――貧しい、みなしごの5人兄弟が協力し合い、子供だけで暮らしていました。
――それを知った王様は心を打たれ、子供たちを養子に迎えることにします。
――知らせを聞いた子供たちは、大喜びするやら、あわてるやら。


「……ごっ、めっ」
 空が薄明るく、外気もまだ生暖かい程度の初夏の早朝。ちょうど、橋を渡り切った所だ
った。
「ごめ、ん」
 息も絶え絶え、乱れた呼吸の合間を縫って、サヤが必死に声をつなげた。
 それまで走ると歩くの間で足掻いていた彼女だったが、とうとうその気力も尽きてしま
ったらしい。両腕はひらひらと力なく、足もペタペタと上がらぬヘタレフォーム。それか
ら一歩、二歩、三歩。電池の切れた玩具のように、それでピタリと立ち止まった。
「もう、ちょと、しんどっ、しんどい」
 両膝に手をつき、見るからに限界の息づかいに合わせて、肩を深く上下させる。視線は
アスファルトを向いて動かず、セミロングの髪もぺっとりと肌に張り付いていた。
「……じゃ、ちょっと休みましょうか」
 サヤが立ち止まった3歩先で、ユージが足踏みを止めてそう言った。





――村人たちも自分のことのように喜び、子供たちの元へ駆けつけました。
――『王様の子にしてもらうには、すばらしい贈り物でおもてなしをして、えらい子だ
   と感心して頂くのが肝心じゃ』老人が子供たちにそう言い聞かせます。
――子供たちはさっそく贈り物の用意に取り掛かりました。


 しばらく歩いた先の、堤防の石階段に、サヤはどかりと尻を落とした。
「もうっ、あっつ」
 乱暴にジャージを脱ぎ捨て、タンクトップ一枚の上半身を外気にさらす。裸になった腕
やワキに直接風に当たり、蒸れていた熱が四散して幾分マシになったが、それでもまだ、
ベタ付くような湿気が払いきれなかった。
 特に、無駄に膨らんだ胸に空気がこもり、ひどく蒸す。パタパタと胸元を開放して風を
入れると、それでようやく涼しいという感覚を覚えた。ついで、反対の手で額に張り付い
た前髪を整える。
 しかし全く、胸元のコレは走るのにも邪魔、寝ても邪魔、ことあるごとに邪魔、その上、
肩も無駄に凝る。世間の言う大きいと良いという概念はどうにも理解出来ない。胸中で愚
痴つきながら、サヤは後ろ手を付いて何気なく空を仰いだ。
「あ」
 そしてピタリと手を止める。空を仰いでからさらに仰け反った、その、逆転した視界の
先に、すっかりと忘れていたユージの姿を見たのだ。彼は階段の上に棒立ちし、難しい目
つきに眉をひそめ、赤らんだ横顔をこちらに向けている。
 サヤのただでさえぼうとした頭がさらに混乱し、一時、思考と身体が停止した。
 不意にヒラリと風が吹き、無駄に膨らんだ無防備な胸元にすうと入り込む。
「……っひ」
 その感覚に正気を取り戻し、サヤは甲高い悲鳴を上げた。





――上の兄さんは、得意の木彫りで鳥の置物を作り始めます。
――上の姉さんは、得意の絵で美しい天国を絵描き始めます。
――下の姉さんは、得意のマンドリンで音楽の練習を始めます。
――下の兄さんは、得意の料理でとびきりのメニューを考え始めます。
――ところが一番下の妹の、小さな女の子には、何一つ得意がありませんでした。


「いや、スマンね。走りすぎで頭ぼぉっとしてて……」
「いえ、どうも……」
 再びジャージを着たサヤの隣に、ユージが遠慮しがちに腰掛けた。
「飛ばしすぎちゃったからさぁ、もうとにかく暑くて暑くて」
「確かに、ちょっと考え違いでしたね。朝方ならもう少し涼しいと思ってたんですが……」
 苦笑しながら、ユージがアンダーシャツの袖で汗をぬぐう。サヤもジャージの袖を肘ま
で引いた。長袖より多少は暑さの誤魔化しになるが、しかし、その程度だ。本来なら脱い
だまま腰にでも巻くところだったが、先ほどの手前、肌着姿を晒すのは気恥ずかしかった。
(体操服でも着て来りゃよかったか)
 今更の後悔噛みしめつつ、サヤはまた後ろ手を突いて空を仰ぎ、ぱぁと熱い息を吐いた。
(……あつ)
 太陽が不在の早朝と言えど、予想したよりも気温・湿度ともに高い。なに、そう暑くは
ならないだろうと思っていたが、あさはかであった。ジャージの下でまた空気が蒸れ始め
る。つくづく思うに、最初からアンダーシャツに短パンという薄着で来たユージが賢明で
あった。
「それにしてもサヤ先輩、もう少しペースを考えて下さい。いきなり全力疾走は無茶ですよ」
 不意にユージが沈黙を裂く。その言葉に、サヤは思わずぷっと吹き出した。
「あはは、いやなんつーかさぁ、取りあえず一回全力出さないと調子出ないのよね、あた
しってさっ」
「怪我しますよその内……別にタイムを計ってる訳じゃないんですし、ジョギング程度に
して下さい」
「あい師匠! 了解でッス!」
 ぴんと伸ばした手刀で額を叩き、また笑う。ユージは終始呆れたような顔を浮かべてい
たが、しかし、ため息を一つ挟むといつもの幼顔に戻り、サヤを向いてまた口を開いた。
「でも、なんでまた突然に早朝練習なんですか? 別に俺は大丈夫なんですけど」
 無垢な童顔が傾き、質問を投げかける。サヤはうんと腕を組んだ。
「う~ん、いやさ、前々からやってみたいと思ってたんだよね」
「早朝練習を?」
「いやいや」
 ユージの言葉を否定すると、サヤは顔の高さでぐっと拳を握り、目に炎を宿して力強く
言う。
「そこはユージくん、秘密特訓と呼びたまえ!」
「秘密なんですかコレ?」
「秘密だぁ!」





―― 一番下の女の子が何も出来ないまま、数日が過ぎました。
――兄さんたちは王様を迎える準備に余念がありません。しかし、何も出来ない女の子は
  一人、村の広場で馬丁の仕事をしていました。
――そこに、一人の商人が現れて言います。「私のロバに餌をやって頂けますか?」
――女の子はぴょんと立ち上がりロバを預かると、疲れた様子の商人に、壁際のベンチを
   勧めてあげました。


「正直さ、あたしってそんなに強くないじゃん?」
 並んで座ったまま雑談を続ける内、サヤが口を滑らせた。
「ずっと前にさ、コジロー先生にも言われたことあるんだけど、剣道って、やっぱり経験
の差がモロに出るんだよね。あたしも最近になって分かってきたけど」
「確かに、そういう部分はあるかもしれませんね」
「でしょ! それであたしってば高校入ってから剣道始めたから、ぶっちゃけミヤミヤの
次に経験少ない訳じゃん!? 二番目に弱いってワケじゃん!?」
「いや一概にそういう訳でも……」
「ないことないじゃん!?」
「いえはいまぁ……」
 勢いに乗るサヤに押され、ユージが口ごもって身を引いた。
「でさ、これはそろそろパワーアップが必要かなぁって思ったワケ。でもあたしじゃ何し
ていい分からなかったからさ、取りあえず走っとけみたいな? でもさすがに部活終わっ
てすぐはしんどいし、かといって乙女が一人夜に走るのは危ないし、んじゃ朝? ってな
ったのよ。んでそれをお母さんに宣言したら朝でも一人で危ないのは一緒だからダメって
言われて……」
「で、俺が呼ばれたと」
「イエェス! 男の子ならお母さんも文句なくてさ、後輩って言ったら誤解されなかった
し、それにユージくんなら技術面でも頼りになるし、なんと言うかユージくんすごい都合
がいいと言うか」
「その言い方は酷いですね」
「アハハ、ごめんごめん」
 片手をひらひらとさせて、サヤがまた笑った。





――ベンチで一眠りした商人は、目覚めるなり、隣の女の子を見つけてこう言いました。
――「ずっとそこに居たんですか?」
――「ええ。おじさんがとても優しそうな人だったから、側にいたかったの」
――女の子が答えると、商人はにっこり笑って顎ヒゲを撫でます。
――「あなたはとてもいい子ですね。用事が済んだら、もっといっぱいお話ししましょう」
――「おじさんは、なんの用事で来たの?」
――上目使いに言う女の子に、商人は答えました。
――「ちょっと、人探しに」


「と、言うことは、これは、キリノ先輩にも秘密なんですか?」
「ん~、まぁね」
 石段から重い腰を上げ、堤防に上がって柔軟体操を始める内、また不意に会話が始まる。
「キリノに言ったらさ、絶対『私も付き合うよ~』ってコトになると思うのよね。自分に
はお店の手伝いとかお弁当作りもあるのにさ、無理してでもアタシに合わせようとしてく
れるのよ、きっと。そりゃありがたいんだけどさ、あんまりあの子に負担かけたくないし」
「なるほど、分かる気がします」
「でしょ?」
 互いに大きく納得の声を漏らし、肩を並べて入念にアキレス腱を伸ばす。
「いい子なんだよねぇ~。全国大会行くって言ってるのも、半分は本当にあのダメ顧問の
ためだよ? きっと」
「もう半分くらいは、純粋に剣道を楽しみたいって感じですね」
「そうそう! 剣道って言うか部活? ホント頭の中さっぱりしててさ。あ、あたしが言
うのもアレか」
 股関節を伸ばしながらサヤが笑う。ユージもまた股関節を伸ばしながら苦笑を浮かべた。
「って訳でぇ! 愛するキリノのためにも、いっちょ秘密特訓後半戦いくよ~!」
「あ、サヤせんぱ……」
 一通り体操を済ませると、ユージが止めるよりも早くサヤの足が走り出した。それも一
心不乱にして猪突猛進。体力の温存やその他、諸々の要因全てをねじ伏せるような勇まし
い疾走である。サヤの身体は風の如く堤防を駆け抜け、昇りかけの朝日へ向かうように跳
ねて踊った。
「いぎっ!」
 しかし突如、その、文字通り飛翔した足に、筋肉を引き裂かれるような激痛が走った。
異常事態に身体が硬直し、着地した軸足がぐらりと揺れる。それを追うように、サヤの身
体は勢いのまま、重心を見失って堅い地面へと投げ出された。





――商人はすぐに戻って来ました。
――「探している人は見つかったの?」と、女の子が問い掛けます。
――「ええ、見つかりましたよ。でも、全員に追い返されてしまいました」
――「どういうこと?」
――不思議そうな女の子に向かって、商人は寂しそうな顔を浮かべて言います。
――「一人目は木彫りに、二人目は丘の上で絵を書くのに夢中でした。どちらにも、仕上
   げるから後にしてくれと言われてしまいましてね。三人目は歌を歌っていました。
   ちょっと話がしたいと言ったら、今はダメですって。四人目はもう村に居ませんで
   した。どうにも、町の食堂まで料理を習いに行ったそうです」
――そこまで言うと、商人はがっしりとした二本の腕で女の子の体を抱き上げ、ぱちくり
  と驚く顔に向かって、やさしく笑いかけます。
――「大事なことを、見失ってしまったようなのです、お兄さんたちは」


 がっしりとした二本の腕が、サヤの身体を抱き止めた。
「いきなり全力疾走じゃ、怪我しますよ」
 行く先を見失った大柄をしっかりと支え、地面につなぎ止めながら、呆れたような声で
囁く。
「無茶をして、目的を見失っちゃダメですよ。練習は鍛えるためのもので、怪我するため
じゃありません」
 不意に腕が離れると、サヤの身体は芯を抜かれたようにふにゃりと地面にへたり込んだ。
全身の筋肉が自立心を無くし、働かず、ただ尻に冷たい土の感覚を覚える。それから、左
足の痛みを思い出した。筋を引かれる様な独特の痛み。どうにも急な運動でつっただけの
ようだ。それに転倒するはずだったその他もまるきり無傷で難を逃れ、どこも異常なかった。
 ただ一つ、ばくばくと高鳴る心臓を除いて。
「あんまり、自分自身に負担を掛けないでください」
 天からすっと、剣タコまみれの手が降りてきて、サヤの眼前で止まる。その手から手首、
腕、肩へと視線を上げていくと、朝焼けに光る空を背にした、ユージの微笑がそこにあった。
「ゆっくり、行きましょう」





――「この人が、王さまにちがいないわ」女の子はそう思い、抱き上げられたまま言いました。
――「王さま、私は王さまの子どもになりたいの。でも私、なにも差し上げるものがないの」
――「そんな、確かに頂きましたよ」
――「私はなにもしていないわ」
――「いいえ、なによりもすばらしい贈り物を頂きました。ただありのままの、真心とい
う贈り物を。私は、それだけで満足なんです」
――王様は女の子を壁際のベンチにそっと下ろすと、その前に屈みこんで女の子に笑いか
けます。
――「ありがとう、あなたは私の子供です。ゆっくりお話をしましょう。その後で、もう
一度お兄さんたちに会いに行きます。その頃にははきっと、あの子たちも私を振り
向いてくれるでしょうから」
――こうして、一番下の妹の小さな女の子は、優しい王様の子供になることが出来ました。
――女の子のお兄さんたちが王様に気付いたのは、もう少し後になってからだそうです。


「んで? ユージくんはどったの?」
 道場の隅の真っ白な灰-――もとい、放心状態で座り込んだユージを眺め、キリノがカタ
リと首をかしげた。
「朝練前に燃え尽きてるねぇ~、どうしたんかねぇ~、知らんかねぇタマちゃん?」
 腕を組んで振り返ったキリノに、タマキがふるふると首を横に振って答える。同じくし
てサトリ、ダンやミヤコといった一連の面子にも順番が回るが、どれも一様にして同じ反
応だった。
「聞いても『なんでもない』とか、『秘密』とかしか言わないぞ」
 その中でダンが言う。おぉとキリノが歓声を上げた。
「なんと、あの誠実なユージくんが内緒ごとをぉ!? これはサヤ警部、どう見ますかね?」
「い、いやぁ」
 キリノの視線から逃げるように首を曲げ、サヤが苦い顔を浮かべた。
「例えば、足のつった人間(体重ぃゃンkg)を背負って数キロに渡り歩かされた、とか?」






 
最終更新:2008年12月21日 00:26