木桶→壷→??    残暑も過ぎ、大分過ごしやすくなってきた秋口の事。    無縁塚へ商品の調達……、もとい、無縁仏の弔いに行った帰り道の事だ。    ……今日は、掘り出し物は無かったな。    と微妙に気落ちして帰路に着く霖之助。    既に時間は夕暮れ。──逢魔が刻と呼ばれる妖が活動を開始し始める時間帯だ。危険を避ける為にも、なるべく急いだ方が良いだろう。    そんな彼が魔法の森の端に差し掛かった辺りで、それは現れた。    背の高い広葉樹の枝からロープを伝い真下に落下してきたのは大きめの木桶だ。    本来ならば、霖之助の眼前に現れる筈だったそれは、何の因果か? 丁度躓いた霖之助の後頭部に激突。    鈍い音を発てて粉砕され、中に入っていた小柄な人影が外に放り出された。    勿論、小柄とはいえ人の中に入った木桶が頭に激突して無事なわけもなく、霖之助も派手に頭から地面に突っ込んでいる。   「い、痛たた!?」    ゴロゴロと地面を転がり、自分の落ちて来た大木にぶつかり、ようやく停止したのは小さな女の子だ。    大きさとしては、霖之助の腰くらいまでしかない。    白装束に緑色の髪をツインテールにした少女。    少女は目尻に涙を浮かべながら、木にぶつけた頭をさすり、   「な、何で……」    そこで倒れている霖之助の姿を確認し、木桶が粉砕された理由が、獲物の頭にぶつかったからである事を理解する。   「あぁ……、折角食べ物が獲れたのに、私の桶が……」    また何処かで調達してこないと、と気落ちしながらも、取り敢えずは食料の確保を優先すべく霖之助の身体を運ぼうとして、伸ばした腕を逆に掴まれた。   「ヒッ!? ま、まだ死んでないです!?」   「……勝手に殺さないでくれ」    上半身を起こし、ふらつく頭に手を添えて大きく溜息を吐き出す。    ……今日は、厄日か。   「人間だったら、即死だったろうけどね」    ぶつかった衝撃で外れた眼鏡を地面から拾い、レンズに罅が入っているのを確認して眉を顰める。   「……ところで君は?」    眼鏡が無い為か? 目を細め、知らない人が見れば相当に目つきの悪い顔で、少女に問い掛ける。    気弱な所のある少女は、霖之助の目つきにすっかり萎縮してしまい、なるべく視線を合わさないように、   「き、キスメって言うです。……えっと、釣瓶落としです。ギイギイ」    名前を聞いた霖之助は小さく頷き、   「キスメ、君が落ちてきたお陰で、僕の眼鏡に罅が入ってしまった。    残念ながら、これでは使い物にならない」    罅の入った眼鏡を懐にしまい、キスメを睨み付ける。    霖之助としては、普通に見下ろしただけなのだが、眼鏡が無い為に、どうもそう見えてしまう。    その為、益々、萎縮するキスメ。   「……さて、どうしたものか」    本来ならば、弁償させる所なのだが、目の前の少女はどう見ても眼鏡の代金を支払える程お金を持っているようには見えない。    そこで霖之助は地面に木桶の欠片が多数散らばっているのに気付き、   「──釣瓶落としと言ったね。ひょっとして、この周りに散乱した木桶の欠片は君の物かい?」   「ギイギイ」    どうやら、肯定の返事らしい。    霖之助は僅かに思案し、   「そうだね。……なら、こういうのはどうだい?」    そう言って霖之助が提案したのは、眼鏡の代金分、キスメが香霖堂で働いてくれれば、新しい木桶を提供しようというものだった。   「働くって、何をすればいいですか?」    不安げに問い掛けるキスメ。対する霖之助は、小さく頷くと、   「ふむ……。掃除は出来るかい?」   「やったことないです」    そもそもキスメには家という概念が無い。   「畑仕事はどうだい?」   「???」    ある程度、格の高い妖怪達は紫から外の人間を食料として提供してもらっているが、ルーミアやミスティア達のような低級の妖怪は未だ狩猟生活がメインであり、キスメも後者に当たる。    そんなキスメなので、当然、他の家事についても期待出来ないだろう。    霖之助は大きく肩を竦めて諦めにも似た溜息を吐き出し、   「……まあ、教えれば良いか」    キスメ返事も聞かず、半ば強引に彼女を伴い、香霖堂へと向かった。           ●            魔法の森の入り口に建つ奇妙な古道具屋。    入り口の上に掲げられた看板には、香霖堂の文字が見える。    霖之助は入り口の鍵を開けると中に入り、キスメを招き入れた。    取り敢えず、予備の眼鏡をカウンターの下から取り出して装着し、   「それで、掃除の仕方なんだが……、って、その壷がどうかしたのかい?」    早速、キスメに仕事の仕方を教えようと振り返った所で、彼女が魔理沙の指定席である壷をジッと眺めている事に気が付いた。    そして、まるで導かれるように頼りない足取りで壷の方へと歩いて行くと、壷の外側をペタペタと撫で回して検分し、「えいや!」と気合いを入れて壷の中へと飛び込んだ。    勿論、壷の中には何も入ってないので零れるとかキスメが溺れるといった事にはならないのだが、霖之助としては壷が壊されるのではないか? と気が気ではない。    暫く壷の中を堪能していたキスメだが、やがて恍惚の笑みを浮かべて霖之助の方へ振り返ると、   「コレくださいです!」    そんな事を言い始めた。    彼女が壷に興味を示した辺りから、予想してはいたが、無一文の彼女にどうぞ差し上げますと言う程、霖之助もお人好しではない。   「なかなかにお目が高いね。──そいつは明治時代の陶芸家、新津・覚之進の作品だ。    それほど目立った作風はないが、人間嫌いの変わり者として有名な人物で、作品の絶対数が少ないから必然的に価値が上がっていき──」    理論武装を完了させてから、右手の指を全て立ててキスメに提示する。   「安くてもコレくらいの値段になる」     5円。    倹約すれば、二ヶ月は過ごせる額だ。    勿論、キスメに支払えるような額ではない。    ……これで諦めるだろう。    そう思っていた霖之助だったが、その考えは少々甘かった。    お金の価値がいまいち分かっていないキスメは即答で、   「じゃあ、その分も働くです」    ……単純なのか? 純粋なのか? 本来ならば、二束三文の品物を疑いもせずに5円分働くと言ってのけたキスメ。    こうして壷には『予約済み』の張り紙が貼られる事となり、キスメは香霖堂で働く事になった。           ●            早速、翌日から店の手伝いを始めたキスメだが、元が何も知らない分、掃除や洗濯も教えるとすぐに覚えた。    元より、店内はそれほど広いわけでもなく、掃除は1時間も掛からず終わる。    裏の畑の草むしりや水やりなども教えたが、水やりはともかく草むしりは毎日する程のものでもなし。それに畑自体それほど大きなものでもない。    相変わらず客も殆ど来ないので、かなりの時間暇になるのだ。    空いた時間、キスメはお気に入りの壷に籠もって何かをしていたが、別に騒いで読書の邪魔をするでもないので、霖之助は放置しておいた。    ……仕事は真面目にしてくれるし、雇ってみて意外と当たりだったかもしれないな。    そんな事を考えていると、いつものように魔理沙がやって来た。   「香霖、居るかー?」   「いらっしゃい。──それで、今日は何の用だい?」    尋ねる霖之助に対し、魔理沙は店内を見渡しつつ、   「昨日、店が閉まってたからな。仕入れに行ってたんだろ? 何か珍しい物でも拾ってやしないかと思って来てやったぜ」    そう言って、指定席である壷に腰掛ける。   「それで、何かあったのッ!?」    言葉は最後まで紡がれる事は無かった。    直下から加えられた堪えようのない衝撃に飛び上がり、着地と同時に崩れ落ちる魔理沙。   「あぁ魔理沙、その壷は売り物だから腰を掛けたりしないでくれ……」    何度も言われてきた言葉だ。その度に返事をしてきた魔理沙だが、一度たりとも霖之助の言い分を聞き入れた事など無かったし、霖之助にしてみても定型儀礼のようなもので、本心としては諦めているものだと思っていた。    だと言うのに、   「わ、罠を仕掛けるのは、幾らなんでもやりすぎだと思うぜ……」    決して鍛えようの無い部位、……ありたいていに言ってしまうと尻の穴を痛打した為、内股気味に立ち上がり、罠の正体を見極めようと振り返る。    そこに居たのは、以前地下で見かけた妖怪の少女。   「復讐は成ったです!!」    感動に打ち震えるキスメの両手は組み合わされ、人差し指だけを伸ばした状態で固定されている。   「何で、コイツが此処に居るんだ、香霖!?」    いきなり話を振られた霖之助だが、さして気にするでもなく手元の本に視線を落としたまま、   「色々あってね、店員として雇ったんだ。住み込みで……。    ちなみに、その壷は、彼女が予約している物だから次からは腰を掛けないようにしてくれ」    淡々と告げる霖之助。    魔理沙としては、その全てが面白く無い。    香霖堂に居候しているというのも。自分の指定席を奪ったというのも。そして何よりも、乙女のお尻によりにもよって、浣腸してくれたという現実が彼女の怒りメーターを一気に振り切らせた。    怒り心頭と言った表情の魔理沙は、勝ち誇るキスメの頭を鷲掴みにして自分の目線まで持ち上げると、   「──弾幕勝負だ!」   「望む所です!」    鼻息荒く箒に跨ろうとするも、尻を襲う激痛の為、箒に腰を下ろすことは疎か走ることすら出来ない魔理沙。    対するキスメは、勝ち誇った表情で壷に入ったまま移動しようとして、余りの重量に動くことすらままならかった。   「……ぎ、ギイギイ」    何とかしてくれと涙目でカウンターの霖之助を見つめるが、頼みの綱である彼は本から視線を移すことなく、   「その壷はまだ君に売ったわけではないから、弾幕合戦をやるんなら置いていくこと」    とニベもない。    ちなみにキスメは空を飛ぶのではなく、ロープで吊した木桶の中に入って空中を移動するので、木桶が無いと空中に浮く事すら出来ない。    結局、両者共に戦闘不能という事で、この勝負は引き分けになった。    気落ちした様子で、箒を引きづりながら歩いて帰っていく魔理沙。    対するキスメも、壷は弾幕合戦には向かないことを理解して項垂れている。   「どうするんだい? その壷は実用には向かないという事が分かったようだけど」    霖之助に問われたキスメは暫く考えた挙げ句、   「……やっぱり、普通の木桶にしておくです」   「そうか。それなら、1週間も働いてもらえれば、眼鏡代と合わせても充分だ」    平穏を好む霖之助としては、正直、余計な居候は居てくれない方がありがたい。……とはいえ、眼鏡代の元を取るまではこき使ってやるつもりだが。   「えぇ、この壷は今後とも別荘として利用させてもらうです」    弾幕合戦や、移動には向かないものの、この壷の居心地の良さは心底気に入っているキスメはそう宣った。   「…………」    予想外の展開に、言葉に詰まる霖之助。     ──こうして、バイトの期間が終えた後も、キスメは偶に香霖堂を訪れるようになったという。