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これは 未知との遭遇(3)第四種接近遭遇 の続きとして書かれたものです。
変人さんはそこらに落ちてるので探してお読み下さい。正常な方は今すぐ閉じて下さい。どちらでもでもない方は慧音と霖之助がちょっと仲良くなった状態と考えてお読み下さい。
接近遭遇の順序がおかしいのは仕様です。


第二種接近遭遇

 森に程近く、しかし里からも大して遠くない、さりとてそのどちらでもない場所にそれはひっそりと建ってい
る。建物自体に不審な点はない、ただ周りに置かれた様々な物が場所もあいまって異様な雰囲気を醸し出してい
た。
 戸を開けると眼前にはさらなる混沌が広がる。商品が山と盛られている道具屋を他に見たことがあれば別だが、
そんな可能性を考慮する必要はないだろう。見覚えのある日用品から一見しただけでは何に使うものなのかわか
らないものまで品揃えは枚挙に暇がない。いい言葉で言えば、でだが。
 人によってはゴミの山にも見える商品の群れの中にひとりの人間がいた。この店の主であり道具と本を偏愛す
る男、森近霖之助。この山から客の望む品を探し出せるということは恐ろしいことにほぼ全ての商品の所在を把
握しているらしい。彼はひとりでいる時間のほとんどを読書に費やしている。よって来店した者の多くは店主が
本から顔を上げながら発する、気のない出迎えを受けることになる。商売をしている自覚があるのかすらを疑問
に感じても決して罰は当たるまい、実際生きる術としてこの店を営業しているわけではないし、企業努力など微
塵も感じられないのだから。
 そんな体たらくなので当然客の数は多くない。場所選びが裏目となり人間にも人間以外にも寄り付かれず、独
特な接客態度が仇となり再び彼のもとを訪ねる気になる者も少ない。自然と来店するのは限られた面子になる。
たとえば彼が昔修行した恩のある道具屋の娘、たとえば魔法使いの友人、たとえば外の道具を監視する妖怪、た
とえば主に忠実な従者、たとえば――。
 森に背を預ける少し不思議な店、香霖堂。ここは全てを受け入れる。

 その店に向かう人影があった、感覚の鋭い生物ならそれが妖怪でも人間でもない半端者であることに気づくだ
ろう。手ぶらで、洋服を身にまとい、自らの足で、誰の命でもなくそれは歩く。その目が見据えるは人か妖か、
あるいは道具か、歴史か。
 ほどなく目的地に着いた。

 おそらく店主はいつもの仏頂面で本から顔を上げることだろう。そしていらっしゃいませ、とその気もないの
に歓迎の意だけは示すのだ。しかし最近は客がいることも増えてきた、巫女や霧雨の娘さんがいる可能性も高い。
あのふたりに避けられているのはどうにかして改善できないだろうか。
 戸を開けると何よりもまず香霖堂独特の埃っぽい臭いが鼻につく。鼻が利くのは多いに結構だがこういうとき
まで必要以上に鋭敏なのは考えものかもしれない、半獣になって久しいが慣れないものは慣れない。
「やあ、君も暇だね。買い物ではないんだろう?」
 口調から他に客はいないことがわかる、そういう線引は割としっかりとするタイプだと記憶している。視線を
やるとまさに本にしおりを挿んでいるところだった。
「私のことならお気になさらずに。最近ここの空気が気に入っただけですから」
 嘘はつかない。この臭いも、この店の道具が持つ歴史の片鱗を覗いていると思えば悪くない匂いになるという
ものだ。
「人と話をしようというのに本を読み続けるのは失礼だろう? 君にその気がなくともこちらにはあるんだ。い
 つもはこちらが付き合っているのだからたまには僕の話に付き合うのが筋というものだ」

 慧音の顔が一瞬にして強張る。霖之助を知っている者ならばわからなくもない反応だが、彼を受け流す技術に
乏しい彼女にとっては割と死活問題だ。幻想郷の記憶のお墨付きの長話なんて聞けたものではない。
「そう露骨に嫌そうな顔をしないでいいよ。話をすると言っただろう? 僕の独演でも構わないんだがひとりで
 話はできないな。なに、返答いかんではすぐに終えるさ」
 霖之助には考えるところがあった。慧音は半妖にしては気まじめな性格だ、悪く言えば人間並に余裕がない、
と彼は認識している、していた。だがもしかしたらちょっとしたことからそれを改める必要があるかもしれない
と考えていた。
「僕らのような人間が混じっている者たちにも不文律があるのはわかっているね。君は用もないのに無遠慮に入
 り込んで来すぎじゃないかい? 僕の領域に」
「ふむ……もう半身同士が会う分には支障などありはしない、あたりでいかがでしょうか? それにしてもたっ
 たの一年も経っていないというのにずいぶんと懐かしいですね」
 慧音は至って涼しい顔だ。以前に同じような質問を受けたときの反応を知るものがいればどう思うだろうか。
 それを知る霖之助は仏頂面を保ったままだった。脳裏にどのような思考が駆け巡っているのか、読み取るのは
やや難しい。彼はああ、そうかとだけ呟いたきり黙り込んでしまった。

 閑古鳥さえ鳴くのを躊躇ってしまいそうな沈黙が広がる店内、霖之助をみて慧音も口をつぐんでしまった。不
気味に空気は張り詰めているが不思議とふたりの表情は穏やかだ。

 この程度のことでたじろぐほど慧音は未熟ではない、霖之助はこうとも認識している。
 ただ、ひとつ大事なことを決めてしまうと途端に視野狭窄に駆られ熱くなる、それだけだ。十分未熟と言える
が好意的に解釈すれば物事の優先順位が定められており、それは決して揺らぐことがないとも言える。彼女らし
いと言えば彼女らしい。

 慧音としては何故霖之助が黙っているのかわからなかった。
 もちろん原因は推察できる、私の答えが癇に障ったのだろう。しかし彼の判断基準は理解しがたい点が多々あ
り、なにが気に食わなかったのかわからない。そもそもつまらない堅物と言いながら私が傍にいることを拒否す
る素振りをほとんど見せないのが解せない、もしかしたらこれが二度目か。そんな店主の態度に甘えっぱなしな
のは確かに良くないことなのかもしれない。

 互いの思惑をよそにふたりは表面上は何事もないように振る舞う。当たり障りのない会話を交わしながら慧音
は霖之助の腹の内を探るが、それで読ませるほど甘くない。次第に口数は減り、やがて人影がひとつ香霖堂を後
にした。珍しいことにまだまだ日は高い。
 照りつける日の本を歩く眩しいそれを、暗い店内から見送るものがあった。
「君は元が人間だからかもしれないが、変わることに抵抗がないんだね。変わらないことを選択する僕が見つめ
 るのは少し厳しいよ」
 当然慧音には届かない。


 それ以来慧音は香霖堂に姿を見せていなかった。とは言ってもたったの半月ほどのことなので珍しいことでは
ないはずだ。それでも霖之助には落ち着きがなかった、当然前回の別れ際のことである。
 特定の事案を除けば彼の観察眼はなかなかのものである。残念な思考回路が働かなければ彼の能力はもう少し
有効活用されていたかもしれないと思うともったいない。
 その眼には慧音が小さく映った。霖之助が少なからずショックを受けていたのを見て、あるいは何か考える所
があったのかもしれない。

 問題はないと踏んでいたが見誤ったか、彼女は僕の理解から外れた妙な発想をままする。何しろあの堅物の彼
女ことだ、初めてこの店を訪れたときの理由を鑑みればどのようなとんまな論理が展開されているかわかったも
のではない。これは次回来たときにでも少し気を使ってやる必要があるかもしれない。まったく、世話が焼ける
半獣だ。

 彼は自分の中でそう結論付けるとしおりの挟まれた比較的薄い本を取った。これが霖之助にとっては娯楽の時
間だ、これが用も無く邪魔されることを彼は好まない。いつものように茶をすすりながら書を眺め、ある程度経
つ毎に頁を捲り、捲り――捲らない。視線は動くのだが焦点が合っておらず、文字列の上を目が滑る。頻繁に辺
りを見渡しては席を立つ。そして珍しいことに店内の掃除を始めた、はたきから始めて棚の濡れ拭き、床の箒掛
けの後に床にも雑巾を掛ける。道具の手入れを省いたというのに全てが終わるころには日は天頂に差し掛かろう
としていた。
 その間も客は誰ひとり訪れなかった。一時増えた人間の客も何故かわからないが、満月の日の潮が引くかの如
く気がつくといなくなっていた。霖之助は魔理沙も霊夢も来て欲しいときに来なくて、別に来ないでもいい時に
限って現れるのは何か法則があるのかを真剣に考え始めた。
 答えなど元からないのでしばししても進むのは急須の中身の減りばかりだ。それに気づくと茶を淹れんとお勝
手に立つ。再び店に出てきたときに彼の手にあったのは珈琲だった。
 進まぬ思索と同じく進まぬ読書の合間に珈琲をすする。たとえどんなに暑くとも彼が飲むのはホットだ、あの
ときと同じく。
「恋のように甘くなければならない、か。ずいぶんとわかりづらい甘ったるさなんだな」
 もしかしたら呟いた本人すら気づいていないかもしれないひとり言。いつだかの物忘れが気になって調べなお
した、外の世界のさらにもう少し外の世界の言葉をまとめた書物にあったものの最後の下りだ。これを忘れてい
たとは彼らしいと言えば彼らしい。

 文字列を追う目が捉えるのは開かぬ扉ばかりで、娘のような少女とその友人について考えている脳裏には別の
少女――女性の後ろ姿が浮かぶ。
 頭を振る。
「僕はなにか負い目でも感じているのか」
 自らの手のひらを見つめる。今までこんなことは一度もなかった、誰かが来てペースを乱されることはあれど
居もしない人物によって惑わされるなどという奇妙なことがあるわけがない。そうしてこれまでの永い人生を過
ごして来たし、これからの永い人生も過ごして行く。
 それなのにあの姿がちらちらとよぎる、これは一体どういうわけだ。単なる気がかりというには強すぎるし負
い目など彼女にはないはずだ、少なくとも一見のつまらぬ客よりは丁寧な対応をしている。僕の反応から変な気
を回してショックを受けていたとしてもそれは彼女が勝手に判断したものだ、僕の責任ではない。僕の責任でな
いなら負い目を感じる必要もない。
 ではこの異常は何なのだろうか。誰かが僕に魔法でもかけたのか……。そうか魔法だ、魔法といえば魔法使い
だが呪いを使用する妖怪妖獣は比較的メジャーだ。なにせ彼女は森羅万象に通じると言われる聖獣と混じったの
だから、その性質を考えれば呪い(のろい)を使うとは考えにくいが呪い(まじない)の方法のひとつも知っていて
も何ら不思議ではない。
 何が目的だか知らないがこんな迷惑な真似は即刻やめてもらわねばならない。そうでないと読書も満足にでき
やしない、次回来たときなどと悠長なことを言わずにすぐにでもこちらから乗り込んでやろう。幸いにして今日
も客はいない、思い立ったが吉日だ。

 霖之助はいそいそと出支度を始めた。まったくもって妙な発想からとんまな論理を展開している。しかし全て
が全てずれた考えというわけでもない。
 正しく彼女は彼に呪いをかけた、それがのろいなのかまじないなのかはわからない。そもそもこのふたつには
腐敗と醗酵程度の差しかないのだから。


 人里には不思議な施設がある。半妖が人間を集め、呪文のようなものを唱えている。その呪文はどうやら眠り
に誘う類らしく数名が舟をこいでいる。普段ならそのようなことをすれば半妖による拳骨なり頭突きなりによる
目覚ましが施されるのだが、今のところその様子はない。
 呪文を唱える半妖、正確に言えば半獣の慧音には気がかりがあるようだった。髪と同じく青白い顔には陰が差
し、すらりと伸びた女性にしては高い身長を支えるのがやっとという具合だ。本人は隠そうとしているのだが、
生徒たちは顔を合わせる機会が多いのでとっくに気づいている。気づいた上で知らん振りをしている。
 その頭には霖之助のさびしそうな顔が残っている。いつもの仏頂面に変わりはなかったが、彼女はそこに幽か
な憂いを見た。

 たとえ相手が神様だろうが閻魔様だろうが余裕たっぷりに煙に巻いてしまいそうな店主だ。私ごときの言であ
のような顔を引き出してしまうとは夢にも思わなかった。今まで私が出向いたときの態度を鑑みれば平時であれ
ばどのような思考が繰り広げられていたとしてもああはなるまい。こちらからなんとかするのが筋だが、嫌がら
れているのなら香霖堂には行きづらい。どうにかしなければ……。

 彼女は頭では全然関係のないことを考えながらも口では眠りの呪いを唱え続ける。これが慧音の仕事なので当
然だ。いや、報酬を要求していないので趣味かもしれない、要求しなくても好意で集まるので同じことだが。そ
の仕事にも明らかに身が入っていない。挨拶回りをしたときに人妖問わず誰からも気まじめと評された慧音から
は想像もできないことだ。彼女はそんな状態でも懸命に授業を進める。最早机に顔をつけて熟睡している男児に
も気付けぬほど調子が良くない体を支え、脳裏に浮かぶ影を振り払いながら。
 授業は「妖怪の脅威と共存の道」という単元に差し掛かっていた。彼女が寺子屋を開いた一番の理由なのだか
ら当然教えることは多い。九代目御阿礼の子、阿求に一番細かく裏付けを取ったのもここだ。慧音にもわからな
いことは当然あるし、白沢が創った歴史と幻想郷の記憶に違いがないとも限らない、というより違いがないわけ
がない。
 実際慧音は永夜異変の際に人里の歴史を食うことによって不気味な夜から人間を守ろうとした。消したものを
修復したからと言って消した事実までもが無くなるわけではない。あの晩、一部を除いた里外の者から見れば確
実に人間の里など存在しなかったのだ。同じような例が他にないとは言いきれない。
「と、ここまで言ってきたように人間と妖怪が共存できる道は多い。しかしながら妖怪が人間を襲うものである
 ことに変わりはない。今では命に危険が迫ることも少なくなったが昔は違う、たとえば――」
 ほぼ無意識の内にも授業は進んでいる。たとえ体調が悪かろうが責務を果たさずにいられないというのは彼女
らしいと言えば彼女らしい。

 昔に起きた悲しい出来事といえば半人半妖や半人半獣のことが比較的身近なことだろうか。私のように後から
混ざった者はまだ幸せな方だ。
 子供たちに教えられるようなことではないが、先天性かつ人間がベースの場合、大半は望まれぬ形で生まれて
いる。あの店主がどうなのかは知らないが、その可能性も高い。知能の低い妖怪が人里から人を攫った場合、男
は食って女は……というのは珍しい話ではなかった。ほとんどの場合はそのまますぐに食われて終わるかしばら
く経って何事もなく食われて終わるかだが、例外はあった。
「霖之助……」
 彼の知性を考えると親の知能が低いとは考えにくい、だが親で子の全てが決まるわけではない。そもそも彼が
自分の出生を知っているとも限らない。
 そうか、私は不用心にも彼のそのような繊細なところを刺激してしまったのだ。
 もう半身同士、これはもちろん人間同士という趣旨で言ったことだし彼もわかっているだろう。だがその言葉
を裏返せば人間と妖怪が混ざった存在であると強く言っているようなものではないか。不遇な生まれの場合はも
ちろん、望まれた形であっても周囲からは半妖と避けられ続けてきただろう。その体験は人格形成に悪影響をき
たすには十分すぎる。彼のひねた性格もひとりでする読書を好むのもそこに由来しているに違いない。
 これはもう香霖堂に行きづらいなどと甘ったれたことを言ってはいられない。今日の授業が終わり次第直ちに
謝りに行かねばならない、そしてどのようなことをしてでも無礼の償いをするのだ。何故か教科書が読みづらい
が授業を早く終わらせねば。

 慧音は授業の続きを始めた。霖之助の仏頂面から感情を読みとるあたり彼女の観察眼はなかなかのものである。
だが残念な思考回路が働かなければもっとよかったことに違いない。
 生徒たちからすれば何が起きたか全くわからない。妖怪の脅威について例を挙げ始めたと思えば急に黙り込み、
最近噂になっている男性の下の名前を呟いたと思いきや突如泣きながら授業を再開したのだ。
 教室にいる女性生徒らほぼ全員からの黄色い声と一部の男性生徒からの悲鳴とを引き出すには十分だ。
 ついでに言うと、慧音が霖之助の下の名前を呼ぶのは初めてだった。

 生徒らを一喝して黙らせ、慧音は授業をいつもより少しばかり早く終わらせた。誰よりも早く帰り仕度を済ま
せ、忘れないようにしっかりと言っておく。
「先生、休み明けだけどもう一度休むかもしれない。もしそうなったら長めになる」
「せんせー、もしかして香霖堂のお店の人絡みですかー?」
 質問したのはいつぞやの香霖堂で慧音と霖之助に声をかけた女生徒だ。肯定するとさらなるやかましさが慧音
を襲った。
「ついに――!」「あの鉄壁が――!」「う、嘘だああああああ!」
 収拾などつきそうもない。断片的にしか聞き取れないので慧音には何がなんだかわからない。もしこれでわか
るようならこんな事態にはならなかっただろう。

 どうしようもない騒ぎを鎮静化させたのはある生徒の指先だった。その指に気づいた者がひとり黙り、ふたり
黙り、やがて誰しもが口を閉ざした。慧音の眼もそれが指す先にある窓に釘付けになる。それはどうやら未だに
自分の存在が気付かれていることを知らないらしい。
 白と呼ぶには少しばかり光沢がありすぎる色の髪、つむじの関係か一部が立ち上がっている。その頭が窓枠の
下から三割ほど、文字通り頭を覗かせていた。このような目立つ物を持つ者などたとえ白沢の記憶を総動員して
も里内に思い当たらないに違いない。そう、里内には。
 緊張、自責、不安。直前まで慧音が考えていたことを思えばこういった感情が湧いてくるのが当然だ。しかし、
彼女の胸を締め付けたものは一部異なるようだ。

 それは彼が自分を避けているわけではないという安堵。
 それは彼が照りつける日の下訪れてくれたという歓喜。
 それは彼が何故に人ごみの中に現れたのかという不安。

 それら全てがない交ぜになったものが心から溢れ、瞳のフィルターを通り、涙となってにじみ出る。彼女自身
は涙の理由を知らない。ただこれ以上無様な姿を見せまいという一心で心を落ち着かせようと努力する。
「そこにいるのはわかっていますよ? 店主さん」
 目尻を拭って声を張る。その声からは動揺など微塵も感じられない。

 うまく隠れていたつもりだった霖之助は飛び上がる。彼は慧音が寺子屋で授業中である可能性をすっかり失念
していた。おかげで茹だるような外気の中でしばらく待つ羽目になった、帰っても良かったはずなのだがどうせ
あの様だ、窓の下に腰かけて待つことにした。
 そして今に至る。

 向けられた多数の好奇の目が鼻息荒く乗り込むつもりだった霖之助から勢いを削ぐ。この視線が彼の最も苦手
とするものである。皮肉なことに慧音の推論もまた、全て間違っていたわけではなかった。彼女の推論に足りな
いものは霖之助の性格に対する理解だけだったので当然と言えば当然なのだが。結果として半妖は窓ガラス越し
に半獣を控え目に見つめ、立ち尽くすこととなった。霖之助の目はかすかに光る目尻を捉える。
 出会ったら最初に言おうと思っていたことが慧音の喉から出てこない。憚られるような理由もなくこのような
状態になるのは初めてに違いない。例え何があろうと自分の信じた道を突き進んできた彼女だ、間違えることは
あれど行動を躊躇うことなどあるわけがない。年端も行かない少女に頭を下げたときも一切迷いはなかった。し
かし今は言葉が出ない。結果として半獣は窓ガラス越しに半妖を控え目に見つめ、立ち尽くすこととなった。慧
音の目は頬を伝う汗を捉える。

「おや、用なく妖の住処を訪れるのは良くないと言ったのは誰だったかな……。心当たりはありませんか?」
 沈黙を破ったのは心にもない言葉だった。口にした瞬間慧音に激しい後悔と自己嫌悪が襲いかかる。これでは
まるで霖之助を拒否しているように取れる、というかそうとしか取れない。
「あ、いや、あれはそういうつもりじゃ……、すまない。またの機会させてもらうよ」
 かぶりを振ってすぐさま振り返る。慧音が引きとめようとする前に霖之助は脱兎の如く駆け出していた、ガラ
ス越しでその声が届くわけがない。それにしても霖之助が走るとは珍しい、常に泰然自若として生きている彼の
走る姿を見ることなどない。何か理由があったのだろうか。
 残された方ががくりと首を垂れる。様子を伺っていた生徒たちがひと段落着いたのを察すると恐々としゃべり
出す、慧音の耳には一切入って行かないが。その中のいかにもやんちゃ坊主といった雰囲気を持つ少年が声を上
げた。
「せんせせんせせんせー! 今のって先生のコレ?」
 ある指を立て、にやにやと笑う。
「コレ、とは?」
 何が言いたいのかわかっていない。
「ちっがうよもう、先生のオトコかってことだよ」
「確かに森近さんは男性だがそれがどうした」
 小首を傾げる。演技ではない。
「先生とイイ仲かってこと!」
「この前まではそこそこ悪くない仲だと思ってたんだがね……」
「ああもう! 彼氏とか恋人とかなのかってことだよ!」
「は?」
 その少年の言葉を皮きりに一斉に生徒たちが群がる。中には今すぐ霖之助を追うべきと冷静な助言をする者も
いたが多数の興味心と一部の思惑によって却下された。
 慧音先生があんな顔するの初めて見ただの先生があんなこと言えるなんてびっくりですだの、今のは何かの間
違いですよねだの口々に質問が寄せられる。おかげで慧音は完全に出遅れてしまった、助言を聞くまで霖之助を
追うという発想が浮かばなかったのが主な原因だが。ともあれ、慧音が解放されるのはもう少し後になりそうだ。



 霖之助は走るのをやめたのは寺子屋に使われている建物が見えなくなってからだった。なぜ走ったのか自分で
もわかっていないに違いない、正誤はともかく彼には呪いを解かせるというれっきとした理由があったのだから
逃げる必要などないのだ。しかし何かを考える前に足が動いていた。これ以上ここにいたくない、聞きたくない、
見たくない、もしあのままでいたら自分の中の何かが壊れてしまうと霖之助の本能が警鐘を鳴らした。これ以上
深く考えるのはよくない、日を改めて他に人がいないときに尋ねようと切り替える。そこで誰かが霖之助に声を
掛けてきた。


 全ての生徒を家に追い返し終えた頃にはもう日が暮れようとしていた。根掘り葉掘りの質問攻め、花見をした
ときの会話などの個人的な会話以外は隠すこともあるまいと慧音が判断したせいでほぼ全てが白日の下に晒され
てしまっていた。そこから主に女生徒たちによる妄想の発展ぶりときたら……慧音が全くわかっていなかったの
が不幸中の幸いだろうか、彼女らと慧音とでは前提からして食い違っているのだから当然だ。しかし慧音にも理
解できた言葉がいくつかある。


 眼前の青年のだらだらと長ったらしい主張を要約すると、自分は慧音が好きだ、お付き合いを申し込んだこと
もあるが丁重に断られた、最近慧音にまとわりついているお前――僕のことだ――が鬱陶しい、今日の寺子屋で
の態度は普通じゃない、どういう仲だ、ということらしい。
「客と店主だ、それ以上でも以下でもない。ついでに言うとまとわりついているのはどちらかと言うと彼女の方
 だね」
「嘘を言うなあああああああ」
 ついでに言ったことが悪かったらしい。気が触れているのかと疑ってしまうような奇声だ。これはこれで見が
いのある。人が狂う瞬間などそうそう見られるものではない。
「そうか、君は彼女が好きなんだったな、すまない。正真正銘彼女が僕を訪ねて来ている。ついでに言うと客と
 店主の間柄だよ」
 彼はがっくりとうなだれてしまった。どうしてだろうか。
「……もういい。じゃあ半月前に慧音ちゃんがお前の店に言ったときに何か変なことを言ってないかだけ教えろ。
 お前んちに行った次の日から六日も寺子屋を休んだんだぞ」
「なんだって? 体調不良が重なっただけじゃないのかい」
 何か言われたのは僕の方だ、彼女じゃない。
「違う、休み明けに誰かのことで心労がたまって倒れたって言ってたからな。タイミングから考えてお前しかい
 ないんだ」
 彼女はもしかしたら僕の思っている以上に変化しているのかもしれない。思いもよらない方向で。
「誓って僕からは大したことは言ってない。あとこれは善意だが想い人を付け回すような真似はお勧めしかねる。
 ともかく客と店主の間柄でしかないのは確かだし、今の所発展する目途も立ってない。それより今日同じよう
 な質問をしてきたのは君で八人目だ。早く帰って他の七人を出し抜いて彼女を口説き落とす手立てを考えた方
 が有意義だと思わないか?」
 実際は七人目なのだがこれくらいの嘘なら閻魔様も見逃してくれるだろう。やはり慧音は男衆に好意を受けや
すい見てくれと性格をしていたらしい。
 恋に狂う人間というのは特にいなしやすい。七回目の八人目も前の六人同様慌てて帰って行ってくれた。演説
を七回も聞かされたせいで日が暮れようとしているではないか。八というのはひとり目が来たときに適当に決め
たのだが、もうあとひとりと差し迫っている、八人目の恋する男がどんな顔をしているのか、少し興味がある。
 違和感があった。
「恋……か。なんと俗っぽくつまらない言葉だ」
 つまらないものに興味を持ってしまった自分に呆れてしまう、今まで気付かなかったが僕にはこんな一面もあ
ったのか。しかしそれも彼女が僕に掛けた呪いの効果の一環に違いない、早急に解呪させなければいけない。い
かな呪いのせいとはいえ、そもそも彼女に出会って何らかの影響を受けていなければこれほどの効果があるはず
ない。格言で言うならばあれだ。


“男も女も、本当に嫌っていたらその相手の元になんか来ません”
 これは額面通り店主は私のことを避けているわけではない、と取っていいのだろうか。気が付いていなかった
とはいえ、あれほど失礼なことを言ってしまったのに避けられていないと思ってしまっていいのだろうか?
“あんだけ汗かいてたってことはわざわざ先生に会うために待ってたんだよ。そうじゃなきゃあんな色白な人が
 外にいるわけないよ”
 本当に私に会いに来たのだろうか。そうであるならば何故? 私に二度と近寄るなと釘を刺しに来たと考える
のが自然だ。
“先生はそんなことを仰いますけど、お話を伺った限りではあちらの殿方が先生に好意を抱いているのはほぼ間
 違いありませんよ? わたくしもあの香霖堂という店にお邪魔したことがありますが、あのような男に先生ほ
 どの方が心惹かれるとは思えませんが”
 当然そんなはずはない、あの店主が女性に熱を上げるところなど想像すらできない。それにこちらとてあんな
陰険店主は願い下げだ。陰険で人が嫌がることも平気でして、今は負い目を感じて気になっているだけだ。
 ただ、実際には違っていても“あの”店主が私を好いているように見えるというのはなかなか愉快な話ではあ
る。
 仮にそうだとしよう。私は半月ほど香霖堂に行っていない。その前までは十日も開けることは少なくなってい
たから……一応説明がつく。わざわざ外で待っていたのは一刻も早く顔を合わせたかったから……というのは少
し無理があるか、相手は私だ。逃げたのは生徒たちの目が辛かったからで間違いないだろう。整理して紙に図面
を引いてみても一部無理があるが、一応全ての問題に解決案が出揃う。
 しかしまあ、この紙に描かれているのは正しく絵空事、なのだが。
“そうですよぉ、見てくれが多少よくてもそんなの十年すればみんな同じです! 先生には素敵な旦那さんと幸
 せになってもらいたいなぁ”
 残念というかなんというか、彼は私と同じく十年ぽっちでは見た目など変わらない。それと何だろうか、生涯
独身でいる気だがたとえ誰かと結ばれたとしても、それが彼だと幸せになれないと思われているのだろうか。確
かに陰険で人が嫌がるようなことを平気どころかむしろ喜んでやることもあるが根気よくやっていれば修正する
ことだって不可能ではないだろう。
“あ、いや、あれはそういうつもりじゃ……、すまない。またの機会させてもらうよ”
 彼のことを考え続けていたせいだろうか、彼の声が浮かんできた。あのときの店主の挙動不審ぶりと言ったら
天狗のカメラにでも収めてほし――
「あれはそういうつもりじゃ、ない?」
 ではどういうつもりだった。私にこれ以上香霖堂に近寄るなという意味ではなかった! ということはやはり
避けられていたわけではなくて、ええと、落ち着こう。落ち着いて考えればわかるはずだ。
 ふと眼前に置かれた絵空事が目に入る。
「まさか、な」
 それにしてもいくら混乱していたとはいえあそこであのような言葉が口をついて出てしまうとは、一年前の私
では考えられない。私にもこんな一面があったのだな。正にあれだ、いいか悪いかは置いておいて。



「朱に交われば赤くなる、か」
 赤く染まった頬は強い西日によるものであり、他の要素は一切ない、と誰かに聞かれたら答えるだろう。


 森のはずれにはとある古道具店がある、名前は香霖堂。幻想郷は全てを受け入れる、とはとある妖怪の談だ。
なるほど、それを信じるのであれば香霖堂は幻想郷の縮図とも言える。
 だけどまあその店の主はなんとも胡散臭い、これはつまり幻想郷の住人全てが胡散臭いとも言え、それが当た
らずとも遠からずだ。さらに主が自分のこともろくにわかっていないとなると、その店が幻想郷の中心だとは断
定しにくいのではないだろうか。



おわ霖