-”なあキリノ、チョコくれよー”
-なんすかセンセー、そんなに一杯恵んで貰ってるのに。
-俺の食生活のひもじさは知ってんだろ…?今はただ補充できるカロリーが1個でも欲しい、それだけなんだ!
-力説されても、ねえ…んじゃ、ハイ。余り物でよければ。
-おおっ!サンキュー!助かる!
-はいはい…



(………あ。)

家に帰るなり、鞄の中からぽろり、とこぼれた包み。
きれいにデコレートされ、中身も十分に手の込んだ作りのソレは、本来…今日渡す筈だったモノ。

(しまったなあ… なんか、本当に余り物の方だけあげちゃった…)

せびられれば、仕方ない。
勿体つけるつもりで取っておいた気持ちがアダになる。
しかし、鞄の中で少し擦れ、包装の角が少しほつれた箱を見て、思う。

(これなら、まあ…)

自嘲の笑み。
傷んだ物なら、あげてもしょうがない、という、諦念。
それら全てが「しょうがないか」という言葉に乗せて吐き出されると。

(それにまあ、いつでも会えるし、ねえ…?何なら)

「来年でもいっか、あはは」

すこし乾燥した笑い声が部屋に軋む。



――――――”来年の今日”が、本当に来るのなら。どれだけよかっただろう。


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「なあ千葉、今年はチョコ…」

自分の席に座るキリノに、そう言って話し掛けようとする男子を、
左右の席に座る短髪と長髪の女子がぎろり、獰猛な目付きで威嚇する。
それに怯み、言い掛けた言葉を飲み干すと、すごすご引き退がる男子。
そうそれは、「あの出来事」の直ぐあと、剣道部員と新顧問の吉河先生、
そしてキリノの親しい友達数人との間で交わされた―――盟約、とも言うべきもの。

”今年のバレンタインデーは、取り止めになりました”

もちろん、本日のバレンタインに限った話ではない。
文化祭、体育祭、クリスマス、お正月…
彼女らは折ある度に訪れるそのようなイベントという名の雷雨からキリノを守る傘となり、
またある時は盾となって一つの目的の為に腐心してきた――――

すべては彼女が、”彼”のことを思い出さぬように。
少なくとも………その喪失の傷痕が癒えるまでは。

「ミヤミヤ、ダンくん。イチャつくならキリノの見てない所で」
「ユージくん、ヒーローショーにタマちゃんを誘う時は登下校の時に」
「さとりん…は、何もしなくていいわ。怪我しないようにね」

主にサヤの行う陣頭指揮の下、次々と制定されて来たそのようなご法度の数々。
それに付き合う人の数の多さは、そのまま普段のキリノの人柄の良さを表し…
何より校内における”あの二人”の理解者の多さを雄弁に物語っていた。

(そうだよ。だから…)
(早く帰って来なさいよね…石田先生)

男子が去ったあと、二人が顔を見合わせて頷きあっていると。
それを訝しげに覗き込みながら、キリノ。

「あー、あの、いいかな?」

なになに、と同時に聞き返す二人に、続ける。

「これ…友チョコなんだけど…」

机からがさごそと二つの包みを差し出すキリノに、二人の反応は鈍い。

「チョコ、って…あんた…」
「別に、無理しなくてもいいのよ…?」

二人の気遣いにやや確信的にふるふる、と顔を横に振ると。

「ほんめーのチョコはね、置いてきちゃった」

”本命”。ただそれだけの言葉に慄く二人を尻目に、続ける。

「…今まで、守ってくれてありがとう」

「あたしもう、大丈夫だから」

「何があっても…一生会えなくても。ずっと待ってるって、決めたから」

その言葉を聞き、思う――――それはそれで、だが。
しかし自分たちが、この子の為によかれと思ってやって来た事は、結果的に…
むしろ彼女に、そのような悲愴な決意をさせるまでに―――追い込んでしまったのではないか。
疑念に駆られ、居ても立ても居られずに、迫るような形相で問い掛ける。

「「……いいの?」」

「いいの」

二人の、そのような不安を一蹴するかのように、キリノは強く微笑んでみせた。
それを見るや否や、キリノにすがりつく親友二人。

「キリノ~!」
「アンタ、ほんっとにいい子だわ~!」

抱き付かれ、二人に揉みくちゃにされ笑い合いながら、キリノは思う。

(それになんだか…もうすぐ会えるような気がするから)

根拠はどこにも、何もない。ただの思い込みに過ぎない。
ただ、不思議とこういう時の自分の直感が外れた事がないのをキリノは自覚していた。

そして時はまた、巡る――――


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「…さて、と。なあキリノ、チョ…」
「はいはいっ!」

求める手よりも先に、差し出される大きな包み。
今までのものとは違う、恋人としての確信と愛情が詰まりに詰まったそれは疑いようも無い、本命チョコ。
剣道部の練習が終わり、キリノは受験の直前補習を終え、再び二年前と同じように二人きりになった道場は、
しかし当時とは全く打って変わった桃色の空気を充満させる。
あの再会から、永く――――10ヶ月もの時間を経、キリノの卒業を間近にまで控えて、
ようやく不器用ながらも想いを通じ合わせる事が出来た二人がそこにはいた。
大いに照れながら包みを受け取るコジロー。

「あ、アリガトーな…」
「いえいえこちらこそ…」
「開けてみてもいい?」
「ど、どうぞ」

しゅるり、と梱包のリボンを解くと、真白な箱が顕になり、箱の中には…
苺でコーティングされたピンク色の大きなハートと、その下でクロスしているふたつの竹刀。

(こりゃあ…目のやり場に、困るな)

その、女の子らしい、いや余りにもキリノらしい装丁に…直視する事が出来ない。
かと言ってここで彼女の方を見るのも、何かいやらしい。
結果コジローがどうする事も出来ずに居ると、キリノの方から助け舟が出る。

「もー、なに照れちゃって固まってるんすかあ」
「いや、でもなぁ…ホントに食べてもいいのかこれ?」
「食べちゃって下さい……先生に食べて貰う為に作ったんだから」

そう言ったまま、顔を赤くして俯いてしまったキリノを見ると、こちらの気恥ずかしさまで倍増してしまう。
大きく息を吸い込み、生唾をひとのみ、ハートの端をつまむと、一口。

「…うめー」
「ホントに…?」
「甘くて、すんげえ、うまい」
「ふふー、なんか当たり前の事言ってますよ?」
「うまい…」

見れば、子供のように自分のチョコを頬張るその姿にドキドキしてしまう。
そのまま、自分の鞄に少し目線をやると、不意に―――

「…でも、これだけか?」
「へ?」

思いもしなかったニュアンスの問い掛け。
8割ほどハートを食べ尽くし、残りのカケラを口にしまいながら、コジローは続ける。

「…その、さ。がっついてるって思うかも知れないけど…
 出来れば去年の分も、貰えたらなあって」
「そんなの…」
「俺、食べてないし」
「………ウン」

どうしようもないほど隠し切れない喜色と共に、鞄の中から取り出した、包みがふたつ。
去年の分と、一昨年の分。改めて作り直しておいてはみたものの、いざ渡せるかは―――曖昧だった。

(なんだか、押し付けがましいし…)

あの半年の間で成長した物と、失った物。
キリノは落ち着きを得た代わりに、強引さを失ったとも言える。
それがこの関係の、とりあえずの決着をさえこうまで長引かせた要因でもあったのだが……閑話休題。
とにかくそう思い、鞄から取り出したものの、未だおずおずと渡せずにいる二つの包みをコジローはひょい、と取り上げると。

「…くれるんだろ?」
「あっ、でも…」
「お前がくれる物を、俺が拒む訳、ないだろ」
「………!!」

(―――言葉に、できない…)

口元を両手で押さえ、一言も発する事の出来ない自分の頭の上に、いつものように優しく置かれる、大きな手。
そのままなでりなでりと掌を動かせるが、そうしながらも少し弱り顔を覗かせるコジロー。

「しかし、困ったなあ」
「なにが…ですか?」
「こんだけのもんに、俺の方から返せる物が…正味、全然思い付かん」

その素直過ぎる感想に、ぷっ、と下から笑いが吹き上げる。
自分は、そんなもの何も期待していなかったのに。

「…じゃあ今度、寿司でもおごって下さいよ」
「あ、ああ。それくらいなら、いくらでも…まわる寿司でよければだけど」
「ふふふ…まわるお寿司屋さんで全然ヘーキですよ、でも…」
「まだ、何かあるのか?」
「もし…もし、良かったら。おととしと、去年の分も…お返し、貰っちゃっていいですか?」

そう言うと、頭を撫でるその手が止まる。
キリノの緊張とその言葉の意図とを身体の強張りから察し、ひとつ大きく息を呑む、と。

「今、か?」
「今、です。うふふ」

そう言うなり、キリノは踵を伸ばし、顔を上に向け、静かに目を閉じる。
それは教師と生徒としてではない、恋人同士として――――記念すべき、ただひとつめの証。



(ちゅぅ。)



今日の”初めて”は、ストロベリーチョコの味。
最終更新:2008年10月08日 23:38