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 セミョーン・デニーソヴィチ・イグナーチェフ
イグナチェフ。ベリヤのライバルの一人。1904年9月1日ヘルソン県エリサヴェトグラード郡カルロフカ村に農民の息子として生まれる。
工業アカデミー卒(35年)。20年からチェカーに勤務。25年から労組の指導の職務を行う。26年入党。37-62年ソ連邦最高会議代議員。
その後二つの州党委の第一書記を歴任。46年イグナチェフは党中央委党組織監査局局長代理となり、党・国家幹部への弾圧を指揮。
G.M.マレンコフの後援を受ける。50-52年党中央委の党・労組・コムソモール組織部主任。51年8月9日には国家保安相。
52年から党中央委員、52年10月から党中央委幹部会員。「医師団陰謀事件」の組織を手がけるが、心臓発作により事件を
代理のゴグリゼに委任。52年5月29日から国家保安省護衛局を指導。スターリンが死ぬと国家保安省は内務省に吸収されて
ベリヤの指揮下に入り、イグナチェフは党中央委幹部会から外れ、「医師団事件」捏造の罪を着せられて53年4月28日には
党中央委から追い出された。ただしマレンコフの援助により逮捕は免れた。ベリヤの逮捕後の53年7月7日党中央委に復帰。
57-60年の間党タタール州委第一書記。60年、55歳で年金生活に入る。83年11月27日死去。