「……っハーッ、ハーっ……」
 もう何分、いや何時間この斜面を歩き続けているだろう。
 西の空は薄いオレンジ色に染まり始め、登り始めた頃の爽やかな山の薫りも、
今は慣れてしまって鼻腔に何の訴えかけもしない。
 行けど進めど変わり映えの無い焦げた色の土肌は思考能力をじわりじわりと削り取り、
疲れ切った脚は震え、からからに渇いた喉の奥は潤いを求めて悲鳴を上げている。
 後ろを往く同伴者が、たまらずにこぼした。
「っも、もう、帰ろう……?」
「だめだ!」
 諦めて帰るのだけはダメだ。少年は心に決めていた。
 ――――これを諦めるわけには。

 しかし、後ろを歩く同伴者の足元は既に拙い。
「でも……わ、私もぉ……歩けない、デス」
 電池の切れかけた目覚まし時計のような声が途絶えると。
 どさっ、と後ろの方で大きな体のくずおれる音が聞こえた。
「チッ」
 振り返り、舌打つのと同時に少年は少女に歩み寄ると、
肩をかつぎ、できるだけ休めるようにと、近くの座り易い岩肌までその身体を運んだ。
 多少サイズが大きくなってはいるものの、こんな事は小さな頃から慣れたものである。

「ぷはー!生き返るよぉ!」
 きゅい、と水筒のフタをまわして閉じると、その表情にはアッという間に生気が戻った。
 ――――現金なヤツ。
 同伴者を心の中でそう評しながら、かくいう自分の方も、
喉の奥の潤いがしみじみと全身にまで染み渡ると、
そのまどろみの中へ今にも溶けて行きそうになっている己に気付く。
「あ~~~っ、畜生!!」
 気合直しにバチンと一発、自らの頬を両手で張ると。
同じく少しは体力を回復した同伴者の少女が心配そうに身構えている。
 構わずに、立ち上がると。
「よっしゃ、行くぞユウ!」
「うぅ……わかったよケンちゃん」

 二人の”宝探し”は、佳境を迎えようとしていた。



「でも、なんで……そんなの、掘り返してみようなんて思ったの?」
 ささやかな休息ではあったが、その舌が喋る元気を取り戻すには十分であった、といえる。
 彼女は相変わらず少し後ろを歩きながら、質問を寄越して来た。
 元々二人で居ても比較的よく喋るのは、背の大きい彼女の方で、
彼――と呼ぶにはまだ幼過ぎるのだが――の方はと言うと。
基本、誰に対しても歳に似合わず寡黙で、良く言えば落ち着きのある子供であった。
 この時もそれは同じで、少し考えてから、彼はその問いに答えた。
「……お前んとこのじーちゃん、すげえ強いじゃねえか」
 もちろん彼も、それで十分に伝わるとは思っていない。
 ただその回答に対し彼女の見せた反応は、彼の想定していたそのどれとも異なっていた。
「そうかなぁ……」
 ――――家では、結構だらしないよ。
 山道を歩きながら彼女が返した言葉は、質問の答えよりむしろ、
彼のそのとき発した言葉の中身それ自体に向けられていた、といえる。
 彼女の祖父――にして、今回の”宝探し”の発端を拵えた元凶――は、少し前まで高校で剣道部の顧問をしていた。
今は定年を迎えて家に居るが、今でも週に数度、近所の道場や学校へ指導役に招かれ、出掛ける事がある。
その中には彼の祖母の実家の道場も含まれており、どうやら今朝の彼のぶっきらぼうな説明によると、
そこでの会話が今日のこの碌でもない冒険を招いたらしく、そのことに対して彼女自身不満もあった。
 しかし、そんな彼女の気持ちはつゆ知らず、彼は、というと。
「コツが……あるはずなんだ、必ず……」
 視点を正面に固定させたまま歩きつつ、ブツブツと呟くのみであった。
 それを見た彼女はひとつ、溜息をつくと、歩く足を速め、彼との距離を三歩程から半歩程度まで縮めた。
その気配にムッとした彼がさらに歩幅を広く取ると、すぐさま、彼女はクスリと微笑み、歩速を落とす。
そんな付かず離れずの行進が幾度か続くうち、やがて、二人の眼前に視界が開けた。
 頂上、である。
「あの木だな」
 彼が指差すと、そこには目印となる写真と同じ大樹が、当時と変わらぬままに立っていた。
 その手に握られた集合写真には誰かのサインで”室江高校剣道部 ○○山キャンプ合宿にて!”とある。



 持って来た小さいスコップは、すぐに土やら草やらで柄まで泥塗れになった。
 よほど深くに埋めたものだ。その―――タイムカプセル、とやらは。
 しかしそのうちにガチリ、とスコップの先端が金属の何かに当たる音が聞こえた。
「よっしゃ!」
 彼が思わず快哉をあげると、彼女は心配そうな様子でそれを見つめていた。
 ――――本当に、いいのかな。
 おじいちゃんは、二つ返事でOKしたと言っていた。
 おばあちゃんに聞くと、当時のみんなの了解は貰ってあるから大丈夫だよ、とも言われた。
 でも、この事は、大好きな祖父と祖母の―――知らなくてもいい過去を、暴くような事になりはしないだろうかと。
 彼女にはそれだけが心配であり、また反面、好奇心を擽られるところでもあった。つまりは、ジレンマ。
 ともあれ、既に掘り出されてしまった海松色の金庫に彼がカギを差し込むと。がちゃり。
 ゆっくりと開いた箱の中には、マル秘と書かれたノートやら手紙やら人形やら、様々なものが閉じ込められていた。
「これに、奥義が……」
「な、なにそれ?」
 ――――また随分と大げさな。
 多少は目の前のソレがどういうものか、まだ彼よりは理知している彼女が固唾を飲んでいると。
 彼がまず手に取ったノートの表紙には、秘、と大きく描かれた字と一緒に、
”せんせー観察日記・初版”という題字が書かれていた。
「っな、何だよこれえ?」
「な、何だろう……?」
 開けばそこには、つぶさに”先生”と呼ばれる人物の食生活や、書き手との日々の生活が日記調に綴られており、
文の間になんの衒いもなく挟み込まれる「可愛い」だの「カッコいい」だのといった言葉は、
見ている方が気恥ずかしくなってしまうほど”その人”への愛情――悪く言えば、惚気――に満ち満ちていた。
 しかし、ぱらぱらと3分の2ほどまで読み進めたところで、彼の両手がぱたん、とそのノートを鎖すと。
「あれ?まだ読まないの?」
「これじゃあねーんだ……」
 ちょっと残念、というふうに彼女が箱の中に目をやると。物色していた彼が、次に取り出したものは。
「後は……それっぽいの、これくらいしか」
「それは……」
 その本は、”剣道部通信簿”と銘打たれており、これまた日記帳然とした大学ノート。
「つうしんぼって、こりゃ……違うな」
「ちょ、ちょっとだけ見てみようよ?」
 退屈げに本をしまおうとする彼の手を、彼女の手が止めた。
 それに少し憮然とした表情で彼がノートを開くと。
「へえ」
 そこには、顧問からのものと思われる部員一人一人へのアドバイスや戦力分析、得意分野などが網羅されていた。
 例えば彼女がよく知った名前(旧姓だが)の部長には、「面倒見のいい~」から始まる的確な助言がなされている。
 さらに、覗き込むようにして見ていた彼女の方が、少し急かし気味にページをめくらせると。
「なんだろう、コレ」
 次に出てきたものは、所感、とでも言えばいいのだろうか。
 各個人に宛てた意見というか、感想のような文章が連々と書き連ねられている。
 中でもその、”部長さん”に宛てた物はかなり間を取っており、他の部員とは素の口調からしてずいぶんと、違う。
「いつも済まない」だとか「なんかお前に甘え過ぎだよな、俺」だとか、どこか教師の目線からは外れた―――
強いて言うなら、新婚の夫が妻の内助の功を労うような。そのような文言が書き並べられていた。
 しばらく読み進めて後、その両手が再びぱたん、とノートを閉じると。すぅ、と大きく息を吸い込み、
「これじゃ役に立たねえだろぉがぁぁぁ!!」
 道場での掛け声よろしく、彼は吼えた。
「あはは…おじーちゃんとおばーちゃんってば……」
 一方彼女の方は、身内の恥――と言うには余りに滑稽な容ではあるが――に照れて、頬をかくのがやっとであった。



 そうしてるうち時にふと、彼女の方に、道中で降って沸いた疑問が舞い戻ってきた。
 ――――そもそも、なんでこんな事をしているんだっけ?
 思えば、彼が最初に発した、奥義、と言う言葉が引っ掛かる。
「ケンちゃん、そんなに強いのに、まだ強くなりたいの?」
 小学生より、まだずっと前から。
 幼馴染の彼とは常に一緒に剣道をやって来たものの、一度も勝てた事などない。
 その彼が、まだ強さを求める―――というのは、彼女が女の子である事を差し引いても、理解の外であった。
 しかし、泥を取り、暴き出したノート等を金庫の中にしまい終わると。彼はこう言った。
「俺はいいんだよ、そんなの。どうだって」
「え…?」
「お前がいつまで経っても道場に来ねえから……」
「私が――……え?え?」
 鳩が豆鉄砲、というのはこういう状態を指すのだろうか。
 いわく、ここまでの苦労をして彼が欲した物は、自分にとっての物ではなく。
 ――――つまりは。

「私のため、だったの……?」
「……違う!相手がいないと俺の稽古ができねーんだよ!」
 自然とその表情から、笑みがこぼれる。
「ふふ……ありがとう、ケンちゃん」
「勘違いすんな!……ちょっとは強くなって、自信もつけろよな」
 彼は立ち上がり、ぽんぽん、と膝の土を掃うと。
「うん、頑張ってみる。……帰ろう?」
 差し出された、彼女の手を握る。
「……おう」

 夕暮れ途中の帰り路に、行きとは違う形の影がふたつ、伸びた。





「あら」
「ただいま、おばあちゃん」
 家の前では、割烹着姿の祖母が待っていた。
 随分前から待っていたのか、小さい背中が丸まってなお小さく見える。
「おかえりぃ、おそかったね」
 気が付けば辺りは既にかなり薄暗く、どうやら心配をかけてしまったらしい。
 彼女は申し訳なさそうにぺこり、と頭を下げると。
「うん……遅くなってごめんなさい」
「ううん、大丈夫だったらいいんだよ?ただ、おじいちゃんが心配しててねえ」
「おじいちゃん、まだ道場行ってないの?」
「ユウちゃんが帰って来るまで待つんだってさ……あら」
 そう言っているうちに、家の奥から、剣道具一式をぶら下げて祖父が現れた。
「おかえり」
「ただいま、おじいちゃん。遅くなってごめんなさ……
 わぷ。」
 言い終わるより先に、彼女の頭の上に掌がのせられる。
「大丈夫だったらいいんだ。でもこいつが心配してたからなあ」
 そのまま頭を撫でられながら、彼女は思った。
 ――――同じ事言ってるよ、おじいちゃんとおばあちゃん。
 今日読んだふたつの日記と、この夫婦。何かおかしくて、うれしくて、たまらなかった。
 ふと、顔を上げると。
「おじいちゃんとおばあちゃんって、若い時から全然変わってないんだね」
 孫にそう言われるなり二人は、ぼっ、と顔を紅くした。
「ああ、そういえばアレも読んだのか、はは」
「まあ、アレはねえ……でもあたしは別に、そんな恥ずかしい事は……」
「いっ、いや俺もそんなに照れる様な事を書いた覚えは……」
 言葉と裏腹に、どんどん互いの目線を合わせられなくなっていく二人。
 ――――かわいいなぁ、この人達は。
 流石に言葉には出せないものの、彼女のニコニコは止め処もない様子であった。



 やがてひとしきり、その照れも収まってくると。
「でもあの頃は、本当に楽しかったですねえ……」
「だなあ……ケンちゃんはどう言ってた?」
「え……えと」
 奥義、といった話は中々するのに憚られた。
 しかし結果的には、彼の目的は果たされたのだから。
「よかったんじゃ……ないかな?」
「そうか。剣道やってて、一番楽しかった頃の思い出だからな、何かヒントになったならそりゃ良かった」
「あたしとあなたも、あそこで出会えたんですしねえ……」
「なあ……さてと、じゃあ、そろそろ行って来るよ」
 よっこいしょ、と祖父が荷物を担ぎ直すと。
「あ、待って、おじいちゃん」
 孫娘の呼び止めに、ぴたり、と静止する二人。
「私も行くよ。今日、川添道場でしょ?ケンちゃんと約束したから」
「ほう、いいのか?」
「あらあら……剣道、キライじゃなかったの?」
 二人共に心配そうな声ではあるものの、表情には喜びの方が強く見て取れた。
「うん……でも、頑張ってみる」
 ――――そしたら、いつかは。
 なんとなくだが、彼女は思った。
 ”いつかは”どうなるのか。それは自分にもよく分からなかったが、とりあえず、思った。
「じゃああたしも、久々にタマちゃんちにメンチカツのおすそ分けにでも行こうかしらねえ」
 それを察してか、彼女を見てにっこりと微笑んだ祖母が続ける。
「そりゃいいんじゃないか。向こうも喜ぶだろう」
 更に祖父がそれに追従すると。
「うん、三人で行こうよ!」
 そう言って彼女が二人の手を引き、三人は朗々と輝く月を背に歩き始めた。

 月日は百代の過客にして、光陰は矢の如し――――
 しかし変わらないものは、今、この時の中にある。



おしまい



522 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2009/03/17(火) 22:41:15 ID:2VFTTRIL
というわけで、一応こんな感じをイメージしてますた。

 虎┬紀    健┬優      勇―┬―珠
   |       |           |
  息子―┬―娘         子供
        |               |
   二代目ユウ――?――二代目ケン


それでは明日のネタバレでまた燃料が投下される事を願っておやすみきりのん!
最終更新:2009年03月21日 16:01