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第一種接近遭遇

「ということはあのやたらと長い夜は月の民によるものだったのか」
 秋も暮れ、冬妖怪の対策もそろそろ気になり始めた幻想郷。魔理沙は香霖堂を訪れていた。これは別段珍しい光景でもなく、これからの季節はことさら多く見られるであろう日常のひとコマである。
 霖之助があの異変についてやっと口を割らせたのはつい先ほどのこと。代償にたんまりとたかられたが大して痛手を負っていなかった。差し出したのは彼にしてみればいつ「勝手に死ぬまで借りられ」たり「店主に無断で返る当てのないツケにされ」たりするかわからない品ばかりだったからだ。悲しいことに、その危険性があるのはこの店の用法がわかっている商品ほぼ全てなのだが。
 しかし得た情報はそれらをはるかに上回る価値があった。霖之助は道具屋のはしくれであると同時に――もしかしたらそれ以上に――熱心な蒐集家である。風に聞く彼らの持つ高い技術力はさぞかし霖之助の蒐集欲を刺激したことだろう。その月の民が幻想郷内にいる、この情報に価値がなくてどんな情報に価値があるだろうか。おまけに出奔したとはいえ元は地位ある人物というから期待もできる。
 魔理沙に約ひと月もの後れをとったがなにせ相手は魔理沙だ、ろくな交渉もしていないだろう。まだまだ価値あるものがごまんと残っているはずと霖之助は睨んでいた。

「人間の里で襲ってきたやつが半妖だったらしくてな。誰かを守るとかなんとか言って角生やして襲ってきたんだ、ただ肝試しに行っただけなのにひどい話だぜ。それに奥にいたのも不死の人間だったしな」
 霖之助が自分の考えに夢中になっている間も魔理沙は話し続けていたらしい、後になって肝試しの話はごく最近のことだと知った。

 正直どうでもいいと思っていたがある単語が霖之助の耳に引っかかった。
「半妖?」
「ん? ああ、半妖だ。しっぽも生やしてたから半獣の方かもしれないな」
「弾幕勝負をしたとなると女性か。半獣で少女でおそらくは後天性、何人かいるな……」
 興味のないことにはとことん興味を持たない霖之助だが自身の関係もあって里の半妖については少しだけ覚えていた。そもそも彼らの時間は永いので耳にする機会が多くなるだけともいう。
「歴史がどうだの堅っ苦しいことばっか言ってたぜ」
「上白沢の娘さんか」
 ちょうど喉につかえた魚の小骨がとれたような感覚を覚えると同時にこの話題に対しての興味を失くした。霖之助の興味の対象はあくまでも人知れず人里を守る半妖の正体であり、上白沢慧音と名付けられた半獣ではない。
 霖之助は魔理沙の語る武勇伝に耳を傾けることにした、どうでもよくとも代価を払っている以上、聞くに値する話までも聞き逃すのはどことなく癪に障る。願わくば少しでも有益な情報を得られることを祈りつつ、魔理沙の話で暇つぶしをする。


「くしゅんっ! しまった、風邪でも引いたか」
 上白沢慧音は頭を抱えていた。六日前の月に一度しかない満月の日に仕事をほっぽり出して迷いの竹林に行ってしまったことだ。それだけならまだしもそこで勝負した見知らぬ娘達には惨敗、聞くところによると妹紅も敗れたらしい。おかげでかなりの量の仕事が未消化になってしまっている。
 生活必需品以外何もない質素な部屋にごろりと横になる。歴史の編纂は満月の日でなければならない、それまでは特にすることもない退屈な日が続く。
 慧音は整理された引き出しからある帳簿を取り出した。その帳簿にはびっしりと何かが書かれている、どうやら人名のようだ。その人名にはひとつひとつチェックが付けられている。

 ええとまだ顔を合わせてない人は、と。もう里にはいないか。慶事も弔事もなし。

 彼女は里の人間に挨拶をしてまわっている。良い人間関係は気持ちの良い挨拶から、と数十年前から始めたことだが人里は端から端までもうとっくに回ってしまった。人口もそう多いわけでもないので最近はもっぱら身よりのない人に声をかけるだけになっていた、日々の糧を得る必要のない半獣故にできることである。しかし今日
は少し考えることがあった。

 異変のとき出会ったあの二人組、人型妖怪だろうか? しかし片方は人間のようなことを言っていたような……。もしそうだとしたら大変失礼な真似をした。確認したいがどこの誰なのだろうか? 里の人間ではないとすると……。

 頁をめくりある箇所を見る。そこには「里外の人間及び半妖。里に近い妖怪」と銘打たれている。チェックはまだほとんど付けられていない。



 日を改めて香霖堂。暖かい陽気に恵まれているにも関わらずいつも通り客はいない、加えて今日は魔理沙の姿も霊夢の姿もない。しかし誰もいなかろうが店主の日常に変化はない、少し読書がはかどるだけ。それに特別騒がしくなったのはここ最近の十年程度のことだ、あと六十年もすればあっさりと入れ替わる。あの子らがそれを
素直に受け入れるかどうかまでは霖之助にはわからなかったが。
 本人は気づいてないが、霖之助がらしくない妄想をしているとふと渇きを覚えた。そういえば昨日の朝から何も口にしてないなと独り言を浮かべながら茶を淹れるために奥へ下がる。
 幻想郷はそろそろ申の刻を迎える。


 時は少し巻き戻る。
 上白沢慧音が魔法の森方面に向けて歩いていた。その足取りはしっかりしたもので、お嬢様然とした外見とミスマッチを起こしている。晴れているが日傘は差さず、機能性という言葉を真っ向から否定するようななんとも珍妙な形をした帽子を頭に乗せているばかりである。しかし、たとえ夏真っ盛りのカンカン照りであろうとも彼
女が熱中症に倒れることなどありえないのでなんら問題はない。
 慧音は人探しをするにあたってまずは所在の知れている者から尋ねることにした。もしあの少女がわざわざ里から離れて暮している人間だとしたらそう簡単には見つけられないだろう、ならば里外の者から情報を集めながらの方が結果的に早くなると判断した。
 帳簿によると里に最も近い里外在住者は半妖である。以前は里に住んでいたが里を出てからからは街での目撃談はあまりない。森の間近に住居兼店舗の一軒家を構えて商店を営んでいる。名前は森近霖之助。
「森近霖之助、か」
 たかだか三十年も経っていないことを思い出すなど、彼女にとってはなんの労苦でもない。
 そのころ霧雨店で修業していた優男がいたはずだ。霧雨の旦那さんが彼が人間ではなく、私の側の存在だと笑って言っていたのをはっきりと覚えている。
「ふふっ」
 若かりしころの霧雨店店主を思い浮かべて慧音が微笑みを浮かべる。あのころは旦那さんもまだまだ若かった。
「おおい、慧音ちゃぁぁぁぁん」「こんにちわ、上白沢さん」「おっ、慧音ちゃんご機嫌だね。なんかいいことでもあったんかい?」
 こうして歩いてる間にもすれ違う里の人間から次々と声がかかる。慧音も律儀に返しているものだから目的地に着いたのは彼女が想定していた時間より遅れ、太陽の傾きから推測するにそろそろ未の刻が終わろうとしているころになっていた。


 慧音の知っている常識では商店とは訪れた客と店員が顔を合わせ、互いに挨拶を済ませてから商談を始めるものだと決まっていた。しかしここ香霖堂は里の外にあるだけあって一風変わった営業法をしているようだった。
 彼女が入店したのは霖之助が茶を淹れに奥に引っ込んだ直後だった。慧音がごめん下さいと口を開く前に、霖之助が魔理沙か霊夢が来たと早とちりをして「適当に掛けてくれ」と言ったがために今の状況になっている。
 彼女は不快な生温かさが残る椅子に座っていた。

「やあ、お待た……、誰?」
 ややあって盆に急須と三つの湯呑を乗せた霖之助が見知らぬ後ろ姿を見ての第一声がこれだった。営業口調でもなければ親しい相手への口調でももちろんない。すぐに客が来たという発想に行きつけないあたりでこの店の経営状態が推察できて物悲しい。
 慧音から椅子を返してもらいひとつに茶を注ぎ、迷うことなく自分で飲む。霖之助は今日もマイペースだ。
「いらっしゃいませ、何をお探しでしょうか?」
「ああ、いや。すまないんだが今日は冷やかしなんだ」
 冷やかし自体は珍しいことではない。香霖堂の利益の大半は冷やかしの客を煙に巻いてよくわからない品を押し付けることによって発生している。数少ないビジネスチャンスだと喜ぶ方が正しいくらいである。
 ただし、この店の商品は基本的に店主である霖之助の言い値が売買価格となる。霖之助が客のことを気に入れば真っ当な価格で――あくまでも幻想郷での真っ当ではあるが――購入できる、そうでなければその客は香霖堂の売り上げに大いに貢献できる、という素晴らしいシステムである。
 立ち尽くしている慧音をちらりと流し見て霖之助は確信する。この少女はこちら側だ、なら今回はこういう手口で行ってみよう。

「へぇ、客でもないのにひとのテリトリーにずかずか入って来たのか。僕のことを知らないのかい?」
 霖之助は自分でも白々しいと感じながら、できる限り敵意というものを演出する。
「森近さんが半妖だということは伺ってます」
 若干緊張していることが窺える慧音に対して、霖之助は第一関門は可とした。いくら作り物でも気付けぬような愚鈍なら可能なかぎり毟ってさようなら、だ。
「そう、君と同じでね。じゃあなんで来たのかな? 妖怪同士なら互いのテリトリーを守るのが鉄則ってことくらいわかるだろう? 生まれつきじゃないとそこら辺鈍いのかもしれないけどそこまで半妖歴が浅いわけじゃないらしいし……。やはり妖怪と違って妖獣さんは躾がいるのかな?」

 もし空気が個体だとしたら、壊れるときはこんな音がするであろう音を、霖之助は、確かに。

「森近……さん。私にも自身への誇りというものがあってですね、既にこれは私の一部なんです。ですから、そこまで言ったからには……もう後には引かせないぞ?」


 腫れた頬を押さえながら霖之助が必死に弁解をしている。曰く、これは一種の商人の職業病だとか、自分の悪い癖でそのせいで客が付かないだとか、あなたみたいな人はかっこいいと思いますよだとか。
「お詫びに大特価でお売りしますよ、ここにあるものは全て貴重で高価な品物なんですが」
 霖之助の言葉はもちろん真赤な嘘だ。皮肉のひとつも返せないようなつまらない人間なら用はない。せいぜい売り上げに協力してもらおう。それにもしかしたら本当に貴重ながらくたが混じっているかもしれないから完璧に嘘というわけではない。

 自分のはしたない行為の自覚と霖之助の言い訳でようやくいつもの落ち着いた雰囲気に戻った慧音――それでも十分不機嫌だった――はここを訪れた本来の目的を思い出す。
「いや、冷やかしといってもそういう冷やかしでもないんですよ。ちょっと人探しをしていまして、昔人里で暮していらっしゃった森近さんを訪ねさせていただいたんです。このくらいの背丈の、こう言ってはなんですが絵本に出てくる魔女のような格好をした女の子と前々回の満月前に人間の里と、前回の満月の晩に迷いの竹林で会ったんです。そこでのことを少し確認して必要なら謝罪したいんです。ご存じではありませんか?」
 霖之助は少し考え込むふりをすると何かを思い出したかのように。
「心当たりがないわけではありません。すいませんがあなたのお名前をいただけますか?」
「これは失礼、上白沢慧音と申します」
 ビンゴ。間違い様がない。それにしてもまさか魔理沙に……。
「クッ、クックックックック」
 霖之助は必死にこらえようとしたがつい笑いがこぼれてしまった。目の前の人間はあの魔理沙に謝ろうというのだ! こらえきれなかった笑いをもらし終えると慧音と向き合う。
「いやぁあなたは実につまらない、しかし奇特な人だ。それを先に言ってくれればお互い不快な目に合わずに済んだというものを! いやいやあのステップがあったからこそか。うん、そうだそうに違いない」
 一体何がおかしいのかわからずに戸惑っている慧音を無視してぶつぶつ言い続ける霖之助。ひとしきり楽しんだ後にあっさりと魔理沙のことと彼女のねぐらを教えてしまう。家出中の霧雨店の娘と聞いて慧音も合点がいったようだ。
「もし家にいなかったら神社かここだ。さらにそのどちらにもいなければ森の中か物を借りに行ってるかだから出直すといい。ついでにもしよかったら魔理沙と会ってどういう話に展開していったか教えてくれると嬉しい」
 最後に、予想はついてるんだけどね、と付け加える。

 日はだんだんと短くなっており、窓の外はもうオレンジに染まり始めていた。
「ああ、もうこんな時間だ。済まないが私はそろそろお暇させていただくとしよう」
 そのままなし崩しに突入した霖之助の独演会から逃れるチャンスができたことを慧音は本気で感謝していた。
もし今が夏だったらと思うと背筋が凍りそうだ。
「もう日暮れか、これからが面白いところなのに残念だな」
 慧音はこれからの人生で決して天道虫だけは殺さないことを誓い、店主の気が変わらない内にとそそくさと帰り支度をする。そして逃げるように、というより香霖堂から逃げ出す。
「あ」
 ドアに手がかかったところで不吉な声が聞こえた。
 本人の意思とは別に礼儀として振り返る。かわいそうなことに首のあたりのネジに油を差す必要があるんじゃなかろうかと思われるほどに動きがぎこちない。
 そこにはついぞ中身が客人に振る舞われることのなかった空の急須を持ち上げる霖之助の姿があった。
「次はお茶をごちそうするよ。祖茶でよければ」


 やっと帰路に就けた慧音は自問していた。
(私の記憶にある森近霖之助はもう少しまともだったはずだが、あそこまで変容するものなのだろうか? 住所録に間違いでもあったんじゃないだろうか。あの好青年は一体どこへ……)

 堅物の少女の混乱する様を想像していた。
(そういえば霧雨店で世話になっているときは半妖の客がいたら片っ端から挨拶させられたな。霧雨店の名前を背負っている以上変な真似をしないようしていたから記憶と食い違いがあるだろう。それにしても堅物もあそこまでいくと逆に見ていて面白いものだ。弾幕勝負は基本的に両者の合意があった場合に行われるものだからどちらが挑んだか、なんてほとんど関係ないのに)

 霖之助の抑えた笑い声と頁をめくる音は実に気味が悪い。



つづけーね