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「どうしよう、終電逃しちゃった……」
 近本は、駅のベンチにぽつんと座りながらつぶやいた。
 そもそも、終電に乗ること自体初めてだ。いつもはもっと早く帰るのに、
今日はとても疲れていて、思わず更衣室で寝入ってしまったから……。
 それもこれも、剣道部の部長だった岩堀が部活を辞めて、
引継ぎやら練習試合の手配やら、色々なことを一気にしなければならなくなったせいだ。
 さらに、考え事をしながら電車に乗っていたせいで駅を乗り過ごしてしまった。
 とりあえず、家にはビジネスホテルにでも泊まるから大丈夫とメールしておいたけど、
男と遊んでるとか余計な心配されたかもしれない、と彼女はため息をつく。
 別にやましいことはしていないのに。

「悩んでても仕方ないや。どこかホテルでも探そ」
 乗り越しのお金を精算して、駅から出る。
道がわからないので、とりあえず人がいそうな商店街のほうへと歩いてみた。
 商店街の店は、どこも閉まっているか閉めるところでホテルは見当たらない。
「ビジネスホテルないかな……」 
 近本がキョロキョロとあたりを見渡していると、
どこかで見た女の子が店のシャッターを下ろしていた。
「あ!」
 思わず、彼女は声をあげる。確か、あれは室江高校の部長さん。千葉さんだ。
「お、あれ?」
 店の女の子の方も自分に気づいたようだ。
「あなた、鎌崎の副部長さんだよね? えっと、近本さんだっけ」
 
 ──副部長。部長を支える役。その言葉を聞いて頭の中にある人物の姿がよぎる。
 いい加減で、投げやりだったけど本当は剣道が大好きなアイツ。
 あれ、あれ? なんか、変だ。目がぼやけてる。どうしたんだろう。

「ど、どうしたの! ごめん、何かあたし変なこと言った?」
 キリノが狼狽しながら、近本に駆け寄った。近本はボロボロと大粒の涙をこぼしたまま、
その場に立ち尽くしている。そんな彼女の顔を、エプロンのポケットから取り出したハンカチで
キリノはそっと拭った。近本は拭われるまま、その場で固まっている。
「と、とりあえず家に上がる? あたしの部屋二階だから」

うーうー、と声にならない声で泣いている近本を引っ張って、
キリノは惣菜ちばの二階にある自分の家へ彼女を連れて行った。



「……ちょっと、塩味がきついけど美味しい」
 近本は涙をすすり上げながら、特製メンチカツをほお張った。
「塩味はたぶん涙がスパイスになってるからじゃないかな~」
 キリノが、お茶を運びながら近本に語りかける。
「元気でた?」
「うん、ありがと」
「いったい、なんであんなとこにいたの?」

 近本は、情けないと思いつつもキリノに事情を話した。

「ふ~ん、そういうことなら今夜はあたしの家に泊まっていっていいよ。
部屋は、ここしかないけど布団はあるから」
「あ、ありがと。でも大丈夫だよ、床で寝るから」

 お茶をズズっと啜って、近本はポツリとつぶやいた。
「アタシ、部長になったんだ」
「え? 鎌崎って部長は確か」
「アイツ、部活辞めたの。剣道は続けてるけど」

 近本が寂しそうな笑いを浮かべる。
「アイツが頑張れるならアタシは……って思ってたんだけどね。
剣道をやめない限り、どこかで繋がってるって思ってたんだけどさ。
最近、学校でも顔を合わせないし、なんかアイツ急に遠くにいっちゃったみたい」
「ふ~ん……」

 キリノは口を猫のように曲げてニヤニヤ笑いを浮かべた。
「つまり、岩堀君と青春の香りなんだねえ」
「ち、違うよ!」
 あわてて近本は否定する。
「そういうんじゃなくて、アイツがなんかアタシから離れてっちゃうような気がして、
って何であなたにこんなことまで言ってるんだろ」
「離れて行っちゃうかあ。その気持ち、ちょっとわかるような気がするな」

 お茶をずずいっと大きく啜ってキリノは天井を見ながら反芻するように語る。
「アタシもね、知ってる男の人がちゃらんぽらんでいい加減だったんだけど、
急にかっこよくなっちゃってなんだか遠くにいっちゃったみたいでさ」
「あ、もしかして、この間ウチに来た石田先生のこと?」
「え、あ、えへへ。うん、そだよ」
「確かに、ウチの石橋先生よりかっこよかったけど……あれ、昔からそうじゃないんだ?」
「うん、ここ最近。急にあんな感じになったの」

 モジモジとじゅうたんを指でなぞりながら、キリノがエヘヘと笑う。
「昔はね~、うん。この間の岩堀君みたいにやる気なかったよ~」
「そうなんだ……ははあん、つまり石田先生と禁断の香りってわけね?」
 ニヤリ、と先ほどの仕返しとばかりに近本が突っ込んだ。
「ち、違うよ!」
 キリノがあわてて否定する。
 ……なぜか2人とも急に恥ずかしくなってきたようだ。
 しばらく、沈黙が部屋を支配していた。



「あのさ」
 床に敷いた布団のなかから、近本はキリノに問いかけた。
「もしも、その石田先生が部活辞めちゃったらどうする? 部活を続けられる?」
 その質問は、キリノが意図的に心の中で隠していたある問題を彼女に突きつけた。
もちろん、近本にそんなつもりはなかったのだが。
「う、うーん、そだねー。先生がアタシを信じて後を託すってことなら
アタシも頑張って部長を続ける、かな」
 そう答えたが、実際に、コジロー先生が辞めてしまったらどうすればいいのだろう。
部活を続けていけるだろうか、それはどれだけつらいことなのだろう。
「そうか……託されたなら頑張るか」
 近本は、遠くを見ながら彼女の言葉を反芻した。

「今度、後ろからふざけて抱きついてやろうかな。岩堀に」
「抱きつくのはどうかと思うけど、一回ちゃんと色々話してみたらどう?」
 顔を真っ赤にして、近本は布団のなかに潜る。
「……なんてね、実はもうすでに1回後ろから抱き着いてみたんだ」
「え! せ、積極的だあ」
「そしたら、アイツ何かうろたえてさ。それで、それからなんだ。
学校終わってもあわてて剣道場行っちゃうから、マトモに顔合わせてないの」
「あー、熱血だと思ったけど純情なんだねえ」

「でもさ」
 布団からピョコンと顔を出して近本がささやく。
「なんか、もういつでも会えないと思ったら。抱きつきたくなっちゃったんだよ」
「え、ええ~。アタシは、うん、そんなことしないよきっと」
「ほんとに?」

 キリノはちょっと、想像してみた。先生がいなくなったら確かに寂しくてしょうがないかもしれない。
そのとき、久しぶりに先生が帰ってきて、思わず先生~って叫びながら抱きつくアタシ。
うん、ない! そこまでアタシはしない。パラレルワールドとかでもたぶんしないハズ。
もっと、理性をもって大人っぽい対応をするんだ。そして、先生も思わず……じゃなくて!

「うん、あたしゃ大人だからねえ。きっと先生と会えなくても笑顔で
あれ、先生久しぶり~くらいな感じでで余裕っすよ」
 言いながら、キリノはなぜかベッドの中に潜っていた。

 翌日、近本はキリノに礼を言ってから鎌崎行きの電車に乗るため駅に向かった。
「じゃあ、ありがと。いつか、また練習試合しようか」
「うん、そうだ。そのときは特別に岩堀君呼んでもいいよ?」
「よ、呼ばないよ! フフッ、頑張ってね部長さん」
「近本さんも、頑張ってね」

 近本を見送ってから、キリノが駅を後にすると
電柱の近くで見慣れた顔の人間がうずくまっている。というか、それはコジローだった。
「何やってるんすか……」
「あ、キリノか。昨日、石橋先輩と飲みすぎちまって……う、うおおおおえ!」
「あー、あー、汚いなーもう。ほら、大丈夫ですか」
「す、すまない……」
「ふう……いくら好きでも支えるのってお互い大変だよねえ」
「ん、何か言ったか?」
「いえいえ、女同士の話です」

 コジローの背中をさすりながら、キリノはイタズラっぽく笑った。