いつもの道場の、いつもの練習風景。
それが途切れたのは、大事な書類だという束を抱えて出て行ったサトリが半泣きになり、
大きなダンボール箱を抱えて飛び帰って来たときのことであった。

「ぁうぅ…ごめんなさい…シュレッダーとシュリンカー間違えましたぁ…」
そう言われるよりも早く、箱の中身を見た部員一同は一斉に溜息を飲み込んだ。
彼女を責めた所で、既にきしめんの様になってしまった歴戦の記録用紙は戻っては来ない。
いつものこと。そう言ってしまえばそれまでなのだが、しかし今回は少しばかり齎した被害が大きかった。
何せここの所、剣道部、特に女子の調子は上向いている。ここ二回の練習試合では完勝を収め、
インターハイ予選では惜しくも敗れたものの、この面子で挑んだ最初の大会を思えば段違いの戦果だ。
しかしながら、行く行くは彼女らの自信の裏付けにもなったであろうそれらはいまや、糸屑のようになってサトリが持つ箱の中にある。
煌びやかな賞状などではないから、まだよかったにせよ。嗚呼。

そうした落胆を隠しきれないほか一同の顔色を少し伺いつつ。
サトリにとっては保護者のようであるミヤがまず真っ先にそれを咎めた。
「あんたねえ、ドジも大概にしないと…」
本当に取り返しがつかなくなるわよ。
周囲の目を気にしながら、あえて言葉尻は濁しつつそう迫ると。
「ううぅ…ごめんなさいごめんなさい…」
本当に申し訳無さそうに怯えるサトリに、キリノがその肩を優しく叩き、
「まぁまぁ、いいんだよさとりん。紙は紙だしさ」
屈託の無いにこやかさでそう告げると。
さらにそれに続くようにサヤがフォローを加える。
「そ、そうそう。大体さとりんがドジっ子って言っても、それ言い出したら皆ドジっ子だしねえ」

しかしそれは、藪の蛇をつつくようなもの。
む。とそのサヤの言葉に聞き捨てならない、という反応を示したのが、三人。
あれ、と今度は自分に矛先が向いたことを敏感に察知したサヤが笑ってごまかそうとすると。
そうはいくものか、とここぞとばかりに抗弁するミヤ。
「そりゃ、先輩はそうかもしれませんけど」
売り言葉に、買い言葉。そしてタイミングの悪さ。
そのミヤの言葉にカチンときたサヤが、
「いや…ミヤミヤだって、レイミちゃん?あの子が居る時は、相当でしょ」
と返すと。
今度はその言葉がミヤの琴線に触れ、
半笑いの表情を浮かべながら数秒ほど睨みを利かせ合う二人。

さながら蛇とマングースの睨み合いの様相を呈してきた所で、
「まあまあ二人とも、落ち着けぇ~」
と、そこにダンが割って入ると。
しかしそれでも勢いは冷めやらず、彼を抱えあげるミヤ。
「…ダンくんは」
「へ?」
「ダンくんもドジっ子ですか?」
ズビシ、と音を立てるかのようなミヤの指摘に、サヤが一瞬たじろぐと、しかし。
「だ、ダンくんは…荷物が持てない!!」
あと、自転車が扱げない。
サヤの確かな(?)反論にミヤががっくりと膝を折ると、次に手を挙げたのは、ユージ。
「あの先輩、俺もなんですか…?」
すこし躊躇いがちの、その質問にも、しかし。
勢い付いたサヤは最早止まるという事を知らない。
「ゆ、ゆ、ユージくんは、剣道バカすぎて周りが見えてない!!」
その大声が鳴り響くやいなや。
さっ、と音がするように、全員の血の気が引いた。
そのサヤの言葉の意味はただ、そのままの意味であったのだが、
それは取りようによっては確実に違う意味を持つ、すなわち。
「しまった」という顔をしたサヤ自身を含めた、ユージを除く全員の目がタマに注がれる。
「………??」
自分に向けられる視線の意味も分からず、ただきょとんとするタマ。
ひとつ首を傾げ、おもむろに。
「あの、あたしは…」
そう言いかけると。
「ん~む、こんなちっこいのに強くて可愛げが無いからドジっ子かなー?」
と、脇から。いまだ臍を噛むサヤに「いい加減にしなさい」と目配せをしつつ、キリノ。
それでどうにか、ようやく落ち着いたサヤが文字通り剣先を納める、と。

「ま、まぁウチはあれだからね。何と言っても顧問が」
話を変えよう、とそう言い掛けると、噂をすればなんとやら。
道場の引き戸が開き、遅れて来た顧問が姿を現す。
しかしその顔色はいつも以上に冴えず、どこか蒼白い。
ついでに言うと手はお腹を押さえ、いかにも苦しそうだ。
その様子を、訝しむ生徒六名。ふ、と何故か目を背ける生徒が、若干一名。
「どうしたのコジロー先生、どっかお腹の調子でも悪いの?」
と、いつもの親友のお株を奪うように、サヤが口にすると。
「いや…昼間ちょっと食い過ぎてな…イテテ…」
「またぁ!?」
これだもんね、と全員に語りかけるようにサヤが呆れるジェスチャーをとって見せると、和む一同。
その行動の意味が分からず、ただ不思議そうな顔を浮かべた後で、懸案を漏らすコジロー。
「っつつ…そ、それより東、アレ大丈夫か?ちゃんと取っといてくれたよな?」
その話題を振られると、箱を抱えたまま再び怯え始めるサトリ。
手に持つ箱からちらと覗く、糸屑のようなものに何かを察したコジローが、
「おまっ、まさか!」
と叫ぶと。
「ハイハイそこまでー。それはさっきもうやりました」
大体さとりんに任せたあんたが悪いんでしょ、とサヤ。
うんうん、と頷くほか五名。相変わらず顔を背け続ける、若干一名。
満場一致の反応に、コジローは、というと。
「いや…ホントはキリノかユージあたりに運んでもらうつもりだったんだが…ハライタで呼びに行けなくて…ぐうぅ」
しかし、そのバツの悪そうな顔を覗かせつつの言い訳は、
「はいはい、大の大人が言い訳しない!」
サヤによって一刀両断にされる他に、意味を持たない。
――――自分の名前が出た事で更に顔を背けた、ただ一人を除いては。

そうなると最早彼は、なおも顔面を蒼白くして道場の隅に蹲ると。
「ちくしょう…ハラいてー…」
と宙空に向けて呟くのがやっとの体であった。
その様子を一瞥し、何割かの心配と、何割かの呆れを乗せて。
依然として顔を背けたままの親友に、同意を求めて語りかけるサヤ。
「全くもう、何をそんなに食べたんだか。ねえキリノ?」

「………し、知らないよ…?」

本日の、一連の騒動。
その根源を作った一番のドジっ娘、すなわち主犯格は―――――とりあえず、そっぽを向いていた。



おしまい
最終更新:2009年01月13日 23:18