(で。―――何で、こーなっとるんだ?)
 答えの返って来るはずのない自問自答もこれで何度目か。
 溜息とともにコジローは、これまた何度目になるかわからない行動―――その部屋を見回した。
 鼻腔をくすぐり続けるほのかな甘い香りと、否応にもこちらへ視線を投げる、山のようにある奇怪なぬいぐるみの数々。
 加えてけばけばしいヒョウ柄の掛け布団が、アクセントと言うには強烈過ぎる個性を放っている―――
 視界の情報だけを頼りに部屋の主の姿を想像すれば、誰もがこう思うだろう。
(……どんだけ少女趣味のおばさんの部屋だよ?)
 しかしその部屋の主は、キリノは。
 お客ばかりを待たせたままで、今日はどうやら弟達と外へ出掛けているらしい。
 すぐ戻って来るから、と言う話ではあるのだが――――

(で。―――何で、こーなっとるんだ?)
 もはや何度目になるかも分からない心の呟きを、重ねた。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 切っ掛けはある日、昼飯の時キリノがふと発した疑問のことば。
「そういえば先生って、ウチのお店来た事ありましたっけ?」
 その答えは残念ながら、ノー。
 ”ごはんだけだと味気ないし、お腹一杯にならないし、なにより面倒くさい”
 精微に構築されたその理論のもと、米を炊くという習慣が失われた我が家ではそもそも、
 惣菜だけを買っても食べるべき白米という物が存在しない。
 やはり、たんぱく源の主菜に栄養バランスを考えた副菜に、消化しやすくエネルギーになる炭水化物。
 これらを満遍なく摂取してこそ食事。――――カップラーメンに勝る物なし。
 拠って、くれる物ならいざ知らず……惣菜屋さんのおそうざい等には本来、縁が無かったのだ。
 ……しかし本日、実家から送られてきた約30kgの米は、圧倒的な物量でもってその常識を破壊せしめた。

『虎侍へ。お米が余ったのでそちらへ送ります。お米は身体にとってもよくて食生活の基本だから…』
「……加減ってものがねえのかあのババア!しかも精米何ヵ月後だこれ!?下の方、カビ生えてるじゃねえかっ!!」
 勢いに任せて同封の手紙を引き千切ると、しかし残された選択肢は一つしか無い。
 ―――――食うしか、ない。



「いらっしゃいませー」
 キリノの言葉を思い出し、部員名簿に記された住所を頼りに惣菜ちばに向かったのが10分前。
 意外にも家から近かったそこのお店の軒先に入ると、胸に「ちば」と書かれたネームプレートをつけた、お母さんと思しき人物が売り子をしている。
 ―――キリノは、いないようだ。
(まあ、良かった……か?)
 こないだの今日でいきなり来てしまったのでは、何をか思われるやも知れない。
 買うだけ買ってそそくさと退散するつもりでクリアケースに並べられた惣菜を眺める――――と。
(あんこ入りコロッケ…?ジャムカツサンド…?)
 なにやら奇抜な商品にばかり目が行ってしまうが、お目当ての物は、あった。
「すいません、コロッケとメンチカツと、プチサラダ…」
「はい、249円ですー」
 商品をせっせと箱に詰め、お釣りと一緒に渡すとピッカリ、としか言いようの無い笑顔で微笑むお母さん。
 いわゆる営業スマイル、という奴なのだろうが…嫌味は全く感じられ無い。
(流石に……似とるなあ。この辺は。)
 と、ふと考えていると。
 お釣りを受け取りながら、つい覗き込んでいたこちらの視線に気が付いたのか、片方に纏めた髪の方へ小首をかしげる。
「あの~?」
「あっ、あはは、いや……娘さんには、お世話になってます」
 その雰囲気には耐えられず… ――――言って、しまった。
 そう思うのが早いか、キリノ同様に表情を回転させ、すぐさま目をキラリと輝かせるお母さん。なにやら興奮気味ですらあるようだ。
「もしかして…”コジロー先生”さんですか?!」
「あぁ、はい…まあ、そうですが」
「こちらこそ、娘が本当にいつも、お世話になっております~」
「はぁ…?」
 目をらんらんと輝かせ、異様に頬を緩ませきった――親バカ、という奴にも似た――表情で、顔を寄せてくる。
「キリノは今、兄妹と買い物に行ってるんですよー、よろしかったら、部屋に上がってお待ち下さいな」
「いっいや、俺は別に今日はキリノに用があったわけじゃ…」
「まあまあ、そう遠慮なさらずに!」
 そのまま、強引にこちらの腕を引き、お店とくっついてる自宅の方へ…そしてキリノの部屋へと引っ張り込むと。
「ではごゆっくり~、あ、お飲み物は帰って来たら持って上がらせますから」
「あ、ッちょっ…」
 ――――――バタン。
 以上までが冒頭の状況を生んだ、その顛末の一部である。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


(で。―――何で…)
 何十度目か分からない心の呟きを抑えつつ、同時にふと思う。
(強引なとこは、まるでいっしょだな…)
 最近はとんと鳴りを潜めたが、あいつも暴走すると何をしでかすか分からない。
 それは成長した、と言う事なのかも知れんが――――まだまだ危なっかしくて、放っておけん。
 心の声がそう変化し始めた頃、下の方でただいま、といういつもの元気な声が聞こえた。キリノが帰って来た様だ。
 とするとふと湧き上がる、次の疑問。
(…お、俺、本当にここにいていいのか?)
 改めて思うと、なんという地に足の着かなさか。
 自分のお袋の部屋と似ている事が緩衝材になり、どうにか抑え込めていた気恥ずかしさが沸々と首をもたげる。
 まじまじと見れば、壁紙はパステル調でカーテンはピンクだし、そもそもがこの嗅覚を麻痺させるような甘ったるさ!
 ―――――やはり、そこは女の子の部屋、という以外の何物でもない。
(とりあえずここは出よう、出ないと……やばい。)
 そう思い、ドアに手を掛けようとすると、するり。ノブが右手を遠く離れて行く。
 体勢を崩しかかる所を左手でどうにか支えると、ドアの代わりに目の前に現れたのは、よく見知った――――キリノの顔。
 しかしその距離は……かつてないほど近い。

「おりょ」
「…よ、よう。おかえり…」
 吐息のかかりそうなくらいの距離にキリノの顔がある。
 先程までの瞬間湯沸かし器のような緊張と相俟って、こちらの顔はおそらく真っ赤だ。
 反面、一見落ち着いている様に見えるキリノは……ぽかーん、とじっとこっちを見つめたまま、しかしわずかに目線を逸らすと。
「な、なんで、センセーがここにいるんすか…?」
 小さな声でそう言ったきり、そのまま顔全体までもを逸らし、顔色を見せようとしない。―――しかし。
 ドアの向こうの全身鏡に映し出されたその顔は、よく熟れたりんごのように朱に染まっており、
 それが見えた事は――キリノには悪いが――こちらを却って落ち着かせる端緒にも、なる。
「いっ、いや、お店に来てみたんだが、お母さんがな…」
「…………もぉ!」
 どうやら―――どう見ても、キリノは自分が部屋に居る事を知らされては無かったらしい。
 大方母子の会話では自分は「お客さん」とでも紹介されており、あのニヤニヤした顔で今キリノが手に持つ、
 お茶やら菓子やらがしたたか積み込まれたトレーを渡したに違いあるまい。
(まあ……それでドアを開けて出て来たのが、サヤでも友達でもなく、俺だもんな。)
 それは驚きもするだろう、と一先ずまとめると。
 いつまでもこうしている訳にも行かず、入室を促すと、コクン、と無言でそれに従うキリノ。
(なんか…これじゃあべこべだな。)
 とぼとぼと足を並べ今まで座っていた座布団に腰掛けると、キリノはヒョウ柄のベッドに腰を降ろす。
 そのまま、普段のように何の気のない取り留めのない会話をすればいいのだが―――――
「………」
「………」
 部室とは圧倒的に異なるその雰囲気に、二人して第一声を発する事すら出来ない。
 そのまま互いに目すら合わせられないまま、永遠にも続く時間が過ぎようとしていたとき。
「あの…」
 先に声を発したのは、キリノの方だった。
「お店に来てくれた、って…あたしがこの間、言ったから…?」
「あ、ああ…うん。なんか、お米も手に入ったから」
「毎度…ありがとうございます、えへへ…」
 そう言うと真っ赤な顔のまま、ニッコリ、としか表現しようの無い満面の笑顔をこちらに向ける。
(同じだなあ、やっぱり…)
 咄嗟に先のお母さんの笑顔と照らし合わせると、その微笑みには寸分のくるいもなく、
 ――――――親子だ。
 という事を物語っているようだった。(あるいは、「毎度」という商売っ気のある言葉がそんな事を考えさせたのかも知れないが。)

 とりもなおさず。
 少なくともキリノが喋ってくれた事により、お茶を味わう余裕の生まれた空気に再度、部屋を見回してみると。
(…ん。そういえば。)
 ふと、卓上に置かれたカレンダーに目が行く。――――次の大会まで、あと何日だったっけ。
 緊張をほぐす話のネタにでもなればと思い、少し腰を浮かせて無精しつつ、カレンダーを手に取ろうとする―――とそこへ。
「あ…!それは、ダメっ!!」
「お、おいおいっ?!」
 あわてて形相を変えたキリノが、机に手を掛けようとするこちらの左肩を抑え、がくんと体重を乗せる。
 その勢いに少しよろめくと、指まで掛かっていたカレンダーのフックは外れ、毎月のページはばらばらと宙を舞い、床に撒布された。
 ―――――――そして。
「……あ」
「…お、おう」
 気が付けば、いつの間にか。
 こちらがキリノに覆い被さる様な体勢に、なってしまっている――――
 ご丁寧に、身体を支える両手はやろうと思えば直ぐにでもその身体を抱きかかえる事ができ、ついた膝は少し動かせば……という位置取り。
(…こりゃどんな、エロマンガだよ)
 思わずそう思わざるを得ないシチュエーションにうっすら笑みすら沸いてくると、下のキリノは何故か両手でこちらの視界を塞ごうとする。
「な、何すんだよキリノ!?」
「見ちゃダメ!!」
 どうやら、床にばら撒かれたカレンダーはどうしても…という類の物であるらしい。
 しかし幸か不幸か、キリノの細い指と指のスキ間から覗く―――そのうちの一つに、逆に意識は集中されてしまう。
「4月26日…”おべんとー一周年”?」
「……!」
 声に出して読まれた事で、ついに観念したキリノの手が降ろされると、辺りには一面、事細やかに。
 ”初めて会ってから一周年””やる気を出してくれた日””初勝利の日”――――
 様々なそれらに加えて、自分の誕生日までもが、大きく花マルで印を打たれている。
「これって全部……俺の事?」
「………」
 言ってからしまった、と思うがどうしようもない――――我ながら、なんてデリカシーのなさだ。
 しかしキリノは答えず、ただだまってコクン、と一回頷いた。
 部屋の甘い香りが、いやに鼻に蒸せかえる。
「あのさキリノ、俺…」
「………」
「俺…」

 大事な事を言おうとした、今なら言える、その刹那。

「ねーちゃんDSやろうぜDS!!センセーもさ!!」
「センセーもやろぉ~」
 邪魔者たちは、意外なほどに遅く――いや、早かったのか――ここぞ、という所で顔を出した。
 咄嗟に離れる自分とキリノ。そのお邪魔虫であるキリノの弟と妹はきょとん、としながら、
「あれっ?取り込み中だった?」
「お邪魔だったかな~」
 どこまで分かっているのかも分からない言葉を被せる。
 こちらはと言えば、伝え切れなかった残念さ無念さは勿論の事だが―――
 緊張と心臓の動悸の余りの早さに揉まれながらも、
(………正直、助かった。)
 という気持ちも半々はある、といった所だったかも知れない。
 とりあえずはその安堵のままに立ち上がると、
「じゃ、じゃあ…俺、帰るわ。またなキリノ」
 とどうにか搾り出し、それに弟妹たちが露骨な反発を示すと、
「もー、ダメでしょ先生困らせちゃ、じゃあセンセー、また明日ね」
 素に返ったキリノがとりなし、事無きを得る。
 全てがフラットに戻った瞬間―――――だと思えていた。この時点では。
 これまた少し残念そうなお母さんに見送られ、家に帰って明日を迎える、その時までは。


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「な…なんじゃこりゃ」
 時間は翌日の学校、お昼休み。
 意味ありげに机の上に置かれていた弁当箱の中身は、とてもではないが――――
 他人の前で開けられるような類の物ではない。それ程の愛情に溢れる――いや、溢れすぎの――一品、であった。
 こんなものを作る創り手は、たった一人しか居ない。
(そういや…今日は朝練から様子が変っちゃ、変だったが。)

「おいキリノ、振りが鈍いぞ」
「おいキリノ、手ぬぐいがズレてる」
「おいキリノ、継ぎ足の引付けができてない」
「おいキリノ―――」
 朝練の間じゅう、悉くキリノの態度はおかしかった。
 こちらの言う事にまるで上の空で、いかにも身が入っていない。
 いつかの様に集中力が研ぎ澄まされているのではなく、単に疎かになっている――――
 心当たりは、まあ無くもない。しかし。
(…ありゃあ、昨日で終わったんじゃないのか?)
 本日唯一、キリノが真っ当な反応を見せた弁当の話―――
「おいキリノ、弁当…」
「先生の分は、今日は無いっす…ごめんなさい」
「あ、そ」
 それは単純に、昨日の事はとりあえず置いておきましょうね、という宣言だと思ったのだが。

時は昼休み。人気の無い所に場所を移したコジローは。
目の前の愛情弁当を前にしてもう一度、繰り返し呟いた。

「――――で…何で、こーなっとるんだ?」

女心と、秋の空。
最終更新:2008年09月03日 01:59