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”ズズズズズ…”

午前の授業が終わり、いつものようにカップラーメンを啜る、お昼休みの職員室。
その貧相な食事にも拘らずコジローの胃袋は、未だ残る昨日の寿司の満足感で満たされている。
スープまで飲み干し一息つけば、次の授業までは少し長い、寛ぎの時間。
…しかしそんな憩いのときを破壊するものは、彼の後頭部のおよそ斜め45度から飛来しようとしていた。

ぐさり。
コジローの頭頂部にブッ刺された…いや、立てられたブラシは、
そのまま頭皮をなぞり、彼の髪を一定の方向に整え、そして降りる。

「なっ、何しやがる…キリノ」
「いえ…先生一人だけ祝勝会してないのも、可哀想かなあって」

祝・勝・会―――――
町戸高校との練習試合に見事勝利を収めた彼女ら戦乙女たちは、その勢いでそんなものを開いていたらしい。
らしい、というのは、コジローはその場にいなかったからだ。
彼は寿司屋に行く為、タマに約束の物を渡した後、そそくさと学校を後にしてしまった。
その為彼が知り得るその内容は、午前の授業後にサヤから伝え聞いた物に限られるのだが――――

「祝勝会でなんで髪をいじる必要がある」
「なーんか、その場のノリで!うふふふ」

なんでも、その時のキリノのはしゃぎようは何と言うか…凄かったらしい。
朝のタマの髪形いじりから高じたその矛先は他の部員全員にまで向けられ、
タマはツインテール、サヤはリーゼント、ミヤは三つ編みの文学少女、男子二人はもちろん…女装メイク。
そして自らはお団子、と言うように次々と髪型は変えられて行き、各人は帰るまでそのままで居る事を余儀なくされた。
コジローはそれを聞いてもそこまではしゃぐキリノ、というのが中々に想像がつかず、
サヤの話だから、と話半分に薄めて聞いていたつもりだったのだが…
実物を目の当たりにすれば、おおよその見当はつく。

「そんなに…嬉しかったか?部員が揃ってきたのが…」

その言葉と同時に、ぴた、とコジローの髪を撫で付ける動きを止めるキリノの指。
キリノにとっては、今のメンバーで行う初の団体戦であり、初の練習試合である。加えて言うなら、初勝利だ。
それは勿論タマや他の面子にとってもそうなのだが、
キリノだけには、その意味が大きく異なっている事を、コジローは知っていた。
しかし流石に少しの時間をおいても微動だにしない手の動きが心配になり、

(……直球すぎたか)

自分の科白に少し後悔を感じながらコジローが後ろの様子を振り返ろうとすると。
がりがりがりがり。
何も言わず、再びブラシを力任せに動かし始めるキリノ。
その動きは先程までの強引さと比べてもやや荒っぽく、絡まった髪の毛が数本毟り取られる。

「ッ痛ってーーーなバカ!!」

頭を手で押さえつつ必死の形相で訴えるコジローに、
ブラシの動きを止めないまま、どこか面白がるような口調で切り返すキリノ。

「…先生の頭皮硬いすねー、将来ハゲますよ?」
「お前がそう、しとるんだろうがっ!…ったく」

藪を突付いて蛇ならともかく、恥ずかしがりやの龍神様を出したのではたまらない。
コジローがそう観念して腕を組み直すと、後ろでへへ、という小さな笑い声がし、
次第にブラシのタッチも元の柔らかい物に戻ってゆく。
―――――そして。

「ん、できたっ!…どうすか!」

自信満々に手鏡が差し出されると、そこに映る
前髪をぴっちりと七三に分けられ、眼鏡をかけた黒い髪の男は一瞬口角をひきつらせ、しかしすぐさま戻すと、

「んむ…ご苦労」

と、なんとか捻り出した。
その反応に満足したキリノは鏡を持つ手ごしに

「…じゃあ今日は部活まで、そのままでいて下さいね」

という念押しの言葉を寄越すと、そのまま教室へと戻っていった。
それと入れ違いに入って来た吉河先生はこちらを見やると、
一瞬何事か分からずに呆けた後その場に蹲り、お腹を抱えている。
コジローは同僚のその反応に、はは、と冷めた笑いを浮かべ、しかし鏡を再び見やり、
アゴの下を手でさすり、眼鏡の端をキラリと輝かせると。

(まあ、授業一個分くらいは、アイツの余禄に付き合ってやるのもいいだろう)

そう思い立ち上がると、次の授業の教室を目指す――――
2-3の5限目の授業は、選択科目。キリノが取っているのは、もちろん…
予鈴のチャイムが鳴り渡り席に着くと、教室に入って来たのは。
見慣れない格好をした、しかし誰もが一目でそれと分かる、いつもの政経教師。
その見た目の余りの可笑しさに、教室の緊張は一瞬で破裂寸前まで膨らんだ風船のようにピークを迎える。そして。

「おらっ、席つけよーお前等ー」

いつも通りに彼がそう発するや否や、一人の生徒が堪えきれずに、ぷっ、と吹いた。
するとたちまち巻き起こった爆笑の渦に教室は包まれる。
嘲笑、失笑、哄笑、苦笑。もはや一人として、笑ってない生徒など居ない。

(……やれやれ、こりゃ今日は授業にならんな。)

コジローが諦め、ふと教室の窓際にいる金髪の少女を見やると――――
そこには、そのような教室を埋め尽くす囂しい笑い声の中にあって…
唯一つ種類の違う、満足気な笑顔が咲いていた事は、言うまでもない。