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 ニコライ・グリゴリエヴィチ・イグナートフ
1901年5月3日ドン州ホペル管区ティシャンスカヤ村に大工の息子として生まれる。政治家・党活動家。社会主義労働英雄(61年)。
17年12月赤衛隊、1918年から赤軍に参加。21-32年の間VChK-OGPUの機関で勤務、24年入党。
37年からソ連邦最高会議代議員。38年から党クイヴィシェフ州委第一書記。39年から党中央委員候補。
40年に解職、41年2月に第18回党協議会で中央委員候補からも解任される。
43年にはオリョール州委第一書記として州域内のパルチザン運動を指導した。49年から党クラスノダール地区委第一書記、
52年10月16日から党中央委書記兼党中央委幹部会員候補。52-66年の間党中央委員。52年12月12日
党中央委員の地位を維持していたイグナトフはソ連邦調達相の地位に就く。スターリンの死後彼は一度にすべての地位を失うが、
それでも党レニングラード州委第二書記の地位を得た。55-57年には党ゴリコフ州委第一書記。57年6月から61年10月まで
党中央委幹部会員。57年12月-60年5月党中央委書記。同時に59年の4月-11月にかけてロシア共和国最高会議幹部会議長。
60-62年ソ連副首相、61-62年国家供給委員会議長。63年12月からソ連邦最高会議議長代理。
66年11月14日モスクワで死去。遺骨はクレムリンの壁に収められた。