもそも悩みを具体性あるところまで持っていくためにはどうしたらよいかと、助言を求めて行うこと。または、話しながら自分の中で成立をつけたり、背中を押してもらいたかったり、ただ悩んでいること自体を聞いて欲しかったりして行う。\n相談ではなく、もう「お願い」になることもある。\nそれは、話を聞いてくれ、またはこんなことをしてくれと、相手にお願いする行為である。\nしばしば、お願いそのものと話題が同時進行で話しかけて進められる。\n\n要求を出す発信が頼るという方法なら、「可愛がる」とは、その真逆で、相手のリアクションを求めない。\n「愛でる」場合、これはいいなあ、いいものだなあと、ひたすらに自分の感情に埋没しながら、対象に相応しいと思った態度で、抱いた感情を表現する。\n「夢中になる」と、他のことが気にならなくなるほど対象に集中してしまい、それまで考えていたことや、やろうとしていたことを全て投げ出してしまう。\nいずれも、ひとしきり終わった後に相手の反応を改めて受け止め、次の行動に移るものである。可愛がるとは、相手に対する純粋な存在肯定なのだ。\n\nこの、可愛がるという相手への存在肯定と真逆に位置する態度が、「断絶」である。\n「会話の打ち切り」は、その始まりだ。\n話を切り上げ、それ以上続けさせないような態度を取ることである。離席、言葉を遮る、次の話題に無理やり移るといった手段がある。\nこれが進むと、「無視」、つまり相手の話を聞かず、また、その存在があたかもないかのように振る舞う行動になる。\n相手を傷つけるか、相手に非を認めさせようとする行為であり、相手が自分を認めない限り、自分も相手を認めないという態度のことなのだ。\n/*/\nここまで挙げた以外にもコミュニケーションは様々に存在する。\n関係性の数だけ、個人の数だけコミュニケーションは細かく表現の内容が分かれていく。\nコミュニケーションとはつまり、そのすべてが誰かと共に生きるための手段なのだ。",
             "part_type": "part",
             "expanded": true
           }
         ],
         "expanded": false
       },
       {
         "title": "護衛騎士(鋸星版)",
         "part_type": "group",
         "children": [
           {
             "title": "10年間の修行",
             "description": "剣術を身につけるため、書を読み、剣を振り、時には師を求めて遠方まで訪ね、10年の歳月を掛けて護衛騎士としての腕を磨いた。",
             "part_type": "part"
           },
           {
             "title": "護衛騎士を目指す",
             "description": "迷宮を抜けて新しい世界にたどり着いた鋸星耀平は、今度こそ誰よりも護りたい人を護るため、護衛騎士としての修行を開始した。",
             "part_type": "part"
           },
           {
             "title": "基礎体力作り",
             "description": "騎士としての修行の第一歩、それは体力をつけることである。日々、野を駆け、山を駆け、岩を上り、海を泳いだ。まずあらゆる訓練のベースとなる基礎体力を養った。",
             "part_type": "part"
           },
           {
             "title": "剣の形",
             "description": "剣の形(かた)とは、過去の何世代にもわたる剣士達が作り上げた剣の基本的な動作である。これを身につけることによってとっさの事態に対して、頭では無く体が反応して行動することが出来るようになる。通常の稽古と並行して形の訓練も行った。",
             "part_type": "part"
           },
           {
             "title": "鎧を着て動く訓練",
             "description": "鎧を着て動くのは慣れないうちは難しい。護衛の対象を護るためには、鎧を着ていても俊敏に動けなくてはならい。鎧を着たまま、走る、泳ぐ、崖を登る、馬に乗るなど様々な動きを経験し、最も素早い動きを追求し続ける。",
             "part_type": "part"
           },
           {
             "title": "体術の訓練",
             "description": "武器を持っていない、あるいは使えない状況であっても護衛対象を護るため、徒手空拳の体術の訓練は一般の騎士よりも力を入れて行った。また様々な武術を研究し、時には教えを請いに格闘家たちの元を訪ねた。",
             "part_type": "part"
           },
           {
             "title": "防御の訓練",
             "description": "護衛騎士は時には我が身をていしてでも護衛対象を護らなければならない。襲撃をただ防ぐだけでなく、護衛対象に危害の加わらない受け方、捌き方を研究・訓練した。",
             "part_type": "part"
           },
           {
             "title": "護衛の心得",
             "description": "護衛騎士とは、護るべき人を護るための騎士である。そのためにはただ強ければ良いわけではない、危険を予測・察知し、それを護衛対象から遠ざける術を学び、護る相手の事を常に考える心構えを学んだ。",
             "part_type": "part"
           }
         ],
         "expanded": false
       },
       {
         "title": "護衛能力",
         "part_type": "group",
         "children": [
           {
             "title": "危機管理",
             "description": "護衛とは、ただ対象の側に付き従うことではない。対象の行動を事前に把握し、そのルート上における危険を事前に予測対処する能力を備えている。必要によってはルート変更や、対象の行動の制限なども行わなければならない。従って、対象にそれらを受け入れて貰える様に普段から信頼関係を気付く努力をしている。",
             "part_type": "part"
           },
           {
             "title": "危険察知",
             "description": "どんなに事前に準備をしていたとしても、危険をあらかじめ全て排除しておくことは不可能である。攻撃はもちろん、事故や災害などの兆候を敏感に察知する繊細な観察眼を会得している。",
             "part_type": "part"
           },
           {
             "title": "状況把握",
             "description": "対象を守るためには、その場その場で正しい判断を下す必要がある。そして正しい判断のためには状況を正確に把握する、情報収集能力が必要である。護衛騎士は常に情報を収集し、周囲で何が起こっているかを把握する。",
             "part_type": "part"
           },
           {
             "title": "かばう",
             "description": "護衛騎士は緊急時には護衛対象と攻撃の間に割り込み、自らの身体を盾とする覚悟を持っている。また危険地帯で、常に攻撃が予想される方向と対象との間に入る。",
             "part_type": "part"
           }
         ],
         "expanded": false
       },
       {
         "title": "装備",
         "part_type": "group",
         "children": [
           {
             "title": "剣",
             "description": "剣は護衛騎士の最も重要な武器である。剣は携行性に優れ、斧や槍を携行することはできない街中でも充分な戦闘力を発揮する。",
             "part_type": "part"
           },
           {
             "title": "盾",
             "description": "盾は防御の道具であると同時に武器にもなる。相手を殴りつけたり、勢いをつけて突進するなど様々な使い方ができる。\n",
             "part_type": "part"
           },
           {
             "title": "鎧",
             "description": "鎧は状況によって使い分ける。戦場など最初から危険が予測される場合は重装甲の鎧を、街中のお忍びなど目立ってはいけない場合は服の下に着ても目立たないチェインメイルなどを装備する。\n",
             "part_type": "part"
           }
         ],
         "expanded": false
       },
       {
         "title": "戦闘能力",
         "part_type": "group",
         "children": [
           {
             "title": "剣術",
             "description": "護衛騎士の剣術は、剣と盾のコンビネーションを用い、護衛対象に襲撃者の攻撃を近づけず、必要とあれば叩き切る攻防一体の剣術である。",
             "part_type": "part"
           },
           {
             "title": "格闘術",
             "description": "護衛騎士の格闘術は、相手を無力化することを目的として組み立てられている。目つぶしや踵を砕くなど、急所への攻撃など、短時間で相手を行動不能し護衛対象の側に戻れる攻撃を積極的に取り入れている。",
             "part_type": "part"
           },
           {
             "title": "制圧術",
             "description": "襲撃者から護衛対象を守るため必要な場合には、相手を拘束し戦闘意思を奪う制圧・逮捕に特化した格闘術も習得している。\n",
             "part_type": "part"
           }
         ],
         "expanded": false
       }
     ],
     "expanded": true
   }
 ]

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

目安箱バナー