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 ミルサイド・ハイダルガリエヴィチ・スルタン-ガリエフ(ミールサイト・スルタンガリエフ)
初期のソヴィエト政権とムスリムの関係において重要な役割を果たした人物。ヴォルガ・タタール出身の共産主義者。
スターリンの庇護のもと東方への革命拡大を模索し、中央ムスリム軍事参与会議長として赤軍内のムスリム系部隊の
建設に尽力した。その規模は大きく、1919年初頭の東部方面軍には5万人のムスリム赤軍兵がいたという。
また彼は単に兵士としてムスリムを動員するだけでなく、その指揮官と政治委員の養成にも努めた。
しかし彼は1923年5月国外の共産主義者と連絡をとった廉で逮捕され、「民族主義的偏向」を避難される。
一度釈放されるが1928年再逮捕。1940年に処刑された。なお彼については山内昌之教授の一連の著書・論文が詳しい。