ある日、珠姫は思い出す。それは母である椿が生きていた頃の記憶。
 小さかったあの時、勇次が椿を見つめる憧憬を感じさせる瞳。そしてあの言葉。

『椿さんの髪ってとってもキレイだよね。ボク、ああゆうキレイなロングヘアーの人って素敵だと思うんだ』

 その時は大して気にも留めなかった発言。しかし今はあの言葉が珠姫には重く感じられた。
 どうして思い出したのか、それはきっと勇次を振り向かせたい、ただそれだけのこと。勇次の視線を釘付けにしたい、それだけが目的。
 しかし一晩で珠姫の髪が椿のような長髪になるまで伸びるはずも無い。そんなのは怪談の域の話だ。
 伸ばすことは決定事項だが、気持ちが逸る珠姫はせめて形だけでもと押入れの中に保管してあったあるものを取り出した。そして翌朝、

「お、おはよう、ユージくん。どうかな、髪型変えてみたんだけど、似合ってる……?」

 セミロングの髪をした珠姫が勇次の前に現れた。もちろん、髪が一晩で伸びたとかそんなことは起こっていない。
 簡単な話だ。珠姫は押入れの中に(どうゆうわけか)あったウィッグを着けただけである。
 いつもよりも若干ではあるが大人っぽくなった(と思ってる)珠姫は勇次の反応を待った。しかし勇次の反応は珠姫にとって残酷だった。

「えっと……どちら様ですか?」

 そう、勇次はウィッグを着けた珠姫を珠姫だと認識出来なかったのだ。あまりのショックに脳内で“ズバガーン!”という音が木霊した。
 ショックから立ち直った珠姫は悔し涙を堪えつつ、ウィッグをその場で外した。そこに勇次の地味だが効果的な言葉が投げかけられた。

「なんだ、タマちゃんだったんだ。ゴメンね気付いてあげられなくて。でも俺は今のタマちゃんが一番好きだよ」
「……えっ? ゆ、ユージくん、今あたしのことがその、好きって……本当に?」
「うん。どうしてウィッグを着けたのか分からないけど、タマちゃんは今のままで充分、というか今のタマちゃんが一番素敵だと思うんだ」

 勇次の言葉で珠姫の悔し涙は嬉し涙へと変わった。赤面する顔を隠すことはせずに、髪をいじりながら勇次に微笑む。
 その微笑みから勇次は目を離せなかった。文字通り、珠姫の微笑みに釘付け状態である。
 当初の目的は叶わなかったが、それ以上に得るものがお互いにあった。これは珠姫と勇次、二人にとっての新しい関係のプロローグ……
最終更新:2009年01月30日 23:33