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「いやー疲れた疲れた。やっと研究が形になったぜ」

そう言いながら入ってきたのは、最近めっきり足が遠のいていた黒白の魔法使い、霧雨魔理沙だった。

「おや、久しぶりだね魔理沙。だいたい2ヶ月ぶりかな?」

「あ~、そういやこの前来たときは会わなかったんだよな。あの時は口やかましい奴がいたからなあ」

「口やかましくて悪かったわね」

どうやら部屋の隅に居たためか気付かれなかったようだ。人がいないと思って好き勝手なことを言う悪友に声をかける。

「うおっと、今日もいたのかアリス。和裁だか白菜だか知らんが、お前ならもう香霖なんかに教わることはないだろうに」

「なんかとはなんだなんかとは」

「そうよ失礼な。言っとくけど霖之助さんの腕前は相当なものよ?
 だいたい、あんたも裁縫くらい覚えなさいよ。一応仮にも生物学上女の範疇に引っかかってんでしょ?」

「ひどいぜ。こんなに可憐な美少女を捕まえて」

「可憐だと自称するなら、せめて言葉遣いくらい何とかするべきね」

「善処するぜ。んで、まだ香霖にアドバイスもらいにこんな埃臭い所に通ってるわけか。お前も物好きだよなあ」

「別にアドバイスはもらってないわよ。とりあえず一人で作り上げて、何ができて何ができないのか確認するつもりだから」

流れるように掛け合いを続ける2人を眺め、本当に仲が良いなと微笑みつつ口を挟む霖之助。

「この前は一人で作ることにこだわる必要はないとか言ってたような気がするんだが、気のせいだったかな」

「気のせいね。ダメよ霖之助さん、人の話はちゃんと聞かないと。それとも私に話しかけてもらえなくて寂しいのかしら?」

「あれだけ根掘り葉掘り聞き出そうとしていた君がパッタリと質問しなくなったからね。なんとなくしっくり来ないだけさ」

「人間正直が一番って聞いたことがあるわよ?」

「それなら人妖の僕には当てはまらないな」

「ああ言えばこう言う……」

「君がそれを言うのかい?」

今度は魔理沙が2人の会話を眺める。

(……こいつらこんなに軽口叩き合うほど仲良かったか?)

少なくとも前に2人の会話を見たときはもっとよそよそしかった筈だ。
なのに、今の会話からはなんとなく甘い雰囲気すら漂っているように思える。

「何でお前らそんなに仲良くなってるんだ?」

霖之助はアリスとの会話を一時中断、魔理沙の質問に答える。

「そりゃ毎日顔を合わせてれば嫌でも相手のことを理解するようになるさ」

「あら、霖之助さんは私のことなんか分かりたくないって言うわけ?」

「今のは言葉のアヤというか極端な例えを提示しただけだよ。いくら僕でも嫌いな相手に部屋まで貸すほど酔狂じゃない」

「あ~、待て待て待て!」

放っておけばすぐに2人で話を進める。なんとなく自分が蚊帳の外のように思えてイライラする。
おまけに聞き捨てならないことが聞こえた。

「毎日顔を合わせて部屋を借りてる? いつからアリスはここに引っ越してきたんだ?」

「いや、別に住んでるわけじゃないよ。ただ、最初に日本人形を作ってるときは事あるごとに質問しに来てたからね。
 ほとんどうちで作ってたせいか体がこっちに順応してしまったらしい。今では一人で閉じこもっているよりここで作ったほうがはかどるんだそうだ。
 部屋は人形作りの道具や材料の置き場所として提供しているだけさ」

「……ふーん……つまり通い妻か。香霖にそんな甲斐性があったとはなぁ?」

「「通っ……!?」」

アリスだけならまだしも、霖之助までそろって顔が赤くなる。
これが他のやつならニヤニヤとしつこいくらい笑ってやるところだが、今回ばかりはそうはいかない。
自分がからかったのは認めるが、その反応はなんだ。
自分がいくら好意を匂わせても歯牙にもかけなかったくせに。
ストレートに伝えても、回りくどくほのめかしても全く動じなかったくせに。
だから、

「……なんでだよ」

気がつけば、不満が口からあふれ出して止まらなくなっていた。

「なんで!? なんでアリスなんだよ!?
 ついこの前まで赤の他人だったのに! その他大勢の客の一人でしかなかったくせに!!
 私のほうがずっと昔から香霖の近くにいたんだ!
 実家で修行してるときも!
 この店を建てたときも!
 私が実家から出てった時だって!
 途中でふらっと出てきたくせに私の場所を取らないでくれよ! そこはお前の場所じゃない!!
 今までもこれからも死ぬまでずっと! 香霖に一番近いところにいるのは私なんだ!!!
 他のやつに取られるなんで耐えられないんだ!!!
 だから……だからっ……」

「……魔理沙」

声が詰まって俯いてしまった魔理沙になんと言って良いか分からず、霖之助はただ名前を呼んだ。
ビクッと肩を震わせ、顔を上げた魔理沙の両目は、今にも涙が溢れそうになっていた。

「……う……うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

耐えられなくなったのだろう。魔理沙は箒をつかむと、叫びながら香霖堂から飛び出していった。

「魔理沙……」

こちらはアリス。
考えたこともなかった。いつも自分勝手で人の迷惑を顧みないあの魔理沙がこんなに取り乱すことがあるなんて。
魔理沙は強いわけではなかった。弱い自分を一生懸命隠して、それを他人に絶対に悟らせないようにしていただけなのだ。
気付かなかった? 違う。気付こうともしなかった。
思えば霊夢は魔理沙の内面をなんとなく察していたような節がある。だからこそ、魔理沙と上手くやっているのだろう。

「……やれやれ」

そんなアリスの思考は、もう一人の当事者によって中断することになった。

「霖之助さん……」

「驚かせてしまったようだね。だいぶ成長したようだが、あの子もまだまだ子供のようだ」

なぜ……そんなに落ち着いているんだろう?

「多分、父か兄が取られて悔しいような気分なんだろう。しばらくそっとしておけばまた元気に……」

パァン!

「あなた……本気でそんなこと言ってんの……?」

考えるより先に、全力で目の前の男を張り飛ばしていた。
ずれた眼鏡を直すことすら忘れているのだろう、呆然としてこちらを見ている霖之助にさらに苛立ちを増す。

「朴念仁だとは思ってたけどここまで救いようがないとは思ってなかったわよ!
 お父さんが取られた!? お兄さんが取られた!?
 ふざけんじゃないわよ!
 そんなことで女の子が、あの魔理沙が! あそこまで取り乱すわけがないでしょうが!
 人の感情に疎いのも大概にしなさいよ!」

ああ、さっきの魔理沙と同じことをしてる。
どこかで冷静な自分がささやくが、止められない。

「他人の気持ちなんて気にならないような顔をして!
 気にならないんじゃないわ。分からないのよ!
 勝手にああだろう、こうだろうって結論付けて、それを疑いもしない。
 普段なら笑って済ませてあげるけどね、今回だけは絶対許さない!
 自分が何をしたのか、なんで魔理沙が泣いてるのか、悩んで悩んで悩みぬきなさい!
 それが分かるまではそのとぼけた顔を見せないでちょうだい!」

そう言い残すと、アリスもまた香霖堂から出て行ってしまった。



「荷物……置きっぱなしだったなあ……まあいいか……」

怒鳴り散らして出てはきたが、少し言い過ぎたかもしれない。
そもそも魔理沙の内面を見ようとしていなかったのは自分も同罪だ。
それなのに自分だけは分かっていたような言い方。
自己嫌悪で足が止まりそうになるが、それを押し込めてでもやるべきことが残っている。
とにかく足を進めるアリスが辿り着いたのは、魔理沙の家の前だった。

大きくノックするが、返事はない。
それでも、今の魔理沙が他の誰かのところに転がり込むことは考えられない。
深呼吸して、家の中の魔理沙にも聞こえるよう声を上げる。

「魔理沙……いるんでしょう?」

「まずは謝っておくわ……。
 そんなつもりはなかったけど、結果として私はあなたから霖之助さんを奪おうとしている。
 しかもあなたが研究でいない間にこそこそとね。
 卑怯といわれても構わない。それだけのことをした自覚はあるもの」

やはり返事はない。だが間違いなく聞いているはずだ。
そして、アリスは決定的な言葉を口にする。

「それでもこれだけははっきりさせておくわ。
 私は霖之助さんが好き。今までに出会った誰よりもね。
 だから誰にも渡したくはない。例えあなたや他の誰かに恨まれたとしても。
 あなたはどうなの?
 こうして一人で閉じこもって泣いてるだけなの?
 失いたくないなら、奪われたくないなら……立ち上がりなさい。
 それができないなら、あなたの思いは所詮その程度のものだったということになるわ。
 どういう結果になるかはまだ分からないけど、あなたの想いが本物なら、また私の前に立ちふさがりなさい。
 ……待ってるから」

勝手なことを言っている。謝っているのか喧嘩を売っているのか分かったものじゃない。
魔理沙にはすまないと思う。それは間違いない。
それでも霖之助を失うのは嫌だ。
……自分は一体何がしたいのか。
霖之助に怒鳴ったのも意味が分からない。魔理沙の方を向いて欲しいわけではないのに、魔理沙の気持ちを考えろなどと。
とにかく、自分も気持ちを整理する必要があるだろう。



アリスが遠ざかる足音が聞こえる。
声は聞こえていた。
だが、答える気にはならなかった。
自分がいない間に霖之助を取ろうとするアリス。
自分の気持ちになんて気付こうともしてくれなかったのに、知り合ったばかりのアリスといちゃついてた香霖。
2人とも大嫌いだ。
そして、そんなことを考えている自分はもっと大嫌いだ。
ベッドにうずくまったまま、とにかく今は何もしたくなかった。



アリスが飛び出していった香霖堂。
霖之助は魂が抜けたような顔をして座り込んでいた。
思い出すのはアリスの言葉。

―――自分が何をしたのか、なんで魔理沙が泣いてるのか、悩んで悩んで悩みぬきなさい!―――

かつては、自分がすでに男としては枯れているものと思っていた。
だが、アリスと触れ合ううちにそれは自分の思い込みだと気付いた。いや、アリスが気付かせてくれたのだ。

……魔理沙の顔が頭に浮かぶ。

小さいころは甘えん坊だった。
年の割りに賢かった。
魔法を志してからは父親とそりが合わず、自分が何度も仲裁に入った。

自分が霧雨の家を出てからも縁は切れていない。
研究に行き詰ればここに来て一言二言口をこぼし、帰っていく。
うまくいったら嬉しそうに自慢しにくる。
店のものを持っていく代わりに差し入れをもらうことも多い。
料理を振舞ってくれることもしゅっちゅうだ。

ここまでなら仲の良い兄妹と言っても差し支えないだろう。
だが、

―――安心しろ。香霖を好きになる物好きな女がいなくても私がもらってやるぜ―――
―――貰い手がなかったらよろしく頼むぜ―――

こんなことは兄妹同士で言ったりしない。
なのに、本気に取ったことは一度もなかった。
自分に見せる彼女をそのまま彼女の本質だと思って疑いもせず、ただの軽口と切って捨てた。
どんなに年が経っても、言葉遣いや表面上の性格が変わっても、魔理沙は魔理沙だったというのに。
小さいころのまま、甘えん坊で寂しがりやな女の子だったのに。
今ならわかる。彼女が軽口に見せかけて、その裏でどれだけの緊張と不安を押し殺していたのか。

「最低だな……」

「ええ、本当にね」

独り言に対する、ありえないはずの返答。
こんなことをするのは一人しかいない。

「見ていたのかい……? 紫」

「ええ、あの人形遣いがここに通うようになってからさっきの顛末までずっと」

背後に気配を感じる。スキマから上半身を出して話しかけているのだろう。

「いまさら覗いていたことをどうこう言う気もないが……情けないところを見られてしまったね」

「そうね。さっきのはちょっといただけなかったわ」

ふぅ、とため息を吐く。
手厳しいことだが、今はその率直な物言いが心地よい。

「それで? あなたはどうするつもりかしら?」

「どう……か」

「まさかここまで来て選べないなんて事は言わないでしょうね?
 事態をここまでこじらせたのは間違いなくあなたの責任。ならこの問題はあなたが片をつけないといけない」

「そう……そうだね。わかってはいるつもりさ」

わかっている。これは自分が答えを出さないといけない問題だ。
そんなことは痛いほどわかっているのに、それでも自分の気持ちははっきりしていない。
情けなくて腹立たしくて自分を殴りつけたい心境だが、そんなことをしても何にもならない。

「一つ……簡単に済ませるほうがあるわよ?」

その言葉が耳に届くと同時に、両肩に重みを感じる。
しなだれかかって来た紫は、霖之助の耳元でさらに言葉をつむぐ。

「私を選んでくれたら、全部きれいに収めてあげる。
 私の持つありとあらゆる力を持って、元の鞘に必ず戻してあげる。八雲の名において誓うわ。
 ……そのかわり、私をあなたのものにして」

それは、抗いがたい甘美な誘惑。
確かに、彼女の能力を持ってすればこの問題はすぐにでも解決するだろう。
しかも幻想郷最高の妖怪を伴侶に持つ。これ以上の名誉は幻想郷に存在しない。

だが、その選択はありえない。

「君にそこまで言ってもらえるとは光栄だが、受けるわけにはいかないな」

「あら、やっぱり? まああなたならそういうと思っていたけど」

そういうと、紫はあっさり霖之助から離れた。

「じゃあ、しっかり考えて答えを出すことね。
 この八雲紫を振った男が生半可なことをしたら、永劫許さないからそのつもりでね」

「紫、君は……」

彼女なりに励ましてくれたのか。それとも……。
そんな思いがよぎった瞬間、唇を指で押さえられた。

「変なこと考えるんじゃないの。それじゃあね霖之助。頑張りなさい」

そういい残して、紫はスキマに戻っていった。

「ああ、もちろんだ。ありがとう、八雲紫――」

さあ、ここからは自分の仕事。



――紫の自室にて――

「はぁ……私も完全には悪役にはなりきれないのね……」

たったいま香霖堂から戻ってきた紫。
霖之助が考えたとおり、彼女も霖之助に淡い思いを抱いていた。
そんな彼女がアリスの接近を許したのは、ひとえに楽観と自信が原因だった。

客観的に見て自分は美人だと思う。
妖怪や人間を問わず言い寄る男はいくらでもいた。
だから焦る必要はない。
アリスのような1000年も生きていない小娘に自分が遅れをとることなどありえない。
そう思って放置していた。
もっと早く、自分から積極的に動いていればこんな事態にならなかったであろうことも知らず。

気付けば女にあれだけなびかなかった霖之助がアリスと懇意になっていた。
そのときにはもう手遅れで、なまじ明晰な頭脳を持つだけに、自分にはもうチャンスが訪れないことを理解してしまった。

これは自分の自業自得。
相手を侮り、自惚れていた自分の落ち度。

だから、泣くのはこの一回きりだ。

ぎゅっと目を瞑る。目じりにたまっていた涙は頬を伝い、ぽろぽろとこぼれ落ちた。
だがそのまま落とすことはしない。涙の落ちる先にスキマを開き、回収する。
自分の式は優秀だ。涙の跡でもあれば簡単になにがあったか察してしまうだろう。
いや、おそらくはもう気付いているのだろうが。
さあ、もうすぐ式の式が食事の時間を伝えに来るだろう。
それまでには、悲しみも後悔も心の奥に封じ込めてしまわないと。

「藍さま。まだ紫さまをお呼びに行かなくていいんですか?」

「もう少し、もう少しだけ待ってくれ橙」

妖怪は精神的な病に弱い。つまり心の傷の治りが遅いということだ。
たとえ霖之助がどんな答えを出したとしても、今現在人間の魔理沙や元人間のアリスはそう長くないうちに立ち直ることだろう。
だが妖怪の紫はそうはいかない。表には出さなくても、10年、20年、いやもっと長く心の痛みは残る。
だから今は、もう少しだけそっとしておきたい。

その日、マヨヒガの夕食はいつもより少しだけ遅かったという。



一体どれくらいの時間がたったのだろうか。
部屋を閉め切っているから、今が昼か夜かもわからない。
ずっとベッドにうずくまっていたせいか、体中が硬くなっているのがなんとなくわかった。
霖之助とアリスに対する負の感情はピークを越え、今は小康状態だ。
代わりに、自己嫌悪が心をじわじわと侵食していた。

「……やっちまったなあ……」

もっと賢い方法があったかもしれない。
あの時点での行動次第では、今のような未来が訪れはしなかっただろうに。
合わせる顔がないというのはこういうことかと、体験して初めてわかった。全く嬉しい経験ではないが。

「……はは」

そんなことを考えている自分がおかしくて、声に出して笑ってやった。
今考えることはそんなことじゃないだろう。
少し冷えた頭は、アリスの言葉を浮かべてくる。

―――あなたの想いが本物なら、また私の前に立ちふさがりなさい―――

最初は、諸悪の根源が何を、と思った。
しかし、よく考えてみればおかしな話だ。
アリスが霖之助を奪いたいなら、そんなことを言いに来る必要はない。
兄を取られたようで悔しいんだろうとでも言っておけば、あの朴念仁は簡単に騙される。そして自分が沈んでいるうちにまんまと篭絡すればいい。
これ以上簡単な話はないはずなのに、アリスはわざわざ恋敵を激励しに来た。

そもそも今から対等な勝負を挑んだって結果は目に見えている。
店での反応を見れば一目瞭然。霖之助の気持ちが誰にあるのかわからないほど短い付き合いではない。
だがアリスはそんなことを微塵も考えていないのだろう。本気で正々堂々と戦う気だ。

(あいつらしいと言うかなんと言うか……)

そうだ。アリスはそういうやつだった。
普段は斜に構えたような態度で、自分の好意を意地でも悟らせないような言動が目立つ。
なのに、人が迷惑かけても文句は口先ばかりで、困っていたら損得抜きで助けてくれる。
ひねくれもののおせっかい。
今回もきっとそうだ。

「……やれやれ」

気がつけば口元が緩んでいる。
ああ、全くこんなの自分らしくない。

勝ち目なんかないに等しい。立ち上がったところで、また打ちのめされ一敗地にまみれるだけだろう。
それでも、膝を屈することは許されない。
せめて、あの不器用で真っ直ぐな友情だけは失わないために、決着だけはきっちりつけてやる。

「悲劇のヒロインなんて、真っ平ごめんだぜ」



一方、アリスはいまだに自己嫌悪の渦から抜け出してはいなかった。
魔理沙にはああ言ったものの、この件で自分に何ができるというのか。結局のところ、自分か魔理沙かを選ぶのは霖之助だ。
自分はただそれを待つだけ。いまさら霖之助の気を引くことなどできるわけがないし、これ以上魔理沙に塩を送るような真似もできない。
結局全て自分のエゴだ。霖之助を魔理沙から掠め取るような真似をしたくない。それなのに、霖之助を失うのが怖い。

「アリスーーー! 出てこーーーい!」

ああ、ついに幻聴まで聞こえ出したか。
いまあいつがここに来るわけなんてないのに。

「いるのはわかってんだ! 出てこないならこの家吹っ飛ばすぜ!?」

うるさい。今はそっとしておいてくれ。

「よーし良い度胸だ! さーん! にー! いーち!」

ああもう、幻覚までが自分を追い詰めるというのか。

「うるさいわね! 用事があるならそっちが勝手に入ってくれば良いでしょ!?」

怒鳴りつけると声は聞こえなくなった。
やはり幻聴か。自分もなかなか追い込まれている。
そう思った瞬間、

ガチャ

「人が折角立ち直ってきたってのに。全くご挨拶なやつだ」

あれ?

「ほらさっさと立て。香霖のとこに行くぞ」

「何……で……?」

なぜこいつがここにいるんだろう。

「何でってお前が言ったんじゃないか。また立ちふさがりに来いって。それともありゃ嘘か? ほら、早く立てって。」

「あ……うん」

「よし、じゃあ香霖のとこにいくぞ。あいつにはきっちりカタをつけてもらわないとな」

「ねえ」

「あん?」

「あんたはそれで良いの? なんなら私は何日かじっとしてるからその間に……」

「おいおい、私をなめるのも大概にしろよ」

睨みつける魔理沙。

「そんなお情けをかけてもらって、それで勝ったからって何も嬉しくないぜ。
 どんなに不利な状況でも構わない。自力で勝ち取ってこそ意味があるんだ
 お前が私の立場でもそうだろう?」

言葉が詰まる。そうだ。もう自分にできることなんて何もない。
威勢のいいことを行っておいて情けない限りだが、霖之助の選択を甘んじて受け入れよう。

「わかったわ。あんたは本当にそれで良いのね?」

「くどいぜ。女に二言はないって言うだろう?」

魔理沙がここまで言うのならば、もう何も言うまい。
後は霖之助がどのような選択を取るのか、ただそれだけだ。

2人の魔法使いが並んで空を舞った。



「……」

最近ここまでひとつのことを考え続けたことがあっただろうか。
自分に好意を寄せる2人の少女、アリスと魔理沙。

魔理沙とは彼女が物心ついたときからの付き合いだ。
人前では常に明るく振舞い、陰で血のにじむような努力を続ける少女。
自惚れかも知れないが、彼女の支えになってきた自信はあるし、そのことを誇りに思う。

アリスとはつい最近一気に距離が縮まった。
皮肉屋で素直じゃないが、思いやりのある優しい少女。
ここ1ヶ月ほどの、彼女がいる生活はとても充実していた。

どちらかが選ばれ、どちらかは選ばれない。
残酷なようだが、2人とも幸せにするなんて言っても彼女たちは納得しないし、そんな都合の良いことは口が裂けてもいえない。
審判を下すのは自分だ。理屈ではなく、2人のうちどちらと生きていきたいのか、自らの感情を問う。

そして、その答えはすでに出ていた。



「入るわよ」

「じゃまするぜ」

件の2人が店に訪れる。

「用件はもうわかっているよな?」

「はっきり聞かせて頂戴。あなたの口からね」

「……ああ」

2人の顔を交互に見つめる。
もう一度だけ、目を閉じて心に浮かぶ少女の顔を確認する。
心臓はこれ以上ないほど早鐘を打ち、手のひらは汗がじっとりにじんでいる。
だが、逃げ出すわけにはいかない。

「……魔理沙」

2人の反応は異なる。
魔理沙はさらに顔を険しくし、アリスは唇をかみ締め、顔をそらす。
ああ、おそらく2人はわかっている。次に続く言葉を。

「すまない。僕は君を選ぶことはできなかった」



目を閉じ、息を吐く。

―――ああ、やはりそうか―――

覚悟はしていた。予想もしていた。
なのに、面と向かって言われると想像以上に堪える。いっそ崩れ落ちてしまいたいくらいだ。
それでも、今度ばかりは取り乱すわけにはいかない。

「はあ~あ、やっぱりな」

「やはりわかっていたんだね」

「まあな。何歳からの付き合いだと思ってんだ? 香霖の考えなんてお見通しだぜ」

「……」

「なに辛気臭い顔してんだよ全く。あれだけ女っ気がなかった香霖がこんな良い女に言い寄られるなんて金輪際ないぜ。
 それも2人同時にだ。もっと喜べよ」

「魔理沙……」

今度はアリス。
なんともいえない顔をしている彼女にも声をかける。

「お前も同じだよアリス。たった今想いが通じたんじゃないか。笑わないなんてそれこそ私に対して失礼だぜ」

自分自身よくこんなに口が回ると思う。
多分、ごまかしているだけなんだろうが。

「さて、そうと決まればこんなとこに用はないな。若い2人に任せて退散させてもらうぜ」

「……ああ」

「じゃあな香霖。これでアリス泣かしたら許さないぜ」

さあ、一刻も早く外へ出よう。取り繕うのはもう限界だ。



そして店には2人が残る。
しばらく沈黙が続き、それをアリスが破った。

「霖之助さん」

「なんだい?」

「これでよかったの? 本当に私でいいの?」

その表情からは喜びを見て取ることはできない。
魔理沙のことが気になっているのだろう。

「ああ。いつものように理屈でどうのこうのとは考えなかった。
 僕が店にいて、その傍らにいて欲しいのが誰か。それを考えたとき、真っ先に浮かんだのが君だったんだ」

「……そう」

そうしてまた続く沈黙。

「ねえ」

「うん?」

「今日は帰ることにするわ。まだ気持ちの整理ができなくて。
 あ、嬉しくないわけじゃないの。でも、まだ素直に喜べないから……」

「ああ。急ぐ必要はないさ」

そうして店を出ようとするアリスの背中に声をかける。

「そうだ、一つ伝えないといけないことがあった。
 次に君が来たときには、是非とも渡したいものがあるんだ。
 ……待っているよ」



香霖堂を飛び出した魔理沙は、とにかくスピードを上げて箒を飛ばしていた。
歯はきつく食いしばられ、目は前を見ていない。
山から一本だけ突き出た大木。それに向かって突っ込んでいくが、顔を伏せている魔理沙は気付かない。
あわや激突かと思われた瞬間、魔理沙は目の前に開かれたスキマに飛び込んでいった。

気がつけば、布団の中にいた。
見覚えのない部屋。一体ここはどこだろうと思った瞬間、声をかけられる。

「危ないわね全く。自殺なんかされたら霖之助さんが悲しむわよ」

「……お前か、紫」

「ええ、久しぶりね」

「……見てやがったのか」

「もちろん、一部始終をね」

「それで? 惨めな私をあざ笑いに連れてきたってのか?」

「命の恩人に失礼なことね。それに、私にはあなたを笑うことはできないわよ」

「……」

その言葉を聴いてなんとなく察する。

「で、その大量のつまみと酒はなんだ?」

「わかってるんでしょ? こういうときは呑んで呑んで呑みまくるものよ」

「……まあいいや。どうせ呑むつもりだったしな。ここか家かが違うだけだ」

「そうそう。じゃあ乾杯ね。」



それから数十分後。

「随分呑んだわねえ」

「なあ~にまだまだこれからよお~」

2人で次々瓶を開け、気付けばすでにかなりの量を飲んでいた。
そろそろ溜め込んだものを吐き出させようと、紫は魔理沙の本心を尋ねる。

「で、どうなの? まさかすっぱり諦めきれたわけじゃないんでしょ? 言いたいことがあるなら吐き出してしまいなさいな」

少し目を左右にやる魔理沙。酔いはやや醒めたらしく、迷いつつもぽつぽつと話し始めた。

「最初はさ……あいつらが憎くて仕方なかったんだ。
 私のいない間にこそこそしやがって……って。
 でも段々、自分に対する後悔のほうが大きくなってくのがわかったんだ。
 何でもっと積極的に行かなかったんだろう。
 貰い手がなかったら頼むなんて軽口でごまかして、そんなんで香霖が気付いてくれるわけないって知ってたのに。
 まだ私は大人になってないから、もっと大人にならないと香霖とは釣り合わないからって、本気になるときを『今』から
 『いつか』にすり替えてた。
 そんなことをしているうちに、『今』本気になってるアリスが香霖を動かし始めたんだ。
 気がついた時にはもう手遅れで、香霖はすっかり私の方を向いてなかった」

その言葉に思うところはあったが、今はとにかく聞き手に徹する。

「なんで『いつか』なんて考えてたのかなあ。チャンスなんかいくらでもあったはずなのに。
 やりたいこともいっぱいあったんだぜ。
 唐突に『愛してるぜ』とか言って香霖を赤面させたり、
 新しい料理を覚えて『おいしいよ』って言わせたり。
 祭に2人で手をつないで出かけたり、
 花見や月見でのんびり酒を酌み交わしたりもしたかった。
 同じ布団で寝て、香霖の腕を枕にして。寒いからぴったりくっついて『これで寒くないぜ』ってささやいたり。 
 つい何ヶ月か前まで、手を伸ばせば届いたかも知れなかったのに、今じゃもう届かないんだ。
 どんなに泣き喚いても、力づくで奪い取っても、それは私が欲しかった香霖じゃない。

 ……私を一番愛してくれる香霖じゃないんだ……」

そこまで言うと、魔理沙は肩を震わせて俯いてしまった。

自分もこの子と同じだ。
その気持ちは手に取るようによくわかる。
だから、魔理沙の頭を優しく胸に抱いた。

「泣いたっていいのよ。あなたはまだ若いんだから。
 こういうときは、泣いて泣いて全部吐き出しなさい。
 そうして成長していけばいいの」

そう言いながら魔理沙の頭を撫でる。

「うっ……ぐっ……うわああああああああああああああ!」

いちど決壊してしまえば、もうあとは吐き出すだけ。
爪のあとが残るほど強く紫を抱きしめ、魔理沙はいつまでも泣きじゃくっていた。



2日が経過した。
しかし、まだアリスはやってこない。

(もう少し時間がかかるのかもな……)

そんなことを考えつつ、霖之助は先ほど届いた文文。新聞の号外を開く。
その目に飛び込んできたのはこんな記事だった。


『熱愛発覚! 香霖堂店主森近霖之助と、七色の人形遣いアリス=マーガトロイド!』


同じころ、アリスもその記事を目にしていた。
つい先ほど、この新聞を作った本人、射命丸文が直接渡しに来たのだ。

「この号外はあなたが見なくちゃダメなんです! 今回情報をくれた人から頼まれたんですから!」

何が言いたいのか良くわからなかったが、どの道今は何も手につかない。
まあ気を紛らわすくらいのことはできるだろう。
そう思って新聞を開いた瞬間、アリスの頭は一気に覚醒した。

新聞の内容を要約するとこうだ。

『いつものようにネタを探していたところ、急遽取材の申し込みがあった。
 渡りに船とその人物にあえば、なにやら人知れず咲いた恋があったとのこと。
 しかもそれが有名な魔法の森に住む2人、森近霖之助とアリス=マーガトロイドと聞けば、これは記事にせざるを得ないと判断した』

その後は2人の馴れ初めについて記されている。
情報提供者の名前を見ると、こう書いてあった。

『霧雨 魔理沙』



「……ここまでお見通しってわけね」

どこまでも世話焼きなやつだ。
自分が失恋した直後だというのに、アリスが魔理沙のことを気にして動けなくなることまで考えていたのか。
ここまでされては、自分も腐っているわけにはいかない。
人の恋路を勝手にばらすのは不届き千万だが、背中を押されたのも事実だ。
この記事を見た読者が押し寄せる前に、霖之助の下へ。



バタン!
勢いよく戸が開く音を聞きつけて目をやると、ここ2日待ち焦がれた少女の姿があった。

「……見た?」

何を、とは聞かない。

「ああ。全くあの子らしいな」

「そうね。私もようやく覚悟が決まったわ」

2人で笑いあう。どちらかといえば苦笑に近い笑みだったが。

「それでは僕の思いを伝える前に、この前話したものを渡そう」

そう言って奥に引っ込む霖之助。
戻ってきた霖之助の手に乗せられていたのは紙の包み。

「開けてごらん」

言われるがままに包みを開く。
出てきたのは、非常に細かな刺繍が施され、生地も糸も高級な品を使用した『振袖』であった。

「これを……私に?」

「ああ。……それは僕の、母の形見なんだよ」

「え?」

目を丸くするアリスを眺めつつ、話を続ける。

「僕が人間と妖怪のハーフということは知っているだろう?
 人間だったのは母のほうでね。それなりの良家の一人娘だったらしい。
 父は母が僕を身ごもったあと、親族たちに追われ、今は行方知れずだ。
 母は妖怪の子を宿したために家を勘当されたそうなんだが、そのとき母親、つまり僕の祖母からこの振袖を
 渡されたそうだ。
 祖母も曾祖母から譲り受けたもので、母が嫁に行くときに着せたかったそうだが、今話したような事情でそれも
 適わなくなってしまった。
 だからせめて、まだ見ぬ孫が女なら孫に、男ならその伴侶となる女性に受け継いで欲しい、とね。
 この話を聞いたのは母が他界する直前だった。もう何十年も前の話さ」

「……そんな大事な物を私がもらうわけには「アリス」」

軟らかくアリスの発言をさえぎる霖之助。

「僕と君が、初めて和服について語った時の内容は、まだ覚えているかい?」

当然忘れてなどいない。
確か、和服は着る人間が代わっても大丈夫なように厳密な採寸をしない。
そしてその理由は

「……あ」

大事な着物を、子へ、孫へ。
何年も何年も大事にしてきた着物だからこそ、それを授けることによって、


相手に愛情の深さを伝えるのだ。


「……」

言葉もないアリスに、霖之助が声をかける。

「その着物以上に大切なものは、僕の店にもない。値打ちの問題ではなく、ね。
 これが僕の答えだ。
 ……受け取ってくれるかい?」

ともすればあふれそうになる涙を必死に抑える。
今は泣くときじゃない。笑うときだ。
そうしてアリスは霖之助に応える。

「はいっ!」

その顔は、見るもの全てを魅了する最高の笑顔だった。



魔法の森の入り口に存在する店、香霖堂。
そこを訪れた客に、店の名物は何かと問えば、皆が口をそろえてこう言った。

それは、いつ見ても仲睦まじい銀髪と金髪の夫婦である、と