――――もう季節は初夏に入ってるとはいえ…
気がつけば、外は既に暗闇の一色に塗りつぶされていた。
部活が終わってからもう3時間は経つ。そのまま道場でキリノに数学と物理を教わり始めてからも、大体同じ位。
その間自分の理解は進んだかと言うと――かなりの疑問符はつくのだけど。
……まあ今日はこの辺にしておこう、と思った矢先。意外な声がかかる。
「なんだお前等、まだ居たのかよ?」
「あれ、コジロー先生の方こそ、まだ居たんですか?」
「不良教師なのにめっずらし~」
少し驚いてる様子の、ネギ背負ってきたカモ… もとい、コジロー先生を二人していじり倒す。
勉強しっぱなしで疲れた脳に、丁度いい一服の清涼剤だ。
「不良教師っちゅーな!先生にも残業ってもんがあるんだっつの。大体お前らは何を…」
「こんな時間まで、生徒から没収したゲームでもしてたんすか?」
「やっぱり不良だ不良~」
女相手に2対1では分が悪いと見たか、すぐさま旗を降ろすコジロー。
「あぁ、もう何とでも言えって…
しかし、今日電車だったよなお前等?
今から帰るんならもう遅いし、俺の車乗っていくか?」
『ホントに?わーい』
「っとに、現金な奴らだな…戸締り、ちゃんと忘れんなよ」
ぶつくさ呟く教師を尻目にてきぱきと帰り支度を整える二人。
女子高生は、もちろん現金なのだ。
▽▽▽
……と、言う訳ですぐに帰り支度は整い、駐車場。
「シート硬いけどガマンしろよな」
『平気平気~』
コジローの指先と連動し―――
がちゃり、とドアロックの外れる音がして、いざ乗り込もう、と言う段。
「ところで、どっちから送りゃいいんだ?近いのは…サヤの方、か?」
「ほとんど変わらないからどっちでもいいっすよぉ~」
「ん、じゃああたしんち道がちょっとややこしいから後でいーよ」
「そっか、じゃあキリノが助手席でいいな」
(―――まったく、世話の焼ける。)
車に乗り込み、シートベルトをつけながら。また次の悩みが首をもたげる。
いい加減辟易しているが考えずには居られない、前の座席の二人の事。
”全く意識していない”と言うのなら一体何なのだろう、この絶妙な距離感は。
自分も含めた3人で一緒に居る事が多くなって、もう一年にもなるというのに…
(もうこういうの全部、あたしの妄想でした。あはははっ)
いい加減それで片付けたいと思うほどに、二人の間には何も「進展」のようなものは見出せずにいた。
そんなサヤの悩みはそっちのけで、ゆっくり動き出すコジローのホンダ・インテグラ。
「おりょ。サヤ、どしたの?具合悪いの?車弱かったっけ?」
「あー…んーん、何でもないよ…」
後部座席で一人、頭を掻き毟りながら、そんな諸々の事に思いを巡らせていると…
動き出していた車は突然、路肩に止まる。コジローが誰かを見つけたらしい。
その姿を見て、更に顔は青ざめる。
「…吉河先生! もう遅いですしお送りしますよー、どうっすか?」
「ちょっ、ちょっとお!?…コジロー先生!?」
―――吉河先生。この女教師もまた、普段からこの問題をややこしくしている一人だ。
いや……最重要人物と言ってしまっても差し支えないのかも知れない。
教師の中では最もコジロー先生と仲が良く、ゲーム友達でもあるとか。
とにかく目下、親友の恋のライバル最有力候補と目しているその人は…
ずけずけと、今この空間への侵食を開始しようとしていた。
「あら、石田先生…それじゃお言葉に甘えちゃおうかな?」
「どうぞどうぞ」
「ちょっ…」
言うが遠いか、そんなサヤの意思とは裏腹に。
再びがちゃり、と言う音がして開かれるドア。
「あっ、それじゃああたし後ろ行きますね」
「おー、すまんなキリノ、そうしてくれ」
何の抵抗も見せない友人の人の好さもあいまって、
流れるように奪い取られる、ついさっきお膳立てをした筈の助手席。
(…たくもぉ!どいつもこいつも!…ああもう!ああもう!)
ひとり地団駄を踏むサヤの事など意にも介さず、車内は和やかに”4人目”を迎え入れていた。
「失礼しまーす…ふーっ、まだ少し寒いですね、外は…」
「ほんとですよね~」
「ふえっ、誰?」
車内に人の気配を感じなかったのか、天然なのか。
キリノの相槌にぎょっとなる吉河先生。そして。
「もう一人いますよー......」
半亡霊のような声でなんとか存在を主張するも…
もはや車内にサヤの思い描く空気は微塵もなかった。
「すいません、こいつらも送ってくとこだったんですよ」
「あ、はぁ…そうなんですか」
「じゃっ、行きますよ」
コジローがハンドルを握り直し、再び動き出す車。
道すがら、吉河先生の道案内を受けながら楽しく会話する前のシートの二人。
後部座席の自分の隣には、本来「その場所」に居るべきはずの、親友。
「ねぇ~キリノ~、良かったの?良かったのね?」
「……ん?なにが?」
「…なんでもない…」
(――――ダメだ、この人たちは。………根本的に、ダメだ。)
そんな風に人生に絶望しているうち、吉河先生の下宿は意外に近く、
せめてその絶望が長くは続かなかった事が、サヤにとっては少しは幸せだったのかも知れない。
▽▽▽
「それじゃ、ありがとうございました。また明日」
「はーい、お疲れさんです」
「吉河先生、おつかれさまー」
軽いお別れの言葉を交わし、帰って行く吉河先生。
ようやく邪魔者が居なくなった車内で、まだ動こうともしない親友に多少、苛立ちつつ。
「ほらほらさっさと助手席いきな!…次あんたん家でしょ」
「あ、そっか…うん。そだね」
蹴り出すように前へ追いやると、
変な気の使い方をしたのか、様子を見ていたコジローが申し訳無さそうに告げる。
「すまんなサヤー、後ろ狭かったろ二人とも?」
その、さすがにピントのズレ過ぎた気遣いに、怒りも臨界点に達する。
横をぷい、と向きかえりながら。
「そんな意味じゃないですよ!」
「………???」
(このっ、大馬鹿!大半はアンタのせいなんだから…この不良教師!)
―――――もちろん、口に出しはしないが。
再び一人になった後部座席で、ガラスごしに外の夜空を見やりながら。
行くあての無い怒りをただ宙空へ向けて発射するサヤ。
「(なぁキリノ…何でサヤの奴あんな気ぃ立ってるんだ…?)」
「(う~ん、さっきからずっとああなんですよねぇ…やっぱ車ダメなのかも…)」
「(あの日って奴じゃないのか?)」
「(違いますし、先生それ思いっきりセクハラっす…)」
……勿論、そんな前の座席の二人の会話が、サヤの耳に届いているはずも無かった。
そして、気が付けば車はキリノの家―――惣菜ちばの前に辿り着く。
▽▽▽
「そいじゃね、先生。ありがとさんでしたー、また明日!」
「おう、またな」
「サヤも、またね!」
「あー、うん、また明日ね」
そんな風に、あっという間にキリノの家も過ぎ去り…
あとはサヤを送り届けるのみとなった車内に、重い空気が流れる。
「な、なぁ… 次、どの道だ?」
「そこ、左です」
「お、おぅ…すまんな」
一度沸点まで行った感情は、流石にそう易々とは平静にはなれない。
勿論サヤとても、今の自分のテンションが変である事は理解していた、が。
「何があったか知らんが…まぁ元気出せよ?らしくないぞ?」
「………」
優しい言葉に一瞬、今まで何度反芻したか分からない想いが胸をよぎる。
(いっそ、全部ブチ撒けちゃえば、このモヤモヤも、少しは晴れるかな?)
――――――いやしかし。
言える訳が無い。親友が、あの裏表や隠し事の無いキリノが、
おそらくは…自分の見立てが間違ってないのならば、初めて”秘めて”居る事なのだ。
それが誰に気を使っての物かも、凡その見当は付いている。―――1年生部員たち。
例え公にはならずとも、彼ら彼女らの前で、大手を振って二人が付き合ってしまえば、どうなるだろう?
その光景は、ダンくんとミヤミヤのそれとは、ものが違う。その意味合いが、全く異なる。
例え、理解は得られようとも…気持ちの面で、しこりが残らないわけが無いのだ。
ダメ教師を支えるヒロインの物語に、そんな瑕疵は…必要ないものだ。
だからこそ―――自分風情が軽々しく触っていい事でないのも、重々承知している。でも。
(……嗚呼、それにひきかえ、この教師は)
本当に、何を考えているのか分からない。
聞けば、いかにも親しげにキリノの弁当を横取りするのを見ただとか。そういう評判は耳にするのに、
そうかと思えば今日の吉河先生への態度のように、優柔不断な一面も覗かせたりもする。
一体、この人はキリノの事をどう思ってるんだろう?―――そして思考は、フリダシに戻り、また同じ道を通る。
夜通し続くかと思えたそんな煩悶も、繰り返し続けているうち、やがて車が止まる。どうやら家に着いたらしい。
「…ここでいいんだよな?」
「はいっす、ありがとうございます」
「なんかよく分からんけど、ホントに元気出せよ?…俺でよけりゃ、何でも聞くからさ」
降り際にふと気付く。
誰彼の区別なく、優しく―――この人の、こういう部分は、天然なのだろう。
しかし、それだけに。いやそれならば余計に。
車中で悩み続けたサヤには、沸々と湧き上がるものがあった。
(今夜の、そして今までのあたしの苦しみの、何%かでも味あわせてやりたい!)
「……コジロー先生って、いつか大事故とか、すごい災難に逢うと思いますよ!」
「ブハッ!なんだそりゃ、縁起でもねえ」
「あははは、じゃあおやすみなさい!」
「ん、おやすみ。 ………最後だけ元気だったな?」
その言葉に、ありったけの呪詛を込めて発せられたサヤの言葉は―――
やがてコジローのインテグラ盗難事件を呼び寄せ、>>605あたりからの流れを作るのではあるが、今はまた別の話。
[終]
最終更新:2008年04月28日 05:34