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【彼女の葛藤】後編



紫と人里の甘味処へ行って以来、霖之助は暇さえあれば紫のことを考えていた。
ついこの前までは寝食を忘れて没頭していた読書。それすらも、気が付けばページをめくる手が止まっている。

あれから何度も2人で人里へと足を運んだ。ある日は紫の服を買うのに付き合い、ある日は有名な食事処で舌鼓を打つ。
紫の弾む声、ふと見せる仕草、くるくる変わる表情に、我を忘れて見とれていたことも少なくない。
奔放な彼女には振り回されてばかりだが、今ではそれすらも心地よい。
紫に惹かれている。自分にそんな感情があったとは驚きだが、一度自覚したらもう止まらない。
出来ることならば、友人以上の関係を。そんな想いが日々膨らんでいく。

だが、心のどこかからその想いを否定する声が湧き上がる。
何しろ紫は幻想郷でも指折りの大妖怪だ。それに比べ、自分は少々知識があるだけの半妖に過ぎない。
それに、彼女が幻想郷をどれだけ愛しているのかはよく知っているが、自分に対しては愛と呼べる感情を抱いてくれているのかどうか、そんなことにすら自信がない。
もし紫に告白して、『もう幻想郷と結婚しているの』などと言われたら、きっと自分は立ち直れないだろう。
虎子は欲しいが、虎穴を守る親虎が強大すぎる。
だから今の関係で十分。箱に入った猫の生死は既に決まっているが、箱を開けさえしなければいつまでもその生存を信じていられるのだから。
そう考えていたある日。

「おーっす、香霖。最近紫とよろしくやってるみたいじゃないか」

香霖堂の2大赤字要因の一角、魔理沙が店に訪れた。

「……魔理沙、そんな話をどこから聞いたんだい?」

「どこからも何も、里中で噂になってるぜ。偏屈者の香霖に女が出来て、相手は長い金髪の美女とか。
 香霖の知り合いでその条件に一致しそうなのはあいつくらいのモンだろ。
 第一私も甘味処で見たしな。鼻の下伸ばして『あ~ん』なんて、まっさか香霖がやるとは思わなかったぜ」

ニヤニヤと笑う魔理沙。
どうやら噂と人の目を甘く見ていたらしい。ため息が出そうになるのを、眼鏡の位置を直して誤魔化した。

「んで、どこまでいったんだ? 祝言とかはまだなのか? 仲人ならやってもいいぜ?」

魔理沙もいつの間にか耳年増の仲間入りを果たしてしまったようだ。
妹のような少女の歓迎しがたい成長に、一抹の寂しさを覚える。

「確かにぼくが彼女に惹かれているのは確かだ。それは否定しないよ。
 だが向こうは幻想郷でも最高クラスの大妖怪だし、僕が釣り合う相手じゃないだろう。
 それに、彼女は結界の維持という使命がある。重荷になるくらいなら今の関係で十分だよ。
 そもそも僕がどれだけ焦がれたところで、紫にその気がないなら意味がない」

「女心がわかってないなあ香霖。そういう時は力づくでも奪って見せるとか言って欲しいもんだぜ。
 おっと、香霖より紫のほうが強いとか野暮なことは言うなよ。
 第一、見てる限りじゃ紫だって期待してるようにしか見えないしな」

「……そう思うかい?」

すがるような目をしているのが自分でもわかる。
さっきの言葉は建前。本当は彼女と一緒にいたい。朝起きるときも、昼の穏やかな一時も、夜眠りにつく瞬間もずっとだ。
これまでにも、つい紫を抱きしめそうになって我に返ったことは何度もあった。
もし、紫も自分を好ましく思っていてくれるのならば――

「ああ、間違いないな。女の勘ってやつだ。
 思い切って告白してみろよ。どうせダメだと思ってんだろ? なんかの間違いでも上手くいけばめっけもんじゃないか」

「……そう、だな。どうせダメなら、あがいてみてもいいかもしれない。
 どの道、何もしなければ僕が本当に望む関係にはなれないんだ。たまには大勝負に出てみるとしよう」

「ようし、その意気だぜ香霖。なあに、ほとんど結果は見えてるさ。私の目をなめるなよ」

強気な言葉に苦笑しつつ感謝する。確かに、自分はちょっと諦めが早すぎたかもしれない。
もやもやしていた胸は、告白すると決めた瞬間やけにすっきりした。

――なんだ、結局僕は現状で満足する気なんか微塵もないんじゃないか。



数日後。紫と出かけたその帰り道。

「……紫。大事な話があるんだが、いいかい?」

霖之助はここで勝負に出ることにした。

「なあに、改まったりして」

いつもの達観したような雰囲気とは違い、何かを決意したような霖之助。
それを感じ取った紫は、いつもの態度こそ崩しはしないものの、どんな言葉が飛び出してくるか気が気ではない。
こちらを向いた紫と目が合う。今からこの目に向かって告白するのだという事実を前に、心に一滴の逡巡が落ちる。
じわじわと心を染め上げようとするそれを無理やりぬぐい取り、霖之助は生涯で最も緊張する瞬間を迎えた。

「紫、僕は君が好きだ。君がよかったら、僕の恋人になって欲しい。」

最初の一言を乗り越えると、後は止まらなかった。つたなくてありきたりな言葉だけれども、これが今の正直な気持ち。

「……」

一方、この展開は予想していなかったらしく、唖然としている紫。
霖之助が自分を憎からず思っていくれていることは確信していたが、まさか告白されるとは思っていなかった。
いや、楽観していたのだ。
彼の想いがどれほど強かろうが、自分の立場や諸々の状況を理由に今の関係で踏みとどまるだろうと。
だが、彼はそんな障害を乗り越え、紫のことが好きだとはっきり伝えてきた。
自分がそこまで想われていたことが嬉しくてたまらない。

それでも、霖之助の想いには応えられない。
かつて自分に誓ったのだ。特別な恋人は作らないと。
自分は幻想郷にとって必須の存在であり、自分も幻想郷を誰よりも愛していると自負している。
そんな自分が愛する人を持ち、万が一その人物の存在が幻想郷より大きくなってしまったら?

最初に結界を作ったときは、妖怪たちと大揉めに揉めた。
今ではその有効性からほとんどの妖怪が結界を支持してくれているが、それでも反対派が根絶できたかどうかはまだわからない。
霖之助を人質にとられ、その存在を盾に結界の解除を迫られたとき、自分が幻想郷を選んでくれるかどうか。
それでなくとも、愛する人が出来たことで不測の事態が発生する恐れがある。
だから、この申し出を受けることはできない。今までの自分をいつか否定してしまうかもしれないから。何より、霖之助が危険にさらされるかも知れないから。
もう一度、霖之助の気持ちを確認する。

「……本気なの?」

「僕は本気だ」

一瞬の迷いもなく答える霖之助。
その目には一点の曇りもなく、どうやら誤魔化すことは出来ないと紫は悟った。

2人の間に沈黙が下りる。
紫は、返事を言おうとしては踏み出せない自分に歯噛みしていた。
辛いのだ。既に答えは決まっていても、それをはっきり告げることが。霖之助を拒絶することが。
だからと言って逃げることは出来ない。
霖之助が待っている。彼が望む答えを迫ることも、急かすこともなく、ただ紫が決断するのを待っている。
顔を俯け、ぎゅっと服を握り締めると、ようやく紫は蚊の泣くような声を絞り出すことに成功した。

「――ごめんなさい」




それからどうやって帰ってきたかは覚えていない。
気にしなくていいとか、これからも今までどおりとか会話をした気はするのだが。
気が付いたら布団で寝ていて、一晩寝ても虚脱状態は治らず、ただ椅子に座ってぼうっとしていた。
それでも後悔だけはしていない。
自分は現状に満足せず、勇気を振り絞って告白した。その結果なら、甘んじて受け入れよう。
長い煩悶の末、ドロドロと定まらなかった気持ちをようやく形にすることが出来たその時、

「よう香霖! たしか昨日決行だったよな。結果はどうだった?」

先日背中を押してくれた少女が飛び込んできた。
その口調はおそらく成功と信じて疑っていないからだろう。ありがたい話だが、今はその信頼が痛い。

「ああ、ダメだったよ」

「だろう? だからあれだけ言って……ってはぁ!? ダメ!? ダメって言うのはあれか、ごめんなさいってことか!?」

「まさしくそう言われたよ。自分は幻想郷を守る義務があるから、特定の一人に入れ込むわけにはいかないってさ」

「なんだそりゃ!? 納得いかーん!
 第一あいつは間違いなく香霖に惚れてるはずだぜ!? どう見たって間違いなしだ!」

バシバシとカウンターを叩く魔理沙。どうやらかなり釈然としないようだ。

「君の目も曇っていたということだろうね。とにかく今はそっとしておいてくれないか?」

「いーやダメだ!
 可能性が全くなくなるまでは足掻いてもらうぜ! 一度告白したなら突っ切って見せろよな!
 第一これで見捨てたら恋の魔法使いの名が廃る!」

どうやら魔理沙はまだ可能性があると思っているようだ。
この諦めの悪さは既に美点だな。苦笑しつつも、霖之助はまたしても勝手に諦めようとしていた自分に気付いた。
そうだ、まだ自分はやれることを全てやりきってはいない。
一度紫の気持ちを手に入れてみせると決めたなら、力尽きるまで前進し続けよう。
どうせ振られた身、これ以上失うことなど恐れはしない。

「やれやれ、僕はまた弱気になっていたようだね。ありがとう魔理沙。
 君に目を覚まさせてもらうのはこれで2度目だが、今度こそ3度目の正直だ。こうなったら、とことん悪あがきをしてみせる。
 2度あることを3度繰り返す気はない!」 

「ようし! そうと決まればまずは情報収集だ! 油揚げ借りるぜ!」



「というわけだ。紫の様子はどうなんだ? 藍」

「……人をいきなり呼び出しておいて尋問とはいい根性をしているな」

「人様の油揚げ食っておいて言うことじゃないぜ。そらキリキリ話せ」

「話すと言っても、昨日から部屋に閉じこもって呆然としているばかりだ。話しかけても返事すらまともに返ってこない。
 あれは下手に号泣するよりショックが大きいな」

どうやら紫のほうもかなり気にしているようだ。それを聞いた魔理沙はいっそう活き活きとして話を進める。

「ようし、とにかく紫のほうも香霖がかなり気になってるってことだな。
 まったく義務とかなんとかわかったようなこと言いやがって。
 そんなにショックを受けるってことは、それだけ香霖が好きでたまらないんだろうに」

「それで、お前はどうするつもりなんだ?
 私としても紫様が元気になるなら協力は惜しまんが」

「ふっふっふ、要は簡単だぜ。紫だって本当は香霖といい関係になりたいんだろう?
 そこんとこの気持ちをちょちょいとつついてやれば向こうから香霖の懐に飛び込んで来るはずだ。
 まあ恋の魔法使いに任せておけって」

こうして、魔理沙発案の作戦がスタートした。



それからさらに数日後。
霖之助が会って話をしたいらしい、と藍から伝えられた紫は、気まずい思いを引きずりつつ香霖堂へ向かった。

「……こんにちは」

「やあ、よく来てくれたね。この前はすまなかった」

「ううん、私のほうこそ。それで、話したいことって?」

胸の痛みはともかく、なんとか平静を保つことが出来た。そんな紫の安堵は次の一言で木っ端微塵に砕かれる。

「……実は、この前君に振られた後、ある人物に告白されたんだ」

「え……」

さあっと血の気が引いていく。
告白された。それはつまり、霖之助を好きだと言う女性が現れたということ。

「あ……相手はだれ?」

声の震えに霖之助はあえて気付かない振りをした。

「……申し訳ないんだが、それは言えないことになっているんだ。
 向こうも僕が誰かに振られたことまでは知っているけど、誰かまでは伝えていない。そういう約束で話をしたからね」

「……そう。それで、霖之助さんはどうするの?」

手足の震えが止まらない。
霖之助の答えを考えただけで倒れそうになるが、彼を振った自分にそんなことは許されない。
たとえそれがどんな答えだったとしても、その結論に至った原因は間違いなく自分にあるのだから。

「最初は断ったよ。君に振られたばかりで、すぐに誰かと付き合う気にはなれなかったから。
 でも、彼女がこう言ったんだ。

 私のことが嫌いならきっぱり諦めるけど、誰かに振られたからなんて理由で振られるのは納得できない。
 私と付き合うかどうかを、私と関係ない理由で決めないで欲しい。ちゃんと私を見た上で決めて欲しい。

 それを聞いてショックだったよ。
 僕は僕が振られたばかりで辛いからって、僕を好きでいていくれるその子に同じ思いをさせるところだったんだ。
 だから、彼女の申し出を受けることにしたよ。情けない話さ。君に振られたから、僕に言い寄ってくる別の子となんてね。
 でもそんな自己嫌悪は彼女には関係ないんだ。だから、せめて彼女の気持ちには応えたい」

喉がヒリヒリする。手足の感覚などとうになく、崩れ落ちそうになるのをこらえるので精一杯だ。
事ここに至って、自分がどれだけ霖之助を想っていたのかを思い知らされた。
なにが今の関係は続く、だ。小ざかしいことを考えて、悲劇の主人公を気取っていた自分を八つ裂きにしてしまいたい。
霖之助にしがみついて、恥も外聞もなく泣き喚いて、やっぱり自分も霖之助が好きなのだと叫びたい。

だが、それは出来ない。
自分は彼を拒絶したのだから。彼が何をしようと、文句を言う資格など自分にはありはしないのだから。

「……わかったわ」

なんとか搾り出した声は掠れ、普段の鈴がなるような声とは程遠い。
だが、後一言だけは言わねばならない。

「私が言えた立場じゃないけど、おめでとう……霖之助さん」



自室に戻った紫は、後悔の念に押しつぶされそうだった。
なぜ自分は彼を拒絶したのか。結界の維持という使命は、本当に彼と生きることとは相容れなかったのか。
自分がもっと覚悟していれば。どんなに辛くても、霖之助との生活も幻想郷を守る使命も投げ出さないと腹を括っていれば。

だが、もう取り返しがつかない。
結局自分のせいで、今までのように彼と話すことも、一緒に里へ出ることも出来なくなる。
彼の隣には別の女性がいるのだから。

「……そんなの、嫌」

それでも、湧き上がってくるこの感情は止められなかった。
霖之助の隣を取られたくない。
霖之助の目が、声が、気持ちが、自分でない誰かを向いているのは嫌だ。
そういえば霖之助はこう言っていた。

『明後日、その子と里へ行く約束もした』

と。
紫は自分の中でなにかがメラメラと燃え上がるのを感じていた。



2日後、紫は香霖堂で霖之助を覗いていた。
みっともないことをしているのはわかっている。
霖之助を失いたくないならそう告げればいい。告げることも出来ないなら諦めるべきだ。
心のどこかで冷静な自分がそう叫んでいたが、どちらを選ぶことも出来ず、こうして覗きをしている。
今度は自己嫌悪で心が重苦しくなりつつも、霖之助の監視は緩めない。
見るほうに気持ちが偏りすぎて隠れるほうがおろそかになり、霖之助にはバレバレだったが。

しばらくすると、香霖堂の扉が勢いよく開いた。

「よう、香霖。待たせたか?」

入ってきたのは、霖之助とも紫とも馴染み深い魔法使いの少女だった。
いつもの魔法使い然とした格好ではなく、前の開いた黒いショートジャケットに黄色のレディースTシャツ、
下半身は赤いチェックのプリーツミニスカートにボーダーのオーバーニーソックスと、女の子らしい格好をしている。
頭は帽子を被らず、よく梳いた髪をいつものように一房だけ三つ編みにしていた。

「ずっと家にいたんだから、待っているも何もないさ。 
 ……ふむ、わざわざ着飾ってくれたのかい? よく似合っているよ」

霖之助がそういうと、魔理沙は照れくさそうに頭をかいた。

「そ、そうか? よくわかんないからアリスに聞いたんだが。
 な、なあ、香霖は……その、か、可愛い……とか思って……」

最期は恥ずかしくて言えなかったらしい魔理沙に微笑みつつ、霖之助はその先の言葉を拾った。

「ああ、とても可愛いよ。いつもそうだが、今日は一段とね」

それを聞き、パアッと顔を明るくする魔理沙。
部屋の隅から『くぅっ』といううめき声が聞こえたが、2人とも聞こえない振りをした。

「そ、そうか。よかった。
 よし、急いで里に行こうぜ! 時間が勿体無いからな!」

「ああ、そうしよう」

苦笑しつつ立ち上がる霖之助。その左腕に魔理沙が右腕を絡めてきた。

「魔理沙?」

「い……いいだろ別に。今はその、こ、恋人同士なんだし」

顔を背けながら言う魔理沙。
紫はギリギリギリギリ……という歯軋りの音を隠しもしない。ちらりと目の端をその顔が掠めたが、血涙のようなものが見えたのはきっと気のせいだ。

「もちろんだよ。それじゃあ行こう」

腕だけでなく、手も握って歩き出す2人。
背後からは『はぅぅぅぅぅぅぅぅ』という声と、だれかが崩れ落ちるような衣擦れの音が聞こえてきた。



そして、道中。

「ふっふっふ。動揺してる動揺してる。作戦は順調のようだな。
 スキマを動かしてついて来てるが、こっちの視界をあんまり考慮できてないみたいだぜ。バレバレだ」

「……僕としては、君の演技力に驚かされているよ」

「女を甘く見るなよ香霖。子供と思って舐めていると気がつかないうちに大きく成長しているものだぜ」

話しているのはこんな内容でも、2人とも一応満面の笑みを浮かべている。
傍から見れば睦言を囁きあっているようにしか見えないだろう。
紫のブツブツブツブツ……という声をBGMに、2人は人里に到着した。



例のバイキングに行った霖之助と魔理沙は腕を組んだままケーキをとり、そのまま壁際の席に並んで座る。

「魔理沙、君は右利きじゃなかったのかい?」

「いいじゃないか。一時でも離れたくないんだ。
 ほらほら、可愛い彼女に食べさせてくれよ。あ~ん」

女は怖い。ひとつ賢くなった霖之助は、言われるがままに魔理沙の口へケーキを運んでやった。
紫は流石に店内でスキマを開くほどには自分を見失っていなかったらしく、変装して2つとなりの席に座っている。
店内でサングラスはどうかと思ったが、まさか指摘することもできず演技を続ける2人。

「美味しいかい?」

「美味しいに決まってるぜ! 愛情というスパイスが効きまくってるからな!」

ビキッという音が聞こえた。
顔を動かさずに横を伺ってみると、紫が握っているカップにヒビを入れたらしい。
しかし、ここでひるんでは作戦の意味がない。心を鬼にして笑顔を浮かべ、霖之助は慣れない言葉を囁く。

「それはよかった。胃がもたれるくらいかけてあげるから、存分に味わうといい」

「それはありえないな。かけてもらえばもらうほどもっと欲しくなるんだぜ?」

甘すぎて口から砂糖でも吐けそうな気分だ。
一方の紫はといえば、もう隠れることすら念頭にないのだろう。
どこから取り出したのやら、ハンカチをギリギリかみ締めている。
その異様な雰囲気のせいか、周りの客は見て見ぬ振りをしているらしい。
やりすぎたんじゃないだろうかと内心冷や汗ものの霖之助だったが、魔理沙は手を休めるつもりはないようだ。

「なぁ、ぼおっとしてないでもっと食べさせてくれよ。
 こんな可愛い彼女以外に見るものなんてないだろう?」

肩に頭を預け、上目遣いでこちらを見つつ胸の辺りを人差し指でぐりぐりする魔理沙。
ブチィッという音が聞こえた気がしたが、気にしてはいけない。僕は何も聞いていない。
そう自分に言い聞かせ、霖之助も行くところまで行く覚悟を決めた。



そして帰り道。
精魂尽き果てたらしい紫は、上空でスキマから上半身をだらりと垂らしてまたブツブツ言っている。
行きのように呪詛が篭ってはいない所を見ると、どうやら本格的に打ちのめされたようだ。

「今日はありがとう、魔理沙。楽しかったよ」

香霖堂に入り、ここまでやれば十分だろうと声をかける霖之助。
しかし、魔理沙はもじもじしながら目配せしてきた。
その目はこう言っている。

『ここからが最後の一押しだ』

「あ……あのさ……。
 その……。
 き、今日は……泊まっていっても……いいかな……。
 も、もちろん恋人としてだぜ……」

まさかそんなことまで言うとは思っていなかった霖之助が呆然としていると、魔理沙はとろんとした目で霖之助に近寄り、目を閉じて顔を近づけてきた。
どう見ても本気にしか見えない魔理沙に霖之助は目を白黒させ、気が付くと互いの息がかかるほどに顔が接近していた。
そしてまさに唇が触れようとしたその瞬間、

「だぁめえええーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

絶叫と共に紫が魔理沙を突き飛ばし、霖之助に抱きついた。

「いっ……たあ。何すんだよ紫!」

「ダメよ! もう我慢できない! 霖之助さんをとられるなんていやあ!」

「そうか、お前が香霖を振ったやつだな!
 今さら何しに来たんだよ!? 香霖がお前を振ったんならともかく、お前が振っておいて香霖をとるなだと!? ふっざけんな!!」

「だって……だってぇ……」

「人にとられるのが嫌なら最初から振ったりすんな!
 とにかく、今香霖の彼女は私だ! お前の出番はないからすっこんでろよ!
 それとも何か!? 実はお前も香霖が好きだとか言うんじゃないだろうな!?」

「う……そ、そうよ、私は霖之助さんが好き! 大好きよ!」

「ならなんで振ったりしたんだよ!
 どうせ結界を維持する義務とかなんとか言い訳して自分から勝手に諦めたんだろ!?
 香霖の気持ちも考えずに!
 そんなやつに香霖を渡してたまるか!」

演技をしているうちに本気で腹でも立ったのか、火を吐くような剣幕で怒鳴る魔理沙。
紫も売り言葉に買い言葉とヒートアップしていく。

「ええそうよ! 確かに最初はそう自分に言い聞かせて誤魔化したわ!
 一度霖之助さんを振った私が、あなたと何をしたって文句を言う資格なんてないのもわかってる!
 でも嫌なの! 霖之助さんが私以外の誰かと幸せそうに笑ってるなんて耐えられないのよ!」

「調子のいいことを言うな!
 じゃあ何か!? 一度振ったけどやっぱり香霖の恋人にしてくれってのか!?
 ほいほい言うことを変えやがって! そんなやつの言うことが信用できるかってんだ!」

「調子のいいことを言ってるのは百も承知よ! それでも軽い気持ちで言ってるつもりなんかないわ!
 悩んで悩んで、悩みぬいてやっと出た答えだからこんなことまでしてるのよ!
 はっきり言っておくわ! もう霖之助さんが私を見ていてくれなくても構わない!
 みっともなくても、誰になんと罵倒されても、霖之助さんが振り向いてくれるなら全力を尽くすって!
 そして霖之助さんが応えてくれたら、どんな辛いことがあっても彼を切り捨てたりはしないって!
 命を懸けて、霖之助さんと一生添い遂げてみせる! 八雲の名において誓うわ!」

「……」

「……」

永遠ににらみ合いが続くかと思われたが、よく見ると魔理沙の肩が震えている。
その震えが大きくなり、顔も引きつってきたかと思うと、ついに魔理沙が限界を迎えた。

「ぶはあっはっはっはっはっはっはっはっは!」

さっきまで怒鳴りあっていたかと思えば、いきなり爆笑し始めた魔理沙に呆然とする紫。

「いや~ここまで上手いことハマってくれるとはなあ!
 よかったな香霖! やっぱりこいつお前にベタ惚れみたいだぜ!」

「え? え? え? なに、どういうこと?」

まだ混乱している紫。すると物陰から申し訳なさそうに藍が現れる。

「すみませ~ん、紫様」

「え、あ、藍!?」

「いやいや、いじめて悪かったな紫。
 お前がどうしても意固地になってるみたいだったから一芝居打ったんだ。藍も一枚噛んでるぜ。
 それにしても熱かったぜ。熱くて熱くて死にそうだった!」

ようやく事態を把握する紫。
しかしまだ衝撃のほうが強いらしく、ただただ3人の顔を見渡している。

「それじゃ、邪魔者は退散するぜ! 香霖、今度は逃がさないようにしっかり捕まえとけよ!」

そんな紫を尻目に、魔理沙と藍はもう自分たちに用はないとあっさり帰って行った。



「……あれでよかったのか?」

「ん? なにがだ?」

「いや……お前は店主殿のことを……」

「よしてくれ。香霖は小さい頃から一緒にいた兄貴みたいなもんだぜ?
 お兄ちゃんに彼女が出来たんだから、嬉しいに決まってるだろ」

「……そうか、なら何も言うことはないな」

「さあ、今日は宴会だ! アリスに服の礼もしないといけないしな!」



そして香霖堂では、霖之助に抱きついたまま紫が硬直していた。

「……コホン」

霖之助が咳払いをすると、紫はビックゥッといった感じで飛び上がる。

「ああああああああの、霖之助さん、さっきのはその、えっと」

霖之助から離れて手をわたわたさせる紫を、霖之助はそっと抱きしめた。

「……あ」

「さっきのは、嘘だったのかい?」

寂しそうに囁く霖之助に、紫は慌てて首を振る。

「そ、そんなことはないわ!
 こないだはああ言ったけど、やっぱり私は霖之助さんが好きなの。
 勝手なことを言ってるのはわかってるけど、それでも霖之助さんが誰かにとられると思ったら辛くて我慢できなかった。
 だから……」

「もういい。それだけ聞かせてもらえれば十分だ。
 君を騙すようなひどい男だけど……今度こそ、僕と付き合ってくれるかい?」

「……ええ、もちろんよ。
 わたしこそ、一度振ったくせにこんなことを言う我侭な女だけど、それでもいい?」

「ふふ、じゃあお互い様ってことだね。
 似たもの同士、これからもよろしく頼むよ……紫」

そう言うと、霖之助は真っ直ぐ紫を見つめ、紫はつい、と顔を上げて目を閉じた。
2人の影がゆっくりと重なり、記念すべき一日の夜が更けていった。



翌朝、日の光を顔に受けた霖之助が目を覚ます。
片腕に重みと痺れを感じて見てみれば、最愛の人が頭を預けて眠っていた。
安らかなその寝顔に微笑みながら、そっと髪に指を滑らせる。

「……ん」

どうやら起こしてしまったらしい。寝ぼけ眼でこちらを見つめる紫に、朝の挨拶をささやいた。

「おはよう……紫」

「ん~、霖之助さん……」

ふわふわした笑みを浮かべ、紫は霖之助の首筋にかじりついてきた。
霖之助の首に鼻を擦り付ける紫。霖之助は紫の髪を梳きつつ、自分の頭をコツンと当てた。
結局その日は一日中、同じ布団でゴロゴロとじゃれあうことになるのだった。