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 アレクサンドル・ニコラエヴィチ・ポスクリョーブィシェフ
スターリンの秘書の一人。フルシチョフ曰く「スターリンの最も忠実な腰巾着」。
1891年にヴャトカの靴屋の息子として生まれる。党活動家、陸軍少将。准医師。
1917年5月入党。22年から中央委員会の機関で働く。23-24年党中央委事務局主任。
24-29年の間I.V.スターリンの補佐官。29-34年は党中央委秘書課の、34-52年は同特別部の主任代理。
35年8月から党中央委書記長官房長。31年からスターリンの個人秘書兼代理人。文書の準備など
スターリンの個人的な課題を遂行した。あらゆる種類の全ての情報が彼を経由してスターリンに持ち込まれた。
それぞれの文書の用紙にポスクリョーヴィシェフは具体的な決定案を書きくわえ、多くの場合スターリンは彼の進言に従った。
34年から党中央委員候補、39-56年の間党中央委員。46年からソ連邦最高会議代議員。
卓越した労働能力(彼の一日の勤務時間は16時間を下回ったことがなかった)と処理能力を示した。
戦後、L.D.トロツキーの遠い親類であった彼の妻ブロニスラヴァ・ソロモノヴナは逮捕され、
彼の歎願にも関わらず、彼女は3年間の投獄の後、スパイ活動で有罪判決を受け銃殺された。
52年から党中央委幹部会と同ビュローの書記。52年11月、ベリヤによりクレムリンから追い出される。
53年から年金生活。65年1月3日モスクワで死去、ノヴォデヴィチ墓地に埋葬。