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 ”数学的帰納法”。
 いわゆるn=1のときと、n=kが成り立つと仮定したときにn=k+1が成り立てば、その等式は成り立つ、というものだ。
 「帰納」法と言いながら、その証明方法は結論を先に見ているぶん、演繹法に近い。
 「帰納」の対義語は「演繹」。こちらは大雑把に言えば、当たり前の事は他の人・物に当て嵌めても成り立つだろう、という考え方。
 人は誰でもいつか死ぬから、自分もいつか死ぬ。そういうものだ。
 ――――――では、この言葉はどうか。

「まだガキなんだから、後先考えず全力でやってりゃいいんだよ」

 言い分からすれば。
 彼にとって、岩堀君――鎌崎の部長――は、”ガキ”だったのだろう。
 それに前後する言葉から、彼がかつての自分と照らし合わせて見ていた、などの予想は成り立つものの…
 とりあえず言葉だけを表面的にとらえれば、そうなる。
 つまりまとめると”彼”にとって”部長の岩堀君”は”ガキ”である、という事になる。

(じゃあ、先生にとってはあたしも、”ガキ”の一人…ってこと??)
 数学の授業中、キリノの関心の焦点はそこにあった。
 別にそれを認める事に抵抗は無いのだが、なんとなく心の奥に引っ掛かる。
 そもそも、考えてみれば件の言葉自体にややトゲがあるような気がしてしまう。
 「後先考えず、全力で」と言えば聞こえはいいが、つまりはそれは”ガキ”はどれほどあがいても、
 尻拭いをしてくれる”大人”が居るからこそ一生懸命やれるんだ、と言う”大人”側の傲慢さの裏返しのようにも感じられるのだ。
(確かに、後先考えずに皆に迷惑かける事もあったけど。)
 あらゆる勧誘の時の手段の強引さに加え、インターハイ予選での自分のへたりっぷりはまだ記憶に新しい。
 しかし、そんな時であっても――――
 自分はそこまで、彼の掌の上に居たつもりは無い。いや、無かった。
(むしろ、どちらかって言うと…)
 寝過ごして遅れてきた彼を。川添道場で自分に助けを求める彼を。
 そっと陰ながら支えて来たのは自分だ、という自負のような物がキリノにはあった。
 つまり、帰納的に考えれば、自分にとっては先生こそが”ガキ”なのであり、
 しかし演繹的には先生にとっては自分も”ガキ”の一部に過ぎない、という矛盾が今の疑問を生んでいる。

 ――――――と。
 ここまで思い及んで初めて、キリノにこの疑問の大元を手繰ろう、という気持ちの余裕が生まれた。
(そう言えば、なんでこんなにイヤなんだろ…)
 合理的に考えていけばいずれ行き当たるだろうと思っていたその理由。
 しかしそれは、そういう類の物ではどうやらなさそうで――――
 やがて耳の遠くで、後ろの席に座る友達の呼ぶ声がする。
「(…キリノ。……キリノってば。)」
 しばらくはその声を無視して断続的な思考を続けてみるが、答えは出ない。
 演繹的には、自明である筈の結論――――誰であろうとも、好きな人に全くの突き離された子供扱いなぞ、されたくはないもの。
 しかしそれに辿り着くのには、キリノの気持ちはまだ未成熟過ぎた。
 友達の声がやや大きくなる。
「(…キリノ。……キーリーノー!先生こっち見てるって!)」
 構わずになおも表情をくるくると回し、考え込んで見るも、答えは出そうもない。
 帰納的には、自分が先生の事が好きだ、と仮定してしまえば、血が巡るようにあらゆる全ての歯車が合致しそうなほど、容易い証明。
 しかしそれを導き出すのにも、キリノの経験は不足していた。
 いよいよもって、友達の声が緊迫感を増す。もうほとんど実声だ。
「…キリノー、やばいって!」

(ウルサイなあ、考え事してるのに。)
 ようやく思考を中断し、友達に答えようとするキリノの口に、叩き込まれる異物感。
「なにー?………むぐっ!」

 数学教師の投げた渾身のチョークの一投は、ストレートにキリノの気道に飛び込んだ。