「ところで、さ」
 みんなの勉強会がひと段落したところで、キリノが切り出した。
「コジロー先生が、さっき泣きながら道場飛び出しってたのを見たんだけど何かあったの?」
「あ、はい。先輩が来る前に先生に勉強を教えてもらおうと思って……」
 タマが、もじもじしながらキリノに説明する。
どうやら、コジローは英語の質問に答えられず、教師としてのプライドを砕かれてヤケになったらしい。
「やれやれ、世話の焼ける人だねえ」
「いいの? キリノ~?」
 さっきまで勉強漬けでへとへとになっていたサヤが、ここぞとばかりに口を挟んだ。
「およ? 何が?」
「いや~、別に~」
 サヤはニヤニヤしながら腕を組み、キリノを何か言いたそうに見ている。
「なんか、最近少しかっこよかったのにやっぱりコジロー先生ってかんじでしたね」
 サトリが何の悪気もなく、ボソッと感想をもらした。すると、すかさずキリノが反論する。
「そんなことないよ。先生にも不得意な教科があるだけで政治経済だったらバッチリなんだよ」
「専門でしたっけ。でも、あたし受験科目世界史なんです……」
「あたし、日本史なので……」
 サトリとタマが申し訳なさそうにキリノに答えた。
「うーん、もう仕方ないなあ。サヤ、あたしちょっと職員室行ってるから先に帰ってて」
「わかった、また明日ね、キリノ」
 道場から出て行くキリノを見送りながら、サヤは口元を押さえてニヤケ笑いをこらえていた。

「ちくしょおおおおお。政経なら、政経ならできるんだもん」
「どうしたんですか、アレ」
「何か、生徒の質問に答えられなくてプライドを打ち砕かれたとか」
「高校英語は難しいから、現役じゃないと忘れちゃうのは仕方ないと思いますけどねえ」
 職員室でいじけているコジローを遠巻きに見ながら、教師たちがヒソヒソと囁きあう。
「誰か、慰めてあげたほうが」「いや、この場合難しいですよ」「私もちょっと」
 教師たちが、どう扱うべきか悩みあぐねていると
「すいませーん」と朗らかな声とともに、キリノが職員室に飛び込んできた
「あ、あれは千葉さん」「ああ、じゃあ私たちの出る幕はないですね」「帰りますか」
「そうですね、目の毒ですし」「あのタルトのおこぼれ美味しかったですね」
 キリノの姿を確認すると、何を確信したのか教師たちは次々と職員室から出ていった。
「せんせい……?」
 椅子の上で体育座りをしながら、ひざに顔をうずめていじけているコジローに、
キリノはそっと声をかける。
「なんだよ、キリノ。英語なら英語なんてしらねえよぉぉぉ」
「政経で質問があるんだけど……」
「政経、政経ならまかせろ! どこだ、どこがわからないんだ!」
 政経と聴いた瞬間、ぱっと顔を上げてコジローが目を輝かせた。
「あ、あのね。この問題なんだ」
「ん、どれどれちょっと貸してみな」
 キリノが参考書を取り出すと、
コジローは彼女が持っているほうと反対側のページをつかんでぐいっと引き寄せた。
「あ」
 顔が近いです。そう言おうとしてキリノは言葉を飲み込む。
「どうした?」
「あ、いえ。なんでもないっす。いやー、これ難しくて~」
「ああ、わかりづらい引っ掛けなんだよコレ。問題文が意地悪なんだよな~」
 水を得た魚のように、コジローが得意げに解説を始める。
キリノは、参考書を見つつ、コジローの顔をちらちらと見ていた。
「ってわけだ……聞いてた?」
「え、あ、はい! 超わかりやすいっすね~さすが、専門家」
「おいおい、おだてても何もでねーぞ」
「次、これなんすけど~」
 キリノは次々と政経の質問をしながら、コジローの顔を盗み見る。
「えへへへへへ」
なぜか、眼福という単語が頭に浮かんでいたが意味はわからなかった。
最終更新:2009年01月30日 23:07