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夢を見ていた。
少しだけ大人になった自分と、一緒に居る…誰かの夢。
手をつないで、まるで恋人同士。
俯いていて、顔は見られなかったけど、想像はついた。
身長は176cm、血液型はA型で――――学校の先生で。
そぉっと、名前を呼ばれたような気がした所で、目が覚めた。
「ほぁ~~」
ねぼけ眼をこすりながら、もう片方の手を大きく伸ばす。
千葉キリノの、朝は早い。

「…雨かぁ」
朝食のトーストを頬張りながら、窓を見て、ぽつり。
どうしたものか、今朝は朝から調子が違う。
空模様はそのままそれを映したように感じられた。
きっと変な夢を見たせいだ。と思い、少し憂鬱な気分に浸っていると。
「どうしたのねーちゃん?熱でもあんの?」
さすがに家族には分かるのか、弟が心配そうに声を掛けてくる。
「んーん。大丈夫。それより口の横、パンついてるよ」
「えっマジ!?」
おちょくり返してその場をしのぐ。
そうしてやがて手の中のトーストと、コップの牛乳と、お皿のサラダが無くなると。
「じゃあ、行ってきまーす」
「あれ、もう行くのかい?」
「…うん、今日こそコジロー先生より先に着かなくちゃ!」
その名を出した途端に、少し輝きを戻した表情に。
父と母、そして弟と妹の四人は何かを察しながら、朝食を続けるのであった。





雨の日は、みな同じ。
降ったらお休み、という訳にはいかないのは社会人も学生も同じである。
ともあれ雨の日だけは飛躍的に乗客を増大させるらしいその私鉄は、
雨の神様と乗客である自分達にリベートを差し上げても宜しいのではないだろうか。
そんな事を考えながら彼は、普段のハンドルに代えて吊り革を握り、電車に揺られていた。
見れば、車内の吊り広告にはクルマの乗り換え特集の記事がある。

「はぁ……」
思い返すと、今日は朝から調子がおかしかった。
奇妙な夢は見るわ、仕掛けた筈のごはんが炊けておらずパン食になるわ。
挙句の果てに愛車は幾度キーを回そうともウンともスンとも言わず、
普段の通勤時間はすぐそこまで迫っていた。
「ちっくしょぉぉっ!!」
勢いで運転席のドアを叩きつけ、傘を手に、駅へと走る。
なぜここまで躍起になっているのかは自分でもよく分からないが、
何故か、癪であった。誰と勝ち負けを競っているわけでもない。
根拠はなく、このままではただ漠然と、癪な思いをしそうだ、というだけ。
彼が駅徒歩15分の物件からの距離を3分で駆け抜けた理由は、まあ、そんな所であった。





「うぅ~むぅ~~」
少し混み合った車内の中で立ち尽くしたまま。
キリノは顎に手をやり、猫口で唸った。
別に、こんな時間にも通勤客が多い事に感心してだとか、
それを根拠に日本の将来も明るいねと思っただとか、そういう事ではない。
あるのはただ一つの目線であった。どうにも、粘っこくて、しつこい。
背後の座席の中年から発せられているそれに気付いたのは一つ前の駅からであったが。
何か、むず痒いと言うか、居心地の悪さを感じてしょうがなかった。
”そういう”対象に選ばれるのは、まあサヤやミヤミヤならば失礼ながら、わからなくもない。しかし。
(…あたしだよ?)
さしてスタイルに自信があるわけでもない、まして別段可愛いわけでも。
自分に対する過小評価が、彼女の困惑を更に深いものにしていた。
大声で叫んでやろうか、とも思いもするのだが、もし誤解であったら。
優しい心根がもろに仇を為し、そのままあと2駅分、彼女の苦悩は続く…かに見えた。

「おりょっ…」
気がつけば、隣の車両からやって来た”彼”にその手は握られ、手繰り寄せられていた。
近い。
肩が触れ合うほどの距離でまず最初に彼女が思ったのがその事で、
そこから先は頭を整理するのにしばらくの時間を要した。

一方その間に彼がした事は、というと。
彼女の手を握り寄せ、椅子に座る中年との間に立ち、ひとにらみした。
とりあえずは、ただそれだけであった。それだけで事の半分以上は終了したと言える。

「…何ですか」
「俺の教え子、あんまり見てんなよ、おっさん」
あとは容易いものであった。
どちらが善で、どちらが悪か。あるいはそういう次元の問題ですらない。
観客である乗客は、満場一致で彼の行動に賞賛の視線と、犯人には冷蔑のまなざしを浴びせた。
するとその男は一時、居直ったような素振りを見せたが。
次の駅に着き、ドアがプシュっと開くと、
何をかブツブツと呟きながら、すごすごと電車を後にしてしまった。





「…大丈夫かよ?」
「あ、いえ…アリガトウゴザイマス」
ニカッ、と音がするような顔で笑い、
せめてこちらを安心させようと言う先生に、言葉は裏返る。
見ると、手は変わらず握られたままである。

朝の夢。
咄嗟にそれが頭を巡り、思わず肩を振ると、手はすっぽりと抜けてしまった。
少し眉をしかめる先生に、今度は申し訳無さが巡る。
「あ、すいませ…」
気がつけば、先程まで味方だった乗客の視線は、
今度はこちらを見て笑っているようにも思われた。
これはどういう人達なんだろう。教え子、だと言いながら。
キリノが無意識に腕を払った理由には、そういうものも含まれていた。
が。
「…うんにゃ、大丈夫だったらいんだよ」
とりあえず彼は何も変わらず、ただそうとだけ告げた。
やがて駅が近付くと、乗客は一様にこちらを見ながら席を立ち始める。

「俺らも、降りるか」
彼がそう促すと、気恥ずかしさに包まれたままの彼女はひとつコクンと頷き、電車を降りた。
硬い駅のホームについた足はまだひどく不安定で、身体を支える膝はすぐにでも笑い出しそうだった。

再び、朝の夢。
それが脳裏を巡ると、今度は申し訳なさ、と言うよりも離れた手がいやに寂しく感じられた。
先に三歩ほど歩を進めた彼が訝しげに後ろを振り返ると。
キリノは俯いたまま、小さく、さえずるような声で呟いた。

「…もうちょっとだけ、手、つないでてもいいっすか…?」





・おまけ
裏の五十二手 第49手 相合傘


「そりゃ構わんけど…雨振ってるんだが、傘…」
「あ、えと…うんと…」
「ふぅ…ちょっと待ってろな」

「すいません、これ落し物なんですけどー」
「はいはい、ありがとうございます」

「これで傘、一つになったな。どうする?」
「…ごめんなさい」
「気にすんなって。さあ、行こうか。しかし…」
「???」
「今日は同着だなあ、こりゃ」
「……うん!」

ひまわりの傘の下に、初々しい笑顔がふたつ。





おしまい