2009


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2009/12/20 日本の自殺と宗教

 都会では自殺する若者が増えている(以下省略)・・・・井上陽水の「傘がない」という歌の歌詞にあるように日本では自殺者が増えている。最近は若者ではなく働き盛りの40~50代が多いようだが。しかし都会で多いというのは今も昔も変わらないようだ。過疎化した年寄りばかりの村では亡くなる人こそ多いが自殺者は多くないと思う。都会に人は集まり都会で自殺していく。日本は何かがおかしい。都会に憧れ集まり失望し自殺していく。田舎に住んでいれば死ぬほどまではないのに。自分を過信し背の丈以上の何かを求め叶わぬのを判れば自殺する。
 そんな人の多くは確固たる個人の理念、信念がないからだと思う。何がそうしているのかと考えると、宗教の衰退が一番の原因だと思う。田舎では少なくとも日本の宗教はかろうじて生きていると思うが、都会では宗教は死んでいる。宗教には生死というものが付きまとう。生かされている喜びを毎日感謝し、死を身近に実感させてくれる。そういう私も宗教から離れ生まれ故郷から離れてはいるが、幼少期からの宗教の死生観は肌に染み付いている。大人になってから経験した斎場での通夜や葬儀はなんとも味気ない。それに比べて田舎の、本当に生きている宗教の葬儀は・・・厳かで人間の生命の重みと歴史を感じ、死というものを脳内にガツンと叩き込まれる。日本人には死生観という根本の理念が揺らいでいる。
 しかし、世界中で宗教が生活に溶け込んでいる国で日本より平和な国があるだろうか?というか日本より平和な国があるだろうか?日本は宗教を捨てる代わりに平和をいただいたんだ。戦争で死んでいく人が居ない代わりに自殺者が居るのだ。宗教が個人に浸透するという事は政治家も何かしらの宗教を信じているという事だ。そういう国では政治に宗教が深く関わる。そうすると宗教戦争や民族紛争が起こる。
 日本が平和で住み易い国となるにはどうしたらいいのか、個人と宗教はどう関わるべきなのか、国や個人が新興宗教をどう理解していくのか。日本人はもう一度考え、将来の子供たちに道筋を示さなければならないと思う。

2009/12/13 原発とゴミ廃棄

 原発とゴミ処理場を日本で新しく作るとなると、たいていは反対が起こる。どちらも必要不可欠で、日本の大きな問題だ。化石燃料を使った発電所がCOxをを出すということで最近は原発のクリーンエネルギーが再度見直されている。ゴミ処理も最近の科学技術の進歩でCOxを多く出さない焼却処理場があるのはあるが、焼却できないものは今でも地中に埋めて処分する方法が採用されている。
 この2つの施設建設に反対する人は自分の町には作ってほしくなく隣の自治体になら作ってもいいという事だろうか?最近は自治体を越えてゴミが処分されている事もあり処理場ができたからといって、処理場のある自治体から出たゴミだけを処分するわけではない。特に自治体も建設に頭を痛めていて、作るとなると人里離れた山の中が多いようだが、そういうところは人口も少なく、そもそもゴミの量が少ない。すなわち他の自治体から出たゴミまで処分する施設だと思う。そうなるとそこに住んでいる住人は反対するわけだ。
 都会に住み原発やゴミ処理場が近くにない人こそ多くの電気を使い、多くのゴミを出している事に注意して田舎にできる施設を見守らなければいけないのだ。いっそ都会のど真ん中にこの2つの施設を作ってエネルギー問題とゴミ問題を直視してはどうだろうか。環境問題にどれだけ熱心でもこの2つの事から目を背けてはいけないと思う。

2009/10/03 教育問題

 民主党は子供支援としてお金を国民に配る政策を打ち出している。少子化が社会問題として取り上げられている今の日本で、この政策は将来の日本にどのような影響を与えるのだろうか?と考えている。子供が少ないのに保育園の数が少ないとか、そもそも共働きで子供を生まない夫婦が多いとか、子供を取り巻く日本の課題は山積だ。
 数年前は『ゆとり教育』の実施や廃止で大きく日本政府の子供の教育政策はブレまくった。いったい将来日本という国家をどうしたいのか、日本人の将来の幸福とは何なのか、子供の教育政策は国家の将来像であり、日本人の未来ということを政府は理解しているのだろうか?総理大臣もコロコロ変わるし政策も一貫した理念も感じられない。それでは国際的信用も上がらなければ、日本の将来にも不安を覚える。福祉と経済的な不安に加えて国家政策としての教育問題に一貫した理念と哲学を持たないことが、少子化に少なからず起因していると思う。

 私の子供時代は今のように豊かな社会ではなかったが、団塊の世代の子供として第2次ベビーブームといわれていた。少年時代を過ごしたのが田舎だったせいもあるが、今の子供達よりはのびのび自由に遊んでいた。私には子供は居ないが、今の子供達を見るとかわいそうに思える。
 しかしどうして子供は窮屈に遊ぶようになってしまったのか?私は少子化が問題だと思っている。昔の家庭には4人兄弟5人兄弟が珍しくなかった。当時の4人5人の子供を持つ親が考えていた事と今の1人しか子供を持たない親の考え方は大きく変わっているだろう。
 昔の親だったら、「今やっている家業を継いでくれる子供が一人はでてくるだろう」とか「老後は誰か介護をしてくれるだろう」という考えを持っていたと思う。今の親の目線はどうだろう?想像でしかないが、「十分な教育を受けさせよう」とか「幸せな暮らしをさせたい」ではないだろうか?この違いを比べると、今の親の考えは子供にズームアップし、今何ができるかという事が最も重要になっている。どうしてそうなっていまったのか、それは生物的な種の保存の原理が働いていると思う。自分達の遺伝子を受け継ぐ子供が少なければ少ないほど、子供を守ろうとする親の本能に基づいている。
 もちろん、今は昔に比べて治安も悪くなっているし経済状況も悪い。ますます親としては子供の安全と将来の幸せを願って、子供にかけるお金や時間が多くなっているのだろう。
 私の子供時代は親の教育方針もあってか、自由だった。自由という言葉は非常にあいまいで、説明が必要だ。一見、今の子供のほうが何かほしいと言ったら何でも買ってもらえたり、留学に行きたいと言ったら行かせてくれるので、自由のように思えるかもしれません。そういう意味でいったら昔は不自由でしたが、子供が子供だけでやれることは親が口出ししない自由があったということです。
 今は子供のバイトは禁止されているけど、昔は平気で小学生でもバイトしていました。ほしかったら、自分で稼ぐ。いろんな方法を考えてお金を手に入れる、そこから社会とのつながりやお金に対する価値観も生まれたようなきがします。
 はっきり言うと、今は過保護すぎるんです。子供達では達成できない事も親がやってあげて、子供は勘違いしたまま大人になってしまう。その結果、社会人になって、あまりにも過酷な現実についていけない人が多いような気がします。
 子供の自由とは子供の力だけで子供がしたいことを何でもさせるという事です。今の教育制度に最も欠けているもの、それは『子供達自ら問題点を見つけて自らで考え、解決して行く事』だと思っています。グローバル社会の中で生き抜くタフな子供達を育て、豊かな日本の未来を想像できる教育制度を民主党に期待したいです。


2009/07/15 宇宙と生命の存在確率

 ”宇宙人はいるのか”という問題にTVやネット上で話が出るけど、実際に居る確率を計算したTVやWEBを見たことがないので、ザックリチャレンジしたいと思います。そもそも宇宙人という言葉もザックリしていますので、生命という事にしましょう。『生命が生まれる条件は水が存在するかどうか』という条件も本当かどうかは知りませんが、ここはザックリ水がある可能性の星の数を数えましょう。といっても、水のある惑星の数もザックリ検索した数なので本当かどうかは知りません。

 地球から200光年以内に水のある惑星の数は  100個程度
 銀河系は10万光年なので  10万/200 × 100 =  5万個程度
 宇宙全体の銀河の数は2000億個で計算すると 2×10^11 × 5×10^4
 = 10^16 個 ・・・これが宇宙全体で水の存在する可能性のある惑星だ。

10^16 = 1億×1億 で、これを多いと思うか、少ないと思うか・・・。
そもそも、銀河系に5万個あるということは、銀河系内の惑星の数も2000億個だというのを信じて計算すると、惑星400万個に1個は水がある計算になる。しかし水があっても生命が誕生するかと言うとそうでもない。なのでザックリ、この銀河系で1個、すなわち、5万分の1の確率で生命が誕生すると仮定しても、宇宙全体では2000億個も存在することになる。なぜ銀河系で1個としたかは、現に地球に存在するから、という安易なところからです。
 しかし、2000億個もの生命のいる惑星があるにもかかわらず、この数字は我々に絶望を与えます。なぜなら最も近い隣の銀河までが7万5千光年もあるのです。光の速度で向かって7万5千年・・・光の速度の乗り物を発明するまでに何万年かかるやら・・・。
 それでも世界の天文学者の皆さんは空を見つめ、生命の痕跡を探しているのです。今の科学では水があるかもしれない惑星を探すのが限界です。もっとも地球の人間と同じような科学技術を持ち合わせていれば、電波や光などで痕跡を見つけられるでしょうが、サルや両生類、まして単細胞生物やバクテリア程度の生物では痕跡を見つけられないでしょう。
 ここで哲学の問いです。もし、マリアナ海峡の真上の豪華客船の甲板上である人がコインを海に落としたとしましょう。そのコインを落とした本人、周りの人も誰も落としたところを見ていなかったとします。コインは1万メートルの海の底に落ち、未来永劫人類に見つかる事はありませんでした。では1万メートルの海の底に落ちたコインは存在するでしょうか?人類がまだ見つけていない、宇宙のどこかの生命は存在しないのでしょうか?地球上でも新しく見つかる新種の生物がいます。見つけた後では去年も10年前も存在していた事を確信できますが、見つかる前はどうでしょう?
 宇宙すら、もしかしたら地球の人類が生まれる前までは、存在しなかったかのかもしれないですね。でも宇宙のどこかに宇宙を認識できる生物がその存在を確認していた可能性もあります。宇宙の魅力に想像は尽きません。

 ※銀河系内の5万個の惑星・・・我々は5万という数字を簡単に理解しています・・・例えば5万円とか、5万人とか。でも本当に5万という数字を理解する為に以下のような数え方をするとどうでしょう。1m間隔でボールを地面に置いていって、5万個のボールを置くとしましょう。並んだ距離は5万m、すなわち50kmです。あなたは50kmに渡って1m間隔のボールが並んでいる光景を想像できますか?数えられますか?5万という数字は5万という文字以上に想像もできない大きな数なのです。ましてや2000億という数字は5万の400万倍です。全宇宙の惑星の数となるとさらにその2000億倍となります。

2009/05/23 ゴミ問題

 日本ではゴミの埋立の問題や多さが深刻化している。国民もゴミ処理の費用や分別のための苦労をしている。自治体単位での分別方法やリサイクル品目も異なっているのは、処理工場の施設の入札に地方地方で別の企業が入っている事に起因していると思われる。安価でクリーンな処理技術を持つ企業が全ての自治体の処理施設を独占すれば良いのだろうけど、自由競争とか政治家のコネとか大人の事情が絡んでそうもいかないのだろう。
 しかし、根本的に思う事は国民に大きな負担にならないような公共サービスであってほしい。1番は分別だ。どこかの自治体みたいに何十種類もの分別を要求されるのはおかしい。分別している人の中には決まった事をやらない人を責める人もいるが、ゴミを巡って住み難い社会を作る要因になっているのは嫌だ。できる人もいればできない人もいる。どんな人でも容易にできるのが公共サービスであってほしい。だから、理想は分別しなくてもゴミ処理場でなんとかなるようになれば最高だ。例えば、自動的に分別する技術を開発するとか、ゴミの出ない梱包技術を開発するとかだ。
 梱包や製品の材料について思う事だが、例えば物の梱包や製品で燃やせて尚且つ有害な物質を出さない素材で全て統一してあるとか。そういう梱包財や製品を開発した企業にはその評価に応じて法人税を安くする・・・などの国としての政策がほしい。
 燃えないゴミという意味は、本当に燃えないのじゃなくて埋立地に埋めるゴミの事だ。分別の問題を解消するために全ての梱包財や製品にQRコードをつけて、これはどの分別になるのか明確にしてほしい。最近の素材は初見では理解できないものも増えている。説明書や製品の表面に書いてある場合もあるが、メーカーによって表示内容や書いてある場所が違って判りずらい。埋立地に埋めずにクリーンに処理する技術がもっと早くできてほしいものだ。
 リサイクルは現在の技術でもコストとの競争で厳しいようだ。というのは、ペットボトルひとつを見ていても判る。ペットボトルにはリサイクルマークがついている。その中央には何回リサイクルしたかの数字が書いてあるが、いまだかつて『1』以外の数字が書いてあるペットボトルを見たことがない。それなのに、『資源です』とか『YES!リサイクルNO!ポイ捨て』とか書いてある事が笑える。リサイクルは進めたいができない辛い状況が続いている。日本中にある自動販売機だけでもペットボトルやアルミ缶をやめて、液体だけが出る機械に変えてもいいと思うんだけど・・・規制をなぜ国はしないのか不明だ。これだけペットボトルが有り余っている国で、自動販売機から液体だけしか出ない(紙コップも置いてない)なら、みんな空のペットボトル持ち歩くでしょ。どんだけ贅沢なんだって話だよ。自動販売機に洗浄機能くらいは付いていてほしいけどね。

2009/05/14 アバウトな質問

 『あなたは1日に何時間テレビを見ますか?』という質問には困惑します。現代でのテレビという日本語の言葉には何種類もの解釈ができるからだ。

 1.物質としての液晶テレビやブラウン管テレビというのなら、電源を入れていなくとも家に居ればチラッと位は誰しも見るだろう。
 2.私は液晶テレビをパソコンのモニターとしている。パソコンを操作している場合はテレビを見たと言えるのだろうか?
 3.テレビチューナーを使わず、DVDやBDの再生、家庭用ゲーム機を使用したらテレビを見たといえるのだろうか?
 4.この程度の質問をする人はもしかしたら、テレビとは地上波を指していて衛星放送は別なのではないか?

 このように4つくらい考えられる。いったい質問した人の真相はどこにあるのだろうか? 4.の質問の意味が近いとしたら、私は平均1時間くらい見ているだろう。もしも1.まで含むのなら4時間くらいになるだろう。テレビ番組の中で質問する人は少なくとも、もっとはっきりした質問をしてほしいものだ。

2009/03/31 虫の知らせ

 虫の知らせがある事を信じますか?私は霊感みたいなものは全然ないんですが、友達に在ったみたいなので書きます。
 友達は交通事故で10年以上前に亡くなりました。その時の話です。同じ会社に勤めていた彼は、私が乗っていた車を引き継いで乗っていました。ある日の朝、昨日まで動いていたのに突然車のエンジンがかからなくなりました。それで修理に出そうとディーラーの人を呼んだら、その人がキーを回しただけでエンジンがかかったそうです。
 その週に彼は次々と今まで疎遠になっていた知り合いや友達に会ったそうです。私も彼が事故る前の日に彼に誘われて夕食に行きました。そこで結婚する事を聞きました。結婚の報告をほかの人にもしたんでしょう。婚約者は私も一緒に飲みに行った事もある知り合いでしたので、2人でお祝いをしました。
 交通事故直後、たまたま後ろを走っていた車に乗っていた人が病院まで運んでくれたそうです。事故の場所は民家もない山奥でした。救急車が来るまでに時間がかかると判断したのか、携帯の電波が入らなかったのかは不明です。

 車で運んでくれた人は2人で、彼を可愛がっていた2人の上司と苗字が同名でした。そして彼が乗っていた車は以前私が乗っていたので登録ナンバーを覚えていました。その登録ナンバーは”〇△-04”で、彼が亡くなった日が〇月△日でした。”04”は死ぬと言う予告でした。偶然月も1ケタで日も1ケタでした。
 今まで疎遠になっていた知り合いや友達に突然会いに向かっている自分に気づいたら、それは虫の知らせかも知れません。注意してください。

2009/02/22

 エコとか省エネにより地球温暖化やエネルギー問題を解決しようという日本のマスコミの働きかけは依然として多いが、どうにも納得いかない。地球には現在約67億人の人間がいる。世界の中で日本人は1/67だ。日本の中でエネルギーやCO2を消費するのは企業と個人で、個人の割合を仮に1/2としよう。さらに日本の世帯数全てが、今消費しているエネルギーやCO2の排出を何分の一に出来るだろうか?仮に日本人全体が1/10削減したとしよう。
 すると全世界で、日本人個人のエコや省エネ活動で削減できるエネルギーやCO2は以下のような計算になる。

 1/67 × 1/2 × 1/10 = 1/1340 ≒ 0.7%

 一人当たりの消費エネルギーやCO2排出量は各国で異なるだろうけど、人口比率で0.7%しか削減できないのだ。ひとくちに個人が1/10削減するというのはけっこう厳しい数字だと思う。
 現在世界は不況でどの国もGNPやGDPは落ちているだろう。エコや省エネを叫ぶ人々は今こそ大歓迎すべきなのに何も聞こえてこない。地球環境やエネルギー問題も大事だろうけど、自分の給与が削減されたり安定した職に就く事も大事なのだろう。しかし経済発展と地球環境問題は今までの歴史で証明されているように反比例してきた。経済発展すると、その影響で地球環境は悪化してきのだ。地球環境を正常な方向に戻しながら経済も発展しようなんて、おおちゃくな考えは通用しないと思う。経済優先か環境優先か、それとも科学技術が両方達成させるのか、しかし派遣社員の問題など、雇用が安定しないとエコだの地球環境だの言ってられない。そして経済が安定しないと環境を下支えする科学技術にもお金を掛けられないという矛盾におちいる。しかし経済活動が低迷する期間が長くなればなるほど地球環境にはいいという皮肉な結果となるのだ。この事を気付いているマスコミはいないだろうな。

2009/02/01

 公共事業でピラミッドを造ろう。公共事業は必要な事業なのか不必要な事業なのか不透明なのが問題です。だったら明確に景気対策の工事だと判る事業をしよう。3000年前のエジプトでも雨季のナイル川の氾濫によって仕事が無くなった人の雇用対策としてピラミッド建設をしていた、と聞いた事があります。現代の日本で同じようにピラミッドを造るんです。
 条件としてセメントや鉄骨や鉄筋といった現代の象徴のような部材を使用せず、軟弱地盤にクフ王並みの大きさの建造物を作るんです。ブロック状のものを積み上げ1つ1つのブロックを拘束せず独立した状態で積み上げ、技術力を競います。エジプトのピラミッドは岩盤の上に建っています。日本は地震も多いし降雨量も多いす。地震の後でもどれだけ耐震性があるか、どれだけ防水性があるか、など技術力を示すにはたくさんの難点があるのです。出来上がったピラミッドの技術力を審査し、必要な公共事業の工事の競争入札に参加させるかを決める材料とします。日本は製造業の技術力が経済の下支えをしてきた一面があり、将来も世界でトップクラスの技術力を保持する為にも競争してピラミッド建設を始めるのです。
 もちろん工事が終わったら各自治体でピラミッドを公開し観光の人集めの道具とします。大きなピラミッドの中に大きな空間を造る技術も難しいですが、あえてチャレンジしイベントなどを開催します。どこの自治体の、どの会社が造ったピラミッドが技術力が高いか評判になるでしょうし経済効果は大きいと思います。何も掘り返すことの無い道路を掘り返し埋め戻すよりは有意義だと思います。
 本当はピラミッドじゃ無ければダメなんじゃないんです。誰も利用しない運動施設や豪華で宿泊費が高いグリーンピアじゃない、もっと無意味なピラミッドこそが必要だと思います。なぜなら、これらはいかにも必要っぽいからです。建築や土木以外の分野でも同じように技術力が国民にも公開され利用できる物を造ってほしいんです。そうすれば無駄な公共事業と言われることは無く、景気対策にも役に立つんです。今のように疑わしきものは埋めて隠しちゃえ!的な考えじゃなくて、透明化し逆に公開して行くような事業をしてほしいものです。

2009/01/13

 長い間妄想してきた独自の進化論を書きます。生物学の中でも生物の進化が最も興味ある分野です。
 と言っても考古学や解剖学、化石などから導き出した本格的な論理ではありません。きっと私だけではなく進化論の常識だったりするかもしれませんし、そうじゃないかもしれません。結論から始めます。
 生物の進化は突然起こる事があります。魚類が陸に上がったり、猿が2足歩行を始めたり。それは遺伝子の突然変化や自然環境の変化が原因だという説がありますが、私は同じ種の中で劣った個体が逃避行動を取った事で起きたと考えています。地球でさまざまなバクテリアが生まれた頃、小さくて海の上層で酸素をエネルギーとする運動能力のあるバクテリアと海の中層でゆったりと浮遊する大きな柔らかいバクテリア。この2つのバクテリアは将来生物の精子と卵子に相当するのだけれど、この時から逃避行動が進化を生んだのだと想像します。大きなバクテリアの中に小さなバクテリアが入り込み細胞が生まれました。小さな個体は酸素をエネルギーに変え、ミトコンドリアと今では呼ばれています。小さい生物が大きな生物の中に寄生するのは安全とエネルギーの確保が目的だと考えます。しかしエネルギーの確保が出来る!と入る前から予想する生物はいないと思います。入ってみたらエネルギーも確保できた!と思うのが正しいでしょう。ではなぜ最初に寄生しようと思ったのか。偶然かもしれないけど、そこをあえて私は逃避行動だと主張したいんです。
 では次の例を上げます。魚類が川を上って淡水に適応したのも逃避行動だと考えます。当時の海の中には肉食の種が生まれていて、それから逃避する先が川でした。なぜなら海に住む魚類は淡水では生きられません。だからこそ、天敵は居ないのです。生きられない淡水に頑張ってチャレンジする目的が他に何がありますか。海から逃れたい!その弱さ、逃避が行動を促したのだと考えています。
 淡水でも生きられるようになった魚類はさらに陸へと逃避します。淡水にも肉食の魚が誕生したんです。現在では恐竜は鳥へと進化したと考えられています。恐竜という1時代を築いた種が鳥へと進化したのか。でもほとんどの恐竜が絶滅したんです。恐竜を祖先とする生物で生き残ったのが鳥という種だったと考える方が自然です。ではなぜ鳥になるのか。哺乳類で考えれば自然と答えがでます。ムササビは足の間の皮膚を変化させた羽のようなもので木から木へと滑空します。あれは天敵からすばやく逃げる為の逃避行動です。同じように小さな個体の恐竜であればムササビのように滑空していたのが進化して鳥になったと考えられます。哺乳類は恐竜が栄えていた時代は身体を小さくして木や葉っぱの影で隠れて逃避生活をしていました。やがて恐竜が絶滅すると身体を大きく進化させました。天敵が減ったから大きくても見つかる可能性が減ったからです。猿は木に登ります。きっと恐竜がいなくなってからも哺乳類の中に肉食が出てきたからでしょう。木に登って逃避しました。そして、いよいよ森からも追い出されるのです。きっと同じ猿の仲間から逃避したのだと思います。草原に出ました。そこは森よりも見通しがよく、天敵をいち早く見つける必要に迫られ2足歩行が始まったと思われます。
 このように逃避行動だけが進化を促した要因ではなく、新たな環境に飛び出すきっかけが逃避行動であり、進化を加速したと考えるのです。同じ種でも身体が小さい弱者が逃避行動を取り、結果的に新たな環境で適応する個体もあったという事でしょう。
 ではこの先、人類はどうなるのでしょうか。地球上に天敵がいなくて食料や生活が豊かであれば身体が大きくなる事でしょう。恐竜が居なくなってから哺乳類の身体が大きくなったように。そして注目されるのが、逃避する人々です。ニートでしょうか?失業者でしょうか?視点を変えて、地球を飛び出し生活をする人でしょうか?人類が無重力の中で何世代も子孫を残していくような時代になれば、人類の次の進化が見られるかもしれません。

2009/01/01

 急に派遣労働者や契約社員の解雇の問題が出てきた。そもそも派遣労働者というのは正規社員だった人が2000年前後にリストラで解雇された人と学生が卒業後に就職浪人になった人が構成要因だと思います。言ってみれば、会社から要らないと言われた人たちだ。そして多少景気が上向いた時に雇用された人がまた解雇されている状態だ。と言う事は人が余っているのだ。でも中には人手が足らない業種もある。それは輸入されている物を見れば答えが出てくる。その中で特に注目されるのが農業と重労働者だ。日本の食糧自給率は40%で大きく儲からないし重労働なので後継者が減っている。
 元旦のテレビ朝日の「朝まで生TV」では、株式会社が農業に参入できるように規制緩和をすべきだ、という意見が出ていた。そうなれば多くの雇用が発生する。しかし車を作っていた人が農業をしたいと思うだろうか。車の組み立て作業ができないなら死ぬしかない、のですか?農業の雇用はあるのに、農業をするか死ぬかと選択を迫られたら死ぬのですか?でも最初に言ったように、派遣社員の人たちは1度は会社からいらないと言われた人たちだ。そんな人達はわかると思う。選択の余地なんか無い事を。会社に正規雇用されていた時も、「この仕事に、または、どこどこの部署に転勤してくれるか、または自主退社してくれないか」と言われて解雇された人も多いと思う。農業だけではない。古い言葉だが、3Kと言われた重労働の仕事なら今だって人手が足らない。外国人を多く雇用している零細企業がいっぱいある。その外国人と同じ給与なら雇用はある。TVのニュースで「もう死ぬしかない」とか言ってる人を見かけると納得がいかない。
 私は会社に正規雇用してもらってるサラリーマンだが、解雇されたらどんな仕事だってやって生き抜いてやる。農業だろうが重労働だろうが構わない。もうひとつ納得がいかないのは、派遣先の会社に不満を言っているニュースが流れる事だ。派遣社員は派遣元の会社に雇用されていて、会社と会社が契約して派遣されているはずだ。憎むべきは自分が所属している派遣会社ではないのか?なぜ派遣先に抗議しているのか。だって次の派遣先が来月には見つかるかもしれないし、その事を教えてくれるのは派遣会社なはずだ。だから疑ってしまう。きっと車の組み立て以外の仕事はしたくないのだろうと。

 正規に雇用されている社員でリストラされない人は、会社側の部署移動の命令に対し逆らわないんだよ。入社当時の希望の仕事じゃなくても、どんな仕事でもとりあえずチャレンジするんだよ。そして誰よりも成果を上げるように頑張るんだよ。それが実となり肉となり会社の中心になっていくんだよ。
 だから、その仕事をするか死ぬかなんて2者択一じゃなくて、生きていく為に仕事をしようぜ。もういい加減、あなたはあなたが思ってるほど能力のある人間じゃない事を納得して、あきらめよう。わたしなんか遥か昔にあきらめているのに。